中編
本人はいたって真剣な様子であった。心の底から思っていることを口にしているような顔である――たぶん、おそらく。
「あたしを見とがめた時に人を呼んで追い立てるでもなく、のんきに誰何するような騎士に言われてもねえ」
しかしよくわからない男だと、ファランティアは思った。
自分を馬鹿にするかのような彼女の言動に苛立ちを隠しきれないながら、最終的には親切にも忠告でもしているようなことを言い出す。
「人外の業を持つ魔女がまさか城でシーツを浮かせている現実があるなんて受け入れがたかったもので」
騎士が今度は怒るでもなく真面目に言ってのけ、続けて「まさか夢ではないよな?」つぶやくや今更頬をつねり、渋い顔で現実だなとうなずくものだから。
ファランティアは心の底から笑ってしまった。
面白いやつだ。
笑った拍子に落としかけたシーツを抱えなおしても、まだ面白い。
呼応するかのように風が吹き、ざあっと木が揺れる。そんな中でファランティアはくつくつとのどを鳴らした。
「そうだね、あたしもむやみに正体がばれて、痛くもない腹を探られるのは嫌だ。これからは気をつけるようにする」
「その方が良いだろう」
「そう言ってくれるということは、魔女が下女に身をやつしていることを口外しないでおいてくれるんだね?」
ファランティアは騎士との間、残り数歩の距離を詰め、ぎろりと男の目を見上げる。
一気に距離を縮めたせいか、あるいは魔女に心の内を覗かれるとでも思ったのか。さすがの騎士もうろたえて半身を引いた。それでもなお剣に手はかけず、ただごくりとつばを飲み込んだだけだったが。
「……むやみやたらに口外するつもりは、もちろんない。深き森の魔女殿は我が国の恩人だ」
「あたしは恩人ではないけど」
「恩人でないとしても。
同じ国に住まい、時々ではあるが依頼に応じてくれる、良き隣人たる魔女殿が望まないことは、基本的にはしない。
もしも良き隣人でないのならば、対応を考えねばならないが」
「あたしはあんたの言うところの良き隣人つもりだけど、人間がどう感じるかはわからない」
人と魔女は感じ方も違うだろうと続けると、難しい顔で「そうなのだろうなあ」と騎士はつぶやいた。
「ともあれ、魔女殿が我が国の良き隣人でありたいと考えてくれているならば、できるだけ俺の胸の内で納めておきたいと思う」
「できるだけといわず必ずと誓ってもらえるとありがたいんだが」
「不用意に魔女と契約するのはよくないものと聞き及んでいる」
やはり平和ボケしているだけの騎士ではないのだなとファランティアは男への評価をしっかりと改めた。
深く考えずに誓うとうなずいてくれたら、楽だったんだが。
なにせ、ファランティアには王城と結んだ下女としての雇用契約期間がまだ残っている。
魔女にとって契約はおろそかにはできないもの。魔女としての契約でなくても、契約は契約なのだ。滞りなく勤め上げなければ、今後に支障がある。
ファランティアはちろりと唇をなめた。
「じゃあ、落としどころを考えるか。城勤めの間、あたしは魔法を使わないようにするから、あんたはあたしが魔女であることは口外しないってのならどうだい?」
騎士は一度口を閉じ、眉間にしわを寄せた。
「……安易に口約束することは、避けたい」
悩むような沈黙を挟んで、再び口を開いた。
「残念ながら俺は頭の出来があまり良くない。魔女との契約は重いものと伝え聞く。魔女殿の言葉を疑うわけではないが、簡単に約することはできない」
どこか間の抜けた騎士だが、どうやら馬鹿ではないらしい。
感心しつつもどうすべきかファランティアは悩んだ。口止めが不十分なまま放置するのもなんだか座りが悪い。約束を糧に、口外できないよう魔法で縛れれば安心なのだが。
人に対し、対価も約定もなしに行う魔法には代償が必要だ。
口を噤ませる程度であれば大した代償でもないが、代償は代償。騎士の様子からすると、さほど必要性も感じないのに無駄に代償を払うのも馬鹿らしい。
騎士はファランティアを警戒していないようであるし親切でもある。胸の内に収めるという言葉を信じていいのではないだろうか。
「しかし、できるだけと前置きされると、少しばかり不安なんだよねぇ」
つぶやいたファランティアに、騎士は「まあ、そうだろうな」と応じる。魔女の心を慮ってすらくれている。たやすく口外はしないように思えるが。
それでも約束しようなどとは、決して口にしない。警戒心は薄そうなのに、最後の一線を守っている。
下手に同意なく魔法で口止めすると、かえって良くない気がしてファランティアは悩みを深めた。
魔法は万能だと信じる人間は多いが、万能ではない。
ファランティアと――魔女と出会った記憶を失わせるのが一番安全だが、この場で簡単にできることでもなければ代償も重い。
比較して、口止めの魔法ならば簡単にできるだろうが、果たして彼女が下女仕事を続けている間効果が保持できるだろうか?
簡単なだけに継続時間は短くなってしまう懸念があった。
ほんの少しでも代償を払ったのにもたねば面白くなかろう。
それに今はファランティアを警戒していない騎士も、勝手に魔法をかけられれば腹も立て、効力が切れた途端に魔女の排斥に動きださないとも言い難い。
余計な波風を立てるよりは、穏便にお願いするにとどめておいた方が良いかもしれない。
魔女との契約を警戒する人間ならば、正しく魔女を恐れているであろうから、本気で口外する気はないようにも思える。
「実のところ」
しかし人間の考えはわからないからなと考えているところに、同じく何やら思案に暮れていた騎士が切り出した。
「ん?」
「俺は非常に興奮している」
急に真顔で言い出した騎士を、ファランティアはまじまじと見上げた。
「魔法というものに憧れがあるのだ」
「あこがれ」
オウム返しして、ファランティアは顔をしかめた。
「憧れるようなもんかねえ」
「もちろん」
そこからはじまった男の言葉を、正直なところファランティアは大方聞き流した。
早口でまくしたてられた内容は、古今東西真偽ごちゃまぜの魔女の伝説。
比重が重かったのは彼の住まうこの国に住まう深き森の魔女の逸話――美談めいて取り繕われた魔女に恩義を受けた王視点の物語。
圧倒的な熱量で語られたそれを聞き流したのは、登場人物の一人である先代深き森の魔女が語った昔話の密度と乖離していたからだ。
先代はただ国土の端っこに居を構えたい思惑で、ちょっとした手助けをしたとだけしか言っていないというのに。
(聞く限り、そんなにたいしたことはしてなかったようだけどねえ)
まあ、人間には人間なりの思惑があるのだろう。魔女に恩義を感じたのは魔女の後ろ盾で復権した王なのだから。
語りの勢いに正直なところ引いたが、それまでの落ち着きから一転しての爆発したような熱量を見てファランティアはこいつは口外はしないだろうと判断した。
善悪取り混ぜられた魔女の逸話を楽しそうにまくし立てているので、どうにも魔女を好ましく感じているのだろう思われた。これまでの彼の様子からもそれは事実であるようだと判断できる。
世には良き魔女と悪い魔女とされるもの――人間にはそう思われているが、実際のところ魔女はあくまで魔女であり良いも悪いもないのだが――があるが、国の恩人たる深き森の魔女は良きものである、と。おそらく思い込んでいる。
(甘いことだね)
魔女への憧れが警戒心のなさに繋がっているなど、まったくこいつは駄目な騎士だと呆れてしまったが、ファランティアにとっては都合がいい。
どうにか男の言葉を遮って、穏便に立ち去ろう。
ファランティアは黙れという意図で、右手の人差し指をそっと唇に寄せる。
それは魔法ではなかったが、察した騎士は嘘のようにぴたりと口を閉じた。
「わかった。あんたは先代への恩義を感じているようだし、私のことをむやみに言いふらさないと信じよう」
「いやっ」
そうして、じゃああたしはこれでと身を翻しかけたのに、騎士は声を上げてファランティアを引き留めた。
「口外するつもりは毛頭ないのだが! 自信はない!」
「はぁ?」
「魔女と会えたんだぞ? うれしくてつい家族に漏らしてしまうかもしれない。というか言いたい。うれしいので」
できるだけ胸の内に留めるといった舌の根も乾かぬうちに何を言っているのだと、ファランティアは呆れかえってしまう。
「ついては、相談なのだが」
「相談?」
「魔女殿の言う城勤めの間というのは、城との契約期間の間ということだろう?」
ファランティアがうなずくと、騎士は満足そうにうなずいた。
「その契約が切れた後に、身内に魔女に会ったのだと自慢してもいいと言ってくれるのなら、今は口外しないという契約してもいいと思う」
「安易に魔女と契約するものではないんじゃなかったのかい」
「それは、知っているがッ」
騎士の言葉はまるでうめくかのようだった。
「しかし人生で一度くらい魔女と契約してみたいし、魔法を受けてみたい。契約したら言いたくても言えないような何らかの魔法とか、かけてくれるんだろう?」
「何言ってんだこいつ」
ファランティアは思わず漏らした。




