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自分を切り拓くのは刃じゃない

 「切り拓け」って言葉、たぶん刃物を連想させる。

 でもうちの武器は刃物じゃない。鈴と、合図と、椅子一センチ。

 だから今日の“切り拓く”は、工事現場の話になる。


 千紗が帰ってきて、玄関で靴を脱ぎながら言った。


「ねえ。私、今日、切り拓いた」


 その言い方が、ちょっとだけ誇らしげで、ちょっとだけ怖がっている。

 成功報告のふりをした“余韻の処理”だと、受信機が拾う。


「おかえり。凹凸?」

「凹凸……刺さってない。むしろ、ザクってした。でも、痛いザクじゃない」

「痛いザクじゃないザク」

「そう。ザクザク」


 千紗は椅子に座った。ソファじゃなく椅子。背もたれを少し立てる。キュ、と床が鳴る。第三の動きが、今日も先に空気を整える。

 アンが足元に来て、首輪の鈴を鳴らした。チリン。生活の確認音。千紗の肩が少し落ちる。落ちるのは、緊張が抜ける落ち方。


「何を切り拓いた?」俺が聞くと、千紗は少しだけ口角を上げた。


「会議で、言った」

「言えた?」

「言えた。…“現実”って錨、置いた」

「おお」


 千紗は拳を小さく握って、ほどいた。喜びの手。

 でも目がまだ少し揺れている。喜びの隣に怖さがいる。


「でもさ」千紗が言う。「言った瞬間、空気が変わった。風向きが、変わった」


「風向きが変わると、怖いよね」

「うん。味方もいるけど、敵も増える気がする」


 敵。

 言葉が強い。千紗は普段“敵”って言わない。言うときは、周りじゃなく自分の中のコーヒーが勝手に言ってる可能性が高い。

 俺の中で「チッ」が鳴った。ブザー。ここで勢いで褒めると、千紗が“次もやれ”に滑る。


 ブザー→凹凸→一手。

 今日は刺さってないけど、滑りそうだから手順は使う。


 俺は鈴を鳴らした。チリン。

「さぁ」俺は言う。「切り拓いた“あと”を整えよう。工事は、開通より後が大事」


「工事…」千紗が笑う。「道路みたい」


「道路だよ。千紗の言葉の道路」


 まず食感。シャク。

 切り拓いたあとに、体が空回りしてるとき、噛むと落ち着く。


 俺はりんごを切った。今日は厚め。噛む回数で、体のテンポを落とす。

 千紗がひと切れ噛む。シャク。

 音が、達成の余韻に線を引く。終わり方を明るくする音。


「で」俺は言う。「何て言ったの」


 千紗は少し照れて、でもちゃんと言った。


「『現実です。確認と修正の時間が足りません。だから、ここを削るか、締切を動かすか、どっちかです』」


 言い切り。理由一行どころじゃなく、選択肢まで出してる。

 これは確かに“切り拓いた”。


「反応は?」

「沈黙が一秒」千紗が言った。「長かった。渦に落ちる一歩手前の一秒」

「その一秒、どうした?」

「WAITした。止まって、息して、椅子一センチ…じゃないけど、言葉一センチ」

「言葉一センチ?」

「うん。『どちらが現実的ですか』って、優しくした」


 優しくした。

 切り拓くって、強くなることじゃない。道を作って、通れるようにすることだ。優しさは舗装だ。


「千紗、それ」俺は言った。「刃じゃなくてスコップだ」


「スコップ?」

「うん。掘る道具。怪我させる道具じゃない」


 千紗は笑った。「スコップで切り拓く、いいね」


「じゃあ、記録しておこう」俺はメモ用紙を出して、真ん中に一本線を引いた。左にSURFACE、右に中身。スリットを作る。

 成功の記録は、後で支えになる。欠片1ピースじゃなく、ピース箱に入れるやつ。


「左に、今日の表面の出来事」

「……『会議で言った』」

「右に、中身」

 千紗は少し考えて書いた。

「……『怖くても、道を作れた』」


 いい。

 怖さを消してない。怖さごと道を作った。これがマイセルフ。


「五人、呼ぶ?」俺が聞くと、千紗は頷いた。


 白湯、紅茶、ほうじ茶、コーヒー、炭酸。コップを並べる。内なる五人は、工事現場の作業員たち。


「今日の主役は?」

「炭酸」千紗が言った。「今、はしゃぎたい」

「コーヒーは?」

「ちょっと怒ってる。『なんでもっと早く言えなかった』って」

「ほうじ茶は?」

「落ち着けって言う。『今日は休め』って」

「紅茶は?」

「説明したい。上の人にも、チームにも」

「白湯は?」

「黙って抱える。でも今日は、あったかい」


 炭酸が主役なら、今日は祝杯だ。アルコールじゃないやつ。炭酸でいい。


「じゃあ、今日の締め」俺は鈴を鳴らした。チリン。

「さぁ。切り拓いた道に、名前を付けよう」


「名前?」

「うん。道は名前が付くと、次に迷わない」


 千紗は少し考えて、照れながら言った。


「……“現実通り”」


「いい」俺は笑う。「現実通り。強い」


「強い?」

「うん。現実通りって、嘘をやめる合図だから。嘘じゃなく、愛していた、の“嘘じゃなく”と同じ系統」


 千紗は頷いて、鈴を自分で鳴らした。チリン。


「さぁ」千紗が言った。「明日も、現実通りでいく」


 切り拓くのは、刃で切ることじゃない。

 怖さを抱えたまま、通れる道を一本増やすこと。

 その道は、千紗の声で、千紗のすべてで、ちゃんと舗装されていく。

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