第十二章──神話
いよいよ物語は後編へと進んでいきます。
前半で「点」だったエピソードが「線」となって繋がっていきます。
錫と仲間たちの活躍にもご期待ください。
この物語を読み終えたとき──もう一度読み返したくなるでしょう…。
それでは暫し──錫と共に物語の世界へ!
神話
Ⅰ
日本最古の歴史書「古事記」には神話や神々が数多く登場するが、中でも〝八俣の大蛇〟や〝因幡の白兎〟などは、誰でも子守歌のように聞かされた馴染み深い神話ではなかろうか。八俣の大蛇というのは、体が一つに頭と尻尾が八つのバカでかい大蛇だ。
ある村を通りかかった須佐之男命は、若い娘とその父母が悲しげに泣いてるのが気になり、そのわけを尋ねると、毎年八俣の大蛇がやって来ては若い娘を一人ずつ食べるのだという。今年は櫛名田比売という娘の番で、今夜人身御供にされるというのだ。須佐之男命は、大蛇を退治してやるから娘を嫁にくれなどと、神様のくせに厚かましくイヤらしいことをいう。ところが娘も娘の両親もそれに快く承知してしまうので驚きだ。契約が成立すると、須佐之男命は早速大蛇退治に取りかかった。
まず大きな八つの瓶にそれぞれ強い酒を入れ、家の回りに入り口のある垣を八つ作り、そこに一つずつ酒の入った瓶を置いた。真夜中になると、大蛇は酒の匂いに誘われて、八つの入り口からそれぞれ首を突っ込むと酒を飲み始めた。やがて大蛇が酔っぱらった頃合いを見計らって、須佐之男命は愛用の十拳剣で次々と首を刎ねていった。ちょっと狡いやり方だが、見事大蛇を退治し、櫛名田比売を娶るという天晴れな話だ。
そして、因幡の白兎は、母親の違う兄たちにいじめらていた大国主命が、岬で一匹の白兎と出会うところから始まる。皮をむかれて泣いていた白兎に、大国主命がどうしたのかと尋ねると白兎は泣きながら言った。
「私は向こうの島からこの岬まで来たかったのですが、渡る方法がありませんでした。そこで鮫に声をかけ、『君たちの仲間が何匹いるのか数えてやろう』と騙し、島から岬まで並ばせて数をかぞえるふりをながら渡ろうとしたのです。そして岬に着きかけたとき、『マヌケな鮫どもめ、本当はこっちに渡りたかっただけだよ』とつい口をすべらせてしまいました。鮫は怒って私の皮をぜんぶ剥がしてしまったのです。痛くて痛くて泣いていたら、ちょうど神さま達がここを通って、海水に体をつけてお日様に当たったら治ると言われ、そのとおりにしたらますます酷くなってしまったのです」
「それは私の兄たちだ。かわいそうに…私が治してやろう」大国主命はまず白兎の体を真水で洗い、蒲の穂をほぐして痛々しい生傷にかけてやった。すると痛みはたちまち消えて無くなり、すっかり元どおりになった。白兎はたいそう喜んでお礼を言った。
これが日本では有名な因幡の白兎の神話だ。だが大国主命の神話はここから激しさを増していく。
その後、異母兄弟の兄である八十神達に何度も命を狙われた大国主命は、母神に言われて根の堅州国に足を運ぶ。そこは須佐之男命がいる国で、須佐之男命には須勢理毘売という娘がいた。大国主命と須勢理毘売はたちまち恋に落ちてしまう──やっぱり神さまも恋はするらしい。
ところが、ここでも大国主命は、年頃の娘を横取りされて頗る機嫌の悪い須佐之男命に命を狙われてしまう。考えてみると、この須佐之男命は弱みに付け込んで嫁を娶ったり、ぐでんぐでんに酔わせてからいきなり切り込んだり、娘の恋人の命まで狙ったりと、あんまり性格がよろしくないような気がする。
さておき、嫌々ながら大国主命を部屋に泊めてやった須佐之男命だったが、そこは毒蛇がうじゃうじゃ蠢いている部屋だった。須勢理毘売はそっと領巾を渡し、その領巾を三回振れば、難を逃れられると大国主命に伝える。果たしてそのとおりにすると、毒蛇たちはたちまち静まり、大国主命は安心して休むことができた。領巾というのは今のスカーフやマフラーみたいな物のようだ。
翌日は呉公の部屋、また次の日は蜂の部屋と執拗な嫌がらせに遭う大国主命だったが、そこでも須勢理毘売の領巾によって助けられる。正直なところ、これほどの嫌がらせをするような神様はご免被りたいものだ。
この後もまだまだ大国主命は須佐之男命の嫌がらせに遭い、命を狙われることになるが、須佐之男命の宝〈生太刀〉〈生弓矢〉〈天の詔琴〉を盗み出し、須勢理毘売と二人で必死に逃げる。最後は根の国の出口、黄泉比良坂まで追いかけてきた須佐之男命だったが、そこでついに諦めて二人を祝福することになる。
そして須佐之男命から盗んだ宝〈生太刀〉〈生弓矢〉で八十神達を追い払い、出雲を統一させるという神話だ。
ところで須勢理毘売が持つ〈領巾〉は十種神宝と呼ばれる十種類の神宝の一つなのだ。蛇や呉公や蜂などを打ち払うだけでなく、死者を生き返らせることさえできたというから素晴らしい。
死者を蘇生させるには、〝一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部〟(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)と〝ひふみの祓詞〟を唱えながら領巾を振る。すると死者は生き返り、さらに邪霊をも追い払うことができたという。
Ⅱ
錫達三人の待ち合わせ場所は、喫茶店『リンネ』がお決まりになっていた。見た目六十代のマスターは、岡山県訛りでしゃべる気さくな男性だ。発端がなんだったのかは知らないが、ここの喫茶店はそこら彼処にお客から貰った品々が飾られている。天井からは飛行機のオモチャやモビールや風鈴、日に焼けて色が薄くなった水着のポスターや魚拓などがところ狭しと吊るされていたり張られたりしている。壁には無名の画家が書いたと思われる油絵や、いつの間にかそうなってしまったドライフラワー、店の隅には大きな花瓶や何処の国の土産か判らない木彫りの動物の置物など、とにかく賑やかしい。物が物を呼んでこうなってしまったのだろうが、どういうわけか三人ともこの独特な店の雰囲気を妙に気に入っていた。それに三人が待ち合わすにはちょうど良い場所にあったのも、この店を利用する理由の一つだった。
〇
「急に呼び出してゴメンね…信枝」襟付きの白いシャツ、折り返しのあるカーキ色の短パン、地味な色合いだが、浩子の顔立ちにはよく似合っていた。
「いいのよ、どうせ暇なんだし。あれ…スンは?」信枝は浩子が錫を連れて来ると思っていたらしい。
「連絡がとれないの…。忙しいのかな…?」
「あの子の事だから、あちこち走り回ってるのよ…。で、何かあった?」
「うん……ちょっとイイことがあったから」
「へ~…イイことって?」信枝は興味あり気に身を乗り出した。
「あのね、うちの近所のお気に入りのパン屋さんで『めろめろメロンパンを食べて旅行券を当てよう!』っていうキャンペーンをしていたの。そこの〝めろめろメロンパン〟は本当に美味しいの。その名のとおりメロメロになっちゃうの…」
「メロメロになるメロンパンって…ムハハハ」信枝は呆れながら笑った。
「でね…めろめろメロンパン一個につきスタンプを一個押してくれて、スタンプを十個で応募券が一枚貰えるの。私一ヶ月で十枚も応募券を貰っちゃった」
「ずいぶん食べたのね」そう言われて浩子は恥ずかしそうに笑った。
「それで………応募したらね……当たっちゃったの…十万円分の旅行券が!」
「ヒャ~!じ、十万!?当たるんだねぇ~…当たる人には…」
「それでさぁ…旅行に行こうと思って…」
「当然でしょ…旅行券なんだから旅行だよ。スンみたいなこと言わないで」
「スンが聞いたら怒るわよぉ。〝どうせ私は天然ですよ~〟って…」
「ぎゃはは…あの子ったら今ごろくしゃみしてるよ。んで…海外にでも行くの?」
「ううん、私はまた三人で旅行がしたいの…」
「わ──っ!私たちを誘ってくれるって?持つべきものは友じゃん!ひろこぉ~、あんた長生きするよ!」
「うふふ、大袈裟よ。あの時の旅行がとっても楽しかったから…」
「確かにあの旅行は楽しかったねぇ~。で…行き先は?」
「どこでもいいの。三人一緒ならどこでも…」浩子はほんわかと返答した。
「じゃ、スンも交えて決めますか?勝手に決めたら噛みつかれるからね」
「あれでも単純(T)・天然(T)・臆病(O)のスンは私たちの大将だから…ふふふ」二人は注文したクリームソーダを飲みながら話を弾ませた──。
Ⅲ
「…ハ、ハ…ハックション!……あれれ、誰か私の悪口言ってるな。さては信枝と浩子か…?」錫のどうでもよいカンは鋭い。
辞書の扉のページを開け、左下に手書きで記された小さな文字に気付いた錫は、それが意味のあるものなのかどうかを考えていた。
「おやっ…これは?」。「なんでしょう…〝こじき〟って?」ミツも鈴子もほぼ同時にひらがなで〝こじき〟と書かれた手書きの文字に気づいた。
「乞食って…まさかおじいちゃんって乞食だったの?」錫は真顔でミツに尋ねた。
「…んなわけないだろう」ミツが錫のほっぺたを軽く抓った。
「いちゃい…。じゃあ…これは乞食さんから貰った辞書だとか…?」
「ど~~も錫の推理は的外れな気がするねぇ…」ミツは眉を寄せて錫を見た。
「そ、そう~…?」錫は口を尖らせてふくれっ面をしている。
「この漢字辞書で乞食というところを開いてみたらどうかしら?」鈴子のアドバイスに、錫は早速〝乞〟の漢字を引き、その漢字を使った凡例に〝乞食〟があるのを見つけた。
「あった!〝物ごい、物もらい、食べ物をこい求める〟…これだけ…?」
「あの~ご主人様…口を挟んでもよろしいですか?」
「な~に、いし?遠慮はいらないよ。なんでも言ってごらん」
「ではお言葉に甘えて…。それ〝乞食〟ではなく〝古事記〟ではないですか?」
「あら~、狛犬さん賢いじゃない」ミツに褒められて、いしは満更でもない。
「古事記なんて思いもしなかったわ…」錫は感心している。
「あんたが最初に乞食っていうから、こっちも流されたよ」錫とミツといしの会話だが、鈴子に聞こえるのは錫とミツの声だけだ。いしの声は聞こえないので会話が繋がらなかった。理解に苦しむ鈴子にミツがいしの存在を伝えると、鈴子は驚きよりも、むしろ見られないのを残念がった。
「これで〝古事記〟が正解ならばいしは表彰ものね!…えぇっと…二三六ページが〝古〟の漢字ね…ここに〝古事記〟という凡例があれば……あっ、見て見て…あったあった!」錫が指さしたのは〝古事記〟の文字の左隣りに赤いペンで〝領巾〟とふりがなを振ってある手書きの文字だった。
「はて…手書きでこんな文字が…。しかも、この筆跡はうちの人だよ…」
「本当ね…お父さんの字だわ…」
「どうやら探していた〝扉〟はお母さんの言うとおり、辞書の扉で間違いないわね。おじいちゃんは夢でこれを教えてくれてたんだよ」
「よく辞書の扉なんて閃いたね…」ミツが言うと、鈴子は自分でも驚いたと笑った。
「いしもお手柄だったね、偉いぞ~」錫から褒められると、いしはお腹を出してごろごろ転がって喜んだ。
「ところで〝領巾〟とは何かね…?〝領〟という漢字に凡例がないか調べてみてくれないかね?」ミツに言われて錫は手早く辞書を引いた。
「…あった。〝領巾〟…婦人が身につけるスカーフのようなものですって」
「これが古事記とどう繋がるのかしら…」鈴子の疑問は全員の疑問だったが、その答えはすぐに見つかった。実は生前虎は、自分の遺品をすべて残しておいてほしいと言い残していたのだ。その中には書物もたくさんあったので、錫は物置にある虎の遺品が入ったダンボール箱を幾つも引っかき回し、一冊の本を見つけ出した。〝古事記の神話〟と表題が付いている。部屋にこもった錫は、今まで無縁だった古事記を勉強すべくページを捲った。解説付きなので錫にも理解できそうだ。
「あっ〝八俣の大蛇〟…これはよく知ってる。…これって古事記の神話だったんだ」
「ご主人様…驚きですか?」
「うん…。あっ〝因幡の白兎〟…これなんかもっとよく知ってる…」
「ご主人様……驚きですか?」
「うん…。どっちの話も枕元でお母さんに読んでもらったもん…」そんな調子で錫はベッドに寝そべったまま時間を忘れて読みふけった。
「へ~…大国主命ってイジメられてるよ…こんな昔からイジメがあるんだね。しかも神様同士でさぁ…」
「ご主人様………驚きですか?」
「うん…。…出た、出たよ、いし…ついに〝領巾〟の登場よ。へ~…八俣の大蛇を退治した須佐之男命って大国主命をイジメてる…しかもかなり陰湿…」
「ご主人様…………驚きですか?」
「うん…。須佐之男命は大国主命が娘の須勢理毘売と恋に落ちたことに腹を立てて、蛇やムカデや蜂を使って大国主命を殺そうとしたみたい。そこで須勢理毘売が大国主命を助けるのに使ったのが領巾だったのよ」
「ご主人様……………驚きですか?」
「うん…。注釈にはね『領巾とは今でいう婦人のスカーフやマフラーのような物で、十種神宝と呼ばれる十種類の神宝の一つである』って記してあるわよ」
「ご主人様…驚き…」
「…ちょっといしってばぁ、さっきから何回おんなじこと聞くの?」
「すみません…。実はいつでしたかご主人様から遠い昔話を聞いたことがありまして…。そのことを思いましたら、ご主人様が驚いていることが驚きで…」
「遠い昔の話?…どんな話なのか聞かせてくれない?」
「はい…。実は古事記の登場人物は満更架空の人ばかりではありません。実在の人物を基に作られた物語もあるということですけん…はい」
「本当にぃ?」
「はい…。それから、その時代の人達は精神面がとても鋭くて、高い霊力を持った人も多かったようです」
「へぇ~…。そう言われてみれば、昔の人は架空の生き物をたくさん絵や造り物で残してあるね…」
「…必ずしも架空の生き物とは限らんということですけん」
「いしみたいにカワイ~ィ狛犬も実在するもんね?」そう言ってもらったいしは、嬉しすぎて後ろに二回宙返りした。「で…そんな昔話をいしはご主人様から聞いたわけ?」
「…ご主人様から『ご主人様から聞いたのか?』と言われると妙な気分ですが…」ちょうどそこへミツがコーヒーを淹れて持ってきた。
「何が妙な気分だって?──ちょっと一服しないかい?」錫は喜んでコーヒーを一口すすると、ミツに自慢気に言った。
「ねぇ、おばあちゃん〝領巾〟はね、古事記に出てくる魔法の道具でした!」錫が詳しく説明すると、ミツも一つ謎が解けたことを大層喜んだ。それから錫は、たった今いしから聞いた話を面白気に話し始めた。いしはあごを床に着けて、上目遣いに二人の様子を見ていたが、ゆっくりと頭を上げて錫に話かけた。
「ご主人様ちょっとよろしいですか?古い話ついでに、今度はご主人様がこちらに来られる少し前の出来事を話してみましょうか?」
「えぇ~!そんな話があるならもっと早く教えてよぉ!」
「すみませんです、ではお話しましょう。向こうの世界では時間の概念がありませんから、十年や二十年の誤差があるかもしれませんがお許しください。今から五十年も六十年も前のことだったと思います…。ご主人様はいしの頭を優しく撫でて下さりながらこう言われました…『いし、暫くお前と離ればなれにならねばならん…』と。いしは寂しくて寂しくてなりませんでした。身を切られるようなその言葉に幾日も幾日も愁いておりましたら、ご主人様がまた頭を撫でて下さりながら…『いし喜べ…お前と離れるのが少しばかり延びたぞ。だが…これで三輪山には行けなくなってしまった…それが残念でならない…』そう仰ったのです。話が後先になりますがこんなこともありました──ご主人様は『暫くこの貴婦人を守ってやってくれ』とわたくしに頼み事をされ、ご自分はお忙しいのか、ほとんど戻られることはありませんでした。たまに戻られても、相当お疲れのご様子で…。そんな状態がいつまで続いたでしょうか…ある日貴婦人は忽然と姿を消されました。ですからわたくしは任務が解かれ、またご主人様と一緒に走り回ることができるようになったんですけん」いしはそこのところを嬉しそうに語ると、また続きを話し始めた。
「ご主人様との別れの日まで、わたくしは何年も何年も一緒に走り回りました。そして…いよいよ別れの時…ご主人様は腰を屈め、いしを胸に抱いて下さり…『いし…いよいよ暫しの別れだ。留守中のことは頼んだぞ。私があちらに行けばお前のことも忘れてしまう…だがいつの日か必ず戻る。その時はまた私を背中に乗せて走ってくれ…。ではいしよ…その時まで……達者でいるのだぞ』そう言ってスッと立たれたのです。それからわたくしに背を向けると、『天甦霊主様…行って参ります。私が自ら三輪山に行けなかったことをお許しください。そして…必ずや目的にたどり着けますように…』そう言われて姿を隠されたのです…」いしは泣きながら語った。錫の顔もくしゃくしゃになっている。
「いしはそうやって私と別れたの…?私は…そんな別れをいしとしていたの…?今聞いた話は全部私の話だよね…?」なんだかややこしいが、当事者同士が出会えたのだから、とりあえずめでたしめでたしだ。
「けどさぁ、生まれる前の私…つまり錫雅尊にも不可解な言動があるわよね?」
「それなんだけどね錫…。狛犬さんの話だと錫雅さんは三輪山に行こうとしてたんだよね…?」ミツは焦点をどこに合わせるでもなく怪訝な顔で呟いた。「行ってるのよ…うちの虎さん……三輪山に行ってるの…」




