↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
50/96

第50話 8月7日 巻き戻った夜

 夜の柳ケ瀬商店街の上を、白いものが渡ってくる。


 アーケードの明かりを越え、軒の連なりを越え、一枚のヒトガタが音もなく降りていく。通りのつきあたりの、灯りをともした一軒へ。


 柳ケ瀬庵には、二人の客がいた。

 口元に濡れ手ぬぐいを当てた夏織と、その隣に祐太郎が座っている。

 太郎のかたわらには1979年の新聞が開いてあった。

 『口裂け女の噂 児童らに広がる』という見出しが、電球の灯りに照らされている。


「口裂け女って……。そんなんただの都市伝説やろ!」


 祐太郎の声が静かだった柳ケ瀬庵に大きく響いた。


「都市伝説は、ただの作り話ではありません」


 太郎は湯呑みを、音もなく畳に置く。


「過去の凄惨な事件、当事者の無念、人々の恐怖の噂。それらが混ざり合った時、物理的な呪いとして現れることがあります」


 手ぬぐいの下で、夏織の口がゆっくりと動いた。


「呪いは、解けるんですか」


 夏織がまっすぐに太郎を見据えて尋ねた。

 太郎はすぐには答えず、指を一本、立てた。


「一つ、約束してください」

「これから何を見ても、恐れないこと」

「恐れない?」

「恐怖は、呪いを深めてしまいますから」


 夏織と祐太郎が顔を見合わせる。それから、同時にうなずいた。

 張りつめていた空気がわずかに緩んで、太郎が口をひらきかけた。


 その時、太郎の頭の上を人の形に折られた白い紙が横切った。

 ヒトガタが舞い降りてきて、太郎の手のひらに静かに乗った。

 夏織が顔を上げる。


「あの、それは?」

「すみません。少しだけ」


 太郎はヒトガタを懐へ入れ、立ち上がった。畳を横切って、土間へ下りる。明かりの届かない場所で、懐からヒトガタを取り出した。


 未来の自分から、過去の自分への伝言を送る六壬神課(りくじんしんか)最後の術、『初伝回帰(しょでんかいき)』。


 取り返しのつかない未来が、この先にあったという証でもあった。

 太郎はヒトガタを額へ当てて、目を閉じる。

 閉じた瞼の裏で、何かが割れるような衝撃が来た。

 太郎の膝から力が抜けて、崩れ落ちる。


「太郎さん!」


 物音を聞きつけた祐太郎が下りてくる。土間に膝をつき、慌てて太郎へと肩を貸した。そのすぐあとに続いて、夏織も顔を出す。

 太郎は息も絶え絶えに土間の隅の電話を指さした。


「……電話を」

「電話?」

「昼間の、女の子に。……来栖美琴に、連絡してください」


 言い終えたところで、意識が途切れた。


 土間の板の間に、祐太郎は太郎を寝かせた。

 夏織が座布団を取ってきて、頭の下に敷く。呼吸はある。額に汗が浮いていた。声をかけても、返ってこない。


「……電話、て」


 土間の隅に、黒い固定電話がある。その横の壁に、墨で書かれた表が掛かっていた。名前と番号が、几帳面に並んでいる。


 祐太郎は指で、上から順に追った。

 同業らしい屋号。寺の名。仕入れ先。そのいちばん下のほうに、来栖美琴の名前があった。

 受話器を上げて、番号を回す。

 三度目の呼び出しでつながった。


「はい、美琴です」

「あの、俺、石橋祐太郎いいます。柳ケ瀬庵の……太郎さんが、倒れて」


 自分の声が、思ったより大きく出た。

 向こうで息をのむ気配がして、椅子の鳴る音がした。


「太郎さんの意識はありますか」

「……呼んでも、返事せんくて」

「何か変わったことはありましたか」

「なんか妙な白い紙が飛んできて、それを手に取ってどっかに行ったと思ったら……」

「わかりました、10分で行きます」


 電話はそれきり切れた。

 何があったのかを、あの子は一度も聞かなかった。そのことが、いまはありがたかった。


 *


 太郎が目を開けると、そこには店内の天井があった。


 畳に寝かされている。額には、濡れた手ぬぐいがのっていた。


「気がつきましたか」


 枕元に、美琴が正座していた。セーラー服のまま、盆を膝の脇に置いている。


「夏織さんと祐太郎さんには帰ってもらいました。依頼は受けておきましたが、良かったですよね?」

「……ああ、大丈夫」


 声が掠れて出た。

 柱の時計を見る。針は、夜10時前を指していた。倒れてから、それほどたってはいない。


「なんて説明したの」

「こういうことは、たまにありますって」


 美琴は盆の湯呑みを持ち直した。


「初伝回帰……、ですよね」


 美琴の声が、少し鋭くなる。

 太郎は半身を起こし、懐からヒトガタを出した。膝の上で、ゆっくりとひらいていく。折り目が戻るたび、白い紙に墨の線が現れた。

 自分の筆跡だった。


 『矢内明義老人保護』


 八文字が、明かりに照らされている。未来の太郎が、すべてを引き換えにして届けた言葉だった。


「矢内明義って、誰ですか」

「わからない。……でも、探さないと」


 太郎は土間の電話へ目をやった。

 夜の柳ケ瀬で、人ひとりを今夜のうちに探し出して守れる相手。心当たりは、一人しかいなかった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。