横浜焼き討ち計画 Part2
「で?次はどうする」
斉藤熊三郎は続きをせがんだ。
「次に、隊を二つに割り、一隊は波止場へ。艀から石油を撒き、英国の軍艦を焼き払う。少なくとも、あの旗艦(ユーライアス号)は沈めてみせる」
清河は、弟の反応を伺って、満足そうに付け加えた。
「あとは…残った蜂蜜だけをいただく」
「蜂蜜?」
「つまり、この場合は、奉行所の蔵に眠ってる金だ」
「奴らも関内が火の海になれば、てんやわんやで対応に当たるだろ?」
「もう一隊は、混乱した神奈川奉行を襲撃して、蔵から兵糧と金を奪い、軍資を調達する。手薄になった奉行所を襲うのは簡単だ」
「双方が目的を達したら、速やかに軍をまとめ、厚木街道より甲州街道に出て北上する」
「その行先は?」
「甲府だ。そのまま一気呵成に城を陥し、彼の地を我々の本拠とする」
熊三郎は目を丸くして、仲間の顔を見渡した。
「おいおい、城攻めなど正気か?我らの兵は多く見積もっても500がいいとこなんだぞ?」
「あんな山城ひとつ落とすなど容易い。甲府は勤番制の天領(城代を置かない幕府直轄地)だから、老いぼれ旗本や御家人どもが、せいぜい300ほど詰めているに過ぎん。奴らも、『山流し』などと揶揄されて、このまま冷や飯を食わされるくらいなら、最後に華々しく散るのは本望だろうて」
「ふう、まあいいだろう。で、それからどうする?」
「甲府から尊王攘夷を天下に布告して有志を募り、然る後、建白書で帝に約した攘夷を果たしたと上申する。その後は、ひとまず朝廷の顔を立て、指示を仰いでから将来の策を定めよう」
大蔵は予期せずとんでもない計画を知ってしまった。
全部が聞き取れたわけではないが、彼らが横浜の港を焼こうとしているのは間違いない。
「なにやら途方もない企てにも思えるが…いつやる?」
熊三郎の問いに、兄は淡々と答えた。
「関内の必要な情報は手に入れた。四月十五日をもって、計画を実行する」
「…五日後、この堕落した町は業火に焼かれ、阿鼻叫喚の地獄と化す。つまり、そういうわけか」
山岡鉄太郎は、通りを行きかう人々を見ながらぼそりと呟いた。
「相手が異人とはいえ、残酷な末路だな。清河さん」
「かもしれん。だが、新しい世界は混沌の中にこそ芽吹くのさ」
大蔵は息をのんだ。
さきほど声を掛けてきた清河という男が、横浜襲撃を画策する一味の頭目らしい。
(すると、やはりこれが、あの清河八郎…)
清河の人気にあやかって、巷では浪士組の名を騙る不逞の輩が、押し借りを働くなどの便乗事件が続発していた。
一説には、彼らのような過激派の人気を危惧したご公儀が、カネをばらまいて偽浪士を雇い、浪士組の評判を貶めようと画策したなどとも言うが、大蔵は、あまり信じていなかった。
大蔵は舌打ちした。
「チッ余計なことを。…今さら黒船に喧嘩を吹っかけてどうなるというのか。しかし、この事を神奈川奉行に密告するわけにもいかん。下手に刺激すれば、関内の警備が厳しくなるだけだ」
しかし一方で、その計画に言い知れぬ高揚感を覚える自分がいた。
「だいたい、なぜあの男が琴を知っている…。姉はやはり、関内にいるのか…?」
建物の影で息を潜めていた大蔵は、清河たちの計画に呑まれ、わずかに集中を欠いていた。
背後に迫る足音に気づいたのは、声を掛けられるのと同時だった。
「おい、おまえ何処の女郎だ。そんなとこで何してる」
声の主は見番の若衆である。
芸者の取り次ぎや代金の精算、さらには郭内の風紀を取り締まる彼らは、いわば不夜城の番犬だ。
武士の性というべきか、大蔵は振り返りざま、反射的に若衆を殴ってしまった。
振り袖がひらめき、若衆の顎に鋭い一撃がめり込む。
男は声も上げず、その場に崩れ落ちた。
芸者長屋の女たちが、悲鳴を上げた。
――見られた。
静まりかえっていた路地裏は一瞬にして騒がしくなった。
声を聞きつけ、提灯をかざしながら見番の手代が駆け寄ってくる。
「どうした、何事だ!」
「い、いてて。誰だか知らんが、足抜けかもしれん…」
殴られた若衆が顔を歪めて呻く。
「顔は見たのか!」
「いや、とっさのことで…だが、あっち、港の方へ逃げていった」
大蔵は着物の裾を端折り駆けた。
だが、石畳に慣れぬ下駄では思うように進まない。
細い路地に滑り込んだ瞬間、強い力で腕を引かれた。
「あんた、足抜けか」
聞き覚えのある声、清河八郎だった。
彼は追手の目を盗むように、大蔵をさらに路地の奥へと引き寄せた。
「…そんなとこ」
大蔵は乱れた息を整えながら、女の声を演じた。
清河はニヤリと笑いながら顎をしゃくった。
「こっちだ」
「なぜ、私を助ける?」
清河の背中に問いかける。
「籠の中の小鳥を逃がすのが趣味でね。この通りを突き当たりまで行けば弁天社がある。社の裏手は川の河口だ。そこに小舟が二艘隠してある、それを使え」
「ずいぶん準備がいいのね」
「お察しの通り、少々後ろ暗い事情があってな。いざという時の用心に準備させたのさ。…もっとも、あんたについちゃ色々聞きたいことはあるが、それはあとだ」
清河は悪戯っぽい目で大蔵を振り返った。
大蔵が自分たちの後をつけていたことに、最初から気づいていたのだ。
「まだ質問に答えてない。なぜ、見ず知らずの私を助けるの」
大蔵の追及に、清河はまた前を向いて視線を外した。
「なぜかな。あんたは、そう、私の刎頸の友に似てる。ふん、我ながら理由になっていないな」
「刎頸の友?それはどういう…」
問い詰めようとしたが、また追手の足音が近づいてきた。
「いいから行け!川の対岸に町屋が数軒ある、舟はその裏に舫っておけ!」
清河は大蔵の背を押し、追手の方へとあえて姿を晒した。
手引きされた場所には清河の言葉通り小舟が繋いであり、投網の下にはご丁寧に漁師の古着まで用意されていた。
大蔵は素早く遊女の衣装を脱ぎ捨て、荒い麻の服に着替える。
暗い水面に漕ぎ出し、振り返ると、関内の岸にチラチラと提灯の灯りが揺れるのが見えた。
大蔵はその足で台町の旅籠「田中屋」へと戻ったが、そこにはすでに喜佐子の姿はなかった。
「しばらく、これを預かってくれ。喜佐子という女が訪ねてきたら渡してやってほしい」
大蔵は、風呂敷に包んだ遊女の衣装を主人に手渡した。




