デビルスター Part2
怪僧カションは、大蔵の表情を見て、明らかに興奮していた。
「どうした?怖いと泣き叫ばんのか?私を、異国の神に仕える者を、忌み嫌わないのかね?少し前にも、私に抱かれるのが嫌だと泣いて、自害した女がいたよ」
充血した眼は、残忍な喜色を帯びている。
「そのひとの名は?」
「なぜそんな事が知りたい」
「私の姉の名は琴といいます。もしご存知なら…」
アボットから逃がれた喜佐子のことも考え併せれば、横浜ではこのようなことは珍しくないのかもしれない。
関内に閉じ込められた女は、ライオンの檻に投げ込まれた羊のようなものなのだ。
カションは嘲笑うように肩を揺らした。
「琴? そういう名の妻がいたかもしれないが、日本語の発音は難しくて、いちいち覚えていられない。それに、ベッド……いや、褥には毎日何人も女を呼んでいたからね」
流暢な日本語による告白は、まるで背信者のそれであった。
実のところ、それが篠原泰之進が遭遇した「琴」という女性であった。
しかし、カションが「苦行の鞭」を振りかざした瞬間、大蔵の身体が独楽のように回転した。
舞うような足さばきでカションの懐に潜り込むと、容赦なくその足を払って引き倒す。
砂を噛むカションの手から大蔵が鞭を奪い取ると、立場は一転した。
カションには、自分の身に何が起きたのか、まだ理解が追い付いていなかった。
這いながら断崖絶壁へと追い詰められたカションは、大蔵を指さし、罵声を浴びせた。
「売女め!外国人の私にこんなことをして、ただで済むと思っているのか!」
「さあな。どうなるのか教えてくれ」
大蔵は冷たく言い放ち、それから奪った鞭を何度も何度も叩きつけた。
カションは激痛に悲鳴を上げる。
「ふふ、痛いか? 貴様など、刀の穢れだ。好きなだけ泣きわめくがいい。此処なら誰にも声は届かぬ」
“Putain de merde ! C'est douloureux, putain!”
カションは呻き、脂汗をかきながら、十字を切った。
「ルカによる福音書…第23章34節…主、イエスは十字架の上でこう言われた…父よ、彼らをお赦しください…自分が…自分が何をしているのか知らないのです…」
「ちゃんと解ってるさ。これでも少しはお前たちの神について勉強した。お前たちの教義というのは、まったく都合よく出来てる。だが、お前を救うのは、神ではなく、私だ」
大蔵は無造作にカションの胸元を掴むと、その司祭服を力任せに左右へ割いた。
千切れたボタンが音を立てて弾け飛ぶ。
大蔵は懐から小刀を抜くと、カションの胸に悪魔崇拝の象徴、逆五芒星を刻んだ。
“Aïeeee! putain!putain!putain!”
カションの悲痛な叫び声に、大蔵はサディスティックな笑みを浮かべた。
「お前たちは獣肉を喰らい、得体の知れん神を崇める呪われた人種だ。だがこうすれば、もう人前で悪さは出来まい。ククク」
その凄惨な断罪を、森の影から覗き見ていた男がいた。
商人、アボットである。
彼はカションが少女を森へ連れ込むたび、その「密事」を盗み見ることに倒錯した悦びを見出していた。
しかし、期待していた淫らな痴態の代わりに繰り広げられたのは、血生臭い惨劇である。
そのあまりの毒気に理性を失ったアボットは、思わず飛び出してきた。
“Don’t fucking lick me.Little girl!(なめるなよ!小娘が!)”
アボットは、内ポケットから取り出した小型のリボルバーを大蔵に向けた。
「ちっ!」
あの商人がまだいたとは想定外だ。
大蔵が振り返ったとき、すでに銃口は火を吹いていた。
脇腹に鈍い衝撃が走り、熱い感覚がじわじわと広がっていく。
死ぬ。
大蔵はそう思った。
はるか崖の下に波頭がかすんで見える。
大蔵が奈落へと崩れ落ちる寸前、疾風のような影が横合いから飛びこみ、
その肢体を支えて、辛うじてこの世へとつなぎ止めた。
金髪碧眼の青年、フランス士官アンリ・カミュ。
その視線が、アボットを射抜く。
“Arrête ça!(やめないか!)”
鋭い声が空気を裂いた。
関内で大蔵の姿を見かけたカミュは、その不穏な動きを怪しみ、密かに後を追ってきたのだ。
カミュは腰のサーベルを抜き、アボットの喉元に突き付けた。
“Bonjour enseigne Camus. Vous pouvez prétendre être un officier dans un endroit aussi isolé, mais vous n'avez pas d'hommes. Vous le regretterez.(これはカミュ少尉殿。こんな人気のない場所で軍人風を吹かせても、部下はいない。きっと後悔しますよ)”
アボットは、フランス語で応えた。
“Honte à notre pays(我が国の恥め)”
アボットこと、リュシアン・アポネはフランス人だった。
彼は、横浜で受けのいいアメリカ商人を装い、偽名を使って日本人女性を食い物にしていた。
そのとき、カミュとの会話に気をとられて隙の出来たアボットの背中を、大蔵が切りつけた。
しかし、短刀はアボットのラウンジスーツを切り裂いただけだった。
“Tu es aussi bruyant qu'un singe !(この、キーキーとうるさいサルめ!)”
激高したアボットが撃鉄を起こし、今度は額を狙って引き金を引こうとした瞬間、カミュはその短銃をサーベルではじき飛ばした。
“Tuer des civils et ne pas être puni Vous pensez.(きさま、民間人を殺して、ただで済むと思っているのか)”
“De quel crime peut-on vous accuser pour avoir tué une prostituée d'un pays aussi barbare ? J'ai le soutien du ministre français et du shogunat d'Edo, ce n'est donc pas un problème.(こんな蛮国の商売女を一人手にかけたくらいで、何のお咎めがありましょうや。私には、フランス公使と江戸幕府の両方がバックについているのですよ?)”
アポネは、江戸の幕閣とも太いパイプをもつ、いわゆる“死の商人”の大物だった。
この頃、幕府は列強とのパワーゲームを有利に運ぶため、大量の武器弾薬を海外から輸入するルートを模索していたが、深刻な資金難のため、計画は暗礁に乗り上げていた。
しかし、唯一の道と思われた各国政府への借款申し入れも、相次ぐ外国人襲撃事件で頓挫し、逆に賠償金を要求される始末である。
アポネは、これに目を付け、幕府とフランス公使の間を取り持って武器売買の交渉を進める一方、フランスの投資家を募って、幕府が武器を購入するための資金調達にも手を貸していた。
カミュは眉一つ動かさず、その恫喝を聞き流した。
“Même si je vous transperçais le cœur ici, la justice de ce pays ne pourrait pas me juger.(ここで私がおまえの心臓を突き刺しても、この国の司法は私を裁けない)”
“Soyez avisé, sous-lieutenant. Ne le regrettez pas plus tard.(く。後悔なさいますな、少尉殿)”
アポネは顔を真っ赤に染めて、吐き捨てるように言い残すと、足早に立ち去って行った。カミュはその後ろ姿を眺めながら毒づいた。
“Hm. Ce sont des hyènes. Lorsqu'elles sentent un conflit civil, elles surgissent de nulle part, vendent des armes aux deux camps et les poussent à s'entretuer jusqu'à ce qu'ils soient tous morts.(ふん。武器商人はハイエナだ。内紛の匂いを嗅ぎつけると何処からともなく集まってきて、双方に武器を売りつけ、死肉を食らいつくすまで殺し合わせる)”
麻薬と武器、政情不安に付けこんで手っ取り早く外貨を稼ぐ手段は、現在も昔も変わらない。
カミュはサーベルを鞘に収めると、大蔵の傍らに膝をついた。
“Montrez-moi la blessure.(傷を見せなさい)”
「触るな!」
カミュが伸ばした手を、大蔵は反射的に拒絶しようとした。
しかし、カミュが腕を強く引くと、激しい痛みに意識が遠のいた。
“...Je suppose qu'ils ne m'aiment pas. La balle a traversé le corps. Si on t'attache bien avec ça et qu'on le montre tout de suite au médecin, tu iras bien. Mais ils ne comprendront pas.(…嫌われたものだな。弾は抜けている。これできつく縛って、すぐ医者に見せれば助かるだろう。といっても分らんか)”
カミュはそう言って大蔵の身体を抱き寄せ、服の上からスカーフを巻いた。
「アナタ、イシャ、ミセル」
辿々しい日本語に、大蔵は青白い顔でうなずいた。
“C'est un lieu mystique.(神秘的な場所だ)”
鳥居と鬱蒼と生い茂るクロマツを見上げながら、カミュが感嘆を漏らした。
大蔵はそれでもまだ虚勢を張るのをやめなかった。
「ここは四方・四維(及び天地と日月)を守護する神々を祭っている。だが少なくとも西方を護る広目天は役立たずだったようだな」
互いの言葉は分からなかったが、不思議なことに、目やその仕草で、なんとなく相手の言っていることが理解できる。
スカーフの結び目をきつく縛り終えたところで、大蔵はカミュを睨みつけた。
「礼は言わない」
“Tant pis, Vous semblez détester les étrangers. Mais vous avez offensé un homme gênant.(やれやれ、よほど外国人がお嫌いと見える。だが君は、厄介な男を怒らせたぞ)”
どうやらカミュが、あの神父を恐れているらしいと察した大蔵は冷笑を浮かべた。
「奴らも女に斬りつけられた背中の傷の理由までは口外すまい。男が体面にこだわるのは洋の東西を問わず同じという訳だ」
“Je ne sais pas de quoi vous parlez, mais c'est une petite dame pleine de fougue.(何を言ってるか知らんが、向こう気の強いお嬢さんだ)”
カミュは苦笑した。
一方、足を引きずりながら去ってゆくカションと、その後を追うアポネの間には、険悪な空気が流れていた。
“Pourquoi diable étiez-vous là ?(いったい何故お前があの場にいたのだ?)”
“Non, non. Le père Cachon est revenu parce qu'il était inquiet.(いや…カション神父さまが心配になり、引き返したのです)”
“Alors pourquoi n'êtes-vous pas venu nous aider plus tôt ?(木の影から覗いていたのだな。では、なぜもっと早く助けに来なかったのだ!)”
アポネは言葉に詰まった。
カションの胸には、自らの欲望の代償として悪魔の刻印が鮮血とともに刻まれている。
“You peeping tom!(この汚らわしい覗き魔が)”
その後、カションは警戒してあまり外を出歩かなくなり、7月には逃げるようにこの国を去った。
カションにフランス商社を斡旋していたアポネもまた、厳しい立場に追いやられていった。




