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西波止場 Part5

しかし、外界へ抜ける唯一のルートである土橋どばしを渡ると、関内と吉田橋に分かれる三叉路、高札場こうさつばの辺りにイギリス兵たちが検問をいているのが見えた。

「くそ」

加納は笠のつばを下げながら小さく毒づいたが、検問までは一本道で、今引き返せば怪しまれる。


"Hey, you! Girl! Aren't you that one... Okatsu?(おい女、おまえ、お勝ではないか)"

声を掛けたのは、イギリス海軍工兵隊のダンカン・ボイズだった。

"And you, the big fellow. Take off that hat and let me see your face.(それにそこのデカいの、笠をとって顔を見せろ)"

ボイズは服部三郎兵衛はっとりさぶろべえ指差ゆびさした。

「……」

服部とボイズがにらみ合うすきを突いて、勝はその脇を通り過ぎようとしたが、ボイズは視線をそらさないまま、勝の腕をひねり上げた。

「痛い!」

"You aren't going anywhere until I say so!(おまえは、まだ通っていいと言ってないぞ)"


「その女から手を離せ!」

荒次郎が勝を守ろうとボイズにおどりかかったのを合図に乱闘が始まった。

服部と大村がそれに続く。

二人の脱出を見届けるために港崎遊郭みよざきゆうかくの方から様子をうかがっていた大蔵おおくらは舌打ちした。

「荒次郎の奴、余計なことをしおって。計画が台無しだ」


騒乱を聞きつけ、篠原らの上官である菰田元治こもだげんじが駆けつけた。

不逞浪士ふていろうしは刀を持っている!気を付けろ!」

奉行所も加わり、高札場こうさつばは大乱戦の場と化した。

菰田は、不審な浪士とみ合ううち、笠をぎ取った男の顔に絶句した。

「おまえ…大村!」


「くそ!」

見かねた大蔵おおくらふところからコルト・ドラグーンを引き抜いた。

弾倉に残された最後の一発。

「…あの時ですら決心がつかなかったものを、こんなところで無駄撃むだうちする羽目はめになるとは…」

乾いた銃声が響く。

弾丸はボイズの肩をかすめた。


"They’ve got guns! Take cover!(こいつらは銃を持っているぞ!)"

誰かが叫び、水兵や奉行所の番兵たちは一斉に身を伏せた。



その、一瞬のすきを突いて、篠原たちは川べりの道を疾走しっそうした。

吉田橋の関所に詰めていた「元同僚」は、篠原らが追われる立場だとは夢にも思わず、

「なにかの捕りものか?」

と、血相を変えて駆け抜けていく彼らを怪訝けげんな顔で見送ってしまった。



ようやく台町の茶屋までたどり着き、追っ手をまいたのを確認すると、八人は木陰にひざをついた。

「くそ! 上官に顔を見られた! 俺はもうダメだ」

大村の悲痛な叫びを打ち消すように、篠原が怒声をあげた。

「バカ者どもが!何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのだ!誰かが口を割れば、我々全員獄舎(ごくしゃ)送りだぞ。こうなっては、もうダメだ。ひとまず、江戸に逃れよう」

加納は篠原に食って掛かった。

「奉行所は我々を見捨てないはずでは…?」

篠原は冷ややかに加納を見下ろした。

「さっきまではな。だが、イギリス領事りょうじ出張でばってくれば、これはもう窪田様の手に余る問題だ。私に、みすみす恩師を窮地きゅうちに追いやれというのか」

加納は言い返せなかった。

「ふん、口八丁くちはっちょうなやつめ…」

佐野が口元をゆがめて笑う。

加納には篠原泰之進という男へのぬぐがたい不信感がつのった。



一方、遊女の姿に身をやつした大蔵おおくらは、みずからもこの関内を脱出する必要に迫られていた。

ひとつ、思い当たる手段がある。

かつて、清河八郎がこの町の焼き討ちを計画した際に、弁天社べんてんやしろの裏に隠していた小舟だ。

「あそこにまだ一艘いっそう残っていたはずだ」

だが、人影の途絶とだえたやしろの先、大岡川の岸辺にたどり着いた大蔵おおくらは、そこで立ち尽くした。

まるで大蔵おおくらの行動を見越していたように、一人の男が待ち構えていたのだ。


大きな鼻と口とつぶらな眼、一見愛嬌いっけんあいきょうのある顔立ちだが、にじみ出す凄味すごがある。

「ずいぶん暴れてくれたようだな。伊東大蔵いとうおおくら

なぜ、名前を知られているのか。

大蔵おおくらは一瞬動揺(どうよう)した。

「私の情報網を甘く見るな」

が、すぐに一つの顔が思い浮かんだ。

「なるほど、中沢良之助か…。つまり、あなたが神奈川奉行支配定番役頭取取締(かながわぶぎょうしはいじょうばんやくとうどりとりしまり)、窪田治部右衛門くぼたじぶえもんというわけだな」

大蔵おおくらは窪田の胸元にある定紋じょうもん左三ツ巴(ひだりみつどもえ)」を見て断じた。

「さすが、頭の周りが早いな」

「…ならば仕方ない」

大蔵おおくらは遊女のたおやかさを捨て、ふところの小刀に手を伸ばした。

「追い詰められて開き直ったか」

それでも、窪田は動じない。

その落ち着きがかえって大蔵おおくらの神経を逆なでした。

「あなたは、あの時、国を売った。異人と迎合げいごうし、あろうことか身内の凶行きょうこうをもみ消した。武士の風上かざかみにも置けぬ」

青臭あおくさいことを。本当の敵を見誤みあやまっているのではないか?あのバケモノみたいな船を造り、海を渡ってくる連中に勝つ方法を、お前は考えたことがあるのか。私は横浜の治安を守るというおのれの役目を果たしたに過ぎん。そのためなら、手段など選ばん」

「260年ののろい、か。毛唐けとうどもにたましいを売っておきながら、国土をまもるなどと小賢こざかしい詭弁きべんろうするな」

窪田は含み笑いを漏らした。

のろいとは面白い表現だが、そののろいを掛けたのは、まさにお前たち水戸藩ではなかったか。水戸のバカ者どもがやらかした事件は『大日本史』が悪魔の書(グリモワール)だったことを証明してみせた。私も学んだのだよ」

窪田は頑迷がんめいな水戸藩への嫌悪を隠そうともしなかった。

「それは…」

反論できなかった。

それどころか、窪田の言葉は、カミュが殺された時の割り切れぬ感情を解き明かす鍵のようにすら思えた。

攘夷派じょういはとかいう連中にも、一度は機会を与えてやったはずだ。我が不肖ふしょうせがれがな」

大蔵おおくらまゆをひそめた。

清河たちを関内に誘い入れるための通行証を書いたのは、他ならぬ窪田の息子だったのだ。

「何の話だ?」

「横浜焼き討ちの件だ。お前も関わっていたのではないのか」

「私は…」

言いかけて、大蔵おおくらはハッと思い当たった。

「なるほど。ご公儀こうぎに情報を流して、清河八郎を消したのは…あなたか」

「さすがにあわてたがな。バカ息子の尻拭しりぬぐいも大変だよ」

窪田は、後始末のため、金子与三郎かねこよさぶろうを通じて浪士組の反清河派を動かしたのだ。

だが、これほど迅速じんそくな対処が可能であったのは、中沢良之助にるところが大きかった。

当の中沢は、みずからが書いた身辺調査報告しんぺんちょうさほうこくめぐり巡って清河を殺し、自分がその場に居合わせることになろうとは、夢にも思わなかっただろう。

皮肉なものだ、と大蔵おおくらは思った。

「だが、これで分かっただろう? 清河八郎程度のつむじ風で、徳川という大樹たいじゅ微動びどうだにせん。いわんや列強諸国れっきょうしょこくにおいては、な」


大蔵おおくらは窪田を見据えながら、冷笑を浮かべた。

「清河が猿なら、さしずめあなたは紅毛人こうもうじん尻尾しっぽを振る犬さ」

「目を覚ませ、伊東大蔵いとうおおくら

窪田が低い声ですごんだ。

「今は“韓信かんしんまたくぐり”の故事こじならうべき時ではないのか。 すなわち、開港に応じ、貿易によって国力をたくわえ、列強にする軍事力を持つ。それ以外に、奴らを対等な交渉の席に引きずり出す手立てだてがあると思うか?」

津和野藩つわのはん大国隆正おおくにたかまさらが提唱する、いわゆる「大攘夷だいじょうい」論である。

なにも目新しい論ではない。

窪田治部右衛門くぼたじぶえもんは、この説をしており、今聞けば、それは至極しごく真っ当な理屈にも聴こえるが、当時の攘夷派じょういはの中では、それは唾棄だきすべき少数意見に過ぎなかった。

そもそも「外国人を追い払うために港を開く」という理屈ロジック自体、矛盾むじゅんはらんでおり、

260年ものあいだ国を閉ざしていた日本人にとって、このような前提ぜんていが受け入れがたいのは無理もなかった。

「お前なら、この意味が理解できるはずだ」


確かに、この数ヶ月、横浜の地で大蔵おおくら見聞みききした「現実」は、ただ叫ぶだけの破約攘夷はやくじょういとは到底とうてい相容あいいれなかった。

あの巨大な蒸気船、最新の銃火器を目にした後では、世界の様相はまるで違ったものに見えてくる。


「そのために、今は毛唐けとうどもにひざくっしろと?」

大局たいきょくを見よ…などとえらそうなことは言うまい。だが、折り合いをつけるのだ」

大蔵おおくらは目の前の男に対する評価を改めざるを得なかった。

この男は、まだ「勝つこと」をあきらめずに、そのことだけを冷徹に考え抜いていたのだ。

しかし。

いくら理にかなっていようと、荒れ狂う志士たちを納得させねば、今の混乱を収束する手にはなり得ない。

「あなたの言う大攘夷論だいじょういろん是非ぜひはともかく、もはやご公儀こうぎに頼るのみでは国体の保持が覚束おぼつかぬことは身に染みて解りましたよ」

今の大蔵おおくらには、そう反論するのが精一杯だった。

「…では、好きにやってみるがいい。篠原を貸してやろう。役に立つかどうかは保証できんがな」

窪田の言葉に、大蔵おおくらは目をすがめた。

「私を見逃すというのか?なぜ」

「ただの気まぐれだ。私の気が変わらんうちに行くがいい」

窪田は、うるさい犬でも追うように手を払った。



大蔵おおくらは、言い知れぬ敗北感を覚えながら、清河の残した小舟をあやつり、夜陰やいんに乗じて対岸にたどり着いた。

しかし、すでに街道には大勢の捕吏ほり提灯ちょうちんが揺れている。

「くそ!」

船に隠してあった漁師の衣装に着替え、突破のタイミングを計っていたが、あちこちに灯る火の手に、大蔵おおくらは街道脇の茂みから身動きが取れなくなった。

そこへ、一頭の馬を引いた百姓ひゃくしょうが通りかかった。

大蔵おおくらは最後の望みをかけて交渉を試みる。

「金を払う、その馬を一日貸してもらえまいか」

百姓は大蔵おおくらの顔をのぞき込み、ニヤリと笑った。

「妙なところで会うじゃないか、伊東さん」

それは、玄武館げんぶかん塾頭じゅくとう、真田範之助だった。

「真田さん」

「関内がひどく騒がしいが、まさかあんたのせいか?」

「あなたこそ、なぜこんなところにいる」

ちょうどこの頃、真田もまた渋沢栄一らと共謀して横浜焼き討ちを画策していた。

すでに決行日も十一月二十三日と決めていたが、もちろん大蔵おおくらはそれを知る由もない。

だが、その計画も窪田の予言を裏打ちするように寸前で取りやめとなっている。


「ちょっとした下見さ。あんたとは関係ない」

「…」

大蔵おおくらは押し黙り、真田をにらみつけた。

「どうやらお困りのようだ。乗っていくかい?」

真田は挑発するように言って、ひらりと馬にまたがった。

「なぜ私を助ける?」

真田はニヤリと笑った。

「連中は、神奈川奉行だろ?敵の敵は味方ってとこさ」

真田は大蔵おおくらを後ろに乗せると、馬の腹を蹴って、楽々と奉行所の囲みを破り、江戸への暗い街道を駆け抜けていった。



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