第62話 8月17日 46年のケリ
8月の日差しが、県警の庁舎を真上から照らしている。
玄関の前で、矢内は立ち止まったままだった。麦わら帽のつばを、両手で握っている。かたわらには太郎と美琴、それに東雲が立っていた。
「すみません。こんなお願いをして」
太郎が矢内へ頭を下げると、東雲がその肩を軽くたたいた。
「心配するなよ。何があっても、私が守り通してやる」
「東雲さん、空手四段ですもんね」
「試合より喧嘩のほうが強いぞ、私は」
美琴の合いの手に東雲が胸を張っても、矢内だけは笑わなかった。玄関の自動ドアが開いては、閉まる。出入りする人の誰も、こちらを見なかった。
「46年前から、この前を通るたびに思うとった」
矢内は帽子を脱いで、胸に当てた。
「入って、全部言うてしまおうかと」
「通り過ぎるのは、今日で終わりだ」
東雲が言った。
矢内は三人へ向き直って、深く頭を下げた。それから、自動ドアをくぐっていく。ガラスの向こうで、白髪の背中が受付の奥へ遠ざかっていった。
太郎は、その背中が見えなくなるまで動かなかった。
*
取調室の机で、矢内は両手を組んでいた。膝の上に、あの麦わら帽が戻っている。
向かいに漣が座り、壁際の机で長屋が記録を取っていた。
「電話で、おおよそのことは聞いとる。そのうえで、初めから順番に聞かせてくれ」
漣は調書を机に置いた。
「7月の中頃、遠藤茂と会うたんやったか」
「はい。商店街で、後ろから声をかけられました」
「関係はあったんか」
「大学の、二年下の後輩です」
長屋のペンが走り出す。
「46年ぶりに見る顔でした」
「用件はなんやった」
矢内は組んだ手に目を落とした。
「柳ケ瀬にある弁当屋の女の子を、誘い出してくれと」
ペンを持つ長屋の手が、一度止まった。
「断ったんか」
矢内がうなずく。
「ほんなら、あの男が」
そこで言葉が途切れた。矢内は机の木目を、じっと見ている。
「……喋ったら、次はあんたの口を裂くと」
長屋のペンの音が止まった。
「次?」
漣が聞き返すと、長い沈黙があった。冷房の低い音だけが、狭い部屋に続いている。
「……刑事さん」
矢内が顔を上げた。
「1978年の12月に、八百津から行方不明の届が出とるはずです」
「もしかして――朝比奈夏織、か」
「……憶えとる人が、まだおったんか」
資料を引き寄せて、長屋が言った。
「先週、当時の記録を確認したばかりです」
矢内は帽子を握る手に、力をこめた。つばが、指の中で折れ曲がっていく。
「わしの、恋人でした。……助けてやることが、できなんだ」
「どういうことや」
「あの日の夜、夏織は助けを求めて、わしの下宿へ来たんです。……その手を、わしは振り払ってしもた」
漣の動きが止まった。
「あの子の口を裂いたんは、遠藤です。あの男は、わしの前で、それを認めるようなことを言うた」
漣はすぐには口を開かず、組んだ両手の上でうつむく白髪頭を見ていた。
「……時効は成立しとる。もう、誰も裁けん。なんで今になって言うた」
矢内は机に、額のつくほど頭を下げた。
「それでも、言わんことには前へ進めんのですわ」
下げられた頭を、漣はしばらく見ていた。
「矢内さん。俺がやるんは、6月の犯人の逮捕や。……でも」
漣は椅子を引いて、立ち上がった。
「あんたの46年に、ちゃんとケリはつけたる」
矢内の頭が、ゆっくりと上がった。固く組まれていた両手は、いつのまにかほどけていた。
長屋のペンが、また紙の上を走り出した。
「先週、当時の記録を確認したばかりです」
矢内は帽子を握る手に、力をこめた。つばが、指の中で折れ曲がっていく。
「わしの、恋人でした。……助けてやることが、できなんだ」
「どういうことや」
「あの日の夜、夏織は助けを求めて、わしの下宿へ来たんです。……その手を、わしは振り払ってしもた」
漣の動きが止まった。
「あの子の口を裂いたんは、遠藤です。あの男は、わしの前で、それを認めるようなことを言うた」
漣はすぐには口を開かず、組んだ両手の上でうつむく白髪頭を見ていた。
「……時効は成立しとる。もう、誰も裁けん。なんで今になって言うた」
矢内は机に、額のつくほど頭を下げた。
「それでも、言わんことには前へ進めんのですわ」
下げられた頭を、漣はしばらく見ていた。
「矢内さん。俺がやるんは、6月の犯人の逮捕や。……でも」
漣は椅子を引いて、立ち上がった。
「あんたの46年に、ちゃんとケリはつけたる」
矢内の頭が、ゆっくりと上がった。固く組まれていた両手は、いつのまにかほどけていた。
長屋のペンが、また紙の上を走り出した。




