第63話 8月17日 事件の終結
令状が下りたのは、日が落ちてからだった。
遠藤のアパートは、古い木造の二階建てだった。階段の下に覆面の車が二台、明かりを消して停まっている。漣は捜査員を階段の上と下に分け、一番奥の扉の前に立った。郵便受けに、名前は出ていない。
拳で、扉を叩く。
「岐阜県警や。遠藤茂、おるな」
中で、物音がした。慌てる音ではなかった。ゆっくりと近づいてきて、鍵が回る。
扉が開いた。
サンダルを履いた遠藤が、懐中電灯の明かりの中に立っていた。奥の部屋で、テレビの明かりだけが揺れている。
「……こんな時間に、なんの用や」
漣は令状を掲げた。
「脅迫の疑いや」
遠藤は令状を最後まで読まなかった。両手をそろえて、前へ差し出す。
「手錠は、初めてやないんですわ」
差し出された手首は、夏だというのに日に焼けていなかった。
漣は何も返さない。捜査員がその腕を取り、遠藤は抵抗のないまま外廊下を連れられていく。サンダルの音だけが、夜に間延びして響いた。
アパートの表には、いつのまにか人垣ができていた。
規制線のテープの前で、長屋が住人たちを下がらせている。パジャマ姿の男が、スマホを頭の上に掲げていた。話し声はどれも低いのに、集まると一つのざわめきになって夜道に広がっていく。
その中に一人、動きの違う男がいた。
肩から提げたカメラを構えて、シャッターを切り続けている。長屋が下がるよう声をかけても、ファインダーから目を離さなかった。ストロボが焚かれるたび、連れられていく遠藤の顔が白く浮かぶ。
遠藤は、目を細めただけだった。
後部座席に頭を入れる直前、その足が一度だけ止まる。振り返った先にあるのは、二階の自分の部屋だった。捜査員に押されて、今度は止まらなかった。
護送車の扉が、閉まる。
*
遠藤の部屋は、カーテンが閉め切られていた。
鑑識の照明が入ると、昼間の熱がこもったままの部屋に古い紙の匂いが立った。
壁の一面が、浮かび上がる。新聞と雑誌の切り抜きが、隙間なく貼られていた。黄ばんで文字のかすれたものと、まだ白い新しいもの。見出しの大きさも年代もばらばらで、並んでいる名前だけが同じだった。
口裂け女。
床には、本と雑誌が積まれている。白手袋をはめた長屋が、一番上の一冊を取った。色の褪せた表紙に、『実録 口裂け女の正体』とある。
「漣さん。この部屋の本……全部、同じ題材です」
めくる指が、途中で何度か遅れた。
「古本ばっかりです。出所してから集めたんでしょうか」
「半年ちょっとでこれなら、大した執念やな」
漣は、壁の地図の前に立っていた。
岐阜市内の地図に、赤い印が一つ。場所は長良川沿い、6月に女が一人死んだあたりだった。
その横に、糊の剥がれた四角い跡がある。
「……ここに貼られとったんは、写真か」
誰にともなく、漣は言った。跡の四角は、手のひらほどの大きさだった。糊の跡だけが、まだ新しい。
台所の流しには、砥石が出しっぱなしになっていた。研ぎ直されたばかりの包丁が一本、布巾の上で乾いている。鑑識の袋に、それも収められていった。
夜が明けるころ、段ボール箱が次々と運び出されていった。切り抜きも、本も、最後に地図も。四つに畳まれて箱の一番上に載ると、赤い印は内側に折り込まれて見えなくなった。




