表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/55

蟷螂の斧 Part2

大蔵おおくらは挑発的な笑みを浮かべた。

「では、試してみますか?」

佐野は、大蔵おおくらの静かな圧力に飲まれて、ごくりとつばを飲んだ。

そのうれいを含んだ横顔を、篠原は薄気味うすきみ悪そうに眺めた。

この青年は得体が知れない。警戒した篠原は話をらした。

「その気になっていただき祝着しゅうちゃくにござる。奴らが居留区でどれだけ傍若無人ぼうじゃくぶじん振舞ふるまっておるか、私はこの眼で見ましたからな。アレをみれば、奴らを斬り捨てるのにわずかばかりの負い目も感じぬでしょう。ただ待っていても神風かみかぜは吹かん」

荒次郎はふんぞり返って嘲笑ちょうしょうを浮かべた。

「だが、あの時、あなたは尻尾しっぽを巻いて逃げたとお見受けしたが?」

篠原はムッとして腰を浮かした。

貴方あなたの連れていた、アレは娼婦しょうふだ。違いますか?私は、皇国こうこくに捧げるべき命を、取るに足らぬ小事のために捨てることをおいさめしたまで」

「…何だと?」

荒次郎と加納は耳を疑った。

だが、誰より先に詰め寄ったのは、これまで黙っていた服部三郎兵衛はっとりさぶろべえだった。

「話が違うではないか。窪田様に話をつけると言ったのはウソか」

「バカを言うな。わしは、まつりごと潮目しおめを読み、将来、攘夷じょういという大義を成すために、利害得失りがいとくしつはかれと言ってる」

詭弁きべんろうするな」

服部が低く凄んだ。

大蔵おおくらみなの怒りをらすように先を促した。

「ほう。興味深いお話だ。まあ、篠原さんの考えを聴こうではないですか」


服部の勢いにたじろいだ篠原は少し身体を引くと、虚勢きょせいを張るように胸を反らした。

「では机上論きじょうろんではなく、実際にあった話を例に引きましょう。関内には各国公使かっこくこうしの館があり、実は先日、そこから逃げ出した女が、今まさに紅毛人こうもうじんどもに連れ去られようという場に行き当たったのです」

「その女は、いわゆる羅紗緬らしゃめんですか」

大蔵おおくらは、臆面おくめんもなくたずねた。

「関内には港崎遊廓みよざきゆうかくというのがあって、そこは外国人専用の汚らわしい遊女屋ですが。見るところ、女はそこから無理やり身請みうけされたようでした。めかけにされることを恥じたらしい」

どこかで聞いたような話だ。

みずからは、事もあろうか、あの金髪碧眼の軍人おとこに心を奪われておきながら、紅毛人こうもうじん身体からだを許した女をさげすむなど…自分にそんな資格はないな…。と大蔵おおくら自嘲じちょうした。

しかし実直じっちょくな加納は、関内の現実を何も知らなかったことに怒りを覚えた。

「関内では、そんなことがまかり通っているのですか!」

篠原は、それを無視して、街道で起きた出来事を少々脚色して披露ひろうした。

揚心流ようしんりゅうで、その紅毛人こうもうじんどもを投げ飛ばしてやったところ、目を白黒しろくろさせておりましたよ」

一同が感心する中、大蔵おおくらがクスリと笑った。

「何がおかしい」

うそを見透かされたような気がした篠原は、真っ赤になって問いただした。

「いえ、篠原さんに痛い目にあわされた毛唐けとうどもの顔を想像したら、何だか笑いが込み上げてきましてね。それで?」

大蔵おおくらは、冷静に取りつくろった。

「そ、それで?」

「奴らはどうなりました?女は逃げたのですか」

「いや…わが身をはかなんだか、女は私の見ている前でのどを突いて死んでしまった。不憫ふびんなことです。しかし、紅毛人こうもうじんに身を許した女の末期まつごとしては、まことに天晴あっぱれな死にざまと言わねばならんでしょう」

荒次郎はってかかった。

「だから、お勝も死んでいいと?勝手なことを言うな!お勝は数寄屋町すきやまちの芸者で、外国人に身体をひさぐような真似まねはしていない!」

大蔵おおくらが、やんわりとそれをなだめた。

「落ち着け、荒次郎。篠原さんは、お勝のことを言ってるわけじゃない。ふるあめりかにそではぬらさじ…そうですよね?実に立派な女性だ」


「ええ。名を『琴』といいました。もっとも、聞けたのはそれだけです」


刹那、大蔵おおくらは足元から地面がくずれ落ちる錯覚さっかくを覚えた。

(琴!)

そして、あのときの部屋のこごえるような寒さ、畳の匂い、軒から落ちる雪の塊の音、全てがフラッシュバックした。

誰もいない座敷で、のど懐剣かいけんを突き立てて死んだ最初の妻みつ。

「なぜ、お前が死ぬのだ」

見つけたのは大蔵おおくらだった。



篠原たちがいつ、どのようにして辞去したのかすら大蔵おおくらは覚えていなかった。

焦点の合わない目で虚空こくうを見つめる兄を尻目しりめに、荒次郎が独り毒づいている。

「ふん、保身ほしんに走りやがって。あの篠原という男は、ただの小心者しょうしんものだ」

「…そうだな」

荒次郎はその空返事だけで、兄が姉のことを考えているのをさとった。

「まさか、姉さんが羅紗面らしゃめんちて、死んだと思ってるのか?琴などありふれた名だ…あの姉さんに限って、そんな訳があってたまるか」

「かもしれん。あるいは…」

「おいおい兄上!まさか、あの佐野とかいう男の挑発にえて乗っかり、関内に乗り込もうなんて、おかしな考えを起こしたわけじゃあるまいな?」

「…お前に、まだ話していないことがある」

「偶然だな、私もだ。実は、うちは先祖代々切支丹キリシタンの家系でな」

ここに至って、まだふざけようとする荒次郎を、大蔵おおくらは冷ややかな視線でたしなめた。

荒次郎が肩をすくめ、自嘲的じちょうてきわらった。

「いいさ。好きにしろ」

「なにが?」

「私が何を言おうが、兄上は行くんだろ?止めはせん。だが、私も一緒だ」

「おいまて。私は…」

くだんの琴という女性が何者であれ、外国人から理不尽りふじんな扱いを受けるいわれはないはずだ。そんな話を聞かされた以上、勝奴かつやっこをこのままにしておくことは出来ん…」

荒次郎はそう言ってしばらく黙り込んだ後、兄に鋭い視線を投げた。

「…兄上は、あの女と寝たのか」

「ふん、バカな。分かっているはずだ」

大蔵は軽くいなす。

それを否定と受け取った荒次郎は、少し表情を和らげて立ち上がった。

「…私のせいなんだ。あの篠原という男は信用できん。兄上が何と言おうが、私は行く」

もっとも、大蔵おおくらにも横浜に行かねばならない理由があった。

「つまり、お前はあの女が好きなのだな」

「芸者が嫌いな男などいない。だろ?」

恋慕れんぼの情に流されるなど、お前らしくもない。いや…おまえらしいのかも」

荒次郎は、照れ隠しにことさら大袈裟おおげさな身振りで否定した。

「私は至って本気だが、没落ぼつらくした武家の次男坊じなんぼうに身を固める甲斐性かいしょうなどないことは周知しゅうちの通りさ。いつだって色恋いろこいの主導権は女にあるんだ」



一方、道場を辞した加納道之助は、悶々(もんもん)としながら東海道を歩いていた。

結局、最後までなにも聴けず仕舞じまいだった。

あの女の姿の大蔵おおくらは、自分の妄想もうそうが見せた幻覚だったのだろうか。

「いや、そんなはずはない」

思わず声が漏れて、大村安宅おおむらやすおりに妙な顔で見られた。

「なに?」

「いや、なんでもない」

大蔵おおくらはなにか目的があって、あの場所にいたのだ。

しかし、だとしたら、あの涙はどういうことなんだろう。

いくら考えても答えは出なかった。


挿絵(By みてみん)





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ