第40話 8月21日 一人にはさせない
太郎が高架下から戻るまで、柳ケ瀬庵の時間は止まったままだった。
昼前の柳ケ瀬庵に、湯呑みが二つ並んでいる。
どちらも、口をつけられないまま冷めていた。
美琴は、太郎が何か手がかりをつかんでくるかもしれないと言って祐太郎を引き留め、無理にでも休ませようとしていた。夏織が飛び出したあと、明け方まで街を歩き回り、戻ってきてから一睡もしていない。沈黙の時間が二人の間で流れていた。
ふいに戸が開く音がして、美琴が腰を浮かせる。
「太郎さん」
太郎は「ただいま」と言って、懐から証拠品の袋を出した。白い布と赤い刺繍が、袋ごしに見えている。昨日の夕方まで、夏織が持っていたハンカチだ。
「ハンカチについていた血は、矢内明義さんのもので間違いないそうです」
もたらされた手掛かりは最悪の予想だった。
占事で視えたものが鑑識によって裏づけられた。ただそれだけのことだ。祐太郎がそう自分に言い聞かせても、胸の重さは少しも軽くならなかった。
「……遠藤は」
祐太郎が太郎へ、顔を向けずに尋ねる。
「今朝、高架下で遺体となって見つかりました」
手口に関して、太郎は口にしなかった。
祐太郎が膝の上に置いた手を握り締める。
犯人を確かめる前に、祐太郎は立ち上がっていた。
「祐太郎さん」
とっさに美琴が祐太郎の名前を呼ぶ。
「もう一度探してきます」
「一人じゃ危ないです!」
美琴の声が、追いすがる。
祐太郎は、戸口で足を止めた。振り返らない。
「あの人が人を殺したんは、もうええんです」
夜通し考えたうえで、覚悟を決めた声だった。祐太郎が戸に手をかける。
「ただ、一人にはさせたないんです」
祐太郎の覚悟の深さとは裏腹に、静かに戸が閉まる。
引き留められなかった美琴は、悔しさでうつむいた。
「呪いを解こうとして、事件を追って」
畳の上の地図。冷めた湯呑み。証拠品の袋。
「行き着いた犯人が、夏織さんだったなんて」
小さく震えながら美琴は、言葉を口にした。その目から、涙がこぼれる。
太郎は袋からハンカチを出した。
三つの染みの残った布を、美琴へ差し出す。
「みこちゃん。まだ終わってないよ」
まだ事件は終わっていない。太郎はそう言い聞かせるように、やさしく美琴へ声をかけた。
美琴は目元をぬぐうと、ハンカチを左手に握りこんで、ポケットからペンデュラムを取り出した。
「……やってみます」
振り子の先が、地図の上で揺れ始める。
持ち主の居場所をたどる、美琴の得意としているダウジング術。夏織があれだけ大切にしていたからこそ、そのハンカチと夏織自身はつながっているはずだった。
太郎はちゃぶ台に、分厚い紙の束を置いた。
表紙には『供述調書』、と印字されている。
漣が持たせてくれた、遠藤茂の言葉のすべてだった。このどこかに、呪いを解くための糸口がある。太郎はそう信じて、最初のページを開いた。
「あの人が人を殺したんは、もうええんです」
夜通し考えたうえで、覚悟を決めた声だった。祐太郎が戸に手をかける。
「ただ、一人にはさせたないんです」
祐太郎の覚悟の深さとは裏腹に、静かに戸が閉まる。
引き留められなかった美琴は、悔しさでうつむいた。
「呪いを解こうとして、事件を追って」
畳の上の地図。冷めた湯呑み。証拠品の袋。
「行き着いた犯人が、夏織さんだったなんて」
小さく震えながら美琴は、言葉を口にした。その目から、涙がこぼれる。
太郎は袋からハンカチを出した。
三つの染みの残った布を、美琴へ差し出す。
「みこちゃん。まだ終わってないよ」
まだ事件は終わっていない。太郎はそう言い聞かせるように、やさしく美琴へ声をかけた。
美琴は目元をぬぐうと、ハンカチを左手に握りこんで、ポケットからペンデュラムを取り出した。
「……やってみます」
振り子の先が、地図の上で揺れ始める。
持ち主の居場所をたどる、美琴の得意としているダウジング術。夏織があれだけ大切にしていたからこそ、そのハンカチと夏織自身はつながっているはずだった。
太郎はちゃぶ台に、分厚い紙の束を置いた。
表紙には『供述調書』、と印字されている。
漣が持たせてくれた、遠藤茂の言葉のすべてだった。このどこかに、呪いを解くための糸口がある。太郎はそう信じて、最初のページを開いた。
紙の上でも、遠藤はよく話す男だった。
長屋の筆記は正確で、取調室の言葉が鮮明に並んでいる。読み進めるうちに、太郎の指が途中で止まった。
噂を撒いて歩いたことを、遠藤は問われるまま認めていた。出所してから、子どもの集まる場所で、店先で、口裂け女の話を少しずつ広めて歩いたという。ここに語られているのは殺しの自白ではなく、まさに呪いの根源だった。
「どうですか?」
ペンデュラムを揺らしたまま、美琴が顔を上げて尋ねる。
「口裂け女の呪いの根源は遠藤茂で間違いなさそうだよ。呪いは、人の想いを糧にするから」
「想い、ですか」
「46年間、遠藤は口裂け女だけを考えて生きてきたみたいだ」
美琴の顔が、こわばった。
「じゃあ、あの人が逮捕されたとしても」
「おそらく、それだけじゃ呪いは解けない」
美琴は湯呑みへ目を落として、それきり何も言わなかった。ペンデュラムだけがまた揺れ始める。
太郎は調書の束に手を置いた。
ページをめくる途中で、もう一行目に留まった箇所がある。
遠藤と矢内明義は、同じ大学に通っていた。
取調べで漣が口にした二人の関係が、記録の中に一行で載っている。
太郎はページの角を、小さく折った。




