西波止場 Part3
時計の針を少し戻す。
大蔵と別れた勝は、大蔵の指示通り『伊勢熊』の店内に引き返し、色仕掛けで「黒船の中が見たい。船室で飲み直そう」と持ちかけていた。
気の大きくなったエドワーズ中尉は、『わかった。特別に見せてやろう』と安請け合いしたものの、店で買った日本酒の樽を船に持ち込もうとすると、港の役人にとがめられた。
当然、エドワーズでは話が通じない。
勝がその役人となにやら交渉して、エドワーズに肩をすくめてみせた。
「税金を払わないと持ち込めないんですってよ?お役所仕事は杓子定規でダメね」
この一言が、傲慢なイギリス兵たちの導火線に火をつけた。
“Who said I shouldn't bring spirits on board our warship?(船に酒を持ち込めないとは、どういう了見だ!)”
エドワーズ中尉は三人の部下を引き連れ、運上所に乱入した。
当時、イギリス艦隊は幕府から賠償金を脅し取り、薩英戦争で薩摩を圧倒した直後で、その鼻息は極めて荒い。
そこに居合わせたのが、三木荒次郎だった。
荒次郎は昨夜、「加納らの手引きで関所を通ったら、運上所の前で持て」と大蔵から言い含められていた。
「しかし兄上はどうやって中に入るつもりなんだ?」
不思議に思いながらも言われた通り待っていると、いきなりこの騒ぎが始まったのだ。
騒々しい運上所の様子を伺おうと中を覗いた荒次郎は、そこに捜していた女性の姿を見つけ、声を張り上げた。
「お勝!」
勝は振り返り、荒次郎の顔を見てパッと表情を輝かせた。
「荒次郎さん!」
「よかった!無事だったのか!何もされなかったか?」
勝は荒次郎に抱きつかれながら、運上所の騒動を振り返る。
「あたしはね」
役人たちは暴れる海兵たちを必死で取り押さえようとしていたが、体格差は如何んともしがたい。
二、三人が投げ飛ばされ、壁に頭を打ち付ける惨状を見かね、通詞が門外で呼子を吹き鳴らした。
運が良かったのか悪かったのか、たまたま近くに居合わせたのが、篠原泰之進率いる一隊だった。
「なにがあった?」
駆け付けた篠原は、荒次郎の姿を認めると、経緯を問い質した。
荒次郎は、おどけた顔で肩をすくめて見せた。
「さあね。だが、あの怒り様はただ事じゃないな。箪笥の角に足の小指でもぶつけたんじゃないか」
篠原は荒次郎の言い草に呆れながらも、じりじりと間合いを詰める水兵たちに身構えた。
「奴らは靴を履いてる」
「…なるほど。じゃあなんて怒鳴ってる?」
荒次郎に促され、勝は外国人たちが喚き散らす罵詈雑言を簡潔に訳した。
「例の娼婦のせいで、町の酒場では安心して酒も飲めんじゃないか、と」
「娼婦? なんのことだ」
勝は少し考えてから肩をすくめ、小さく頭を振った。
「…さあね?」
篠原の部下、大村安宅が荒次郎の肩を掴んだ。
「波止場に佐野がいるはずだ。呼んできてくれ」
「なんでそんなとこにいる?」
「いいから早く!」
「わかったよ。私は気が弱いんだから、そう怒鳴らないでくれ」
荒次郎が渋々佐野七五三之介を呼びに行ったのは、先述の通りだ。
「おーお。派手に暴れてくれたなあ」
佐野は駆けつけるなり、唇の端を吊り上げて朱鞘の刀を抜いた。
つられた仲間たちが柄に手を掛ける中、服部三郎兵衛が一歩前に進み出て制した。
「…よせ。切った張ったはナシだ」
背後の仲間に目配せしたその横顔へ、エドワーズの拳が飛んだ。
しかし、服部は視線を外したままその拳を片手で受け止めた。
眼だけがギロリと動き、エドワーズを捉える。
「ふん」
そのまま腕を捻り上げると、エドワーズは爪先立ちのまま毒づいた。
“damn!”
彼は残された腕でなおも殴りかかろうとしたが、服部はその腕も悠々と掴んで投げ飛ばした。帳場の衝立が砕け、エドワーズが畳に叩きつけられる。
「もう許さん!」
腰のホルダーに手が伸びた刹那、服部は巨体からは想像もつかないスピードで間合いを詰め、エドワーズの顎先に強烈なフックを叩き込んだ。
エドワーズは白目を剥いて卒倒した。
“How dare you lay a finger on the Lieutenant!(よくも中尉を殴りやがったな!)”
ひょろ長いクラウディが騒ぎ立てる。
“Look at him! Maybe he’s dead!(死んでるかもしれんぞ!)”
元井と大村が、やれやれとクラウディを羽交い締めにすると、佐野がその耳元に囁いた。
「…うるせえよ」
鳩尾への正拳を一発。
クラウディは泡を吹いて失神した。
エドワーズの部下、工兵隊一の巨漢ダンカン・ボイズはすっかり酔いも覚め、
しかし、なお不敵に笑いながら篠原を顎で指した。
"Are you the one in charge here, eh? "
「頭はあなたかと聞いています」
勝の通訳を待たずとも、篠原はその不遜な態度を察していた。
かつて芝生村で異人に組み伏せられた屈辱が頭をよぎり、一瞬、篠原の足が竦む。
それを察した服部が割って入った。
「大将とやりたければ、まず私を倒すことだ」
ボイズは勝に、ニヤリと微笑んだ。
"Alright, sweetheart. I've got it. No more need for a translator. (お嬢さん、了解だ。通訳はもういらん)"
「おい、こいつ今なんつった!」
佐野が騒ぐのを横目に、ボイズは服部にファイティングポーズをとった。
"Listen close. There are only three rules in this town. Rule one: any Jap who crosses a Brit dies. As for rules two and three... well, you don't need to know 'em. 'Cause by then, you'll already be dead.(覚えておけ。この街のルールは三つだ。一つ、英国人に逆らった日本人は死ぬ。そして、二つめから先は知らなくていい。なぜなら、もうその日本人は死んでいるからな)"
ボイズの丸太のような右腕が服部を襲う。
しかし服部はそのパンチを腕の甲で軽々と受け止め、上体一つブレない。
"Well... that's a surprise.(驚いたな) "
次のパンチを繰り出すより早く、ボイズは脇腹に衝撃を感じた。
服部の拳があばらに食い込んでいる。
"Didn't... see that coming...(…見えなかった) "
思わず息が止まる。
さらにもう一撃、逆側のあばらを強打され、ボイズの意識は消し飛んだ。
「大人しくしているうちに、縛り上げろ」
服部は啞然とする周囲を見渡し、大村と元井に静かに告げた。
「用事」を済ませて波止場に戻った大蔵は、窓の外から運上所の騒動を眺めていた。
服部三郎兵衛という男が、屈強なイギリス水兵をものともせず、力でねじ伏せるのを見て、大蔵の口元が知らず知らず緩む。
「…あの男が欲しいな」
大蔵は、独り呟いた。




