↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/23

第19話 8月13日 袖の中

 夜更けの柳ケ瀬庵に、土間から電話の音が鳴った。鳴りはじめの一音で、太郎は帳面から顔を上げる。


 机には、開いたままの帳面と古い郷土誌が積まれている。付箋は、46年前のページばかりに増えていた。

 深夜の電話が良い報せだったことは、一度もなかった。

 太郎は嫌な予感を振り払うことができないまま受話器を取った。


「太郎。三件目が出た」


 (さざなみ)の声は、低かった。


「……手口は?」

「同じや。明日の朝、現場来れるか? 人払いはしとく」

「わかりました」


 人払い、の一言に、漣の腹の決まり方が出ていた。刑事が得体のしれない拝み屋を現場に入れる。書類にできないことをわかりながら、それでも漣はすがった。


「お前にしか見えんもんが、あるはずや」

「……ええ」

「今度は若い女や。二十歳そこそこやと」


 その口調に怒りがにじんでいる。


「頼むわ。これ以上はもうやらせん」


 受話器の置かれる音が、深夜の土間に小さく響いた。


 部屋に戻った太郎は再び整理した資料に目を落とす。

 鏡。矢内明義。日付。並んだ字は、まだ互いにつながらない。

 その下に、今夜の日付だけを書き足した。


 祐太郎が夏織を背負って駆け込んできたのは、ゆうべ、日付の変わる少し前だった。土間に膝をついた祐太郎の背中で、夏織は目を閉じており、マスクは、血で重くなっていた。


 太郎にできる手当てをひと通り施したものの、眠りにつくまでには長くかかった。眠る間際に一度だけ、ごめんなさい、と夏織は言った。


 それきり、目を覚まさない。

 太郎が立ち上がって、奥の間の襖を音を立てずに引く。


 畳の上に、布団が一組敷かれていた。豆電球のあかりだけが、天井の隅で灯っている。

 夏織が、眠っている。疲れや不安もあったのだろう。眠りは深いらしかった。


 口元には、白いガーゼが当てられている。その真ん中に、赤い染みがにじんでいた。さっき取り替えたときよりも、また少し広がっている。熱はなく、脈も乱れてはいない。それなのに口元の傷だけが、静かに広がっていく。


 枕元に、祐太郎が座っていた。

 帰るように言っても、動かない。途中で一度だけ、祐太郎は太郎に深く頭を下げた。すみませんでも、お願いしますでもない、ただの深い辞儀だった。


「祐太郎さん。少し休んでください」

「……休んどります」

「ならせめて横になってください」


言いながら太郎は座布団を二枚押し入れから出し、祐太郎へ渡す。


「一つだけ、訊いてもええですか」

「なんですか?」

「この人が誰かから呪いを受けるような人には思えやんのです。なのに、なんで……」


 太郎は答えを探したが、返せる言葉はまだ持っていなかった。


「僕にも、まだわかりません」


沈黙が二人の間に流れる。だけど、と言って太郎は襖に手をかける。


「依頼を受けた以上、夏織さんの呪いは解いて見せます」


 祐太郎はそれきり黙って、また枕元へ向き直った。

 漣からの電話の内容を、太郎はまだ伝えていない。恐れないことを約束させた口で、恐れの種を運ぶことになる。


 依頼を受けてから、まだ6日。ガーゼは二度血に染まったにもかかわらず、まだ手がかりすらつかめていないのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。