八つ目の花言葉
職場である国立図書館の地下書庫で、僕はひたすら花言葉を守る家についての文献を読みふけっていた。
魔法の言葉を使う為に必要な花言葉は、全部で八つ。僕はこれまで五つの花言葉を集めた。残りは三つだが、一つだけまだ花言葉を守る家の特定ができていなかった。
既に詳細を掴んだ二つの家を先に訪れるか、それとも残り一つの家を探し当ててから行動に移すか。地下のこもった空気の中、僕は分厚い古書のページをめくりながら思案していた。
「アズーラル? また仕事あとに地下にこもっているの?」
後ろから聞こえた声に振り返ると、同僚のラナンが呆れた顔で両腕を組んでいた。ラナンの二重の瞳を見た瞬間、僕はタカマ山でのことを思い出す。
休日に登山。ラナン一人だったらまったく問題がなかったが、彼女の隣には長身の男が立っていた。
ラナンと男の関係を聞きたかったが、さり気なく世間話のついでに聞き出す話法など、僕は持ち合わせていなかった。
「······アズーラル。あなた、誰かと結婚でもするの?」
浮かない表情をしながら、ラナンは思いも寄らない質問を投げかける。僕は口を開けてポカンとする。
「な、なんのことだい? ラナン」
「······この前の山小屋で、店主の人がプロポーズがどうとかいってたでしょう?」
僕は間抜けな顔で記憶を遡り、思い出した途端に赤面する。
「あ、あれは、その。違うよ! ちょっと店主の人に人生相談をしていただけだから!」
僕が身振り手振りを交えて言い訳をしていると、手に当たった本が床に落ちた。その本をラナンが拾った時、僕の鼻腔はまた甘い香りを感じた。
「花言葉の伝承? アズーラル、あなた何を調べているの?」
本のタイトルをラナンに見られた僕は、慌てて机の上に山積みにした本を片付け始める。
「こ、個人的な興味があってね。あ、僕は本を戻して帰るよ! 今日もお疲れラナン!」
僕は台車に本を積み上げ、地下書庫から逃げ出すように出ていった。逸る気持ちそのままに、僕は仕事帰りに王都の丘の上までやってきてしまった。
丘から見下ろす夕暮れの王都は、街の光が人の営みと同じ数だけ輝いていた。僕はある木造の家の扉をノックした。
「はーい。どなた?」
扉を開けたのは、白髪の老婆だった。僕は姿勢を正し、頭を下げる。
「夜分に申しわけありません。僕、いえ私はアズーラルと申します。こちらの家で代々継承している花言葉についてお願いがあり参りました」
僕が頭を上げると、老婆の隣には黒髪の老人が立っていた。
「花言葉かい。ずいぶんと珍しい用件のお客さんじゃな」
老夫婦は互いに顔を合わせ、僕が家に入ることを了承してくれた。居間のテーブルの下には小型犬が行儀よく座っており、僕を見るなり尻尾を元気よく振っていた。
勧められた椅子にありがたく座り、僕は花言葉を求める事情を老夫婦に丁寧に説明した。
「······なるほど。求婚の為に花言葉の魔法をつかいたいとな」
老人が膝に頭を乗せた犬の頭を撫でながら頷く。
「アズーラルといったね。アズーラルは花言葉の掟と禁忌を破った罰のことを知っているのかい?」
老婆がカップにお茶を淹れながら僕に質問する。
「はい。花言葉の魔法は人の心を操ることに使用してはならない。もしその掟を破れば、花言葉を継承したあなた達から、戒めの魔法の罰を受ける。肝に銘じています」
「なるほど。すべてを知った上で花言葉を知りたいということとな」
「······花言葉の魔法で、求婚する相手に自分の気持ちを正確に知ってもらう。アズーラルは気持ちを打ち明けられた相手のことを考えたことはあるのかい?」
老婆の思いも寄らない言葉に、僕はカップを持つ手を止めてしまった。
「······相手の気持ちですか?」
「そう、相手だよ。アズーラルの心の中の想いを全部ぶつけられた相手は、果たしてどう思うかねえ」
「······め、迷惑ということでしょうか?」
「アズーラルのことを嫌う相手なら、いい迷惑だろうね。アズーラルのことを何とも思ってない相手なら、ちょっと困るだろうね。アズーラルのことを友達として思っている相手なら、断ることに罪悪感を覚えるかもしれないねえ」
老婆の一言一言が、僕の計画に絶望的な未来予測を刻み込んでいく。
「自分の想いを鏃に詰め込んで相手に射る。アズーラル、アンタはそれで満足かもしれない。でも、射られた相手の気持ちを考えたことがあるかい?」
老人のその言葉がとどめとなり、僕は思考が停止してしまう。脳裏に浮かぶのは、僕の求婚を迷惑そうに断るラナンの姿だった。




