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第十五章──再会

再会

 


     Ⅰ


「お前もここに来て三日だな」錫雅尊は草むらに寝ころんで狛犬に話しかけた。

「はい、おかげでこのとおり…。あなた様は恩人ですけん」狛犬は錫雅尊の横にちょこんと座っていた。

「私は弱い者がいたぶられるのを見ていられないだけだ…」寝ころんだまま、今度は流れる雲を目で追いかけながらそう答えた。

「わたくしはこれほどまで親切にしてもらったことがありません…」

「当たり前のことをしただけだ。お前達狛犬が狡狗であり、しかも奴隷だと知った時は驚いたがな…」

「わたくしの祖国〝拗隠(よういん)の国〟の狛犬はすべて奴隷です。この国で生き残った狛犬達はそのことを口にしたくなかったのでしょう…」

はるか昔──拗隠の国と白の国に抜け穴ができた。それがもとで(りょう)(こく)(あらそ)いが生じた。この(たたか)いで狡狗は狛犬達を()(ごま)として使ったのだった。いつしかその抜け穴は理由の分からぬまま閉ざされ、戦いは終息(しゅうそく)した。

「今も白の国にいる狛犬達は、その時の生き残りということか…」

「そうです。もともと拗隠の国では二本足の狡狗が高等(こうとう)(しゅ)として(もち)いられ、わたくしたち狛犬は同じ狡狗でも奴隷として(さげす)まされてきたのです」

「同じ魂なのに………奴隷とは(ひど)い扱いよな…」

「…それが狛犬の宿命(しゅくめい)ですけん。ですがこんな身分のわたくしを助けてくだされた貴方(あなた)(さま)のことは決して忘れませんけん」

「……ふっ…。それで、これからどうするつもりだ?」

「わたくしは陰湿(いんしつ)でずる(がしこ)いとされている狡狗種…その中でも身分の(いや)しい狛族です。どこかでひっそりと邪魔(じゃま)にならぬよう暮らしてまいります」

「ならば私のもとで暮らせ」

「貴方様の…?いいえなりません。わたくしのような奴隷(もの)(そば)にいるだけで貴方様は(けが)れてしまいますけん」

「お前は自分が穢れた存在だと?お前の素性(すじょう)がなんだって(かま)わんではないか…お前はお前だ。これからは私と共に白の国を守るのだ」

「わたくしが…?この白の国を守る?」

「そうだ!私とこの国を守る手助けをしてくれ」

「貴方様はそのようにわたくしを…。ありがとうございます!ならば…これからは貴方様に(したが)います。どうぞ下僕(しもべ)としてお使いくださいませ…ご主人様」

「下僕などではない…家来(けらい)になってくれればよい」

「いいえ…勿体(もったい)ないことです。わたくしを下僕としてお使いください」

「私はそういうのは苦手(にがて)なのだ…」

「お側に置いてもらうのですから、それだけは(ゆず)れませんけん…」

「子供のくせに頑固(がんこ)な狛犬だ…気に入ったぞ!」錫雅尊は体を起こすと、左の手で狛犬の頭から背中にかけてゆっくりと撫でてやった。

「そうだ、お前の名前を決めてやらねばならんな──どんな名がよいかな…?そうだ!石のように頑固(がんこ)堅物(かたぶつ)な狛犬だから〝いし〟というのはどうだ?」

「〝いし〟…………ですか!?」狛犬の目は(うる)んでいた。

「気に入らぬか?」

「そうではありません。わたくしたち狛犬は名前も持てぬ狡狗の奴隷です。そんなわたくしに…そんなわたくしに…」

「分かった………分かったからもう泣くな…」

「はい…。今はわたくしまだ子供ですが、じき体が大きくなりますれば、ご主人様を背に乗せて走ることができましょう。その時が(まい)りましたら、このわたくしめを思う存分お使いくださいませ!」

「それは楽しみよな。その日を心待ちにしておくぞ…いし」

「は、はい!」初めて名前を呼んでもらって、いしは胸が熱くなった。

「ご主人様…?」。「ん…なんだ〝いし〟?」

「な、なんでもないですけん…」いしはわざと名前を呼んでもらい、照れながらゴロゴロと転がってじゃれ回った。

「おかしな奴だ…」錫雅尊は目を細めていしの姿を見守るのだった──。




     Ⅱ


「浩子…どうして私のおじいちゃんは三輪山に来たの?それに狡狗から得たとんでもない情報って何?」

 

「うん…。一つ一つ説明してあげたいけど、もう白の国に着きそうなの…。白の国に入れば信枝も目を覚ますでしょうしね…」

「信枝は大丈夫なの?」

 「えぇ。肉体と魂が別れただけ…今は元気のない信枝の魂も、白の国の霊気を取り入れれば元気になるでしょう。一番恐いのは…〝()〟になること…」

 「〝無〟?………無になる?」

「そう。所謂(いわゆる)幽霊とは、肉体を無くした魂が人前に現れることよ…。けれども無は違うわ。(たましい)そのものが消滅(しょうめつ)するの…」錫は〝無〟に(おちい)ることを想像することすら恐かった。

間もなく白龍は、人間界と白の国との境目(さかいめ)である大きな川にさしかかった。その川を渡りきると真っ白な空間へと景色が変わった。

「あの日私が行った白い世界はここね?」

「えぇ。白の国は文字どおり白一色の平和な国よ。けれども白の国には秘密があるの。仮想(かそう)することによって空間を造り出し、好きな物を映し出せるのよ。山も海も草原も、それを造り出すのは創造(そうぞう)(ぬし)にあるわ。例えばスンは海辺(うみべ)で私と日光浴(にっこうよく)をしながら──私は小さな部屋で静かにお茶を飲みながらお互い話をする…そんなことが可能なの」

「ひゃ~!そんなことができるの…?それで?」錫はもっと話を聞きたかったが、白龍がゆっくりと速度を落とし始めたので、浩子は話を変えた。

「スン、一つだけお願いしとくわね。信枝が目を覚ましても私たちの正体を明かさないで。説明するのに一苦労(ひとくろう)だし、何よりこの子に余計な知識を(そそ)いで憑物に狙われるのが可哀想(かわいそう)だから…」

「分かったけど、この姿じゃバレバレでしょう?」

「そうでもないわ…」そういうと、錫の目の前でみるみる浩子の姿が変わっていった。()きとおるような白い素肌(すはだ)に、優しそうだがきりりと引き締まった顔立ち。(あわ)い青色の羽衣(はごろも)を全身に(まと)い、(つや)やかな長い黒髪は風に揺れてサラサラと(なび)いているように見える。体の線は羽衣の上からでも、そのしなやかさが想像できそうだ。〝きゅっ〟と引き締まった足首は同じ女性の錫でも魅力(みりょく)を感じるほどで、形の良い素足(すあし)爪先(つまさき)から(かかと)までとても白く(やわ)らかそうだった。

「そ、それが本来の姿?」智信枝栄はこっくりと(うなず)いた。錫があまりの美貌(びぼう)見蕩(みと)れていると、いしがハッと大きく目を開けた。

貴女(あなた)(さま)なら存じております。時折(ときおり)ご主人様を(おとず)れて、わたくしの頭を撫でてくださったお方ですね?」智信枝栄はいしを(つつ)み込むような笑顔で微笑(ほほえ)んだ。

天女(てんにょ)みたい…とっても綺麗(きれい)…」。「あら…スンだって凛々(りり)しいわよ…ふふっ」

「えっ!?」錫は自分の体を見回した。「あっ!これは…?」それは錫が初めてこの国に来た時に見た自分自身だった。

「………この姿…この牛若丸(うしわかまる)(もど)き…………錫雅尊?」

「ご主人さま…そのお姿…お(なつ)かしゅうございます…」いしは感極(かんきわ)まって泣いた。

「大げさね、いしは…。でもなんでこの姿になっちゃったの?」

「意識しなければ白の国では錫雅尊、人間界では錫の姿になるのよ」

「へぇ~…でも、この姿もいいかも!結構モテたりしちゃって~」

「そんな冗談言ってる場合じゃ……ほら、信枝が目を覚ますわよ」今までピクリともしなかった信枝が、生気(せいき)を取り戻したように動き出した。

「あっ、信枝気がついた!?」

「えっ!?…ここは…?あなた達は?」

 「私だよ、ス…」。「ご主人様…」(あわ)てていしが錫の言葉を(さえぎ)った。

 「あっ、ごめーん…もう忘れてた…」小声で(あやま)りながら、後ろ頭をかいた。姿は錫雅尊だが、中身は錫のままだ。

 「信枝様…落ち着いて聞いてください」智信枝栄は邪悪な霊に取り憑かれ、肉体から命を抜かれたことを信枝に説明した

 「命を抜かれたって…死んじゃったってこと?」

「そうです…。ですが、一縷(いちる)(のぞ)みをかけて生き返らせたいと思っています」

 「じゃ…あなた達は幽霊?」

 「ま、まあ…あながち間違いではありませんが、幽霊と言われると抵抗(ていこう)があります…。どうせなら霊体と言ってほしいのですが…」

「…なんにしても私は死んじゃったのね…?でも体が軽くてとってもいい気分…これでもいいかも」

 「よくないわよ…絶対助けるわ!」話に割って入った錫に、信枝は怪訝(けげん)な顔をした。

「……ご、ご主人様…今は姿も声も男ですけん…」いしが小声でまたこっそり錫に伝えた。錫はまたやってしまったという顔で頭をかいた。

「あぁ、すまぬ…そなたの気持ちをほぐしてやろうと思っただけだ」錫は苦し(まぎ)れにその場を(つくろ)った。

「あなたはどなたですか?」信枝は錫の顔から視線を(はず)すことなく(たず)ねた。

「私は錫雅(しゃくが)(うまし)妙王尊(みょうおうのみこと)だ。錫雅(しゃくが)と呼んでくれればいい」

「錫雅様…。で…そちらの方は…奥様?」信枝にはそんな(ふう)(うつ)るのかと思うと、錫と智信枝栄は驚くよりも可笑(おか)しかった。

「ち、違うぞ…信枝殿!この者は智信枝栄之命……私の臣下(しんか)だ」

「臣下…そうですかぁ…家来ですね!?うふっ…」臣下と聞いて微笑(ほほえ)んだ信枝からは、なぜだかバラの花びらが舞い散りそうだった。

──「信枝の様子(ようす)がなんだか変だなぁ…」それが何を意味するのか──錫はこれから()(まと)苦悩(くのう)をまだ()(よし)もなかった。

「あら…天国には狛犬がいるのね?」信枝は別段(べつだん)驚くでもなく、いしの頭を撫でた。

「初めまして信枝殿…いしと申します」()れ屋のいしは、お手をして顔を赤らめた。



「ところで錫雅様、これからあるお方に会って頂きたいのです」

──「浩子は演技(えんぎ)がうまいなぁ…。私はあんなに器用(きよう)に切り替えられないわ…」

「ただそのお方が出払(ではら)っていれば万事休(ばんじきゅう)すです…」

「万事休す…………それってつまり…」

「はい…信枝様は生き返りません…」

「そんなぁ…出払ってないことを祈るわ。……いやっ、…祈るぞ」

──「ややこしいなぁ…錫雅になりきるのは…」

「では参りましょう!どなたに会うかは道中お話しいたします」




     Ⅲ


「景色が真っ白で変化がないから歩いていても退屈(たいくつ)ね…いや、退屈だ。それで、誰に会うのよ?…いや、誰に会うのだ?」(おとこ)口調(くちょう)()れない錫に、智信枝栄は笑いたいのを(こら)えて返答(へんとう)した。

「今からお会いする方は須勢理毘売(すせりびめ)様と(もう)されるお方です」

「その名前知ってるわ…あ、いや…知ってるぞ!古事記に登場する女性だ…。もしかして領巾(ひれ)(もら)いに?それを使って信枝殿を生き返らせるのか?」

「そのとおりです。よくお分かりになりましたね?」

「元はと言えば祖父が辞書を…………ん?…もしかして祖父は信枝殿が死ぬことも予測していたとか…?」

「それは考えられません…。錫雅様に領巾のことを教えようとした理由は分かりませんが、いくらあの方でも信枝様が死ぬことまでは予測できないかと…」二人のそんなやり取りなどどうでもよい(てい)で、信枝はただじっと錫雅尊を見つめていたのだった。




     Ⅳ


「もう少しで着きますよ」智信枝栄の言葉に一行(いっこう)がほっとした時だった。前方の(ちゅう)に大きな(あな)()き、そこから黒い(かげ)が二体落ちてきた。

「あれはなんだ…?」錫が尋ねると、智信枝栄は抜け穴を通って白の国を乗っ取りに来た狡狗だと教えた。

「おっ!獲物(えもの)第一号(だいいちごう)、しかも狛の奴隷付き。これは幸先(さいさき)良いなぁビビ」狡狗がギラギラした目を向けて近づいてきた。

「ほんにこれは(もう)けたなぁ…。こらお前ら、オレ達の餌食(えじき)になれシーシー」

「お前達はヒとかハとか付けないと(しゃべ)れんのか?」錫も徐々(じょじょ)に男言葉に()れてきたようだ。

「ナニ?生意気なヤツだ…。まずお前の霊気を全部吸い取ってやるシシシ」

「ご主人様、お気をつけて。あいつらのご馳走(ちそう)(うら)み、(ねた)み、そねみ、嫉妬(しっと)などの()しき心ですが、良心でもヒルの(ごと)く吸い取ろうとする奴らですけん…」

「ぶつぶつウルサイぞ」(いら)ついた一体の狡狗がいきなり錫に襲いかかってきた。咄嗟(とっさ)(なな)め後ろに足を()った錫は五㍍は軽く宙に浮いた。

「なにこれ…?キャー…映画のワイヤーアクションみたい!」霊体となり身軽(みがる)になった自分の跳躍力(ちょうやくりょく)に驚き()感激(かんげき)だ。

「錫雅様、早く晶晶白露を!」智信枝栄の催促(さいそく)に、錫は(ちゅう)に浮いたまま(うなず)き、晶晶白露を出現(しゅつげん)させると一体の狡狗目がけて一直線に向かって行った。

「な、なんだ…熱いぞ…これは熱い…」狡狗が錫の一撃(いちげき)に気づいた時には、晶晶白露はもう胸に突き刺さってた。

「そのまま邪身玉(じゃみだま)(おさ)まるがいい。さぁ次はお前だ!」言うが早いか錫はもう一体の狡狗に向き直り、たちまち間合いを詰めると、同じように晶晶白露を狡狗の胸に(ひと)()しした。

「やめて…あつっ、あっつっ…」光を()びた玉が狡狗を包み邪身玉になりつつある時、思いもよらぬ声が(あた)りにこだました。

「錫雅様カッコいいですぅ~~!()()()()()()()()()()…ずっとあなたのお(そば)にいます~!」なんと信枝だった──。二人はその言葉に驚きを隠せない。

「男なんかに目もくれなかった信枝が…」智信枝栄が(つぶや)いた。「わ、私に恋したってこと…!?」錫が動揺(どうよう)した。「信枝殿は()()()()()()()()()()…」ついでにいしも一言。

信枝が生まれて初めて恋をした相手────それは錫だった。




     Ⅴ


狡狗を退治(たいじ)した一行(いっこう)が須勢理毘売に会うため再び()を進めていた道中、錫は智信枝栄に邪身玉の行方(ゆくえ)について尋ねた。

一度(ひとたび)行き先を念じて邪身玉を放り上げれば、玉は(みずか)ら道を探してそこに向かいます。しかし、何も念じず放り上げれば、玉は天甦霊主(あまのそれいぬし)様の住む(しん)霊界(れいかい)に運ばれます。(ただ)し行き先が完全に封印(ふういん)されていれば、邪身玉は行き場を失い、いずれは無と化してしまうのです」

「邪身玉は宝玉(ほうぎょく)だけに、(あつか)える者はほとんどおりませんのですけん」

「じゃ、錫雅様はそれを扱える特別な方なのですね?さすが錫雅様!」()()(はず)れた信枝は、完全に恋する乙女(おとめ)丸出(まるだ)しだ。

「ねぇ浩子…クールな信枝はどこへ行ったの…?完全にキャラが変わってるんだけど…」錫がひそひそと智信枝栄に話しかけた。

「信枝は恋に免疫(めんえき)がないからスンに一途(いちず)なのよ」

「やぁ~ん…よりによって初恋の相手がなんで私なの…しかも()()の…」

「モテますわね………錫雅さまは…うふふ」

「もう~っ…からかわないでっ!」錫は()(ずべ)もなく、ただ信枝の熱い視線を感じていた。




     Ⅵ


それからどれくらい歩いただろう。智信枝栄は、ある一点を凝視(ぎょうし)し、そこを指さして錫に言った。

「錫雅様、ここからは、今私が(ゆび)さしている方向にお一人でお進みください。幸い須勢理毘売様の強い気を感じます」

「一人で行くの?」。「あの方は複数で会うことを嫌いますから」

「わかった…」錫は素直に(したが)い、言われたとおりの方向に歩き出した。信枝は切ない顔をしていたが、黙って見送るしかないと(あきら)めた。


まるで雲の上を歩いているようだった。足下(あしもと)一面(いちめん)に広がる(もや)は、最初錫の(くるぶし)(あた)りまでだったが、歩くにつれてだんだん厚みが増していって(ひざ)の辺りまで深くなった。もう少し歩くと、靄の厚みが増しているのではなく、そこが(ゆる)やかな坂になっているのだと気づいた。地下鉄への入り口をゆっくり下りて行くような感覚(かんかく)でそのまま進んで行くと、やがて靄と目線とが一緒になり、(さら)に進むと一面白一色のトンネルの通路が現れた。その五㍍ほど先には、これもまた靄でできた(とびら)があった。錫は躊躇(ちゅうちょ)せずその靄の扉を通り抜けた。靄は八方(はっぽう)()りながら消えて無くなり、目の前にはとても広いドーム型の空間(くうかん)一気(いっき)に広がった。ちょうどプラネタリウムを思わせるようなその空間は、やはり一面が真っ白な靄でできている。中央には、雪国(ゆきぐに)でお目にかかる〝かまくら〟よろしくお(わん)をひっくり返したような丸い小さな靄の造り物があり、人が出入りするぽっこりと()いた穴からは、ほんわかと優しい(あか)りが()れていた。

錫はその灯りに誘われるように近づくと、中をそっと(のぞ)き込んでみた。物一つない部屋の奥に、女性が一人背を向けて座っているのが見える。錫の気配に気づいたその女性は、ゆっくりと後ろを振り返った。 

目が合った瞬間、錫はそのまま吸い込まれるのではないかと思った。〝美しい〟などというありきたりの形容(けいよう)()ではしっくりこない。

身に(まと)っているのは白を基調(きちょう)とした(つや)やかな薄手(うすで)絹衣(きぬごろも)で、(すそ)に近くなるほど(あわ)い水色が目立つ。その奥に()けて映る体のラインは、とてもしなやかで(やわ)らかそうに見えた。

──「()(しょう)()のない古風(こふう)な顔立ちなのに、なんて綺麗(きれい)なの…。きめ(こま)かい白い肌、バランスの(ととの)った目鼻立ちもそれぞれが邪魔(じゃま)し合っていない。すべてに嫌みのない感じだわ。クレオパトラも楊貴(ようき)()も香神錫でも(かな)わない…。それに…見つめられるだけで(いや)されるようなこの感覚(かんかく)って…」

「あ、あの…須勢理毘売様………ですか?」恐る恐る尋ねてみた。黙ったまま(うなず)いた須勢理毘売の顔に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだように見えた。

「神話の世界の方が本当におられたのですね…ビックリしました…」

「神話のほとんどは脚色(きゃくしょく)されています──ですが、実在(じつざい)の人物は多いですからね」物腰(ものごし)も静かで上品(じょうひん)だ。(くや)しいけれど、自分には無いものがすべてが(そな)わっている完璧(かんぺき)な女性だと錫は感じた。

「…でもまさか本物にお会いできるなんて…」。「驚きましたか?」

「もちろんです」。「では…驚きついでにもう一つ」

「………?」。「錫…………久しぶりです」

「ひ、久しぶりって…!?私は知りませんけど──あ~っ!」錫はピンときた。「あなたも錫雅尊のお知り合いなんでしょ?」

「はい、もちろん錫雅様にはお世話になりました」

「やっぱり…そういうことね!…私きっとこっちの世界では顔が広いんだ」

「けれど、そういう意味の久しぶりではありません。私は()に久しぶりと言ったのです…」須勢理毘売は悪戯(いたずら)っぽい目で錫を見た。

「錫って人間の私のこと?…あ~…また頭がおかしくなりそう…」錫は大きな目を左右にきょろきょろと動かしながら考えていたが、出てくる答えは同じだった。「ごめんなさい。何かの間違いだとしか考えつかないです」

「そうですか────ではこれならば分かりますか?」須勢理毘売は声色(こわいろ)を変えて力強く叫んだ。「まだわからんのか!?この()()()()()()()()()!」

「…………ぎょぇ~~~~っ!気障りのお婆さんっっ!?」錫は金魚のように口をパクパクさせて、その場にヘナヘナと座り込んだ。須勢理毘売は何事もなかったかのように声を元に戻して話しかけた。

「そう私です。きっとあなたは私を訪ねてここへ来ると思っておりました」

「そ、そうなの…?ほ、ほんとに?」錫は気の抜けた声で返答(へんとう)した。

「誰かが巻き込まれると思っていましたから…。この私のように…」

「私のようにって…それじゃ、やっぱりお婆さんは自殺じゃなくて殺されたのね?」

「いいえ、私は自殺したのです」

「またこれだ──頭から火を()きそう…」錫はこんがらがって頭脳停止(ずのうていし)寸前(すんぜん)だった。


須勢理毘売は錫を手招(てまね)きして横に座らせると、琥珀色(こはくいろ)に光る綺麗(きれい)なガラス玉を取り出した。

「これは高宮ハルの(たましい)です」驚く錫に須勢理毘売は静かに(かた)りだした。


     〇


厳密(げんみつ)に言えば須勢理毘売は気障りの婆に取り憑いていた存在だった。

何十年も前のこと──。拗隠(よういん)の国の連中(れんちゅう)が白の国に()()せてきた。連中は須勢理毘売の持っている十種(とくさの)神宝(かんだから)領巾(ひれ)〟の(にお)いを()ぎつけ執拗(しつよう)に追いかけ始めた。錫雅尊は須勢理毘売を(かくま)い、〝いし〟に護衛(ごえい)(たく)し、(みずか)らは狡狗退治に走り回っていたのだった。

「その話…いしから聞いたわ。匿ってた貴婦人(きふじん)って須勢理毘売様だっのね…」

「けれどそれも(つか)()、たちまち私は追い詰められたのです」

窮地(きゅうち)(おちい)った須勢理毘売は二つの選択(せんたく)()いられた。このままこの国を転々(てんてん)と逃げ回るか、それとも人間界に身を(ひそ)めるか、そのどちらかを──。

「それで人間界に行って気障りのお婆さんに取り憑いたってことね…」

須勢理毘売が気障りの婆、つまり高宮ハルに憑依(ひょうい)したのには理由があった。彼女があまりにも純粋(じゅんすい)()つ強い霊力を持っていたからだ。中級程度の邪霊(じゃれい)なら寄せつけない霊力を持っていた彼女は、(かく)(みの)としては最適(さいてき)だった。

「ただ…」そこまで話して須勢理毘売は(せつ)なそうに目を伏せた。「ただ私は彼女にとても申しわけないことをしてしまったのです…」

「申しわけないこと?」言い(づら)そうな須勢理毘売に、錫は鸚鵡返(おうむがえ)しに聞き返した。

須勢理毘売が高宮ハルに憑依する時、彼女は火の道を渡るため、精神状態をかなり高揚(こうよう)させていた。そこへいきなり須勢理毘売が憑依したことで、彼女の精神は一時混乱(いちじこんらん)をきたし、気を失ってしまったのだった。

「それでお婆さんは火の中に顔を突っ込み大火傷(おおやけど)()った…」

「そうです…。高宮ハルの人生を変えてしまったのは私なのです」

「でも…お婆さんの人生はそれ以前から波乱(はらん)だったわよ」

「だからそこ私の不注意が高宮ハルをあそこまで(ゆが)めたのです…。波乱な人生であったからこそ…」須勢理毘売は(つら)そうに(つぶや)いた。「その後、私は彼女の奥深くに隠れ、絶対(ぜったい)(おもて)には出ませんでした。あなたが初めて高宮ハルを訪れた時も、私はじっとあなたを見ていただけだったのです」

「だから私がチャクラを開いてお婆さんを見ても、須勢理毘売様の姿が見えなかったのね…」

「しかしそれも結果としては(きょう)と出たのです…。私は彼女の邪魔(じゃま)にならないように静かに隠れていたつもりだったのですが、それがあまりにも長すぎて、ほぼ同化した状態になってしまいました」

「それだと何がいけないの?」

「あなたが霊力を身につけてから、狡狗はあなたの霊気をずっと追いかけていたようです。秘宝の在処(ありか)を探るために…」錫はそれを聞いただけでブルブルッと震えてしまった。

「あなたを追い詰めかけていた狡狗でしたが、高宮ハルとあなたが出会ったことで、鼻の()く狡狗の矛先(ほこさき)一旦(いったん)私に向きました…領巾の匂いに気づいたのです。もともとこれも欲しがっていた代物(しろもの)でしたから、奴らは高宮ハルに身を(ひそ)めている私を(ねら)ってきたのです。そしてもはやここまでと思った私は彼女の肉体を(はな)れ、白の国に戻ろうとしたのですが──先ほど話したとおり、同化してしまっていて完全に抜け出せなくなっていたのです…」

「狡狗に(つか)まるってこと?」

「はい…。それを()けるために、私は苦渋(くじゅう)決断(けつだん)をせねばなりませんでした」

「それがお婆さんの自殺だったのね!?」錫は高宮ハルの自殺に(ようや)く納得がいった。

「私は彼女から初めて主導権(しゅどうけん)(にぎ)りました。そして自殺を(はか)りここに戻ったのです」

「そういうカラクリだったのか…。お婆さんに限って自殺などあり得ないと思っていたの」

()らぬ心配をかけましたね…」

「いいえ…。それよりやっぱりお婆さんの死には私が関係していたのね…。すごく責任を感じてしまう」

「そんなことを気にすることはありません。彼女は自分の人生を生き抜きました。それに…ここに帰ってきて(ようや)く私と高宮ハルの魂が別れました」須勢理毘売はさっきの琥珀色の玉をもう一度錫の目の前に差し出した。玉の中はまるで小宇宙(しょううちゅう)のようだった。ゆっくりと高宮ハルの魂が動いている。

「この魂がもう一度人間界を(のぞ)むなら、(さち)(おお)き人生を送れるよう天甦霊主(あまのそれいぬし)様に願いを()うつもりでこうして守っているのです」

「お婆さん…」目頭(めがしら)が熱くなって涙が出た。「あれ…体がないのに涙が出る…」

「あなたの思いがそうさせるのでしょう」そういう須勢理毘売ももらい泣きしていた。

錫は高宮ハルの魂が閉じ込められた玉を両手でさすり、それから静かに手を合わせて彼女の幸せを祈った。

「さて錫…あなたの目的は、私の持っている領巾でしょう?」

「あっ、そうだった。魂を抜かれた友人を生き返らせたくてここに来たの」

「そんなところでしょうね。ではこれを…」須勢理毘売は自分の首に巻いていた白い薄手(うすで)のスカーフをゆっくりと外した。「これはあなたにあげましょう」

「えっ!?だってこれを守るために人間界に隠れたくらい大切な物でしょう?」

「それでももう私には必要ありません。あなたになら喜んで(ゆず)ります」

「でも…」

「いいから(だま)って受け取って。この領巾もその方が嬉しいのです」そこまで言われると、受け取らないわけにはいかない。

「じゃ…素直に頂きます」須勢理毘売から領巾を受け取った錫は、自分の首元(くびもと)にそっとまわしてみた。

「なんだか思っていたより現代風…」

「あなたのイメージに合わたのよ。十種(とくさの)神宝(かんだから)も、昔は文字通(もじどお)り十種類あったのですが、今はこの一つに(まと)まっているのです。最も大切なのは、この領巾を使うには呪文(じゅもん)が必要だと言うことです」

「呪文?そんなものがあるの?」

「本当は〝ひふみの祓詞(はらいことば)〟と言いますが、便宜上(べんぎじょう)そういうことに。ふふ…」

「むずかしい呪文なの?」

「簡単です。〝一二三四(ひふみよ)(いつ)()(なな)()(ここの)(たり) 布留部(ふるべ) 由良由(ゆらゆ)良止(らと) 布留部(ふるべ)〟たったこれだけ」

「むずかしいじゃん!──(おぼ)えられるかなぁ…」錫は何度も何度も呪文を反復(はんぷく)した。

「忘れないで。領巾を振りながら、必ずその呪文を(とな)えるのです」

「はい!…須勢理毘売様、あのね…おじいちゃんがお婆さんにわざわざ領巾に(みちび)くための辞書を渡したということは、おじいちゃんはお婆さんに隠れていた須勢理毘売様の存在を知っていたということ?」

「えぇ、しかも領巾があなたの手に渡るよう、あんな手紙を残したのでしょう」

「あれはおじいちゃんの誘導(ゆうどう)作戦(さくせん)?」

「間違いないでしょう…。狡狗とて文字は読めますから、誰にも(さと)られぬよう領巾の存在を教えたかったのでしょう。それがあればいつか何かの役に立つと考えて……まさにこの(たび)のように…」

「…これはもしもだけど…お婆さんが自殺してなかったらどうなっていたの?」

「遅かれ早かれ、いずれ高宮ハルはあなたに辞書を渡していたでしょう…香神虎の手紙と一緒に。やがてあなたは領巾に辿(たど)()き、それが何を意味するのか知るために逆に高宮ハルを訪ねる。そうなったら…私が現れてあなたに領巾を渡したでしょうね…」

「そうか…おじいちゃんはそのパターンを考えていた気がする」

「私もそう思います。それにしてもあのお方はすごい方です。ご自分が死した後に十八歳になるあなたをどう導き、どう守るかを考えて、あらゆる所に布石(ふせき)を置いています。多少推測(たしょうすいそく)(はず)れることがあったにしても、結果は思惑(おもわく)どおり導き出されています…。大したお方です」錫はそう言われて(ほこ)らしかった。そしてここまで辿(たど)り着いたのは自分の力ではないと身に()みて感じるのだった。


「さぁ、もうお行きなさい錫」。「でももう少し聞きたいことが…」

「そのうち(わか)ることもあるでしょう。あまりのんびりもしていられませんよ…」そう言って須勢理毘売は片手を軽く上げ、手の平をゆっくりと錫に向けて押し出した。すると錫の体は宙を舞い、ふと気づくとスロープを下りる前の場所に戻されていた。


「ここはたしか…」

「あっ、錫雅さまぁ~!」信枝が()(さき)()()り錫に()()()()()()

 ──「あちゃー、さっそく…。ゴメンね信枝…気の毒だけど初恋は(みの)らないよ…」信枝の(おと)女心(めごころ)()びを入れつつ錫はみんなに()げた。

「待たせたな。目的の物は手に入れた。長居(ながい)は無用、戻るとしようか」

「お疲れ様でしたご主人様」いしが深々(ふかぶか)と頭を下げた。

「錫雅様、お帰りなさいませ」智信枝栄もほっとした表情で声をかけたのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 謎が一つずつ解けて錫を取り巻く世界が見えてきた! これからの展開が楽しみ‼︎
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