第92話 8月22日 川の向こうまで(祐太郎)
家を出るころには、日が傾きはじめていた。
影を長くして、日の傾いた道を歩く。夏織さんの影のほうが、すこし先を行った。
道を戻る途中に、小さな雑貨屋があった。文房具と金物と菓子が、同じ棚に並んでいる店だ。狭い店先の棚に、色あせた折り紙の束が置いてある。束の一番上は、日に焼けて薄い水色になっていた。
「なあ。あれ、もういっぺん折ってくれんか」
「あれ?」
「紙飛行機。折り方、ちゃんと見たいんや」
夏織さんは折り紙の束を手に取って、すこし考えてから言った。
「……だったら、いい場所知ってますよ」
連れて行かれたのは、川音の響く石の多い河原だった。歩くたびに、足の下で石がごろごろ鳴る。夏織さんは平気な顔で先へと進んでいく。
並んで石に腰かけて、折り紙を折る。夏織さんの指は、折り目を作るたびにためらいなく動いた。
「ここを、こう。……祐太郎さん、逆です」
「どっちが上や」
「そっちが下です」
「指が太くて折りにくいんや」
「お父さんの指も太かったですよ」
少し悔しくなって集中したものの、見るからに不格好な紙飛行機になりつつあった。
「……飛べばいいんです」
「これ見てそれを言うか?」
「もしかしたらお父さんのより飛ぶかも」
夏織さんの手元で一機できあがり、俺のもなんとか形になった。
立ち上がって川に向かう。風を、頬で測った。
「せーの」
二機の紙飛行機が、同時に飛んだ。
風をつかんで、川の上で一瞬だけ並んだものの、俺の方は途中で頭から落ちて、石の上でひっくり返った。夏織さんの紙飛行機は、そのまま倍以上飛んだ。
「……川の向こうまで届きそうやな」
「もうちょっと、かな」
夏織さんが胸を張る。
「もっと飛ぶのも、折れますよ」
「そっちを教えてや」
「……内緒です」
二人で笑って、拾いに行った。
夏織さんは自分の飛行機を拾い上げて、折り目を直しはじめた。白いワンピースの背中に、夕日が当たっていた。
折り目を直す背中が、目の前にあった。
気付くと自分の手が抱きしめようと夏織さんの方へと伸びていた。
指先が届く前に、その手を止める。
手のひらを握り、ゆっくりと開いておろした。
息を、ひとつ吸う。
「河原で男の子に紙飛行機教えたん、覚えとるか?」
夏織さんがこっちへ振り向いた。
「覚えてます」
あの日も、夕方だった。河原で、夏織さんが知らない男の子としゃがみこんで、紙飛行機を折ってあげていた。折り方を教えて、手を添えて、できあがった紙飛行機が川の上をまっすぐ飛んで。男の子より先に、夏織さんが歓声を上げていた姿が目に焼き付いている。
その横顔を見たときに、もうその気持ちはあったのだと思う。
「あの時から俺、夏織さんのことが好きや」
夏織さんの瞳がじっと、俺を見ている。
俺は胸ポケットから便箋を出した。折り目が、やわらかくなっている。
「これ、読んだわ」
夏織さんの視線が便箋に落ちる。
「訊きたいことがあるんやろ」
目をそらすように小さく、うつむいた。
「……訊いたら」
「知っとる」
気付けば言葉の先を遮っていた。自分の声は、思ったより静かだった。便箋をたたんでポケットに戻す。
「返事をもらったら、終わる。……そう書いとった」
夏織さんの目に、涙がたまっていくのが見えた。
「それでも、夏織さんの訊きたいことに、ちゃんと答えたいんや」
しばらく、どちらも黙っていた。川の音のあいだに、夏織さんの息の音が聞こえる。
「なんでも答えたるから」
夏織さんの目をまっすぐ見た。
「……訊いてくれ」
石の上には、折り紙の束が置かれたままになっている。
夕日が、ひとつぶん低くなっていた。




