第61話 8月17日 昭和54年の箱
警察署の資料室には、窓がない。
長屋梨花は棚の奥にしゃがみ込んで、段ボール箱の埃を手のひらで払った。『昭和54年 岐阜市内一円における連続殺人事件』。マジックの太い字が、箱の色ごと褪せている。
床にあぐらをかいた漣馨が、当時の捜査資料を取り出してめくっていた。
「被害者は三人。……全員、口を裂かれて殺されてますね」
箱から抜いた一冊を開いて、長屋が言った。
「最初が2月28日、岸洋子さん。翌日に発見。二人目が4月21日、水口ゆかりさん。ここで連続殺人と認定されています。三人目が5月28日、林紀子さん。遺体の発見が6月3日で、現場で見つかった遺留品と目撃証言から遠藤茂と断定。翌日に逮捕です」
「判決は」
「昭和56年の12月、無期懲役の判決。仮釈放は……今年の1月です」
長屋は現場写真をまとめた冊子を開いて、顔をしかめてすぐに閉じた。
「手口は……、6月の事件と同じです」
「46年前のパニックが、目に浮かぶな」
漣は捜査資料を置いて、首を鳴らした。
「……口裂け女みたいな噂も広まるわけや」
「どういうことですか」
「人間にこんなことができるとは、思いたくないやろ」
「……そうですね」
長屋は写真の冊子を閉じて、箱へ戻した。
「顔、青いぞ」
「お化けの類じゃないので、大丈夫です」
声が少し上ずっていた。漣は笑わずに、次の資料へ手を伸ばす。
二人が探しているのは、『朝比奈夏織』の名前だった。三件の調書に、聞き込みの記録、参考人の一覧。当時の捜査が一度でも行方不明届に触れていれば、この箱のどこかに資料が残っているはずだった。
「ありそうか」
「こっちには、なさそうです」
長屋は調べていた調書を戻して、隣の箱を引き寄せた。
「参考人は延べ二百人を超えてますけど、朝比奈の三文字はどこにもありません。……本当に、当時見落とされていたんでしょうか」
「見落とされとったから、46年も行方不明のままなんやろ」
「そうですけど。根拠が、あの拝み屋さんの言葉だけっていうのが」
長屋は箱の縁に手をかけたまま、漣を見た。
「漣さんは、どうしてあそこまで信じられるんですか。あの人のこと」
「太郎と知り合ったのは、一年ほど前やけどな」
漣は調書から顔を上げなかった。
「何の根拠もなく調べろて言うやつやない」
「一年前に、何があったんですか」
「仕事や」
「仕事なら、記録が残ってるはずですけど」
「残っとらん仕事もあるっちゅうことや」
長屋は口を開きかけて、やめた。隣の箱の蓋を開ける。
漣のスマホが鳴ったのは、その箱が半分まで進んだころだった。
画面を見て眉を寄せ、電話に出る。
「……太郎か」
「漣さん。6月の事件のことで、証言したいという方がいます」
「証言て、なんのや」
「犯人と思われる人物に、直接会っているそうです」
漣が立ち上がった。膝の上の調書が、床へ滑り落ちる。
「……遠藤茂か」
「はい」
「今、どこにおる」
「署の、玄関前です」
漣は電話を切って、床の調書を箱へ戻した。
「行くぞ」
「え……どこへですか」
「玄関や。6月の事件、引っ張れるかもしれんぞ」
長屋が調書の束を抱えたまま、慌てて立ち上がる。蛍光灯の下に、昭和54年の箱だけが残された。




