雁鍋屋の会合 Part2
「そういうことなら、やはり行かねばなるまい」
大蔵は、同志たちに事情を話したうえで、単身乗り込む決意を示した。
政治への情熱が薄い荒次郎は、真っ先に反対した。
「おいおい正気か? そんな会合にノコノコ出て行ったら殺されるぞ」
「有為の士を見殺しにはできん」
自らの半身を失った大蔵にとって、もはや「攘夷」は生きながらえる言い訳に過ぎない。
しかし、篠原、加納たちは、その言葉に感動して立ち上がった。
「先生! 我らもお供します」
「…好きにしろ」
大蔵は言い捨てて、着替えるために自室に戻った。
新徴組が寛永寺を出発する、刻限の六つまであと二刻(四時間)。
上野、「伊勢屋」の二階。
座敷には雁鍋の脂の匂いと酒の湯気が立ちこめ、障子の内側はむっとするほど暑かった。
酒盃が膳に当たる音、誰かの高笑い、攘夷を唱える怒号が入り混じり、二階の座敷は小さな戦場のような騒ぎになっている。
大蔵の友人・庄司弁吉や真田範之助、そして真田の腰ぎんちゃく藤井勇七郎らも顔を揃えている。
真田はすでに顔を赤くしており、盃を膳に叩きつけた。
「もうまもなく武田耕雲斎先生が水戸に帰られる」
そう前置きして、早速加納道之助に熱を帯びた口調で加盟を促した。
「君も一緒に先生をお迎えしようじゃないか。そうなれば、城内の諸生党は一掃され、水戸藩は攘夷に邁進するだろう」
加納は助けを求めるように大蔵を返り見た。
「そうだ、鎖港だ!」
「横浜など焼き払っちまえ!」
座敷のあちこちから、酔った声が飛んだ。
大蔵は鍋から雁肉を一切れすくい上げ、ふっと息を吹きかけた。
「横浜はまだ燃えていないようですが?」
真田はふんと鼻を鳴らした。
「痛いところを突いてくる。あの計画はお流れだ。だが、尻を割った腰抜けどもとは袂を別った。あんたはそうじゃないと思いたいが」
「あいにく、私には攘夷親征が現実的な案だとは思えない」
「それでもあんたは来た。そうだろ?」
それは天狗党と松平頼徳に一縷の望みを託してのことじゃないのか。
そう挑みかかるように、真田は大蔵の顔を見据えた。
「私はこの会合を止めに来た。六つを過ぎた頃、ここに新徴組が踏み込んでくる。早々に散会するよう皆にお伝えされよ」
「どこからの情報だか知らんが、新徴組など恐るるに足らず。返り討ちにしてやるまで!」
気色ばむ真田に大蔵は見切りをつけ、もう少し話の分かりそうな相手を探した。
喧騒の中で、火鉢のそばに座る一人の男だけが、黙って盃を口に運んでいる。
優し気な眼と大きく弧を描く口には見覚えがあった。
「あなた…清水さん」
麹町の長屋で大蔵の銃創を治療した医者・清水真郷だった。
「そういえば、いつぞやの治療代をまだお支払いしていなかった」
「いいんですよ、そんなの。筍医者に金は取れん」
清水は首を横に振って、大蔵に酒を注いだ。
「事情があって、今は権藤直郷と名乗っています。ちょっと話せますか?」
「ええ、もちろん。私も大事な話がある」
すると清水、改め権藤は親指で背後を指差した。
「出ましょう。この部屋は暑い」
妙に思いながらもついていくと、権藤はそのまま階下の別室へ入って行った。
大蔵の問い糺すような視線に、権藤は悪びれる風もなく微笑み返した。
「すみません。人に聞かれたくない話なので。実は、共通の知人について、消息をお知らせしておくべきだと思いましてね」
「共通の知人?」
権藤は静かに話し始めた。
「私は麹町二番町の『三計塾』に籍を置いておりまして、あまり熱心な門弟とは言えないのですが、先日、久しぶりに顔を出したんですよ。その帰り道、あの辺りは少し行くと物騒な貧民窟で、四谷鮫河橋界隈などは、まるで夜鷹の巣のような有様なのですが、ひどく顔色の悪い女が声を掛けてきましてね。しかし返事をする間もなく、いきなり目の前で血を吐いて倒れたのです。行きがかり上、捨て置くこともできず、私は長屋にそれを連れ帰った」
「ずいぶんもの好きですな」
「私も医者の端くれなのです。つまり、医は仁術なり、というやつですよ」
権藤は笑った。
「だが私には夜鷹に知り合いなどいない。それより…」
大蔵は冷たく言い放ち、今まさに迫る危機について伝えようと身を乗り出したが、権藤はそれを押しとどめて先を続けた。
「名を喜佐子といって、労咳でした」
確かに、つい最近、どこかで聞いた名前だ。
大蔵は、記憶の糸を手繰り寄せた。
「診てやったときには、すでに手遅れで、看病の甲斐なく、二日後には息を引き取りました。彼女は熱烈な攘夷論者でね。死の床で、風変わりな志士の話を聞かせてくれた」
攘夷、喜佐子…大蔵は、横浜で会った遊女のことに思い当たり、ハッとして顔を上げた。
「その浪士は遊女に扮して関内に忍び込み、アメリカの武器商人を殺したというんです。普通なら熱に浮かされたのだと一笑に付すような突拍子もない話ですが、私には何故かそれが本当に思われたんですよ」
それは、アボットの愛妾喜遊、関内への手引きをしてくれた遊女、喜佐子だ。
大蔵の胸に、わずかな痛みが走った。
「ふん、おもしろい」
喜佐子はアボットの一件をどこかで伝え聴いて、それが大蔵の仕業であることに気付いた。
夜鷹に身を堕とし、死んだのだとしても、それで少しは溜飲を下げたのなら、せめてもの救いではないか。
「私は、彼女が描写したその人相風体や物言いから、件の志士はあなただと思っている」
あんな銃創を見せられた後で、権藤が大蔵と事件を結び付けて考えるのは、そう難しい話ではなかっただろう。
権藤は大蔵の目をじっと見据え、口を開こうとした大蔵を制した。
「いや、答えなくてもいい。その代わりと言っては何だが、お願いがあります」




