第十三章──三輪山
三輪山
Ⅰ
奈良県北部に位置する三輪山は、標高四六七㍍のなだらかな円錐形をした山だ。三輪山は太古より神の宿る山とされていて、山そのものがご神体なのだ。ゆえに昔は神官・僧侶以外は入山を許されない禁足の山とされてきた。
三輪山の麓にある大神神社は、拝殿はあってもご神体を祀る本殿はない。山がご神体なのだから、この祭祀の形態は納得できる。
現在では誰でも入山が許されていて、その際にはお金を払い、道中外すことを許されない白たすきを受け取り入山する。もしもお金をお持ちでない方でも、大神神社の拝殿から〝三輪山〟すなわち〝ご神体〟を直接拝むことはできる。入山せずともご神体を拝めるなら、足を踏み入れる必要などないようなものだが、そうとも言えない。
三輪山の祭祀遺跡、辺津磐座、中津磐座、奥津磐座など、その昔、あの卑弥呼様が祭祀を行ったかもしれない貴重な磐座が拝めるのだ。頂上には高宮神社という社が祀られていて、さらに先に進むと奥津磐座が神々しく鎮座している。
そして、大神神社の祭神は〝大物主大神〟またの名を〝大国主命〟──おおっ!あの因幡の白兎の神様ではないか。
その頃の大国主命は〝少彦名命〟と一緒に国づくりに励んでいたのだが、少彦名命は常世の国という遠い海の向こうの国に行ってしまったため、大国主命は一人で国を治めなければならなくなった。その時、海から神様が現れ〝私はお前の幸魂・奇魂である。お前は一人で国を治めることはできないが、もし私を日本の三諸山に住まわせてくれれば、私が国作りを手伝おう〟と告げる。そこでその場所に宮を拵えて住まわせたのだ。ちなみに幸魂・奇魂とは和魂のことで、神様の優しく穏やかな側面だ。
三諸山とは三輪山のことであり、以来大国主命の御魂は三輪山に留まることになり、山全体を神霊の鎮まるご神体として崇められるようになったとされている。つまり三輪山は大国主命のお体だったのだ。
そしてそこに点在する〝磐座〟。いったいこの巨石は何を意味しているのだろうか──。
★
「今度こそ見つけ出したというのは本当か?」
「はい醜長様。確かめましたが他に類のない独特の霊気を放っていました。前回はあの老婆に逃げられましたが、今度は失敗しないように私が出向きます」
「ほう…お前がか?」
「はい、どんな手を使っても奪い取ります」
「そこまで言うなら、失敗した時は分かっているな?」
「大丈夫です。所詮は人間ですゆえ」
「うむ…ワシは悍しい霊力を秘めた人間が秘宝の在処を知っているに違いないと踏んでおる。絶対に捕らえてこい!」
「お任せください。ところで…ずっと以前に捕らえた奴はどうなりました?」
「アレはしぶとい奴だ…」
「まだ無になってはいないので?」
「弱ってはいるがまだ僅かに霊気は残っている。どうせ奴はハズレだったのだ…。このまま朽ちるまで放っておいてやる」
「すべての鍵は、この悍ましい霊気を持った奴ということですね…」
Ⅱ
「やっと繋がったわ。何度もかけてたのよ!」元気な信枝の声に、錫は思わず耳から携帯電話を遠ざけた。
「ごめん、全然気づかなくて…。三十分だけ待ってて…うん必ず行く…」錫は『リンネ』で二人に会う約束をして携帯電話を切った。
「ごめんねおばあちゃん。それで…おじいちゃんは三輪山に行ってるの?」
「そうだよ、まだ錫が生まれる前だった…。何が目的であそこへ行ったのか謎だったけど、あの時のことは忘れないよ」
「あの時のこと?おばあちゃん、教えてよ…あの時のことって?」
「…三輪山から帰ってきた時のあの人はね…そりゃもうすっかり窶れきってたんだ…。このまま死んでしまうんじゃないかと思ったくらいね…」
「そんなに?いったい何があったんだろう?」
「さあねぇ…私が尋ねても一切口を開かなかったからね。遊びで行ったわけじゃないことは確かだね」
「錫雅尊が三輪山に行けなかったことと関係ありそう?」
「狛犬さんの話を聞けば大ありだと思うよ」ミツはなんも迷いもなくキッパリと言い切った。
「やっぱりありありよね…」
「ご主人様、もしかしたら三輪山に行きたくなったのですか?」
「バレちゃった?きっと三輪山に秘宝があるのよ…」錫はそう思えてならなかった。
Ⅲ
そろそろ街に灯りが灯る黄昏時。錫はやっとの思いで喫茶店『リンネ』に着いた。
ここに来る途中―─。約束していた時間が迫っていたので急ぎ足で店に向かっていた。それが悪かったのか、道ばたで久しぶりにえげつないモノと遭遇してしまった。この付近で事故に遭って死亡した男の自縛霊だ。顔半分が潰れて無くなっている。錫は目を反らせて走って逃げたが、今やソレが感覚でも見えてしまうほど霊力は研ぎ澄まされていた。さすがに錫の霊力を恐れて体に入り込むことはなかったが、しつこく追いかけられると恐くて仕方なかった。
―─「ストーカー幽霊さん…もう勘弁してよ~」息も絶え絶えに必死で逃げてなんとか自縛霊も諦めてくれた。その恩恵は約束の時間に間に合ったことだ。
「お待たせしましたぁ~……ゼイゼイ…」
「滑り込みセーフね。まぁ座りなさいよ」信枝が錫を横に座らせた。錫は息を整える間もなく〝超チョコレートパフェ〟を注文した。『リンネ』の名物〝超チョコレートパフェ〟は豪華で美味しい。二人は先に超チョコレートパフェを注文していたらしく、もうほとんど食べ終えていた。
「最初はカロリーを気にしてクリームソーダを注文したのよ。でもスンが遅いから我慢できなくなって、さっきこれを追加したの」超チョコレートパフェを注文したのは、さも錫が遅いからだと言わんばかりに皮肉った言い方をして、信枝は悪戯っぽく笑った。
「そうね…チョコパ追加でカロリーオーバーよね…。誰かさんのせいで…ふふっ」浩子も信枝に負けずに笑いながら錫をからかった。
「もう…二人ともイジワルねぇ…」三人はすっかり高校生に戻っていた。
「すご~い!浩子は一ヶ月に百個もめろめろメロンパンを?」
「そっちに驚くの?普通十万円の旅行券でしょ?」信枝が呆れていると、錫の注文した超チョコレートパフェが運ばれてきた。錫は待ってましたとばかり、上に乗せてあるウエハースを手で摘んでサクサクと食べてしまうと、左手で柄の長いスプーンをゆっくりとチョコのかかった山盛りの生クリームに差し込み、斜めにカットしたバナナと一緒にたっぷりとすくい上げると、おもむろに口いっぱいにほおばった。二人は錫の食べっぷりに口を半開きにして見ていたがすぐに我に返った。
「…それでだね、浩子がその旅行券でまた旅行しようって言ってくれてるのよ」
「ホントに!?ありがとう浩子、長生きするわよぉ~」錫が信枝と同じことを言ったので、浩子はお腹を抱えて笑いだした。浩子はかなりの笑い上戸だ
「何が可笑しいの…?変な浩子…。で…どこに行くのか決めてる?」錫が真顔で尋ねる。
「それを決めたくてスンを呼んだの」可笑しさを抑えながら浩子が答えた。
「だったら…行きたい所がある…」錫はスプーンを口に運びながら言った。
「どこに行たいの?」信枝が興味深げに身を乗り出して尋ねた。
「三輪山よ。山が神様の体の山」会話の間も、スプーンはベルトコンベアのように錫の口へとパフェを運び続けている。
「山が神様の体…?」信枝は意味が分からず聞き直した。
「山そのものがご神体になっているのよ…」浩子の説明に納得した信枝だったが、三輪山が奈良にあることを聞いてシブい顔をした。
「スンはどうしても三輪山に行きたいのね?」浩子が錫の意志を確かめた。
「うん…どうしても行きたい!」大きな目をクリッとさせて訴えた。
「…………じゃ、行きましょう!」
「行きましょうって…また奈良でいいの?」信枝はふて腐れ気味に言った。
「だって、前は私のわがままを聞いてくれたんだもん」
「そうだね…あんたが当てた旅行券だしね…。じゃ決まりね」
「わーい!持つべき者は信枝と浩子ね」そう言って喜んだ錫は、濃厚なアイスを盛りっとすくってほおばると、美味しそうに口の中全体で楽しんだ。
「食べることは止めないね…この子は…」信枝がそう言っても錫はどこ吹く風だ。
「ではっ…日程など細かいことは私がするわ」
「じゃ、それは浩子に任せる。最短でみんなの都合の良い日を選んで早速出発ね!」話がまとまると、錫の超チョコレートパフェも残り一口になっていた。
「あのね…」錫は何か言いたげだ。
「な~にスン…まだ何かあるの?」
「うん…あのね…。錫ちゃん……チョコパおかわりしま~す」二人はあんぐりと口を開けた。
Ⅳ
その日の香神家は、みんなで食卓を囲んで賑やかに朝食を楽しんでいた。テレビもその仲間に加わろうと、社会の情報伝達に余念がない。
《未だ犯人が見つかっていないことから、奈良県警は捜査の範囲を広げて通り魔逮捕に全力をあげ…》
「まだこの事件は解決しないのか…。錫大丈夫か?今日から奈良だろ?」
「大丈夫!もし鉢合わせたら信枝がやっつけてくれるわよ」
「そうだな。あの子はたくましいから…わっはっは」笑ってトーストにかぶりついた。バターをたっぷりぬり、その上からジャムを薄くぬるのが龍門のお気に入りだ。
「奈良まで行くのに旅費はあるのか?」
「前に話したでしょ?浩子が旅行券当てたの…だから大丈夫。ごちそうさまでした」錫はさらっと答えると、自分の食器を洗い場に運んだ。龍門はこづかいでもやりたかったが、錫があまりにも素っ気ないので出しそびれてしまった。
朝食を済ませた錫が部屋に戻って荷物の確認をしていると、祖母のミツがノックをして入ってきた。
「あっ、おばあちゃん…どうしたの?」
「なんだか落ち着かなくてね…。三輪山の下調べはしたのかい?」
「うん、ざっくりとだけど知識は入れたつもりよ」
「今の錫ならあの人が三輪山に行った理由も、錫雅さんが三輪山に行けなかった秘密も解けると信じているよ」ミツが錫の肩をさすって励ました。
「うん…じゃ、行ってくるね!」部屋を出て行こうとした錫は、足を止めてミツに向き直った。
「ねぇおばあちゃん、私…謎を追いかけている間に、身近な人からたくさんの宝物を貰ったような気がするの。霊力が身に付いて、見えないモノが見えたり感じたりするようになった。でもそれだけじゃない──私、人の心も見えたり感じたりするようになった。それは励ましだったり、強さだったり、温もりだったり、愛情だったり…。一人じゃないって…みんなに支えられているって…いつもそう思えるようになった。それって宝物だよね!?」
「そうともさ!お金では買えない宝物だよ。その心を知ることで人は幸せになれるのさ。そして今度はその心を人に与えることで、もっともっと幸せになれるんだよ」錫は大きな目を輝かせて笑顔になった。「その宝物はね…誰にも盗まれることはない。だから絶対自分から無くしちゃいけないよ!」
「うん、分かった!おばあちゃん…ありがとう!行ってきま~す!」愛らしい笑顔で元気よく部屋を出て行く錫の後ろ姿に、黙って手を合わせるミツだった。
「パパ、お母さん行ってきます」
「あのなぁ…これ…みんなで弁当でも食べなさい…」玄関まで見送りに出てきた龍門は、口をもごつかせながらこづかいを手渡した。
「わーい、パパありがとう!大好きよ!」娘にそう言われて龍門は満面の笑みだ。「じゃ!行ってくるねぇ」錫は重い旅行カバンをガラガラと引っ張りながら家を後にした。
「早く渡してやればいいのに…フフッ」鈴子が後ろから笑って言った。
「………。なかなかタイミングがな…ぐほっ!」龍門は咳払いをして部屋に戻った。
―─「なんだか胸騒ぎがしてならないわ…」旅行の目的を知っている鈴子は、錫の後ろ姿に無事を祈った。
Ⅴ
「スン、また恐い話をしようか…?」悪戯っぽく信枝が笑った。
「もう…いいってばぁ…」錫の恐がる姿は愛らしく且つ面白い。
この日三人が泊まるのは、奈良駅のすぐ側にある思い出深いあの時のホテルだった。
「スンの恐がりは健在ね…ふふっ」
「オカルトな仕事をしてるわりには進歩してないねぇ」
「だってぇ~…恐いのってなかなか慣れないもん」錫は綺麗に生え揃っている眉毛を下げながら情けない顔をしてみせた。
「それじゃ、今夜はスンを鍛えるために、恐い話パート2だね」
「そうしましょ…ふふふっ」二人は顔を見合わせくすくす笑った。
「二人ともっ…恐い目に遭っても絶対助けてあげないんだからぁ」
「それ、前にも聞いたわよ。恐がりのスンに助けてもらうことなんて間違ってもありませ~ん」信枝は皮肉った口調で答えた。
ディナーバイキングでは錫が本領発揮だ。大きなプレートに山盛りあった料理を二皿ペロリと平らげると、三皿目も山盛りの料理を運んできた。
「ぐえっ…。スン、あんたまだまだ現役ね…」
「なんの現役?ん~ん…このエビチリ美味しいぃ!」
「この子、ぜんぜんペースが落ちないね…」
「まだまだ序の口。でも、デザートのお腹を空けとかなくっちゃ!」
「どうぞ…お好きなだけ…」信枝と浩子は一足先にコーヒーを飲みながら笑って答えた。
〇
「でね…ゆっくりと…ゆっくりと…恐る恐る後ろを振りむくと…」 信枝は〝カッ〟と両目を開き、次の一言を発しかけた。
「いやぁ!お願いやめてぇー!ゆるしてぇー!」
「くふふ…スンはやっぱりビビリだ…」信枝は恐がる錫にご満悦だ。大きくアクビをすると、さっさと布団をかぶって錫に尋ねた。「今更なんだけどさぁ、どうしても三輪山に行きたかったのはなぜ?」
「それはね…昔おじいちゃんも三輪山を訪れたからなの」当然だが錫雅尊のことは伏せた。
「ふうん…それが理由…?」信枝は腑に落ちなかったがそれ以上突っ込みはしなかった。
「おじいさまといえば、あの時のお婆さまは元気かなぁ…?」浩子が何気なく話題を変えた。
「…………亡くなったわ…」呟くように錫が答えた。
「えぇ―─!?」。「えぇ―─!?」二人とも信じられないと言った様子だ。
「あんなに元気だったのに…どうして…?」浩子は涙声だ。
「……自殺したの…」
「自殺…まさか!?」。「あのお婆さんが…?信じられない…」
「私も最初は耳を疑ったわ。でも自殺の他に考えられないそうよ」
「気の強いお婆さんだったのに…人は見かけによらないわねぇ…」寂し気に信枝がそう呟いたのを最後に、誰も口を開くことはなかった。
部屋は沈黙のまま時間だけが過ぎ、やがて安らかな三重奏が響き渡った。
★
「この悍しい霊力……他に類なきモノだ…」
「こんな霊力だと、まともには近づけませんぜ…阿仁邪様」
「だから頭を使って奪い取るのよ」
「アレさえ手に入れば、今度こそ醜長様に喜んで頂けますね?」
「そうだとも。これが最後のチャンスだ。今度失敗したらホントに醜長様に喰われるぞ」
「恐い恐い…。で…どんな作戦でいくんで?」
「耳をかせ…………………………いいな?」
「へい。でもわざわざ内緒にしなくても、他に誰もいませんぜ?」
「バカ、お前は分かってないな。…あれだ…かべに……あ~…そうそう、〝壁に耳あり柱にシロアリ〟と言ってな……どこに危険があるか分からんのだ」
「阿仁邪様、それは違いますぜ…」
「おっ、あれ…そっ、そうだったかなぁ…?」
「正しくは…壁に耳あり…しょ…しょう──え~っと…そうだそうだ〝壁に耳あり娼婦のメアリ〟です」
「あっ、それっ、それだっ!…オレ様も今思い出した…」
「今度はあっしの方が一本ですな!」
Ⅵ
その日は想像以上の晴天に恵まれた。それだけで錫の心は弾むのだった。
「お日さまも私が三輪山を訪れることを歓迎してくれてるんだわ!」都合の良い解釈だ。
目的地が近づくと、まず三人は一際目立つ建造物に驚かされた。
「あのバカでかい鳥居はなに!?」真っ先に叫んだのは信枝だった。参道の入り口に建つ鳥居は、高さ三二.二㍍を誇る日本最大級の大鳥居だ。
「真下に立つと一段と迫力があるわね…」浩子は何枚も鳥居の写真を撮った。
「こんなに高かったら、石を投げても鳥居の上に乗らないなぁ…」
「…あんたはやっぱり考える事が違うわ…」信枝は笑って錫の頭を撫でた。
三人は長い参道を三輪山麓の大神神社めざして歩いた。大神神社境内付近の辺津磐座の一つに、〝夫婦岩〟と呼ばれる苔を纏った大きな二つの岩が仲よく寄り添って祀ってある。
大神神社を通り越し、更に山手に向かう小径を歩くと狭井神社へとぬける。狭井神社で受付をすると、鈴の付いた白いタスキを貸してもらえる。そこで初めて入山を許されるのだ。本来、山に登る時の正装は白衣だが、一般人がいちいち正装できないので、このタスキの白を白衣の襟に見立てているのだという。故に下山するまでは決してタスキを外してはならない決まりになっている。この決まりを破ったら、神様から厳しいお叱りがある──かも知れない。
〇
「お分かりになりましたね?」錫達一行は狭井神社の受付で神職の説明を受けていた。
「それにしても皆さんは運が良かった。今日は一般の登山道とは違うもう一本別の道が通行可能の日になっているのです」
「もう一本別の…?」
「そうです。私たちが祭祀を仕える時にだけ通ることを許されている神聖な山道です。私が先導しますのでこちらへ」得した気になった三人は、喜んで勧められた山道を登ることにした。
「ここから入山いたします。一般の登山道と険しさは変わりませんから大丈夫ですよ」それを聞いて安心した三人は、タスキを肩から斜めに掛けて山道を登り始めた。揃って紐付きの運動靴を履き、神社で借りた転倒防止の竹の杖を片手に、なだらかな道を一歩一歩進んで行くのだった。
「片道一時間はかかりますからゆっくり歩いていいですよ…」二十代半ばの神職は爽やかに声をかけた。少し浅黒い細身の体格だ。短めの髪は清潔さも感じる。
―─「このお兄さん、ちょっとカッコいい…」錫はこの神職が少し気になった。
「この辺りはまだ中津磐座にも辿り着いていませんが、そこそこ大きな岩があちこちに転がっているのが分かるでしょ?こうした大きな岩は不思議なことに対になってるものが多いのです」
「ホントだ…。そういえば夫婦岩という大きな対の岩もありましたね?」
「他にも二つに割れているものや、何かで線を引いたような傷がある岩もあります」解説付きなので、三人は楽しみながら山を登れた。
やがて細い山道に沿って小川がさわさわと流れる涼しげな場所に差しかかった。
「この辺りが中津磐座です。大岩は神の鎮座する岩として注連縄がしてあります」
──「おじいちゃんは何を求めてここに来たんだろう…?」一歩一歩踏みしめるごとに、錫の探求心は高まっていった。
身体能力の高い信枝は、一番先頭を黙々と歩いている。浩子も見た目よりタフで、信枝の後を息も切らさずピッタリとくっついていた。錫と神職の青年は、前の二人より少し遅れて追いかけるような格好だ。
「皆さんお友達ですか?」神職の青年が錫に尋ねた。
「はい。高校時代からの親友です」
「そうですか。どおりで仲が良さそうです」
「あの…いつもこうして山を案内されているのですか?」
「いえ、私は臨時のアルバイトですから、普段はこんなことはしません。地元の人間なので、この辺りのことは詳しいのです」
「へ~、アルバイト!?」驚いている錫に、神職の青年は笑って返答した。
「実はそうなんです。友人がこの神社の下級職員なもので、僕にアルバイトをしないかと誘ってくれて…。本当は大学院で宗教学を専攻している学生なんです。それもあって友人が私を誘ってくれたのです…〝趣味と実益を兼ねる〟ということで。ははは…」
「宗教学を?」
「はい。専門は神道なので神社のアルバイトは嬉しいんです」
「それじゃ、領巾ってご存じですか?」
「領巾?領巾って古事記に出てくる領巾のことですか?」
「知っているんですか!?すご~い!」
「あまり詳しくありませんが、領巾は十種神宝の一つで、饒速日命が天照皇大神から授かったものです。大国主命は須勢理毘売から領巾を借りたおかげで難を逃れました。それだけではなくて、十種神宝には死者も生き返らせ、邪悪な霊も祓い退ける凄い宝もあったみたいですよ」
「すっご~い!さすが大学院生」山を上がって行くに連れて、神職の青年に対する好感度も上がっていった。
「おしゃべりしてるうちに視界が開けてきました。そろそろ奥津磐座が拝めますよ」神職の青年が錫の背中をポンポンと叩いて励ました。一足先に頂上に着いた信枝と浩子は、何かを察してニヤニヤ笑いながら錫を見ている。
「な…なによ…」錫は顔を赤らめ、それとなく神職の青年から離れた。
「さぁ…こっちです」神職の青年はそんなことを気にする様子もなく三人を手招きすると、奥津磐座の場所まで案内した。
「これがその磐座です…」岩の大きさは軽自動車の半分位だろうか。上部が横向きに割れていて、見る角度によっては、丸くくり抜かれた岩が突起しているようにも見える。
「やっぱりこの岩も二つに割れているんですね…?」
「はい。どの岩も対になってるものが多いです」
「頂上はいつもこんなに静かなんですか?私たちのほかには誰も居ませんが…」疑問に思った浩子が神職の青年に尋ねた。
「今日はたまたまです…」今一度青年は辺りをぐるりと見渡した。「誰もいないなら…」神職の青年はそこまで話して勿体ぶるように一旦言葉を切った。
「あなたたちにとても驚く秘密を教えてあげられます…」錫は胸が高鳴った。もしかすると祖父が三輪山に来た目的が分かるかもしれないと思ったからだ。「なんだと思いますか?」神職の青年は口元だけ笑って三人を舐めるように見つめ回した。「ほら…あなた達も知っているでしょう?今、日本中を震撼させてる奈良の通り魔事件。あの犯人の名前を僕は知ってるんですよ」信枝と浩子は瞬時に青ざめた。だが錫は、答えが自分の想像とあまりにもかけ離れ過ぎていて、意味がよく理解できなかった。
「ど、どういうことですか?」自分の思っている答えが間違いであってほしいと願いつつ浩子は質問した。
「そういうことだよ……犯人の名前は東田利馬というんだ…」
「えっ、えっ、どういうこと?」錫はまだこの一大事が飲み込めていない。
「…スン、あんたズレ過ぎよ。この男が例の通り魔ってこと」信枝は東田利馬と名乗る男を睨んだまま錫に説明した。
「ぐぇ~!こっ、この人が!?」
「スン、気づくのが遅いわ」恐がりながら浩子もぼそっと呟く。
「あんたの恋もシャボン玉だったわねぇ」信枝は肝が据わっているのか、こんな時にも軽い冗談を錫に投げかけた。
「バ、バカ…なに言ってんのよ…」錫は顔を真っ赤にして怒っている。
「分かりやすい子…」錫と信枝のやり取りに東田は苛ついて小刻みに頭と手をぷるぷると動かし始めた。
「君たちうるさいな…」東田は懐からすーっとナイフを取り出した。
「キャー!」浩子が怯えて思わず叫んだ。信枝も恐怖を感じていただろうが、東田を睨みつけたまま一歩も後ずさりはしなかった。東田は冷血な目で三人にナイフをちらつかせながら反応を楽しんでいる。錫は奥歯を噛みしめ、汗ばんだ両手で杖を強く握ると、ぎこちなく防御の構えを執った。額はじんわりと汗していて、全く余裕がないのは東田にも明らかだった。
「可愛いねぇ…。さぁ、僕を気に入ってくれている君、こっちへおいで」錫はゾッとした。ほんの少しでも、こんな男に気持ちが揺らいだ自分が許せなかった。
「お遊びじゃないぞ。そんな杖で抵抗しても所詮は棒っきれだ。このナイフに君たちの血を吸わせたくなかったら、黙って言うことを聞くのが賢い選択だと思うよ」
「どうしたらいいのよ?」信枝がきつい口調で聞いた。
「今来た道を少しばかり下ると、道から外れた場所に小屋がある。とりあえずそこに行こう。まず元気の良いお姉さん…君が先頭だ」東田はあごで信枝に指図した。なるべる信枝と距離を置きたいのだろう。
「その次は一番おとなしい君。最後は当然僕を気に入ってくれている君だ」東田の視線を受けるたびに錫は鳥肌が立ちそうだった。
「言っておくが、ちょっとでもおかしなまねをしたら、このお嬢さんの体に傷が付くからね」信枝と浩子に言って聞かせながら、東田は錫の背中にナイフの背を押し当てた。
「その子に何かしたら私が許さないわよ!」信枝は落ち着いた低い声で警告した。
「おお~っ恐いなぁ君は…。僕から離れて早く先頭を歩きなさい」東田は煙たそうに信枝を見ると、ナイフの先を錫の脇腹に軽く当てた。信枝は言われるまま先頭に立つと、元来た道を歩きだした。
「ちょっと…そんな物騒なモノ持って後ろに立たないでくれない?」
「あれ!?さっきと随分態度が違うなぁ…。さっきはもっと好意的だったじゃないか…。心配しなくても言うことを聞いていれば、とりあえず小屋までは命の保証をするよ…くっくっく」ゴツゴツとした岩場の広い道を過ぎ、人一人がやっと通れるような細い道に差しかかると、東田が三人に声をかけた。
「もうすぐ小屋に行く分かれ道があるから、そこで止まるんだ」細い道の左下はかなりの急斜面だ。もし踏み外せば、下まで転がり落ちてしまう。錫は足が震えて歩く速度が遅くなり、前の二人と十㍍ばかり差がついてしまった。
「もう少し急げ」イラついた東田が後ろから錫をせっついた。
その時だ──。「キャ──!」いきなり浩子の叫び声が山に響いた。浩子は足を木の根っこに引っかけて躓いたようだった。錫は前の二人が山の斜面を転がり落ちてゆくのをただ見届けるしかなかったが、錫にはそれがまるでスローモーションのように映って見えた。
浩子が躓いた時にはもう彼女の身体は半分道から山の斜面に放り出されかけていた。信枝は咄嗟に浩子の体を支えようとしたのだろうが、さすがに勢いのついた浩子の身体を支えるには無理があったようだ。錫には逆に浩子が信枝の身体を掴んで引っ張り込むようにも見えたが、どちらにしても二人は重力に逆らえず、斜面を転がり落ちていったことにかわりはない。
「助けてあげてよ…ねぇお願い!」錫は東田にそう訴えるしかなかった。
「死にはしないさ…。せめて君だけでも小屋に連れて行ってあげるよ…くっくっ」錫の意思を聞き入れる気は全くなさそうだ。
──「なんとかしないと…。でもどうすれば…?」一足ごとに心は焦る。
「ご主人様…ご主人様」錫は心の中でいしが呼びかけているのに気づいた。
「いし?」
「はい。少しチャクラを開けてみてください」言われるままチャクラを開いてみると、子犬ほどの大きさになったいしが、宙に浮いてこっちを向いていた。
「ご主人様…注意してください。後ろの男、ただの人間じゃないですけん」
「えっ?」思わず頭だけを後ろに振り、その姿を見た錫はぎょっとした。以前戦った奴とよく似ていたからだ。




