二つの道 Part1
「たしかに、美しい旋律だが、どういうつもりだ?なぜそんな歌を知っている」
大蔵の口調は、まるで訊問だった。
勝奴は高飛車に微笑んで、荒次郎に意味ありげな視線を送った。
「そういったお話は、馴染みになってからじゃないと…ねえ?」
「こう見えて。兄はひと頃、遊里通いに熱心でな」
荒次郎は軽口で応じた。
大蔵はひと睨みで、ふたりの戯言をなかったものとした。
「このご時世、異国に肩入れしていると疑われて良いことなどないぞ」
「あら怖い。脅かされているみたい…」
勝奴が詰問をあしらおうとした時、大蔵はサッと口の前に人差し指を立て彼女を制した。
襖の向こうに人の気配を感じる。
大蔵が二人に目配せして、合図を送った刹那、勢いよく襖が開いて四十代半ばと思しき中年の壮士が踏み込んできた。
「その通りだ、ご一同。少々軽率だったな。隣の部屋まで筒抜けだぞ」
大蔵は、その男の顔を見知っていた。
「庄司先生」
水戸藩士、庄司弁吉。
北辰一刀流玄武館で四天王と言われた男で、剣術界では知られた存在だ。
荒次郎はふたりの顔を見比べた。
「お友達か?」
もっとも、庄司の方は大蔵の顔など覚えていない。
庄司の背後からは、さらに襖がビリビリ震えるほどの声が聴こえてきた。
「南蛮かぶれの国賊どもが!…思い知らせてやる!」
「およしなさい。ここは庄司先生に任せておくのがいい」
顔は見えないが、一緒に飲んでいた仲間が廊下で言い争っているらしい。
今にも部屋に踏み込んで来る勢いで、制止する連れを引き摺る音がする。
荒次郎は肩をすくめた。
「どうやら、そういう雰囲気でもなさそうだ」
あの剣幕から察して、外国嫌いの攘夷志士に違いない。
ところが、大蔵はすました顔で、客を招き入れた。
「聞き覚えのある声だ、お入りなさい」
「!」
「??」
言い争う声が止み、戸惑った様子で入ってきた三人は、みな大蔵や荒次郎とさほど歳の違わない若者だった。
うち二人は、大蔵の顔を見て立ち尽くした。
「す、鈴木大蔵?!」
「どうも。真田さん、芳野さん。ご無沙汰しております」
廊下から恐る恐る中を覗き込んでいるもう一人にも、大蔵は微笑みかけた。
「あなたとも、以前道場でお会いしましたね?」
「おお。あなたはあの時の!深川の道場の若先生ではありませんか」
それは、道場主伊東誠一郎の手当てをした清水真郷という医者だった。
どうやら、4人で飲んでいたらしい。
荒次郎は片膝を立てて座りなおすと、その上に頬杖を突いた。
「兄上の友人にしては、ずいぶん血の気が多そうだ」
「いつもこうじゃない。もっとも、真田さんは少々気が短くてな。以前、ちょっとした因縁を作ってしまった」
大きな眼を剥いて大蔵を睨みつけている武芸者然とした男は、例の道場破り、真田範之助だった。
八王子の農家に生まれ、地元では天然理心流始まって以来の天才と謳われた剣豪で、
その後、江戸に出て神田お玉が池の北辰一刀流玄武館に入門、見る見るうちに頭角を現し、一月に亡くなった千葉栄次郎の跡を継ぎ、今や塾頭にまで昇りつめていた。
大蔵とは、攘夷を巡る意見の相違から、以前、袂を分かった経緯があった。
大蔵は、落ち着き払って頭を下げた。
「我々は少々羽目を外して騒ぎすぎたようだが…皆さんのお座敷は、ずいぶん興が乗らないご様子ですな。それとも、なにごとか密談ですか」
大蔵が友人と称した、瓢箪のような輪郭に眠そうな目の男が、いかにも温和な笑顔で頷いた。
「そんなところです」
芳野新一郎。
こちらは、最高学府「昌平坂学問所」の儒官を勤める芳野金陵の息子で、いわゆる毛並みの良いサラブレッドである。
芳野は、庄司ともう一人の連れに大蔵を紹介した。
「彼は、水戸の伊東誠一郎殿の道場で師範をされている鈴木大蔵先生です。まもなく伊東先生の御息女を娶り、家禄を継がれる」
その口振りから察するに、真田との縁談の件は知らないらしい。
「まだそうと決まったわけじゃない」
「北辰界隈では知れた話ですよ。伊東先生は鈴木さんを跡継ぎに考えておられたんでしょう?先生が身罷られたということは、つまり…」
何か言い返そうとした大蔵に、荒次郎が膝を突き合わせた。
「ドサクサ紛れに言ってしまうが、兄上、本題というのはそれだ。つまり、潮時なんだよ」
「こんな時に、いったい、何の話だ?」
「跡目のこと、聞いたぞ?さっさと届け出ないと不味いことになるんだろ?主家からは矢の催促とか」
跡継ぎのいない伊東家の事情は切迫していた。
お家存続のためには、婿を迎えねばならず、残された時間は少ない。
そして、周囲は後継者に大蔵を望んでいる。
「なるほど、読めてきたぞ。先生の親族や弟子たちに焚きつけられて私を説得に?」
「今回のことは、いいきっかけじゃないか。卯梅殿をもらって、道場を継ぎ、所帯を持つべきだ。道場の連中もそれを願ってる」
「おまえ、いったい幾らもらった?」
荒次郎は決まりが悪そうに一瞬押し黙り、また先を続けた。
「それはまあ…いいじゃないか。言っとくが、金を貰ったから言ってるんじゃないぞ?私自身も、その方が兄上のためにいいと思ってる」
卯梅は、控えめに言っても美しい少女で、想いを寄せる門徒も多い。
確かに、卯梅の華やいだ美しさは大蔵と似合いだった。
真田は荒次郎に歩み寄ると、顎の先をクイと持ち上げた。
「おいおい、俺を差し置いて勝手に話を進めてもらっちゃあ困るな」
「何の話だ」
真田はニヤリと笑って、大蔵を振り返った。
「弟君は事情をご存じないようだ。しかし、俺はあんたと違って矮小な私事にかまけてばかりもいられなくてね。あんた方穏健派や旗本が気長に手を拱いてる間に、奴らはとうとう横浜に居座ってしまった」
大蔵は、薄笑いを浮かべて非難を躱した。
「私は婿入りなどという小さな問題に頭を悩ませる浪人に過ぎない。そんな男に何が出来るというんです?」
しかし、庄司弁吉にはそんな言い逃れは通用しなかった。
「はぐらかすな。聞けば、もはや貴殿も我らの同胞のようなものではないか」
大蔵が娘婿として伊東家に入ることは、つまり、道場を貰い受けると同時に家禄を継ぎ、水戸家臣になることを意味する。
“天下の副将軍”水戸藩主は、例外的に江戸常駐を認められているので、家来も参勤交代による二重生活の苦労がない。
だから伊東も深川に根を降ろし、道場を兼ねた屋敷を構えることが出来たのだ。
「そのような立場にある者が、いったいどういう了見だ。襖一枚を隔てて聴き耳を立てている者がいるやもしれぬのに軽率すぎよう。そこな芸者、どこの誰からそのような小唄を教わったのか」
庄司の眼には、殺気すら宿っている。
しかし、勝奴は啖呵を切って、大いに辰巳芸者の面目を施した。
「旦那様、そりゃあ花柳界の御法度で、お話し出来ませんねえ。どうしてもと言うなら、さあどうぞ。お斬りなさい」
大蔵は睨み合う双方に、手のひらを突き出した。
「その前に。まずは、彼女から歌の意味を教えてもらおうじゃありませんか」
一同はその提案に戸惑って顔を見合わせた。
「ようござんす」
いきり立つ浪士たちを前に勝奴の態度は堂々としたもので、まるで学問所の教授よろしくこの歌の訳詞を開陳した。
「♪もう森へなんて行かない
あの月桂樹が切られてしまったから
この娘は、それを拾い集めに行くんだって
♪じゃあ、踊りましょう
ほら見て、こうやって
跳んで 踊って、
お気に入りの子にキスしましょう?
♪この娘は、木切れを拾い集めに行くんだって
でも月桂樹は切られたままなのかしら?
♪月桂樹を切られたままにしておいていいの?
いいえ、一人ずつ、
順番に拾い集めに行きましょう」
【用語・地名・人名】
・天然理心流:多摩地方を中心に広まった流派。後に新選組を組織する近藤勇や土方歳三、そして本作に登場する真田範之助などが学んだ。
・道場破り(どうじょうやぶり):他流試合を申し込み、その道場の実力を試すこと。負ければ看板を奪われることもあり、道場の名誉をかけた真剣勝負となる。
・国賊:国に害をなす反逆者。攘夷派から見れば、外国と親しくする者や開国派は国賊と映った。
・南蛮かぶれ:西洋の文化や風習に影響され、それを真似たり心酔したりしている者を蔑んで言う言葉。
・穏健派:急進的な破壊活動を避け、話し合いや制度の中での改革を望む勢力。
・同胞:同じ目的や思想を持つ仲間。もとは兄弟を指す言葉。
・天下の副将軍:水戸藩主の俗称。水戸藩主は参勤交代をせず常に江戸にいる「江戸定府」という特別な立場にあった。
・昌平坂学問所:江戸幕府が直轄した最高学府。儒教(朱子学)を教え、旗本や御家人などのエリート層が学んだ。
・壮士:血気盛んな若者。特に政治的な野心や正義感を持って活動する者を指す。
・面目を施す(めんぼくをほどこす):手柄を立てたり、立派な振る舞いをしたりして、名誉を保つこと。
・花柳界の御法度:芸者や遊女の世界における厳しい禁忌やルール。客の秘密を漏らさないこともその一つ。




