横浜焼き討ち計画 Part1
清河八郎ら一行は、関内の外国人居留区に足を踏み入れていた。
「あまりキョロキョロするな」
慎重な山岡鉄太郎がみなに釘を刺す。
清河の弟、斉藤熊三郎が十字路に面した店の前で足を止めた。
「W. CURTIS, FAMILY BUTCHER」とペンキ描きされたガラス窓の向こうには、数珠のように繋がったソーセージが天井からフックに吊るされている。
そこは外国人専用の精肉店であった。
熊三郎は顔を顰め、硝子越しに店内を覗き込んだ。
「…アレは?」
「腸詰めと言って、奴らは豚の腸にひき肉を詰めたものを食うのだ」
「…冗談だろ!ああ神様」
熊三郎は天を仰ぎ、絶望したように呟いた。
周囲には、妙に鼻をつく獣脂の匂いと、馬車の車輪が石畳に軋む音、そして理解不能な異国の言葉が混濁している。
そのすべてが、彼らの五感を逆なでした。
一方、遊女に身をやつした大蔵は、外国人たちを外界と隔てる大岡川に突き当たっていた。
苦界へ繋がる唯一の道は「吉田橋」という小さな橋で、その手前に設けられた関門を通らねばならない。
しかし関内の入り口まで来て、大蔵はギョッとした。
見覚えのある大きな背中。
そして、あの横顔はまちがいない。
(中沢良之助…?なぜこの男がこんなところにいる)
中沢は、吉田橋のたもと、関門の前に掲げられた高札の前を手持ち無沙汰に行ったり来たりしている。
大蔵は咄嗟に顔を伏せ、中沢の前をやり過ごした。
今は余計なことを考えるのはやめだ。
大蔵は切り替えて番所の列に並んだ。
中沢良之助がこの場所に居合わせた理由は勿論、窪田治部右衛門の密命により清河を監視するためである。
しかし、先にも述べたように現在関内は戒厳下にあり、武士階級の人間を締め出していた。
清河は通行証を持っており、中沢はこれ以上の追跡を断念せざるを得なかったのである。
大蔵は、言われた通りに手形を見せた。
いかにも臨時雇いといった感じの見すぼらしい役人が、好色そうな視線を送ってきたが、特に通行を咎められることはなかった。
「こんなに簡単に中に入れるとは。神奈川奉行も脇が甘いな」
橋を渡ったのは、清河八郎一行に遅れること、わずか四半刻である。
関所を抜け、そのまま水路沿いに進むと高札場があり、正面には問題の「港崎遊郭の門が見える。
大蔵には根拠のない自信があった。
もし、姉が近くにいれば、それが何処であれ、自分はその兆しを感じ取ることができると。
ふたりの間には、そうした余人の理解を超えた絆が、確かにあった。
しかし、大蔵はそのまま左に折れて、一旦海の方へ向かった。
あの「黒船」を間近に見るためである。
土橋を渡ると、まっすぐに波止場へと抜ける幅十間(約18M)ほどの目抜き通りがあり、その東側が日本人街、西側が外国人街と区画されていた。
海からの風が潮の匂いを運んでくる。
波の音、
カモメの声。
数年前まで、ありふれた漁村だったこの街には、
今や奇妙な出で立ちの異人たちが行き交い、
聴き慣れない言葉の断片が、途切れ途切れ耳に入ってくる。
和洋折衷の珍妙な建物の窓にはガラスがはめ込まれ、
通りに落ちる影を、反射した陽光が四角く切り抜いていた。
大蔵はズラリと並ぶ西洋風の窓を見上げた。
見るのは初めてではないが、誰かに見られているような、落ち着かない心地がする。
「まるで異国だな」
日本人居住区の「本町通り」には貿易商の店舗が軒を連ねていた。
戒厳令下にあるはずの関所の内側では、一見、日常の生活が営まれている。
意外にも道行く人たちの表情は穏やかで、ここに立っていると、今も政治的な緊張が続いているのがウソのように感じられた。
「売国奴どもめ」
大蔵は侮蔑を込めて呟いた。
そのとき。
ガラガラと音を立てる馬車が目の前に迫って来た。
履き慣れない下駄のせいで、慌てて飛び退いたはずみにバランスを崩し、倒れそうになったところを背の高い男に抱きかかえられた。
「バカ野郎!気を付けろ!」
すれ違った御者が振り返って罵声を浴びせる。
その声に気を取られていると、大蔵を支えている男が声を掛けた。
「大丈夫かい?乱暴な馬方だ」
ハッと我に返り、大蔵は慌てて礼を述べた。
「あ、え、ええ。すみません、ありがとうございます」
ところが、男は向き直った大蔵の顔を見て目を見開いた。
「お…お琴?」
「え?」
大蔵は、その名前に鋭く反応した。
しかし今度は男の方が狼狽して、取り繕った。
「い、いや…。すまん、人違いだ」
それが、清河八郎だった。
自分と見間違えられる「琴」という名の女など、双子の姉しか考えられない。
「私をその、琴と言う女と間違われたのですね」
大蔵は逸る気持ちを抑えて努めて冷静に尋ねた。
「申し訳ない。あの娘がここにいる筈はないんだ…にしても、似ているな」
「気になります」
「いや…今のは、忘れてくれ」
清河は、ようやく今回の任務を思い出して、大蔵への執着を振り払った。
「清河さん!」
遠くから呼ぶ者がいて、清河は振り返った。
「今行く!それでは、お嬢さん、失礼」
「…清河?」
大蔵は去って行く男の後姿を見つめながら呟いた。
男は、あの清河八郎ではないのか。
しかも、琴の名を呼んだ。
様々な疑問が頭をもたげ、気が付けば大蔵は、清河たちの後をつけていた。
「俺はまだ計画を聞かされていない」
斉藤熊三郎が不平を言うと、清河は声を潜め、弟に耳打ちした。
「蜂蜜をどうやって取るか知ってるか?」
「何の話だ?」
「尾張では、巣の前で薪を燃やして、巣の中の蜂をあぶり出す。そこで!」
清河はパンと、手を打った。
「一網打尽。やり方は同じさ」
山岡は清河の思わせぶりな例えにため息をつき、計画の具体策を打ち明けた。
「まず、同志五百名を以て、居留地の関門を突破。関内に火矢を放って市街を焼き、焼け出された異人どもを片っ端から斬りまくる」
熊三郎は目を輝かせた。
「ほう!」
ひどく杜撰な計画にも思えるが、当時の日本家屋が火に対して如何に脆弱であったかを考えると、あながち見込みのない作戦とも言えない。
それを裏付ける事実として、これよりわずか15年ほどの間に、横浜の遊郭は三度もの大火を経験し、焼失と移転を繰り返している。
清河たちは土橋を渡り港崎遊郭の方に入っていく。
漆喰の白壁が陽光を跳ね返し、極彩色の欄干が並ぶ異様な空間が広がる。
その中心に鎮座する「岩亀楼」の、天を突くような三階建ての威容を見上げ、一行は足を止めた。
「…焼くには惜しいな」
弟の熊三郎が、贅を尽くした楼閣を眺め、場違いな感嘆を漏らした。
「ふん、汚らわしいわ」
山岡鉄太郎が、吐き捨てるように短く応じた。
その後方を、大蔵がつかず離れずの距離で追っている。
茶屋から楼閣へ向かう遊女を装い、呼吸を殺して言葉の断片を拾い集めた。




