表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/23

第十四章──解ける糸

(ほど)ける糸




     Ⅰ


白の国は(あらそ)いのない(おだ)やかな国だ。だからそこ、その平和を(うらや)まみ()しがる者が(あらわ)れる。結果(けっか)──平和のバランスが(くず)れるという奇妙(きみょう)現象(げんしょう)(しょう)じる。

この国に住む(たましい)は欲を持ってはいない。なまじ肉体があれば、暑さ寒さを感じ、病気にもなる。身体を自由に動かして遊ぶ楽しさも(おぼ)え、(しょく)快楽(かいらく)道楽(どうらく)(ほっ)する。生きている人間は我が身の肉体を自由に(あつか)っているようだが、結局肉体に(しば)られていることに気づかないでいる。やっと本当の解放(かいほう)を手に入れることができるのは、肉体から(たましい)が抜け出た時──つまり死した時だ。


白の国で暮らすことを許されるのは、人生を正しく(まっと)うした魂に限る。彼らは自分のイメージどおりの空間(くうかん)建物(たてもの)(つく)り出して()らしている。もちろん実態(じったい)はないので大きさに制限(せいげん)はない。何もかもが思うとおりなのだ。ゆえに欲に(とら)われることもなく争う要因(よういん)もない。白の国はそういう世界なのだ。

ただし、魂には魂を苦しめる力が存在する──それこそが霊力だ。魂は霊力を(もっ)てのみ苦痛(くつう)を感じる。聖霊師が悪霊(あくりょう)に苦しみを(あた)えるのは(まさ)にこれだ。


   ☆


天甦霊主(あまのそれいぬし)様…状況(じょうきょう)は少しずつ悪化(あっか)しています。すみません…」

「そなた達のせいではありません…」

「今は我々(われわれ)だけで食い止めていますが、じきに限界(げんかい)がくるでしょう。せめて錫雅様がいてくだされば…」

「たしかに以前は錫雅達が食い止めましたが…今は留守。やはり根元(こんげん)()たない限り切りがありません…。すまないが今は()めてくる奴らをなんとしても阻止(そし)しておくれ…」

「それしか方法がございませんか…?」

交渉(こうしょう)できれば良いのですが……残念ながら狕隠(よういん)の国の奴らには…」

(おっしゃ)るとおりです…」

「この白の国を人間界では天国と呼び、楽園とされています。そんな理想郷(りそうきょう)を奴らが欲しがるのは分かりますが…秩序(ちつじょ)あっての楽園。奴らがここを占領(せんりょう)すればたちまち白の国はそのバランスを失い、崩壊(ほうかい)するのは明らかです」

「はい。今のところ抜け穴があることに気づいている者も少ないようですから、できるだけ食い止めます」

「頼みましたよ。今後、奴らが攻め入る数は()一途(いっと)でしょう。しかし一縷(いちる)(のぞ)みはあります。(あきら)めずに祈りましょう」




     Ⅱ


「コイツは…まさか…?」チャクラを開いて東田(ひがしだ)利馬(としま)を見た錫はゾッとした。

「はい…(こう)()ですけん」いしがさらりと答えた。全身は(けもの)のような黒い毛に(おお)われ、ギラギラと光る目は吸い込まれそうで気味が悪かった。錫にとっては通り魔より恐怖だ。

「あれ?君…とうとう本性(ほんしょう)を出しましたね?」

「ご主人様がチャクラを開いたことを言うとりますですけん」

「ちょうどいい。二人とも転落(てんらく)して邪魔者(じゃまもの)はいなくなりましたから、(れい)のモノの在処(ありか)を教えてもらいましょうか?」

「例のモノなんて知らないわよ」

「君は本当に(かしこ)くないですね…。トボけると(ため)になりませんよ?」

「悪かったわね。どうせあんたは学者だから賢いんでしょうよ!」

「賢くないなら単刀直入(たんとうちょくにゅう)にいきましょう…。タカラモノはどこだ?…ギギ」狡狗は東田利馬から主導権(しゅどうけん)(にぎ)った。途端(とたん)に霊力が大きくなるのを錫は感じた。

「あ~…これこれ。このしゃべり方…狡狗だわ。気持ちワル~イ」

「お気をつけて。コイツはご主人様が以前退治した奴より強いです」

「ほ~…(こま)か。オマエ達は人間にカワイがってもらえていいなぁ…ギギギ。同じ狡狗でもこんなに待遇(たいぐう)がチガウのか」いしはピクリと顔を(しか)めた。

「…同じ狡狗?コイツ何を言ってるの?」

「ギッシシ…オマエ知らないのか?コイツは狡狗だ。しかもオレさま達と違って(けが)らしい奴らよ…」

「ご、ご主人様…」いしは何も言えずに黙って下を向いた。

「いしが狡狗ってどういうことなの?」

「ギヒヒ…コイツはオレさま達と同じ(しゅ)ということだ。だがオレさま達二本足の狡狗と違って、コイツらは狛族(こまぞく)という四本足の奴らだ。()(とう)な奴らでオレさま達の国では奴隷(どれい)種族(しゅぞく)だ…ギギ」

「ご主人様…コイツの言うとおりですけん…。いしは…このいしは…」

「いしは黙ってて!」何時(いつ)になく(きび)しい()調(ちょう)だった。錫に狡狗だと知られて(きら)われたと思った。「ギヒヒ感じるぞ…(こま)からオレさまへの憎悪(ぞうお)を感じる…これはウマそうな気だ。〝汚らわしい狛の憎悪〟これはゴチソウだぁ」狡狗の(たわ)(ごと)を黙って聞いていた錫だったが、上目使(うわめづか)いで(にら)んだまま()()てるように言った。

「汚らわしいのはお前よ!────私といしはずっとずっと、ずぅ~~っと一緒に暮らしてきたの。…そう……私が生まれる前からずっと一緒にね。この子は奴隷でも下僕(しもべ)でもない。それ以上この子をバカにしたら私は絶対お前を許さない!」両手で握っていた杖が(しな)りそうなほど錫は怒りを(あら)わにした。

「ご、ご、ご主人さまぁ…こんないしを…こんな汚らわしいいしを…それほどまで…」

「あんたの素性(すじょう)なんて関係ないのよ。いしはいしなのよ」

「やっぱり…やっぱりご主人様です…あの時と…()()()()()()ですけん」いしのその言葉がなんなのかは、当然錫には分からなかった。

「うるさい、オマエらうるさいぞ!早くタカラモノの場所を教えろ」

「だから本当に知らないってば」

「まだシラを切るのか…?オレさまは東田ほど甘くないぞ」

「あんたが東田に取り憑いて通り魔犯罪を繰り返していたの?」

「あっ?…チガウ。オレさまはコイツが黒心(きたなきこころ)を持った通り魔だったから取り憑いてやったのだ。知識もあって格好(かっこう)条件(じょうけん)だったからな」

「じゃ、もともと通り魔だったってこと?…最悪(さいあく)だわ」またしても錫はこんな男に少しでも心を奪われそうになった自分に嫌悪(けんお)した。

「オマエたちが受付した時に取り憑いた…タカラモノを奪うために」

「ご主人様、コイツはご主人様が秘宝を隠していると思い込んでいますけん。どんな手段を使ってでも秘宝を奪う気でいます」

「はぁ…?迷惑もいいところだわ…。ねぇ、いし…どうしよう?」いしは(わず)かな時間の中で自分に何かを問いかけた。やがて(みずか)らの問いに承服(しょうふく)すると霊気を(たぎ)らせ始めた。

「ご主人様…わたくしが狡狗と戦いますけん!」

「いしが?…そりゃあんたの霊力は私よりもずっとスゴイけど…でも…」

「ご主人様…今は黙って戦わせてください。後生(ごしょう)ですけん…」錫はいしの必死(ひっし)な願いに対して、首を(たて)に振るしかなかった。

「ありがとうございます!では狡狗を…東田を、どうにかしてこの斜面(しゃめん)に突き落としてください。突き落としたらご主人様はお二人を助けに向かってください」

「うん…。でもホントにあんただけで大丈夫?」錫は気負(きお)いのあるいしに対して逆に不安を(おぼ)えた。

「わたくしは大丈夫ですけん…(すき)をみて早く東田を…」錫は黙って(うなず)き、東田を正面(しょうめん)にしてしゃがみ込むと、片方(かたほう)(くつ)ひもを(むす)(なお)すふりをした。それから今度はもう片方の靴ひもを結ぶふりをして半歩前に出た。そうしながら東田の足下(あしもと)に体当たりをする間合(まあ)いとタイミングを(うかが)った。

「遅いぞハヤくしろ」

「…もう終わったわ────よっ!」錫は立ち上がりながら勢いよく東田に体をぶつけた。

「ナニ…ナニ…?」さすがの東田も不意(ふい)を突かれバランスを失い後ろによろめいたが、そこに足場(あしば)はない。東田は山の斜面(しゃめん)一直線(いっちょくせん)に転がりながら落ちていった。宙に浮いたままのいしは、その後をすべるように追いかけた。

「ご主人様…こんないしを子供の時から可愛がってくださりありがとうございました。いしは(しあわ)せだったですけん。必ず必ず秘宝を見つけ出してください。願わくば…もう一度…もう一度ご主人様をこの背中に乗せて走りとうございました…」いしの言葉は錫の耳に届くことなく、三輪山の静穏(せいおん)な空気の中に(むな)しく吸い込まれていった──。




    Ⅲ

 

錫は信枝と浩子が転がり落ちた場所から、斜面にお尻を付けながら慎重(しんちょう)に下りていった。二人の安否(あんぴ)を気にしながらも、いしのことが脳裏(のうり)から離れない。

──「いしは大丈夫…私よりずっと強いもの…」そう自分に言い聞かせながら、落ち葉が岩を(おお)った斜面をさらに下るのだった。


急だった斜面がなだらかになると、錫は立ち上がって周囲(しゅうい)見渡(みわた)し浩子を見つけ出した。息はしているが意識はない。

「浩子…浩子!…どうしよう、こんな山の中で…」

「浩子は心配ないよ。気を失っただけ」後ろから信枝がいきなり(あらわ)れた。

「ビックリした~!…信枝大丈夫なの?」

「私は見てのとおり!…あんたここから下りてきたの?」

「そうよ、お尻を付けてゆっくりとね」

「スンの大きなお尻も意外(いがい)なところで役に立つのね」

「なにそれ!?人が命がけで助けに来てあげたのにぃ」

「お生憎(あいにく)さま、私はスンに助けてもらわなくても大丈夫。それよりスン、この先にすごい場所を見つけたわ。ついて来て!」信枝に先導(せんどう)されて道の無い山中(さんちゅう)を少しばかり歩いた。


「ここよ…」信枝が足を止めて指さした先は、大人が中腰(ちゅうごし)で入れるくらいの洞穴(ほらあな)だった。入り口に注連縄(しめなわ)()ってあることを考えると、自然の洞穴を(ほこら)にしたようだ。「中は意外に広いのよ。さっ…入るわよ」錫は信枝の背中にピッタリと張りついて中に入っていった。

祠の中はそこそこ広かった。天井(てんじょう)がかなり高いので余計(よけい)に広く感じる。中央にはドラム缶ほどの大きな岩が、やはり例外(れいがい)なく二つに割れて転がっていた。

「ここでも神様を(まつ)()(しき)をしていたのかなぁ…?」

「そうかもね…。ねぇスン、ちょっと話があるの。その岩に腰掛(こしか)けよう」信枝はなんの躊躇(ためら)いもなく中央の岩に腰を下ろした。

「これも磐座(いわくら)でしょう?…(ばち)が当たりませんように…」錫が恐る恐るもう一つの岩にお(しり)を置くと、信枝は落ち着いた口調で錫に話しかけた。

「スン、もういいよ。ホントのことを言っても…」

「なぁに、やぶから(ぼう)に…?」意味が分からず錫は怪訝(けげん)な顔をした。

「あんたのことは分かってる。もう隠さなくてもいいのよ」

「信枝…なんか変よ…。だから何を言ってるの…?」

「私にはスンの()()がよく分かってるってこと」その一言に錫は戸惑(とまど)った。

「信枝!?…ち、ちょっと待って…頭の整理(せいり)が…」。「スン、すべてを聞かせてちょうだい」

「すべてって…?」。「あんたの秘密…。宝物がどこにあるかってことも…」

「信枝…どうしてそのことを!?…いったいどうなってるの?」

「私はあんたの味方(みかた)よ。とにかく今は時間がないの。私を信じて宝物のことを教えてほしいの…」錫はどうにかなりそうな頭を正常(せいじょう)に戻そうと必死だった。

「信枝よね?あんたは私の知ってる信枝よね?」。「そうよ…だからちゃんと話して」

大きく深呼吸(しんこきゅう)をして、錫はなんとか気持ちを落ち着かせた。「あ~…気が抜けちゃった…。やっぱり信枝のチャクラは伊達(だて)じゃなかったんだ──私の中で一つ謎が解けたわ。で…何から話せばいい?」

「そうね…結論(けつろん)から教えて。宝物の在処(ありか)を知ってるんでしょう?」

「宝物って秘宝のことよね…?それがどこにあるかは知らないわ…。ただ秘宝については私のおじいちゃんが(くわ)しかったみたい…」

「そうなの…?それで、おじいさんはどれくらい詳しいの?」錫がその質問に答えかけた時、祠の入り口から誰かが叫んだ。

「それ以上話してはなりません!」いつになく(きび)しい口調だったが、それが誰の声なのかはすぐに判断(はんだん)できた。




     Ⅳ


三輪山の清閑(せいかん)な空気に(つつ)まれて、いしと──そして東田に取り憑いた狡狗(こうく)は、互いに(たい)をピクリとも動かすことなく対峙(たいじ)していた。

「ギギ…勝てもしない狛族(こまぞく)が、なぜオレさまにタタカイを(いど)む?」。「勝てないと決まってはいない…」

「ギヒヒ…では勝てると思っているのか?あの女ではオレさまに勝てないと分かっているから、お前が犠牲(ぎせい)になりに来たんじゃないのか?」

「どうでもいいだろう…そんなことは」。「図星(ずぼし)だなぁギヒヒ!」

「ご主人様は秘宝の在処(ありか)を知らない。執拗(しつよう)に追いかけるのはよせ」いしは体を微動(びどう)だにもせず、いつでも飛びかかれる前傾(ぜんけい)姿勢(しせい)のまま狡狗を(にら)みつけていた。

奴隷(どれい)のくせにうるさいぞ…。オレさまは阿仁(あに)(じゃ)(さま)から、醜長(しゅうちょう)(さま)の欲しがっているタカラモノを(さが)せと命令されているだけだ。それを探したらたんまり褒美(ほうび)をもらえるのよ」

「だったら褒美は(あきら)めろ。ご主人様は何も知らない」

「ダマれ奴隷…気に食わんヤツだ。さぁ(したが)え…オレさまには絶対に逆らえまい」狡狗は不敵(ふてき)面構(つらがま)えでにニヤいている。

「従わない………従うものか…」

「ギギギ…どうかな?キサマ達狛族は、(はる)か昔からオレさま達狡狗の奴隷として()われてきた(いや)しい四本足の獣型(けものがた)ではないか。最早(もはや)それが狛族の本能(ほんのう)()して、オレさま達を主人として受け入れ(ひざまず)くしかできないのだからなぁ、ギシシシ」

「ならばその本能に逆ってみせる」

「本能はお前の意思(いし)ではどうにもならん。(ため)してやろう…さぁ従え。その攻撃的(こうげきてき)(かま)えをやめてそこに()せろ」狡狗はどこからか(むち)を取り出し軽く地面を(たた)いた。ほのかだが不気味(ぶきみ)に青白く光るその鞭はそれほど長くはない。「さあ、従うか?」

「……………」いしは無言(むごん)()って答えた。

「ふん…ではこれでどうだ」今度はいしに向かって鞭を振り上げた。短かった鞭は長さを変化(へんか)させ、〝ビュビューン〟と(うな)りながら()びてゆくと、いしの目の前で地面を叩いた。恐怖を(あお)るような冷たい音に、いしの体は(こわ)ばった。

「伏せろ狛め!向かってこれないだろう?それが本能だ…」狡狗の言うとおりだった。鞭を一振りされただけで、〝狡狗に従わねば〟と心が叫ぶのだった。

「どんなにオレさまに歯向(はむ)かおうとしても、本能には勝てないギヒヒ…さぁ伏せろ」それでもいしは狡狗を(にら)んだまま構えていた。

「まだ分からんようだな…()らえ!うすギタナイ奴隷めが」またしても鞭が(うな)りを()げる。今度はいしの背中を直撃(ちょくげき)した。

「ぐっ…」狡狗は苦痛に()えるいしを見て楽しんでいる。

「さぁ、言え。誰がご主人様だ?」もう一発──まるで(きば)()いて(おそ)いかかる大蛇(だいじゃ)のようにいしを襲った。生身(なまみ)ならば肉が()げ、血が()き出るに違いなかった。

「奴隷のくせに人間をかばってオレさまに盾突(たてつ)くからだギギ。もう分かっただろう?さぁ、誰がご主人様なんだ?」

「あ………あ………………あなた様…です…」

「ギッギッギッ…そうだ!やっと分かったようだな。キサマのような(こま)は、オレさまの言うことさえ聞いていればそれでいいのだ」

「はい…旦那(だんな)(さま)」いしは狡狗に従うことが(くや)しくてならなかった。だが、いしの心とは別に、本能という意思が心の奥底(おくそこ)でいしを支配した。それは遠い遠い昔から、狡狗を(あるじ)として(むか)え、どんなに蹂躙(じゅうりん)されようとも、絶対(ぜったい)服従(ふくじゅう)忠誠心(ちゅうせいしん)を持とうとする狛族に()みついた悲しい(さが)だった。




     Ⅴ


「いけません…それ以上話しては────スン」

「浩子…」まばたき一つせず、浩子はゆっくりと(ほこら)の奥へと入ってきた。錫は何が()きているのか理解できない。意識を失っていたはずの浩子が突然現れたかと思ったら、信枝との知り得ない話にいきなり割って入り錫に忠告(ちゅうこく)しているのだから無理からぬ話だ。

「浩子…目を()ましたのね?」信枝は錫とは違い冷静(れいせい)だった。

「大丈夫よ。始めから意識なんて失っていなかったもの…」いつになく浩子は()慳貪(けんどん)態度(たいど)だ。

「えっ!?浩子ってば…何を言ってるの?」錫は困惑(こんわく)するばかりだ。

「頭を打って一時的に混乱(こんらん)してるんだわ…」信枝は(いた)って冷静だ。

生憎(あいにく)だけど、私は混乱なんかしていないわ。スン、信枝の言うことを聞いてはなりません」

「私の言うことを聞くなってどういうことよ?」

「とぼけるのはやめなさい!」

──「おかしな展開(てんかい)になってきたなぁ…」錫はますます困惑した。

「うまく(だま)したつもりでも私には分かります。本性を現しなさい()()

「ぐぇっ…憑物(つきもの)って!?」

「スン、信枝には何かが取り憑いています…」

「信じちゃ駄目よスン…浩子は頭がおかしくなってる」

──「これじゃ(らち)が明かない…。()くなるうえは…」錫はチャクラを開いてみた。信枝からは何も感じない。でも浩子は違っていた。たしかに何かが取り憑いている。

「浩子…憑いてるのは……あなたの方よ…」錫は正直に答えた。

「これではっきりしたわね?」信枝が一歩下がって浩子を(にら)んだ。

「うまく隠れたのですね…」浩子が(あき)れ顔で信枝を(にら)み返した。

「まだシラを切るつもり?」信枝も()けじと浩子を睨み返す。

「ねぇ浩子…どうして憑物のことが分かるの?信枝にはチャクラがあるわ…。でもあなたには…」錫の疑問に、浩子は少し間を置いてから答えた。

「……そうですね…。では私から質問しましょう…。信枝、スンの本当の名前を言ってごらんなさい」

「はぁ?…やっぱり頭が混乱してのね──決まってるでしょ…香神錫よ」

「そんなことは信枝の記憶を(のぞ)けば簡単にわかります…。もう一度聞きます…()()()()()()()()を言ってごらんなさい」

「だから香神錫だってば。スン、浩子は私たちを混乱させるつもりよ。二人で憑物を退治してしまおう」信枝はそう言って錫を(あお)った。

「ちょっと待って信枝…」錫は信枝を(さえぎ)ると浩子に(きび)しい口調で尋ねた。

「ねぇ浩子…私の本当の名前が香神錫じゃないなら…いったいなんなの?」

「それはねスン…今のあなたなら分かる名前のことです…」

「…今の私なら?…………」それから(わず)かな沈黙(ちんもく)があった。「まさ…か…!?……ひ…ろこ………まさか…もしかして…そんな…」

「そう…あなたの本当の名前は────────錫雅(しゃくが)(うまし)妙王尊(みょうおうのみこと)

 「ひろ…っこ……なんで…その名前を…?」錫の全身に鳥肌(とりはだ)が立った。

 「私はあなたを知る者です…ですがすべての説明は(あと)。今は信枝に取り憑いている邪悪(じゃあく)な憑物をなんとかしなくてはなりません」

 「そ、そうみたいね…」背筋(せすじ)()ばした錫は、両手にギュッと力を入れた。

 「どうやら決着(けっちゃく)がついたようね…信枝」錫が静かな声で信枝に言うと、今度こそ観念(かんねん)したのか、信枝は不気味に笑った。

「チクショウめが…うまくいっていたのに…」霊気を消し去って信枝に隠れていた憑物が姿を現した。その憑物を見た錫はまたも驚いた。

「お前も狡狗!?」

 「ヒヒヒそうだ!コイツを利用してお前からタカラモノの在処(ありか)を聞き出そうと思ったのに」

 「東田に憑いてた狡狗もお前の仲間?」

 「そうだ。(かしこ)いオレさまは〝二段構(にだんがまえ)(さく)(せん)〟をとった、ヒヒ」

 「でもどっちも失敗した」小馬鹿(こばか)にした錫の物言いに狡狗は腹を立てた。

 「錫雅(しゃくが)様…狡狗を挑発(ちょうはつ)してどうするのですか…」浩子に叱られて、錫は舌をペロッと出した。浩子はそんな錫の仕草(しぐさ)にクスッと笑った。

 「オマエら…このオレさまをバカにしてるな…もう許さん」浩子まで笑ったことで、狡狗は本気で怒った。頭の天辺(てっぺん)から湯気(ゆげ)()きそうな(いきお)いだ。

「浩子も同罪(どうざい)みたいよ」。「私はそんなつもりで笑ったわけでは…」

「うるさい。…許してほしければタカラモノの在処を吐け」

「だから何度も言わせないで。私は何も知らないってば」

「さっきオマエのジジイがタカラモノに詳しいと言ってただろう?そのことを教えろ。……ん!?……待てよ。もしかすると()()()がオマエのジジイか…!?ヒーヒッヒッヒこれは収穫(しゅうかく)だ!オマエを()らえてあいつにタカラモノの在処を吐かせる…やっぱりオレさまは賢いなぁ」

「…!なんと…そういうことでしたか!!」

「…こいつ何を言ってるの?おじいちゃんがなんですって?それに浩子も一人で何を納得(なっとく)しているのよ?…私にはさっぱりだよ」

「説明は後です。錫雅様、気をつけて…こいつはあなた様の命を狙ってます」

「強いの?こいつ…」相変わらずちょっと恐がっている。

「今の錫雅様には手強(てごわ)い相手です…。けれど力を合わせれば退治(たいじ)できるかも…」

「ホントに…!?」。「かも…」

「うるさいぞ…オレさまに命を渡せ!オマエに取り憑いて命を抜き取るか、信枝を使ってオマエを()め殺すかのどっちかだ」

「そんなのどっちもゴメンよ!」

「では絞め殺す…」信枝に取り憑いた狡狗はゆっくりと錫に(せま)ってきた。

「錫雅様、信枝と思ってはいけません。そいつは狡狗です」そう言われても見た目は信枝だ。あたふたしているうちに、たちまち錫は信枝に押し倒され首を絞められた。

「く、苦しいよ…」錫は川手(かわて)(おさむ)に取り憑いていた狡狗の馬鹿力(ばかちから)を思い出した。信枝の手が女とは思えないような力で首を締めつけてくる。

「やめなさい!」浩子の声が(ほこら)(ひび)いた。とたん、何かが狡狗目がけて飛んできた。

「グガァー…」狡狗は錫の首から手を放して()()きまわった。すかさず錫は信枝を押し退()けると、素早(すばや)く立ち上がり浩子のもとに逃げ込んだ。

「錫雅様大丈夫ですか?今のは私の霊気を集めて飛ばしたものです。威力(いりょく)は無いので、すぐ体勢を立て直すでしょう」

「う、うん…今度は私も戦う…」錫は首をさすりながら呼吸を(ととの)えた。それからいつものように右の手の平に霊気を集めると、見事な短刀がゆっくりと()り出してきた。それを左手でしっかり握ると、暗い祠に明かりが(とも)った。狡狗に油断(ゆだん)することなく、その短刀にチラリと視線を向けた浩子は(かす)かに()みを浮かべた。

「晶晶白露…久しぶりに(おが)ませてもらいました…」

「浩子…何者?」今や謎の浩子に錫はブルッと身震(みぶる)した。

「錫雅様、くどいようですが説明は後…。ほら、そろそろ狡狗が…」

「くっそー…よくもオレさまを痛い目に合わせたな」

「今度は私よ!もう一度痛い目に合わせてやる」

「むっ…そ、それは…晶晶白露か…?」そう言って狡狗が(おび)えた表情をしたのを、錫も浩子も見逃さなかった。

「こいつ、どうして晶晶白露を知ってるの?」

「なぜオマエが晶晶白露を持っている…?考えても仕方ない…ここは一旦(いったん)引き下がるが、これで終わったと思うなよ…」

ちょうどその時だ──。「…阿仁邪様」祠の入り口から東田(ひがしだ)利馬(としま)の声がした。

「おい。キサマせいでオレさままで危なくなったではないか」

「すみません…。でも阿仁邪様、手みやげを持ってきましたぜ」

「手みやげ?」

「これです……おい、中へ入れ!」東田は祠の外を向いて手招(てまね)きした。言われるままに入ってきたのは、一匹の狛犬だった。

「いし?いし、一体どうしたの?何があったの?」いしなのは明らかだった。だがいつも錫を力づけてくれていた明るい目は(かがや)きを失い、(なご)ませてくれていた(ゆた)かな表情もどこかに()()りにされていた。錫はその姿に思わず涙がこぼれた。

「ギギ、こいつはもうオレさまの奴隷だ!(くや)しいか?悔しいだろ?」

「お~そうだ…この阿仁邪様はまたヒラメいた。おい狛…この女に取り憑け。そして魂を(うば)え」狡狗はニヤついた顔で(まわ)りの反応を楽しんだ。

「旦那様、この方は元のご主人様なのです。それだけはお許しを…」

「早くも(くち)(ごた)えか…?ニンゲンなんかに飼われるから()()()()になるんだ。(きた)え直してやるヒヒヒ」阿仁邪と呼ばれていた狡狗は、(むち)を振り上げいしの背中に力いっぱい叩きつけた。

「やめてっっ!」錫は目の前で起こっている(むご)仕打(しうち)ちに思わず目を伏せた。

「やめてほしいか?ではオマエの命を差し出せ」卑劣(ひれつ)なやり方で錫を追い込んでゆく。返す言葉が見つからない錫は、下唇(したくちびる)を〝ぎゅっ〟と噛みしめた。

「なんて汚いまねを…」浩子も(こぶし)を振るわせ(いきどお)りを(あら)わにした。

「オレさまは賢いなぁ…。晶晶白露を持った奴と戦いたくはないからなぁ…」

「ギギギさすが阿仁邪様、自分の手を汚さずに魂を奪うとは…。おい狛、早く元の主人に取り憑け」この時いしは自身の本能と戦っていた。狡狗の命令に突き動かされ、錫を(おそ)わなければならないという衝動(しょうどう)を必死に(おさ)えていたのだ。

「まだ分からんようだな。これでもか!」(しな)る鞭が容赦(ようしゃ)なくいしを襲った。いしの顔は苦痛で(ゆが)み、足は小刻(こきざ)みに震えた。「奴隷のくせに(なま)意気(いき)な…そりゃ!」またも鞭の攻撃を受け、とうとういしは前足を折り曲げてしまった。


いしは自分の出生(しゅっせい)を知らない。どういうわけか気づけば幼い狛犬だった。狛犬には狡狗への奴隷の意識が本能的にある。それはいしも同じだったが、それ以上にいしは自尊心が強かった。

錫雅尊(しゃくがのみこと)と出会う前、いしはまだ子供だったにも関わらず、狡狗に鞭で打たれた回数は、他の狛犬とは比べものにならないほど多かった。すべてはいしの自尊心が原因だった。どこまでも狡狗に尻尾(しっぽ)を振って服従(ふくじゅう)しなければという本能とは別に、どうして狛族だけこれほどまで(しいた)げられなければならないのか?──という理不尽(りふじん)さを(つね)に感じていた。

狡狗に服従する一方で、どうして逆らう心を持ち合わせているのか──それはいし自身にも分からなかった。

そんないしが錫雅尊に(ひろ)われ、共に暮らすようになってからは、ただ一筋(ひとすじ)に錫雅尊に()くしたいという忠誠(ちゅうせい)(しん)しか()いてこなかった。

それなのに今再び狡狗に従いたいとの本能が(よみがえ)ってしまったいしは、自分の宿命(しゅくめい)(うら)み、恩義(おんぎ)ある主人に(きば)()こうとする心を()じ、それでも本能に逆らえない自分が腹立(はらだ)たしくてならなかった。

「もう一度だ!」またも鞭は唸りを()げていしを襲った。

〝ビシッッ!〟「………グッ…」

「いしぃ──!」錫が泣きながら叫んだ。

「いし…ありがとう。私のために()えてくれて。でももういいよ…もう十分だよ…」こぼれる涙を(ぬぐ)うこともせず、錫は信枝に向き直った。

「あんた達の目的は私でしょ?秘宝を手に入れたいだけでしょ?だったら私の命をどうにでもしていいから…そのかわりその子に手を出さないでっ!」

「ヒヒヒ、最初からそう言えばよいものを。よし…いいだろう」

「いけませんご主人様、()らえられたら目的が果たせなくなりますけん…」

「私を命がけで守ってくれようとしているあんたを見殺しにして目的が果たせたって、ちっとも嬉しいわけないでしょ?それより私の命であんたを救えるなら…たとえ(こころざし)(なか)ばで死んだとしても()いはない。そうよ…〝あんたを助けるために死んでゆくことが私の生まれてきた目的だった〟そう胸を張って人生を(ほこ)れるわ…。きっと…きっと錫雅尊だって…私と同じことを思うはず…」

「ご、ご…主人様……なんと、そこまで…。そうですとも…今のご主人様は錫雅様でございます。いしのお(した)いしている錫雅尊様そのものでございます」そう(つぶや)いて、いしはほんの数秒間だけ目を閉じた。だがその(わず)かな時間はいしにとって充分(じゅうぶん)すぎる時間だった。やがてそっと目を開けたいしは、折っていた前足をしっかり伸ばして立ち上がった。なぜだが錫にはそのいしの姿が一回りも二回りも大きく(うつ)り、今までにない勇猛(ゆうもう)さを感じたのだった。いしは全身に受けた痛みを(こら)えながらも、力強い声で錫に自分の思いを伝えた。

「いしはご主人様に二度救われました。一度目はご主人様と初めて出会った時です。三体の狡狗に無にされそうになったわたくしを助けてくださいました。奴隷だったわたくしに、ご主人様はこう(おっしゃ)いました『お前の素性(すじょう)がなんだって(かま)わんではないか…お前はお前だ』と…。先ほどご主人様はあの時と同じ言葉をかけてくださったのです…やっぱりご主人様は錫雅様です。そして二度目は──まさに今この時です。狡狗の命令とあらば〝ご主人様の命であろうと()らえねば〟という本能がわたくしを(おそ)い、鞭打たれる(たび)にその本能に()み込まれそうでした。けれども(ようや)く今──()ち切れたのです。ご主人様は、たかが下僕(しもべ)のために命を(なげう)つことを(いと)わず、〝私の生まれてきた目的だったと誇れる〟とまで言ってくださいました。それほどまでに深いご主人様のお心が、わたくしの悲しき本能を打破(だは)してくださったのです。本能や力による忠誠心は(まこと)のものではありません。真の忠誠心とは(みずか)らが生み出すものだと(さと)りました。ご主人様は、ご自身の意思でこんな身分のわたくしに命を擲ってくださろうとしたのです。わたくしも、そのご主人様のお心に、自分自身の意思で(こた)えたいのです。もう本能などに(まど)わされません…。これからこのいしは、どこまでも貴方様に忠誠を()くしますけん」

「いし……ぐすっ…ありがと……」錫は涙と鼻水でグシュグシュになった顔を、左手の(こう)(ぬぐ)った。

「錫雅様といしの(きずな)何人(なんぴと)邪魔(じゃま)することはできないようです。もっとも奴は人ではなく狡狗ですが…」浩子も涙でくしゃくしゃになりながらそう(つぶや)いた。

「奴隷のくせにぐだぐだと…。誰がご主人様なのかはっきりさせてやる」狡狗は力に(まか)せて鞭を振り下した。(しな)る鞭が大きな唸りを挙げていしの背中に()らいつくその瞬間、いしは俊敏(しゅんびん)に体をひらりと左に(かわ)すと、(すき)を作ることなく狡狗に攻撃態勢をとった。

「いしステキー!」俄然(がぜん)強くなったいしに、錫は黄色い声援(せいえん)(おく)った。

「ご主人様、いしはこのとおりですけん…遠慮(えんりょ)なく晶晶白露を()るってくださいませ」

「ヒヒ…キサマらの話で分かったわ。このオンナ()()()()()だな?そしてオマエは()()()()()だったんだな?」

「なにっ!?…ではお前は()()()()()()か…」

「えっ、あの時って?…みんな知り合い?──あの時?どの時?いつの時…?」

「阿仁邪様…たしかにコイツの霊力は我々には(おぞま)しいですが、戦って勝てない相手じゃなさそうですぜギギギ」

「お前は晶晶白露の恐さを知らんからそんなことが言えるんだ」

「しかし我々だってもう後がありません…お任せください。コイツの命を捕らえてご(らん)に入れます」

「ほう…(たの)もしいな…ではやってみろ。うまくいけば晶晶白露も手に入る」東田は自信たっぷりに(うなず)くと、鞭を振り回しながら、誰を(ねら)うか迷っているようだった。

「ご主人様、浩子殿、気をつけてください。あの鞭を一打ち喰らえば、地獄の苦痛を味わうことになりますけん…」

「ど、どうすればいいの?」錫が弱々(よわよわ)しく尋ねた。

「残念ですが今のご主人様の霊力ではまだ奴を捕らえるまで弱らせることはできないでしょう…。ですからひたすら(かわ)してください」いしがそこまで説明したとき、狡狗の鞭が(かわ)いた音を立てながら錫目がけて飛んできた。錫には到底(とうてい)()けきれそうにない──。そこへいしがまるでコブラの攻撃を的確(てきかく)に捕らえるマングースのように鞭に喰らいついた。

「ありがとういし」そう言うのも(つか)の間、間髪(かんはつ)()れず次の鞭が唸りを挙げた。いしがその音に気づき飛びついたが一瞬遅かった。

「うぐっ…」浩子が声にならない苦痛な叫びとともに倒れ込んだ。

「ひろこぉ!」錫は浩子の(ふところ)に駆け寄って()(かか)えた。

「大丈夫です…。いしの苦しみに比べれば…これくらいのこと…」

「ギッギ…やっぱりコイツら(たい)したことないな…」東田は(とく)意気(いげ)に笑った。錫は無言でスッと立ち上がると晶晶白露をしっかりと握り直した。

「よくも………よくもこんなことを…」怒りは心頭(しんとう)(はっ)している。錫の真紅(しんく)の霊気は、今にも〝メラメラ〟という音を立てそうなほど燃え盛っていた。「絶対に許さない…。優しいいしを苦しめ…大切な親友をこんな目に合わせるなんて…」錫は狡狗を〝ぎっ〟と(にら)んだまま、(おく)することなく一歩一歩近づいた。

「ウルサイ…これでも喰らえ!」青白く光る鞭が唸りを挙げて錫の顔面目がけて飛んできた。錫は身を(かわ)そうともせず、晶晶白露を(たて)にした。鞭が晶晶白露に()れた途端(とたん)、青白い光は消え、狡狗の手から鞭が消え去った。狡狗は驚き、なおも近づいてくる錫に尻込(しりご)みしていたが、錫はお(かま)いなしに狡狗の(ふところ)まで()()いを()めると、晶晶白露を狡狗の右の脇腹(わきばら)から左の肩にかけて切り上げた。

「…アツい!ナニした…アツい焼ける…焼けるぅ~…ギャー」晶晶白露の(やいば)が狡狗を切り裂くと、そこから(はな)たれた光を()びた玉は大きく(ふく)らみ、やがて狡狗を完全に呑み込むと、今度は(ちぢ)まりながら微光(びこう)になり、完全に発光を終えたとき邪身玉となって転がった。

「……まさか…」ポソリと(つぶや)いたのはいしだった。

「どうしたの…?(きつね)(つま)まれたような顔しちゃって…狛犬なのに…ふふっ」錫は何事もなかったように(おだ)やかにそう言った。

「すみませんご主人様…。いしはご主人様の力を(あなど)っていたようです。今のご主人様の霊力ではこいつを邪身玉に(おさ)めるのは無理だと思っていました。ですが見誤(みあやま)っていたようです。ご主人様の底力を()の当たりにして…(いま)(さら)ながらあなた様は錫雅様なのだと思い知らされました。手強(てごわ)い狡狗をいとも簡単に邪身玉にしてしまわれるとは…」

「ま、まぐれよ…追い詰められてたし…。〝窮鼠(きゅうそ)狡狗を()む〟ってとこ…キャハ」

「正直私も驚きました…。この狡狗の霊力はなかなかのものでしたから…」浩子も静かに答えた。

信枝に憑依している狡狗は、じっと状況(じょうきょう)を見ていたが、何を思ったのかニヤッと笑った。けれどそれには誰も気づいていなかった。

「…やはり晶晶白露は恐ろしい存在だ…そんなモノを持っている奴と戦いたくはない。かといって、このまま帰れば醜長様に大目玉だ。どちらにしてもオレさまには理不尽(りふじん)で腹だたしい…。なので醜長様にミヤゲを持って帰るヒヒヒ…」

「どこが理不尽よ…それはこっちの台詞(せりふ)よ」

「奴らは自分のことしか考えてませんけん…」

「それにしても…狡狗が持って帰ろうとしている土産(みやげ)とは…?まさか晶晶白露ではないでしょうし…」浩子は不安気に下唇(したくちびる)を噛んだ。

「フヒヒヒ…オレさまは優しいからキサマ達に置きミヤゲを残してやるぞ。(うら)みという置きミヤゲをな…ヒヒ」

「そんなものいらないわよ」錫の表情を見て狡狗はニヤついている。

「オマエ達が絶対にオレさまを恨みたくなるようなモノ…それを醜長様の手ミヤゲにするのだ。一石(いっせき)()()()だ──カシコいなぁ、オレさまは」

「それを言うなら一石(いっせき)二鳥(にちょう)でしょ?()()()って何よ…生活用品店でもあるまいし…」

「プフッ!」錫のツッコミに浩子が思わず笑ってしまった。

「オマエ達…オレさまをバカにしたな…許さん。醜長様へのミヤゲはコレだ!」狡狗は取り憑いていた信枝の体からスゥーッと抜け出すと、信枝の体から何かを引っ張り出した。

「なんということを…()めなさい!」浩子が感情を(あら)わにして大声で叫んだ。

「あれってまさか…?」

「そうです…信枝の(たましい)です」狡狗が信枝の肉体から魂を抜き取った途端(とたん)、まるで糸をプツンと切られたあやつり人形の(ごと)く、信枝は(くず)れるようにして地面に倒れた。

「死んでしまうの?」。「いいえ、もう手遅れです…死んでしまっています…」

「なんですって!?」

(うら)めしいか?(にく)いか?コイツが醜長様の手ミヤゲだフヒヒ…」

「そんなことはさせません。錫雅様もいしも絶対に狡狗を逃がしてはなりません」そう叫びながら、浩子は霊気を両手に()めると、狡狗目がけてぶつけた。(あわ)てていたこともあり、さほど大きなダメージを与えることはできなかったが、それでも狡狗は原形(げんけい)(くず)して(しばら)く身動きが取れなくなった。次いでいしが狡狗の左ひじにがっぷりと噛みつき、少しずつ霊気を吸い取っていった。「錫雅様、晶晶白露を…早く!」

「うん!」錫は(けもの)の毛に(おお)われた狡狗の胸に、素早く晶晶白露を突き刺した。

「がぁ~…熱い…」狡狗が(あば)れて苦しんでいる間に、浩子は信枝の魂を救出(きゅうしゅつ)した。

「くっそ~」放射(ほうしゃ)線状(せんじょう)に広がる光を帯びた玉は徐々(じょじょ)に狡狗を(つつ)んでゆく。もう少しで全身を包みかけたそのときだ──狡狗は一気に霊力を強め、玉を破壊(はかい)してしまった。

「あ~…あと少しだったのに」浩子は地団駄(じたんだ)()んで(くや)しがった。

「ヒヒ…こんなもんカンタンに(はじ)き返せるわ…。だが今ので霊力を使いすぎた。一旦引きあげるが、これですんだと思うな。必ずタカラモノは手に入れるからな」そう言い残すと、狡狗は祠の天井を通り抜けて姿を消した。

「追いかけますか…?」いしが指示(しじ)(あお)いだ。

「いいえ、錫雅様も相当霊気を使われています。深追(ふかお)いは止めておきましょう…。それに…今なんとかしなければならないのは信枝です…」

「信枝は…本当に死んでしまったの?」

「はい…残念ですが…。魂はここにありますが、自分の意思に関係なく無理やり魂を抜き取られたので元には戻せません…」錫は顔面蒼白(がんめんそうはく)になり、信枝の亡骸(なきがら)にしがみついて泣いた。「けれど…」

「…けれど!?」浩子のその一言に錫は過敏(かびん)に反応した。

「一つだけ方法が…。しかし、そのためには白の国に行かなくてはなりません」

「白の国…?」

(ぞく)にいう天国……錫雅様が柱の穴を通って行かれた()()()です」

「あ~あの時の──────────って、なんで浩子がそのこと知ってるの!?」

 「説明は後です」

「なかなか説明が聞けないわねぇ…」

 「すみません…。ですが今は一刻も早く白の国に行って信枝を助ければなりません」

「それで信枝が助かるなら私は何度でも行くわ!」

「錫雅様ならそう言われると思っておりました。そうと決まったら急ぎましょう!このまま何時間も放っておいたら本当に手遅れになってしまいますから」

「で…どうやって行くの?」。「乗り物で行きます」

「タクシー?」。「…錫雅様ったら…ご冗談を…」

「…ねぇ浩子、おねがいだから(へりくだ)るのはやめて…違和感(いわかん)がありすぎ…」

「………。分かった…そうするわ。とにかく急ぎましょう。(くわ)しい説明は道中で」浩子は錫を祠の外に連れ出すと空を見上げて言った。「スン、あの雲の辺りに何か飛んでるのが分かる?」

「うん…大蛇みたいに長い()()のこと?」錫が(ゆび)さして答えた。

「あれは白龍(はくりゅう)よ。あれに乗って白の国に行くの」

「へっ…龍に!?大仏殿の柱の穴を通って行くんじゃないの?」

「あそこはあの日に限り天甦霊主(あまのそれいぬし)様が開いてくださった入り口なの」

「あ~…当日(とうじつ)限定(げんてい)…」話をしている間に白龍は錫達の元へと下りてきた。

「こんなのがホントにいるなんて…。で…どうやってこれに乗るの?」

「スンにも死んでもらうの」浩子は躊躇(ためら)いもなく返答した。

「死ぬぅっっ!?……痛いことする?」

「ううん、その逆よ。気持ちいいはず…ふふっ」浩子は恐がる錫を(なご)ませるつもりで笑ってみせたが、それでも錫は尻込(しりご)みした。浩子はそれにはお構いなしに両手を錫の胸に当て、何かを引っ張り出すようなジェスチャーをした。するとその場に立っていたはずの錫は、一歩前に前進したような感覚を(おぼ)えた。

「終わったわよ…」呆気(あっけ)なかった。後ろを振り返ると人が倒れている。

「もしかして……これって私?…じゃ私は…?」

「倒れているのはスンの肉体、そしてそれを見ているスンは霊体…つまり魂よ。ただし完全に死に(いた)らないように、ほんの少しだけ魂のかけらを体内に残してあるわ。それでものんびりしてたら命の火は完全に消えてしまうの…ロウソクの炎のようにね…」錫は霊体の離脱(りだつ)に驚きはしたが嫌な気はしなかった。肉体の重みもなく、肩の()りなどや疲労感など全く無い心地よい状態だったからだ。

「では…参りましょうか?」初めて白龍が(しゃべ)った。()みきった女の声だ。驚くまもなく早く龍の背中に乗れと浩子に()かされ飛び乗った途端、龍は天に向かって昇り始めた。

「この白龍は北東…つまり鬼門の方角に向かって進んでいるの。鬼門は白の国と黒の国への入り口よ。常に鬼門の方角に白龍が飛び続ける時、白の国の入り口は開門され、必ず白の国に行き着けるわ。それが黒龍だと黒の国に…。ちなみに黒の国とは地獄のことよ」

「ふう~ん…。やっぱり鬼門は向こうの世界への入り口だったんだ」

「そうよ。鬼門は邪気を運んでくる不吉な方角として常に()み嫌われているけど、それは黒の国から流れてくる邪気のせい。けれどもそれが白の国に近寄らせないためのカモフラージュでもあるの」

「ふうん……もう一つ理解できない…」

「つまりね…何かの拍子(ひょうし)に間違って白の国への入り口ができたとしても、それは必ず鬼門の方角にできるの。だから、常に鬼門は不吉な方角としておけば、万が一入り口ができてしまっても、その方角は避けて通ってくれるから、(あやま)って入ってくる人は少ないってこと」

「なるほど…。ということは間違って入ってくる人もいるんだ…」

極稀(ごくまれ)にね…。〝あの世を見てきた~!〟って人がたまにいるでしょ?」

「いるいる!たしかにいるわねぇ!」


白龍がどんどん北東へと進むにつれ、まわりの景色(けしき)(きり)模様(もよう)(しろ)一色(いっしょく)()まっていった。

「あっ!この風景、この状況…前に見た夢とそっくり…。私が夢で乗っていたのは龍だったのね…。(あせ)っていたのは信枝を生き返らせるため…」

「スンの霊力には、先の事まで予知する力があるのかもしれないわね」

「…浩子…今度こそ教えて。あなたはいったい何者なの?」

「今まで黙っててごめんねスン…(だま)してたわけではないのよ。私は白の国で錫雅様の臣下(しんか)だった──〈智信(ちしん)枝栄(えさか)()(みこと)〉と申します」

「錫雅の…つまり私の臣下?…真ん中の漢字が()()だね…ややこしい」

「それは偶然(ぐうぜん)よ…。今までスンに話をしなかったのは、よからぬモノがスンの知識を(のぞ)き込んで、秘宝の在処(ありか)を探ろうとするのを回避(かいひ)するためだったの。けれども()しきモノにあなたの存在を知られた今、もう隠しておく必要はないわ。私が知っているすべてを話しましょう。まず話しておかなければならないのは、私は幅下浩子に憑依している存在だということよ」

「えっ!?じゃ、浩子のようで浩子じゃないってこと?」

「取りようによってはそうね」

「んじゃ、いつから浩子に憑いてるの?」

「スンのおじい様が亡くなってすぐよ。驚かないでね──私はスンのおじい様に頼まれてこっちに来たの」

「へっっ!──ど、どういうこと!?」驚かないはずがない。

「スンの霊力を導き出すためよ。あの頃スンのおじい様は自分が(あや)うい状況(じょうきょう)にあると(さっ)していたの。そこで自分に万が一のことがあれば、スンの霊力を目覚めさせてほしいと私に頼んできたのよ」

「だけど…じゃぁ、いったい浩子はいつ私の霊力を導き出したの?」

智信枝栄は白の国に着くまでの時間を考慮(こうりょ)しながら端的(たんてき)に話し始めた。




     Ⅵ


万が一のことを想定(そうてい)して、虎が智信枝栄に錫のことを(たく)したのは、虎が死ぬ二ヶ月ほど前のことだった。虎の予感(よかん)的中(てきちゅう)し、最悪(さいあく)の結果になったことを知った智信枝栄は、すぐさま人間界に()りたった。

智信枝栄がまずしなければならないことは、誰に憑依するかということだった。錫の家から近く、なおかつ取り憑きやすい素直な同じ年の女性──その条件にピッタリだったのが幅下浩子だった。しかも浩子も祖父を亡くしたばかりで、後々(のちのち)錫に近寄るための良いきっかけになる。智信枝栄は浩子に憑依した。普段は浩子に主導権(しゅどうけん)(わた)し、(みずか)らは静かに息をひそめていたのだった。


智信枝栄が最初に浩子から主導権を(うば)ったのは高校受験の時だ。錫がどこの高校を受けるのかを調(しら)べ、浩子も同じ高校を受けるよう(あやつ)った。操るといっても完全に浩子を支配するわけではない。もちろんそれも可能だが、この場合は、浩子がその高校を受験したい気持ちになるように誘導(ゆうどう)してやるだけでよかった。()くして二人は無事同じ高校に入学したが、幸運だったのは錫とクラスが一緒になったことだった。

入学早々(そうそう)の美術の写生(しゃせい)時間を利用して、智信枝栄は錫に近寄り、目論見(もくろみ)どおり亡くなった祖父の話をきっかけにして(した)しくなった。


「そうだったのかぁ…。聞いてみないと分からない話ね…」

「ごめんね…(だま)したわけじゃないのよ…」

「そんな風には思ってないよ。だけど…もしクラスが違ったらどうした?」

「そうね…同じクラブに入るとか…道でばったり会うとか…。まっ、方法はいろいろね…ふふっ」錫はいつもと変わらない穏やかな浩子の仕草(しぐさ)を見て、それが智信枝栄だろうが浩子だろうがどちらでもよくなった。

「次に私がしたことは、卒業旅行でみんなを奈良の大仏様に誘うことだった…」

「あ~…!そういえば行き先が京都奈良になったのは、浩子の修学旅行の苦い思い出をやり直すためだったわね」

「あの話は実際に浩子が体験したことを利用したの。一番の問題は、スンが十八歳を迎えるより前に卒業旅行に行っても意味がないということよ。だから私は〝喜びを二倍にしよう〟と持ちかけ、卒業旅行とスンの誕生祝いとを重ねたの。スンが誕生日さえ迎えていれば、後はいつ大仏様の所へ行っても良かったのよ」

「改めて聞くと全部浩子の提案(ていあん)だったわね…」

「本来気配(きくば)りができて優しい浩子の性格上(せいかくじょう)、そうやって誘いかけても、何も疑われずに二人に受け入れてもらえたわ」

「そして私は浩子が目論(もくろ)んだとおり、あの穴を(くぐ)ることになる…。浩子が私の霊力を導き出すというのはそういうことだね?」錫は智信枝栄が言った意味を(ようや)く理解した。

「…それからあの写真の一件もそうなのよ」

「写真の…?」

「写真の裏に何かが隠されていることを私は事前に知っていたわ。スンのおじい様から教えられていたから…。それをどうやってあなたに伝えようかと考えていた時、たまたまお父様が部屋に入ってこられたから、これ(さいわ)いと驚いたフリをしてわざと写真立てを落として割ったの」

「あれってわざとだったの…!?」錫は大きな目をクリッとさせて驚いた。

「うん…。その後写真立てを二つ買ってきたのも、もう一枚の写真を写真立てから取り出させるための細工(さいく)だったの」

「わぁおっ!じゃ、いまだ謎のもう一つの短歌の意味も知ってるの?」

「残念だけど私が(たの)まれたのは、写真の裏に隠してある何かをスンに教えることだけ…。それが短歌だということを、私もあの時まで知らなかったわ」

「そうかぁ…残念」あわよくばと思った錫だったが、そう簡単にはいかなかった。

「それから私が(がけ)から(つまづ)いて信枝を巻き込んだのもわざとよ」

「あぁ~…どおりで変だと思ったのよ。あの瞬間浩子が信枝を引きずり落としたように見えたもの」

「あそこから二人で落ちたのは信枝に取り憑いた狡狗に尻尾(しっぽ)を出させるため。それに錫を一人にした方が、東田に取り憑いた狡狗も正体を(あらわ)しやすいと思ったからよ」

「東田に狡狗が憑依しているって知っていたの?」

「えぇ。うまく隠れたつもりでも私にはすぐ分かったわ!」

「ふぅ~ん…。ねぇ……もしかして私を三輪山に仕向(しむ)けたのも浩子の仕業(しわざ)…?」

「ふふ…さすがに私も旅行券を故意(こい)に当てることはできないわ。ラッキーだっただけ。でも三輪山に秘密があることに気づいたスンは大したものだわ」

「その言い方だと…浩子は三輪山におじいちゃんが来た理由を知っているのね?」

「えぇ、もちろん。それにね…さっき狡狗からとんでもない情報を得たわ…」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 自分の命と引き替えにできる程、大切な存在。心の通じ合った結びつき、そんな関係素晴らしすぎ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ