二つの道 Part2
「…まるで支離滅裂だ」
聴き終えた真田は、困惑も露わに呟いた。
「仏蘭西に限らず、童歌なんてそんなものでしょ?けどね、月桂樹は南蛮の太陽神が冠を編んだとされる神聖な木なの。転じて、王の隠喩とも…」
荒次郎は、握り拳で顎を支え、小首を傾げた。
「…そう聞けば、何やら意味深に思えてくるな」
「王の寵愛を失った、かつての愛妾が、恋人を奪っていった若い娘たちを詠んだ歌という解釈もあります」
大蔵は笑い飛ばした。
「つまり、これは暇を持て余した貴族の艶唄に過ぎず、なれば、それこそ矮小な問題というべきではありませんか。いちいち目くじらを立てるのも無粋でしょう?」
「…むう」
庄司はようやく引き下がる気配を見せたが、そう簡単には大蔵たちを解放してくれなかった。
「そなたも水戸の禄を食む心づもりであれば、このような如何わしい女との関わりを断つべきだ」
大蔵の師、伊東誠一郎は、過激な尊攘思想を持つ水戸家老戸田銀次郎の家臣である。
異国趣味などとは、水と油だった。
「芸者の件は…まあ考えておきましょう。さあどうぞ、我々に構わず政治談議をお続けください。ついでに言っておけば、横浜の鎖港については私も同意見です」
大蔵は庄司の忠告を軽く受け流した。
友人である瓢箪顔、芳野は、ピリピリした雰囲気を取りなすように話の矛先を変えた。
「実はね、大樹公の上洛に随伴された藤田小四郎様からの便りが参ったので、都の現状などを談じていたのです」
藤田小四郎。
水戸の前藩主徳川斉昭の側近、藤田東湖の四男で、この藤田東湖こそ、今や巷を席巻する「尊王攘夷思想」の根幹、礎を築いた大学者である。
ともあれ、大蔵も友人の気遣いに免じて、少しは態度を軟化させることにした。
「私の弟々子も、浪士組とかいうものに加盟して、大樹公に先んじ上京しております」
真田範之助が、小馬鹿にしたような笑みを浮かべて蒸し返した。
「あのひ弱な大樹公は、一橋公が将軍職に就かれるまでの繋ぎに過ぎん。小四郎様は、京の公卿や長州の桂小五郎、久坂玄瑞らと接触し、攘夷の周旋に駆けまわっておられるのだ」
物騒な政治がらみの話が再燃したところで、庄司がさらに重ねてアジテーションをぶった。
「桜田門、坂下門の件以来、ご公儀に目を付けられた我が藩では門閥派(保守派)が台頭しているが、翻って世の潮流は確実に攘夷へと動いている。まずは、断固横浜港を封鎖すべし!お上にこの条件を飲ませるためにも、我らは城内にはびこる石田三左衛門派を一掃し、藩論を攘夷親征に統一せねばならん」
大蔵は、清河が明日にも横浜を焼き払おうとしていることを想い、クスリと笑った。
「ずいぶん気の長い話だ」
その響きが癇に障った真田範之助が、また激高した。
「なにがおかしい!あんたには政治の力学というものが、まるで分かっていない!」
「ええ。まったく理解に苦しむ。外敵が内海まで攻め寄せてきているこの期に及んで、内輪揉めとは…そもそも、あなた方は何を以て帝の軍がアメリカ合衆国海軍に勝るとお考えなのです?」
「この未曽有の国難にあたり、恐れ多くも、万世一系の統治者たる帝を戴くほか、攘夷の道があるというのか」
「それは、あなたの動機であって根拠ではない」
列強を倒すためには、彼らの技術や思想をも取り込まねばならない。
それが横浜の実情を垣間見た大蔵の結論だった。
しかし、そのためには外国の価値観を受け入れ、門戸を開く必要がある。
いわゆる大攘夷論に通じる見解だが、自由(市場)を標榜する敵は、日本の自由を許さない。
大蔵を悩ませている問題は、今でいう「多様な価値観」という言葉が孕む矛盾にも似ていた。
その堂々巡りの自問を、真田の怒声が断ち切った。
「巧言はもうたくさんだ!」
「では、あなたのそれは妄言だ。月桂樹を切った誰かは斧を持っていると考えないのですか?あなたは丸腰の王を盾にして、闖入者を退けようとしている」
真田が低く唸り、ついに刀の柄に手を掛けると、
ここまで黙って皆の話を聞いていた清水という医者が、九州訛りで割って入った。
「まあまあ。お二方とも達人のようですから、ここで抜けばお互い無事じゃ済みませんよ。私は多少医術の心得もございますが、さすがに二人の面倒は見切れない」
一触即発の空気に、荒次郎はため息を漏らした。
「どうしてこうなっちゃうかなあ」
騒動の元凶でもある勝奴は、ホステスらしくこの場を取り仕切り、皆に酒を勧めた。
「まあまあ、みなさんもご一緒に如何?」
真田は勝奴を睨みつけると、再び大蔵に視線を戻した。
「この人とは何処までも意見が合わん。行動を伴わない者が弄する詭弁など酒が不味くなるだけだ」
大蔵は、ただ静かな微笑を浮かべて目を伏せた。
真田はさらに挑発を重ねた。
「思想的には反目する我らが、奇しくも同じ北辰を学び、時を同じくしてそれぞれの道場で塾頭となったのだ。俺は今からでも、嫁取りを賭けて勝負してもいいんだぜ?」
先ほどの意趣返しか、自分の方が出世したと言いたいらしい。
芳野が驚いて二人の顔を見比べた。
「嫁取り?おいおい、何の話だ。聞いてないぞ?」
大蔵は、ゆっくりと顔を上げ、刺すような視線で真田を見上げた。
「…いずれ、近いうちに」
その押し殺した声音に秘められた殺気が、真田をたじろがせた。
「く…失礼する!」
言い捨てて猛然と席を蹴ると、部屋を出て行った。
追おうとした庄司は、入口でふと立ち止まり、重々しく大蔵を振り返った。
「どう思おうが、あなたはいずれ選ばねばならん。攘夷か幕閣への追従か。もし伊東家を継ぐつもりならば、旗色を明らかにせぬことを周囲が許さんでしょう」
その忠告は、動かすことのできない現実だった。
大蔵が卯梅を娶るということは、水戸家中で相克する様々な藩論の渦に、否が応でも巻き込まれることを意味している。
「覚えておきましょう」
部屋に残された芳野は、眠そうな目をさらに細めて、申し訳なさそうに笑った。
「どうやら酒席を囲む雰囲気じゃないので、今日のところは引き揚げます」
そしてもうひとりの連れ、清水を廊下の方に促した。
清水は、部屋を出る前に名残惜しそうに大蔵に歩み寄ると、感じ入ったようにその手を握った。
「あなたは、どうも町道場の主には見えませんな。いずれ、膝を交えてご高見を伺いたいものだ」
「私が?そういう貴方も、お医者様には見えない」
「これは失敬。遅ればせながら、清水真郷と申します。拙者も、今は藩を脱し、志士として周旋に奔走しております」
因みに芳野の父、金陵は安井息軒・塩谷宕陰と並び「文久の三博士」と称されたが、そのうちのひとり、安井息軒が主宰する三計塾の門徒が、この清水真郷、のちの古松簡二である。




