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バビロンシステム

チューテツが脂汗を流している。

顔面が蒼白で、微かに痙攣も起こしていた。

まるで、真夏に常温放置したレバ刺で食当たりを起こしたみたいな、ひどい有様だ。


「落ち着きなよ」


俺は少々呆れてそう言った。

とは言うものの、これから起きるであろう出来事を想像すると、高坂ソータローの体だけでなく、チートな邪神であるはずの俺の心もドキドキしてくる。


「あかん、これはあかん。三次元のエロスは暴力や」


俺の隣に座ったチューテツは、握りしめた拳を膝に置き、まったく顔を上げられないでいた。


「あ、おにーさん」


声がした。顔を上げると、日に焼けて金のチェーンのネックレスとサングラスの男が、カーテンの隙間から顔を出している。


「準備できたから、入っていーよ」


俺はこくりと頷いた。


「あかん、ドキがムネムネする」


チューテツの話は聞いていなかった。

俺には確かめなくてはいけないことがある。このままニートな童貞で朽ち果てるわけにはいかない。なぜなら俺はチートな邪神であったはずなのだから。


この、どぎついピンク色のカーテンの向こうに待っているものがある。


真実の答えと、そして、

おっぱいが待っているはずだった。




※※




二時間ほど前のことだ。


電車を乗り継いでTYUTAYA川崎店に訪れた俺たちは、店舗の奥に黒山の人だかりができているのを見つけた。


「あ、あれやなソータロー」


「うん、間違いない」


その人だかりは、レンタルビデオ店の一角とは思えない異様なオーラを放っていた。

普通、あれだけ人が集まっていれば、付近の人が何事かと覗きに行きそうなものだが、誰も近づこうとしない。

間違って近くに寄った若いママが、そのオーラに驚いて、子供を抱きかかえるようにして走り去った。


「……凄まじい負のオーラだな」


「ああ、負のオーラや」


俺は若いママが落とした“乾パンマン”のDVDを棚へ戻すと、その人だかりへと近づいた。


すえたような匂いが鼻をつく。

しばらく洗っていない服の臭い。他人と接する必要の無い人間に特有の臭いだ。


思えばチューテツからも同じような臭いが漂っていたが、この場所に充満する臭いは桁が違った。


圧倒的な人数。

そして熱気。

立ち上る異臭。


「くそ、バイオハザードが起きてる。防護服が必要だぜ……」


俺は鼻をつまみながら、人だかりが作る列に並ぼうとした。


その時。


「あ、ちょっとおにーさん」


壁際に立っていた、日に焼けて金のチェーンのネックレスとサングラスをした男が、俺の腕を掴んだ。

耳元に顔を近づけて、そっと囁く。


「……例のブツ、持ってる?」


「えっ!?」


俺は焦った。男は六本木辺りをうろつくヤクの売人にしか見えない。


「例のブツって……もしかしておクスリのこと?」


「誰がおクスリだよ。違うよ、これだよ」


男は傍らに貼ってあるポスターを指さした。


“みんなのアイドル、さこえみ来店!サイン&握手会”と書かれたポスターの右下に、握手するには、新作DVDを買う必要があると書かれていた。


「さこえみと会いたければ、DVD買わないとだめだよ」

男がニヤリと笑う。


「さこえみ?」

俺は一瞬何のことか分からなかったが、理解した。

「そうか、佐古エミル略してさこえみか……って一文字しか略してねーけどな」


「おにーさんは買ったの?DVD」


男はサングラスを外すと、青いカラコンを入れた目で俺を睨みながらぐいぐいと近づいてくる。


「たまにいるんだよね。DVDも買わないでサイン会に来て、あわよくばエロいことだけしてもらおうって魂胆のキモい奴らが」


どうやら男はAV女優である佐古エミルの事務所関係者の人間のようだった。

ドブを這いずり回る地虫でも眺めるような冷徹な目で、こちらを見ている。


だが俺は目を見開いた。

男の言葉が引っかかっていたからだ。


「えっ……エロいこと……だって?」


思わず上ずった声が出る。


男は無言でポスターを指差した。よく見ると、右下のさらに下に注釈がある。


「DVD一枚で握手と記念撮影、DVD二枚でハグと記念撮影、そしてDVDを三枚買うと、、、個室で一分トーク&お楽しみ抽選会……」


俺は足がガクガクと震え出すのを感じた。

お楽しみ抽選会……だと?


だが俺の様子を察したチューテツが、素早く肩をつかむ。


「待て、ソータロー、我に返るんや。これまでの人生で“お楽しみ”と銘打たれてる物が、本当にお楽しみだったことはあるか?町内会の福引しかり、幼稚園のお遊戯しかり……」


「いや、チューテツさん。これはそういうのとは違う。何と言っても相手のスペックはR18なんだ。地上派で流すことが禁じられているレベルなんだ。そんな佐古エミルがお楽しみだと言うんだから、それはもちろん……」


俺は壁際でニヤける日焼け男を見やった。男はうんうんと頷くと、親指をぐいと立てて見せた。


「……ポロリも、あるよ」


「ポ!ポロリ!」


屠殺される直前の豚のような声を出したのは、チューテツだった。

日焼け男はぐいと顔を近づけると、チューテツの耳もとで囁く。


「それどころか、生タッチもある」


「なななな……」


チューテツがブルブルと震え出した。世間との接触を断って、ゲームと美少女アニメだけで構成される世界を過ごしてきたチューテツにとって、三次元のエロスは刺激が強すぎるのだ。

寄り目になってフラつくチューテツは、脳内麻薬(エンドルフィン)が過剰分泌されている症状を起こしていた。


「もちろん、抽選会だからハズレもある。だけどエミルはサービス精神旺盛だから、満足させてくれることは請け負うぜ」


そう言うと男はポスターをバンと叩いた。


「抽選会への参加権は、DVD三枚だ」


俺はギラリとした目で男の方を睨む。

「くそ……こんなところにも集金システムが蔓延ってるのか。まったく、現代日本ってやつは隅から隅までバビロンシステムに支配されているな」


「それで、どーすんの?おにーさん」


挑戦的な目つきだった。

上等だ、チートな邪神である俺様に向かって。


俺は腕を組むと、チューテツに目配せした。


「よし、頼んだぜチューテツさん」


「えっ?何なに?どうしたんやソータロー君」


チューテツは展開について来られず、目を白黒させている。


「いや、だから。DVDを買う必要があるんすよ」


「買えばええやないか」


「一枚二九八〇円っす」


腕を組んだまま微動だにしない俺を見たチューテツは、その意味を理解して肩を落とした。


「俺に払えって言いたいんか」


「だって俺、無一文ですよ?ここに来るまでの電車賃だって、チューテツさんに借りてるんすよ?払えるわけないじゃないですか」


チューテツが泣き出しそうな顔で財布を取り出した。マジックテープをバリバリと剥すと、三千円を俺に押し付ける。


「ほら、これで買うたらええがな。ホンマは今期のアニメのBlue-rayBOXを買うための軍資金なんやがな」


金を受け取った俺は、悲しげな顔でかぶりを振った。


「これじゃ駄目なんだ、チューテツさん」


「どういう意味や」


俺は再度ポスターを指さした。


「……三枚、必要なんだ」


チューテツは驚きと怒りがない交ぜになった表情を見せた。


「おっ、お前と言う奴はっっ!!」


言いながら財布の中から、しわくちゃになった一万円札を取り出す。


「来月発売になる“オール・アウト4”だけが俺の心の支えだったのに……」


「大丈夫、ダウンロード版なら2000円安いから」


俺はチューテツの肩を叩くと、今一度ポスターの方に目をやった。


“お楽しみ抽選会”という文字が目に焼き付いて離れなかった。




※※




二時間後。


「いったい、何を思ってこんな所に来たんですか?(あるじ)


エミルの冷たい視線を浴びて、俺はいたたまれなくなった。


左手に持ったキュウリを、そっと背中の後ろに隠す。


俺のその様子に、エミルは再び首を傾げた。

前にあった時は化粧っ気のないシンプルないでたちだったが、今日はサイン会ということもあって妖艶に着飾っていて、メイクも大人っぽい。


真っ赤な口紅がひかれた唇が開き、エミルの呆れたような声が漏れ出た。


「全宇宙を統べる唯一絶対の破壊神である邪神オーが、こんな所で何をやってるんですかと聞いているんです。しかも、パンツ一丁で」


俺は自分の裸体を見下ろした。

エミルが言うように、緑のブリーフを履いているだけであとは素っ裸だ。その代わりに全身を緑色のペインティングで塗っている。


「……コスプレをしろって、お前のマネージャーに言われたからだ」


俺は右手に持った抽選券を掲げて見せた。


「お楽しみ抽選会で一等が当たったんだ。DVDの作品内に出てくるキャラクターにコスプレして、さこえみとツーショット記念撮影。個室で十五分間のフリータイム……だって」


「それで、わざわざ河童を選んだんですか?他にもキャラクターはいたと思いますが……」


「後は落ち武者と、メキシコ人と、聖徳太子だった。だけどどれも衣装が大きすぎてサイズが合わなかったんだ。つか、何なのこのAV。どういう設定なの」


「ストーリーを説明すると長くなるのですが……」


「じゃあいいよ、十五分しかない。手短に話をさせてくれ」


「もしかして(あるじ)、私と話をするためにお楽しみ抽選会に参加したんですか?」


「当たり前だろ!?AV女優であるお前と直接会って話すには、これしかないと思ったんだよ」


エミルはゆっくりと頷いた。


「確かに、今の(あるじ)が私の周りをウロついていると、キモオタのストーカー扱いされて、マネージャーにボコられかねないですね。……それで、話とは何ですか?」


「蒼の騎士団が俺に仕掛けた、時空の罠についてだ。話は少し長くなるが……」


俺はエミルにヴィシュラ王国であったことを説明し始めた。

かつて自分が制覇した魔法の王国。自分を賞金首としたアンゴルモア・チャレンジ(カップ)、解除するためには王族の協力が必要で、象牙の塔の王妃に会いに行ったこと。

そして現代日本に戻ってきたのだが、共に旅をした最上ビスコにその記憶が無いこと。

もっと言えば、そもそも俺との記憶が無くなっている。


つまり、過去が改変されているのだと言う事。


「それは、当然の結末ですね」


俺の話を受け止めたエミルは、さらりと言った。


「何だって?」


(あるじ)、時空の概念について少し説明していいですか?この宇宙を構成する原理について」


「その話、難しいのか?高坂ソータローの脳みそで理解できる?」


「……少し説明に時間がかかるも知れませんね。この世界の科学知識では解明されていない理論なので」


俺は部屋の片隅に置かれた時計をチラリと見た。


「じゃあ、端折って説明してくれ。後三分しかないんだ」


「そうですか。この理論が分かれば人間の寿命は三百年に伸び、民主主義に代わる新たな政治のシステムが生まれ、ソニー製品が三年で壊れることはなくなるのですが……」


「時間が無いんだ」


「では、時間を止めましょう」


「えっ?」


エミルがパチリと指を鳴らし、時間を止めた。


「えっ?えっ?これマジなの?本当に時間止まってるの?」


辺りは静まり返り、時計の秒針はピクリともしない。


「時間を止めるのは私の得意技ですよ、(あるじ)


「まじかよ。最強クラスの幽体波紋(スタンド)にしかできないのかと思ってた。ん?もしかしてさ……」


俺は思うところがあってエミルを見た。気持ちを察したのか、エミルは深く頷く。


「時間を止めるAVのシリーズのことですね。はい、あの企画のいくつかは私が関わって時間を止めています」


「すげー!」


「それでは(あるじ)、時空の概念について説明いたします」


そう言うと、エミルは滔々と説明を始めた。





つづく

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