第67話 8月19日 あなたの答え(祐太郎)
夜になっても、部屋の温度は下がらなかった。
一昨日の夜、夏織さんを背負ってここへ運んだ。あれから俺は、この部屋をほとんど出ていない。
枕元のタライの水を、今日だけでもう何度替えたか分からない。美琴ちゃんが手ぬぐいを絞って、俺へ渡す。受け取って、夏織さんの額のものと取り替える。この手順だけが、いまの俺にできる全部だった。
畳にあった週刊誌は、太郎さんがいつのまにか片づけていた。
障子が開いて、太郎さんが弁当の包みを持って入ってきた。
ちゃぶ台に、けいちゃん弁当が三つ並ぶ。四つ目は、隅で蓋を閉じたままだった。夕方、佐和子さんが届けてくれたものだ。目を覚ましたら食べさせたって、と言っていたらしい。
「祐太郎さんも、食べないと」
美琴ちゃんが一つを、俺のほうへ押した。
「……あとでもらいます」
蓋を開ける気にはなれなかった。うちの店の味が、いまはひどく遠くに感じた。
言葉の少ないまま、太郎さんと美琴ちゃんが弁当を食べ始める。
ほとんど食べ切ったころ、美琴ちゃんが口を開いた。
「太郎さん……矢内さん、大丈夫ですかね?」
「今は東雲さんのところにいるみたいだから、大丈夫だよ」
「でも、別れ際の矢内さん……様子が変でした」
昨日の夕方の話は、俺も聞いていた。声をかけても立ち止まらず、うつむいたまま通り過ぎていったという。
「自業自得や」
畳の目を見たまま、俺は言った。
「何十年も好きやった人のことを放っておいて。……そう思いませんか」
太郎さんは湯呑みに目を落とした。
「好きな人が抱えているものを、背負いきれなかった。その弱さを責めることは、僕にはできません」
「なんで庇うんですか」
声が大きくなって、俺は夏織さんの布団を見た。まぶたは動かない。
「一つだけ、確かなのは」
太郎さんが、俺の言葉をたしなめるように言った。
「遠藤茂が朝比奈さんを手にかけなければ、誰も傷つかなかった、ということです」
立ち上がって障子に手をかける太郎さんに、聞くつもりのなかった言葉が出た。
「俺は……、どうしたらええんですか」
店の中に、少しの間沈黙が流れる。
「……僕が答えたら、それはあなたの答えじゃなくなります」
障子が静かに閉まって、太郎さんは寝室へ戻っていった。
美琴ちゃんが空いた器を盆に載せて、立ち上がる。
「明日も、朝から来ますから。ちゃんとご飯食べてくださいね」
俺を気遣う一言をかけて、そのまま店を出ていった。
部屋の中には、俺と夏織さんだけが残った。
薄明かりの下で、ガーゼの口元が上下している。息のたびに、白い布がかすかにふくらんで、沈む。
――どうしたらええんや。
答えは誰にもわからない。でも、夏織さんはまだ俺の隣にいる。
タライの水で手ぬぐいを絞り直して、額のものと取り替えた。夏織さんの眉が、ほんの少しゆるんだ気がした。
それだけで、今夜は十分だった。




