後編
騎士は真剣だった。それを証明するかのように真顔であり、表情を消していると際立つ美貌は怜悧にすら見える。
「憧れの、深き森の魔女の魔法……」
なのに真顔でつぶやくのはそんな言葉。
「この身に受けてみたい!」
それからくわっと目を見開いた。ガンギマリだった。
美貌がどこかに逃げ出した。
「そういう理由で魔法を受けたい人間、いるのか……」
ファランティアがこれまで魔法を受けたいと依頼を受けたのは、医師にも癒せぬ病を治してほしいだとか、美貌を長持ちさせたいというものばかりだった。
気に食わない相手を害する依頼の方がもっと多い。
「あんた、本当に頭は良くないんだね……」
ドン引きで呟くファランティアに、
「だから騎士になった」
男は胸を張った。
「あんたのような男が近衛騎士をしてて大丈夫かい、この国? 貴人に侍るのにそんなで大丈夫なのかね」
「良からぬ者に睨みを利かせるのには腕っぷしさえあればいい」
「あ、そう」
「頭の出来は良くなくとも、時と場所を考えて振る舞う常識はあるつもりだ。それに次期国王陛下は俺のような者でも上手に使ってくださるからな。昔から素晴らしい人なのだ」
果たしてそれでいいのかとファランティアはちらりと思った。
誰かがいいと判断したからこそ、男は騎士として国に仕えることができているのだろうが。それに仮に問題があったところで、ファランティアには何の関係もない話だった。
困るかもしれないのはこの国で、ファランティアは――この国に居を構えているだけの魔女はそれに何ら関わりがない。
まあ、この男のうかつさが原因で誰ぞが国を簒奪してしまい、魔女を嫌悪するものが王位についてしまえば巡り巡って困る可能性が無きにしも非ずだが。
そこまで考えたところで、ファランティアは我に返った。
男の勢いに押されて、思わず現実逃避してしまった。
よくもまあこれだけの興奮を押し止めて、最初の声かけは冷静さを装ったものだ。
(いや冷静だったら、そもそも声もかけずに人を呼ぶのが正解だったのか?)
ファランティアは混乱した。
よくよく考えれば、まっとうな騎士なら城に忍び込むような不審な魔女を捕らえようとしてしかるべきだった。
その場合、かなり面倒なことになっただろうから、相手が魔女びいきの変な騎士で良かったとすべきだろう。
魔法でシーツを浮かせるような間の抜けた行動の途中であったのも、幸いしたのかもしれない。
ともあれ、変わり者の騎士は今は興奮しているが、普段は取り繕っているのだろうと無理矢理納得することにする。だから落ち着いた風を装って声をかけてきたのだ。
まったく――本当に、印象がころころ変わる男だった。さっぱり訳が分からない。
今は青空のような瞳が期待に満ちて見下ろしてくる。なんだか眩しいような気がして、先ほどの騎士のように飛びのいてしまいたくもなったが、負けるような気がしてこらえた。
かわりに、ファランティアは目をそらして重い息を吐いた。
ファランティアは人間よりは長生きの魔女だからして見た目ほどは若くないが魔女の中では若い方になる。だからして万事に精通しているとは胸を張れない。
人間のことも熟知しているとは言えず、初めて出会った妙に魔女に好意的な人間へどのように対処していいのかわからなかった。
「うーん」
腕を組んで、首をかしげる。
おかげでもはや取り返しのつかないくらいにシーツにはしわがついた。これをあとで洗うのが自分だと思うと、なんだかうんざりして面倒くさくなる。
「あんたが魔法を受けたいということは、だ。その時点で別にあたしは城にいる間も魔法を使ってもいいってことになるね?」
「えっ、それは……そうなるのか?」
下女の雇用期間終了後、この騎士が自分のことを身内に話すことに何の問題があるだろうか?
考えたファランティアだが、すぐには問題点を思いつかなかった。
ツァルト王国は平和で、深き森の魔女への依頼は多くない。数代に一度か二度あるかないかという程度。
(つまり問題はない、だろうな)
ファランティアは判断を下した。
「よし。あんたに、魔女の存在を口外できない魔法をかけてやろう。魔法の効力はあたしが下女をやめるまで。その後についてあたしは干渉しない。対価はあんたの魔法を体験したいって気持ちだけ、これでどうだ?」
「その後に干渉しないということは、魔法が切れた後なら誰彼構わず魔女に会ったことを話しても構わないってことか?」
「そういうことになるね。個人的には遠慮願いたいが、そこまでの縛りはいれられない」
騎士はうむと満足げにうなずいた。
「むやみやたらに話して回るほど分別がないつもりはないが、機会があれば我が国の恩人たる深き森の魔女殿が大変思いやりのあるお美しい方だと伝えてやろうと思う」
「なに言ってんだこいつ」
また妙なことを言い出したと半眼になるファランティアに、「俺の願いを聞いて魔法をかけてくれるというのだから、思いやりがあるだろう」と騎士は不思議そうにしている。
それに、と口を開いた男が今度は美しさについて言及しそうな気配を察して、ファランティアは慌ててそれを止める。真顔で褒められたら身の毛がよだちそうだと震えてしまった。
「では、契約しようじゃないか」
気を取り直して言い放つと、ファランティアは右手を上げた。指を立て、魔力を籠めた指先を動かすと、辿った軌跡が魔方陣を描く。
魔女の言葉で、ファランティアは自分の名と呪文を呟く。受ける当人が望んでいることだから、騎士の名前や代償までは必要ない。簡単なものだった。
ほう、と感嘆の声を漏らす騎士に向けて魔方陣が動き、パッと光って消えた。
「これで終わりだ」
「これでか」
どことなく残念そうに騎士がつぶやく。
「短期間しか効果のない、難しくもない魔法だからね。面白味はなかろ」
「面白みがないわけではなかったが……そうか、これで――」
言葉の途中で不意に言葉が消える。口をパクパク動かすが声にはならなかった騎士は、驚いた顔で瞬きをした。
「魔女だの、魔法だの、口にしても声として出ないはずだ」
ファランティアは自信満々に胸を張った。そんな彼女をまじまじと見て、
「口は動くのに声が出ないのは、目に見えて怪しくないか?」
騎士は疑わしげな声を出す。
「声として出なければいいじゃないか」
「そういうものだろうか」
「同様に文字としても綴れない」
「……なるほど。俺はうれしくてうっかり漏らしそうで怖い、と、言ったはずなんだが」
男は言ったが、「まあ、俺がうっかり該当の言葉を口にしなければ問題ないか。たぶんできるだろ、たぶん。そんなに長い期間でもないし……」ごにょごにょと自分に言い聞かせて、なんとか納得したようだ。
「得難い経験ができたこと感謝する……我が国の恩人の後継者である下女殿」
「なんだその変な呼び方」
真面目くさって一礼する騎士の頭を見て、「魔女とは口に出せなくなったからか」と思い当たる。
「次に私を呼びたい時は、ファーラと呼んでくれ。その名前で通っている」
「ファーラ殿。うむ、わかった。では、俺のことはエドと……」
「下女が近衛騎士に相まみえる機会がまた訪れるとも思えないけどね」
じゃあなとさらりと手を振ると、ファランティアは身を翻した。
近衛騎士と、臨時雇いの下女が顔を合わせる機会など今後あるとも思えない。
ファランティアの偽名を聞いて、魔女に対してためらいなく自分も名乗るなど不用意なようだが、おそらく愛称だろうなとファランティアは思った。
王に近しく侍るのだから、近衛騎士というのはたいていが身辺怪しからぬ出自――貴族なのだろうから。本当は長たらしい名を持っているはずだ。
本名を詳らかにしない程度には知恵が回るらしい。
(そこは警戒しているってのに、初対面の怪しい魔女に魔法をかけてもらいたがるってのは……どう考えても愚かだと思うが)
木々の間を抜けて、ファランティアは持ち場に向けて歩き始めた。
使用人たちの仕事場は、高貴な方々がおいでになる様々な庭園から、互いが不用意に接触することがないように木々で隔てられている。
任された洗濯物の一つであるシーツが風に飛ばされたのは、まったく不幸な事故だった。
高さのある木に引っかかっていたために手が届かず、誰かを呼びに行くのも道具を取りに行くのも手間だった。面倒くさくなって、つい魔法を使ったファランティア自身も愚かだったかもしれない。
まさか、木々のあちら側からこちら側にやってくるような騎士がいるとは。
よりにもよって、近衛騎士なんぞが。
ファランティアはため息をついて、立ち止まった。
「おい、なんでついてくる?」
首だけひねって、ファランティアは険のある声を出した。
つかず離れずの位置にいた騎士が両手を上げる。
「いや、時間を取らせてしまったので、ファーラ殿が上司に説教をされると悪いかな、と」
何か言われるようであるなら自分が説得を受け持つのだと、騎士は――エドは言った。
「高いところに引っかかったシーツを取るのに難儀をしているようなので手助けをしたとでも口添えしたら、上司殿も矛を収められるのではないか?」
「あたしは人間の機微をよく知らないが、平民の下女が近衛騎士の手を煩わせたことの方があとあと説教をされることにならないかい?」
「はっはっは。それは俺がうまいこと言えばいいだけの話だ」
表情がないと怜悧だというのに、笑うとやはり愛嬌の先立つ男だ。
大丈夫だとお気楽に笑うエドが引く気がなさそうなのを見て、ファランティアは肩をそびやかした。
彼の言う通り大分時間を食ってしまっている。どこまでもついてきそうな男を追い払うのに骨を折って、これ以上遅くなるわけにもいくまい。
(ま、少々居心地が悪くなったところで、長居する場でもないからかまわないか)
ファランティアは覚悟を決めて、騎士を後ろに従えるように再び歩きはじめる。
的外れでも純粋に好意からの申し出のように感じられたし、魔女に憧れていたという話だからもう少し自分の観察もしたいのだろうと思った。
憧れの魔女の存在に舞い上がった騎士が今後彼女と親交を深めるつもりで行動するつもりだなどと想像すらせず、ファランティアはおそらく任されるであろうシーツの洗い直しは明日の仕事にしていいだろうかなんて考えている。
頭は良くないという騎士の主張が、優秀な兄と比べれば良くないという自認ゆえのものであるということも――そして、彼が生まれによる充実した教育で本人の自覚よりは知恵が回ることも、出会ってからわずかの間に見聞きした間の抜けた言動しか知らないファランティアには思いもかけないことだったのだったので。




