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忘却と暴力

被ると姿が消える魔法のマント。


ハリーポッターの映画で見て以来、ぜひ欲しいと思っていた一品だ。


そんな物があるなら、現代日本では無敵だと思った。

女風呂に忍び込もうが、デパ地下の試食を無尽蔵に食らいつくそうが、一向に気にすることは無いのだから。


もちろん、チートな邪神だった頃であれば欲しいなどとは思わなかったはずだ。あの頃は指先ひとつでこの世の全てを動かしていたのだから。


「覚悟しやがれ!このくそアマ」


馬原がビスコに向かって叫んでいる。


俺はさっと魔法のマントを被ると、傍らのチューテツを見た。

本当に姿が消えたかどうか、確かめたかったからだ。


だがチューテツは俺の方を見ていなかった。馬原とビスコの方を、食い入るように見ている。


「おい、チューテツさん」


俺は呼びかけた。そしてチューテツの呆けたような顔がこちらを向き、しかしその瞳に何も映っていないことを確かめた瞬間、何をすべきか決まった。


魔法は効いている。


「……あれ?ソータロー?」


姿を消した俺を探すチューテツの間抜けな声が空虚に響く。


俺は足を踏み出した。ビスコに向かって暴力を振るおうとする馬原のもとへと。


「大人しくしねーと犯すぞこのガキが!」


「うっせーよDQNが!未成年に手ぇ出したらどーなるか分かってんだろーな!」


「てめえ……!まじでひん剥いてやる」


馬原がくわっと目を見開いて、ビスコに掴みかかろうとしたその瞬間だ。俺は男の膝裏を狙って、踏み抜くような蹴りを繰り出した。

軍隊格闘技などで用いられる関節蹴りの応用で、エグい蹴り技だ。


馬原の膝関節がヤバい角度に曲がった。


俺はやってしまった後で激しく後悔した。鶏の軟骨揚げを奥歯で噛んだ時のような、ゴリッという変な感触が足裏から伝わって来たからだ。


馬原は悲鳴を上げながら悶絶する。さすがにエグ過ぎる一撃だった。


「どうしたぁっ!馬原ぁっ!」

猪狩が眦を吊り上げて大声を発する。


「膝が……膝が……」


馬原はよたよたとふらつくと、そのまま前に倒れ込みそうになって、思わず手近にあったものをわし掴みにした。


ビスコの巨乳だ。


「ぎゃあーーーー!」


女子高生の絶叫が辺りに響き渡る。

だが膝をぶっ壊された馬原は悶絶したまま自力で立てず、ゾンビみたいにビスコの胸をわしづかみにしたまま、膝が、膝がと喚いている。


傍らでは猪狩が「どうしたぁっ!」と喚き続けており、その騒ぎに近所の人たちが何事かとワラワラと集まってきた。


まさしく、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。


ビスコが痴漢、痴漢と喚きたてるので誰かが通報したのだろうか、遠くからパトカーのサイレンの音まで聞こえる。


状況を見てやばいと思ったのだろう、猪狩が馬原を巨乳から引き剥がすと、肩を貸しながら退散して行った。俺は集まってきた野次馬の中に紛れながら、そっと魔法のマントを脱ぐ。


「何が起きたんや……」


チューテツはポストに隠れたまま、呆然とそうつぶやいた。

無理もない。目の前でいきなり馬原がコケてビスコの巨乳をわしづかみにし、そのまま悶絶したのだから。


「正義の鉄槌が下ったんだよ、チューテツさん」


俺が言うと、チューテツはぽかんとした表情をこちらに向け、黙って頷いた。







※※





「最上のおっさん、大丈夫か!」

チューテツはそう言うと、すまいるランドから出てきた小柄な男性のもとへ駆け寄った。鶏ガラのように痩せてボロボロのエプロンを付けたその人物に、俺は見覚えがあった。すまいるランドの店長だ。いつもモゴモゴと喋るせいで、基本何を言っているのか分からない。


「おお……チューテツ¢£%#&□△◆■!?」


「そうかそうか、それは良かった」


俺は首を傾げた。

何を言っているのかまるで聞き取れなかったからだ。

チューテツに身を寄せて囁く。


「ねえ、店長と何を話してるの?」


「アホ、店長は無事やと答えたんやないか」


「ああ……聞き取れなかったもんで。あれ?でもそういえば多古組の奴らに骨をへし折られたんじゃなかったっけ?」


「おお、そうやったな。最上のおっさん、多古組の奴らが骨をへし折ったとか言うてたけど大丈夫か?」


「……ああ、それは¢£%#&□△◆■!?」


「なるほどなぁ……」


「えっ?今何て言ったの?」


「お前はホンマ耳が悪いな。骨を折られたんは店長やない、凧や」


「凧?」


「そうや。多古組の連中がぶち折ったのは、最上のおっさんの郷里、青森の伝統工芸品である津軽凧の骨や。青森県産のヒバの柾目で作られた全長二メートル近い大物で、五年前に県知事賞を受賞したんや。作ったのは去年亡くなったおっさんの幼馴染の北畠さん。そんな思い出の品を壊すとは、多古組もえげつないで……」


「え?今の短いセンテンスにそんだけの情報量が詰まってたの?」


「ソータロー、店の中を片付けるのを手伝えや」


言うと、チューテツさんは店の中にズカズカと入っていった。俺もその後を追う。


店内にうず高く積み上げられたプロモデルの箱。万が一触れればバランスを崩し、崩壊するに違いない。俺は決してそれには触れないよう、息を潜めて店内を進む。


「ねえ、最初っからこんな有様なんだから、店の中を片付けるも何も無くない?」


チューーテツは俺の言葉を無視し、傍らに積まれたプラモデルの箱を検分している。


「くそ、とんでもない暴挙やで」


山の中からそっと一つの箱を引き抜いた。俺は雪崩が起きるのではと一瞬、身構えたが、何とか持ちこたえた。


まるでジェンガだ。


「目玉商品のガンプラを下の方に押し込めて、目に付く場所を全部“風物詩シリーズ 1/25 おでん屋台キット”にすげ変えてるで。えげつない」


「それ……多古組の仕業じゃなくね?」


俺は呆れたように言った。そんなマニアックな嫌がらせを、赤いジャケットのDQNが思いつくはずがないからだ。


その時、店の入り口にビスコが顔を出した。


「ちょっと、お客さんたち。警察とか来てゴタゴタしてるから、今はお店に入らないでくれる」


俺はビスコの方を向いた。


「おいおいビスコ、そんな言い方はないだろ。そもそも俺のおかげで助かったんだし、礼の一つも言うのが筋ってもんだろうよ」


ビスコがぽかんと口を開けた。

俺の隣で、チューテツさんもあんぐりと口を開けている。まるで悪夢の町インスマスに現われるという半漁人みたいだ。


俺は肩をすくめる。


「おいおいビスコ、どうしたんだよ。まるで俺のことを知らないみたいなリアクションはやめてくれ」


ビスコはゆっくりと口を閉じると、一度頭をポリポリとかいた。

そして何かを一生懸命考えるような表情を見せた後で、言った。


「……えっと……あんたさ、誰?」






※※





「おまえの強引さには呆れたわ」


そう言うと、チューテツは店員が差し出したコップの水をガブリと飲んだ。


「おっそろしく馴れ馴れしい口調やったもんな。ビスコちゃんびっくりしてたで」

俺は無言で目の前に置かれた食券を見つめている。


「牛めし並盛、お待たせデース」


カタコトの日本語とともに、俺の前にどんぶりが置かれた。俺は黙って箸を取り出すと、紅しょうがを添えることも無く牛めしを食べ進める。


「ソーターロー、ついに妄想と現実の区別がつかなくなったんやな……。俺たちはすまいるランドに通う常連やが、あそこの娘の最上ビスコとは何の接触もないんやで。遠くから見て、可愛い巨乳の女子高生やと憧れていただけなんや」


目の前に肉カルビ定食が置かれたので、チューテツはパチンと手を叩いてわしわしと食べ始める。

「やっぱり、カルビにはバーベキューソースが合うな」


俺は無言で箸を運びながら、何が起きているのかを必死に考えていた。


すまいるランドで会ったビスコは俺のことを知らないと言った。それが嘘や演技でないことは態度から明らかだ。


時空を超えたことで、何か変化が起きたのだろうか?


あるいは、ここは所謂パラレルワールドという奴で、時空を超えた拍子に、俺とビスコが出会っていないもう一つの世界に迷い込んでしまったのだろうか。


そこまで考えた俺は、もう一つの仮説に思い至った。


想像するだに、背筋が寒くなるような話だ。


すなわち、ヴィシュラ王国で体験したと思ったことが全て夢か幻想で、今の俺、無職童貞高卒ニートである高坂ソータローこそが現実なのではないかということ。


つまり、かつてチートな邪神だったという記憶すら、俺の妄想に過ぎないのではないか。


チートではなく、本当にニートなのではないか。


俺は箸をカランと取り落とした。


この事実を確かめようが無いことに気付いたからだ。


一緒にヴィシュラ王国に渡ったのはビスコだけであり、そのビスコが俺のことを知らないと言うのだから、俺の記憶を裏付けてくれる人は一人もいない。


俺は絶望的な気持ちで牛めしをにらみつけた。箸はまったく進まなくなった。


「おい、ソータロー」


肉カルビ定食をペロリと平らげたチューテツが俺の方を見ている。


「俺がせっかく奢ってやったんやから、残すなよ。もったいない」


「あ……ごめん」


俺はそう言って無理やり牛めしを詰め込み始めた。そうだった。牛丼屋に入ったはいいものの、俺は一円も持っておらずチューテツに牛めしをごちそうになったのだ。


そう、唯一持っていた所持金138円は、悪徳商人のエムベブに巻き上げられたから。


そこまで考えた俺は顔を上げた。


「そうか、やっぱり俺は時空を超えたんだ」


さっき馬原を撃退した時に使った魔法のマントもそうだった。俺がチートな邪神であったことを裏付ける証拠の片鱗がいくつか残されている。


「チューテツさん、スマホ貸してくれないか?」


「何に使うのや。ほれ」


俺はネットで検索を始めた。この状況を整理するためには、情報を持っている人物に会う必要がある。その相手の所在を探すためには、ネットの情報が頼りだった。


「あったぞ。今週末、TYUTAYA川崎店か……」


独り言をつぶやく俺の手元を、チューテツが覗きこむ。


「何や、何を探してるんやソータロー。なになに、佐古エミルのサイン会……やて?」


俺はゆっくりと頷いて、こぶしを握り締めた。





つづく

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