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当てる勇気

 千紗が帰宅して、靴を揃えたあと、いきなり両手を握りしめた。

 拳。ファイティングポーズ。

 でも目は笑っている。今日は沈んでない。

 沈んでないのに、緊張してる。


「ただいま」


「おかえり。……その拳、何」


「今日、当てに行った」


「当てに行った?」


「うん。Let’s HIT」


 言い切りが軽い。軽い言い切りは、準備の証拠だ。

 受信機が、ピッと点灯する。今日は“刺さり”じゃなく“挑戦”の周波数。


「何を当てた」


 千紗はコートを脱ぎながら言った。


「上司に。言葉を」


 言葉を当てた。

 それは衝突にもなるし、接触にもなる。

 ここでの差は、角度と速度と、手すりの有無。


「痛くなかった?」


「ちょっと痛かった。でも、壊れてない」


 いい。

 壊れてない当たり方なら、次に繋がる。


 俺はテーブルに鈴を置き、ちりんと鳴らした。

 武器。刃物じゃない。背中を押す合図。


「さぁ。詳しく聞かせて。

 今日は“ヒットの作法”の回だな」


「作法って言うな、格闘技みたい」


「言葉は当て方が大事。乱暴に当てると傷が残る」


 千紗は椅子に座った。ソファじゃない。

 今日は“構える”より“着地”を選んだ座り方。


「今日ね、朝に『まだ?』が来たの」


「RUNNING-MAN案件」


「うん。

 でも、私、給水した。合言葉」


「給水」


「で、地点共有した。

 『今ここまで進んでます。次の報告は◯時です』って」


「いい。道にした」


「うん。そしたら上司が、ちょっとだけ落ち着いたの」


 相手の不安の叫びを拾って、手すりを渡した。

 それだけで、衝突は接触に変わる。


「で、“ヒット”はそこから?」


「そこから。

 午後、また『これも今日中』が来て、私、ラビットになりかけた。

 でも『速く出すために優先順位を確認させてください』って言った」


「マップ」


「マップ。

 その時はうまくいったんだけど、夕方に、上司が言ったの。

 『千紗、最近、線引くよね』って」


 線引くよね。

 それは評価にも嫌味にもなる。

 どっちに聞こえるかで、心の反射は変わる。


 チッが舌の裏に浮いた。

 俺は歯の裏で止める。


 チッ=ブザー。凹凸。


「凹凸」


 千紗も小さく「凹凸」と言って、続けた。


「その言い方がさ、褒めてない感じだった。

 “前はもっと何でもやったのに”って空気」


「優しさ=自己削り、の罠」


「そう。

 で、私、今日は当てに行った」


 千紗は拳を軽く振った。空気を殴るふり。

 でも拳は柔らかい。ヤワじゃない、スプリングの拳。


「何て言った?」


 千紗は少し照れて、でもちゃんと言った。


「『線を引くのは、速く出すためです』って」


 ……うわ、うまい。

 線引き=遅い、って誤訳を、線引き=速さのため、に直した。

 翻訳のヒットだ。


「上司、どうだった」


「一瞬、黙った。

 で、『そうだね』って。

 そのあと、ちょっとだけ言い方が変わった。

 『じゃあ範囲ここまででいい』って」


 ヒットが効いてる。

 衝突じゃなく接触。

 相手の体勢が崩れずに、向きだけ変わった。


「それが今日のHITか」


「うん。でも……心臓がすごかった」


 千紗は胸に手を当てた。

 当てに行くとき、人は自分の中の“怖さ”にも触れる。


「怖かった?」


「怖かった。

 当てたら嫌われるかもって。

 ミス・リグレットのイフ・オンリーさんが出てきそうで」


「出てくる。だから、当て方の作法を作ろう」


 俺は冷蔵庫からりんごを出して、テーブルに置いた。

 今日も食感で割る。

 勝った負けたの話にしないために、シャクで生活に戻す。


「シャク、いる?」


「いる」


 千紗がかじる。


 シャク。


 音が、“当てた後の余韻”にスリットを入れる。

 余韻が暴走して後悔に変わる前に、息を入れる。


「じゃあ、ヒットの作法、三つ」


「三つだけ?」


「質問と同じ。最大三つ」


 俺は指を立てた。


「1) 先に受信する(相手の不安を拾う)

 2) 当てるのは“目的”だけ(人格に当てない)

 3) 椅子を置く(代替案か範囲)」


 千紗は頷いた。


「今日、できてたかも」


「できてた。

 『線を引くのは速く出すため』は目的。

 人格じゃない。

 それに範囲も一緒に出た」


 千紗は少しだけ笑った。

 沈まない笑い。挑戦の笑い。


「でも、次はもっと綺麗に当てたい」


「じゃあ、台詞を磨く。

 短い方が当たる。重い方が刺さる。

 今日は“接触”が目的」


 俺はメモに書いた。


『接触ヒット台詞

 ・急ぎたいですよね(受信)

 ・速く出すために確認させてください(目的)

 ・ここまでなら今日中、ここから先は明朝(椅子)』


 千紗はそれを読みながら、口の中で言葉を試した。


「……いい」


「で、今日の終わりに“自分にメッセージ”置こう」


「置く?」


「うん。

 当てた日は、後悔が来やすい。

 だから先に置く。

 『私は私の人生の署名権を守った』って」


 千紗は小さく息を吸って、言った。


「……MY LIFE IS MY LIFE」


「そう」


「私、今日、当てたのは優しさじゃない。丁寧さだ」


「roots、丁寧さ」


「根っこ」


「根っこ」


 千紗は鈴に指を伸ばし、ちりんと鳴らした。


「さぁ」


「さぁ」


「ねえ」と千紗が言う。「合言葉、今日の追加は?」


「短いやつ」


 千紗は少し考えて、にやっと笑った。


「……『コンタクト』」


「接触」


「うん。

 当てるって、殴ることじゃなくて、コンタクト。

 壊さないで向きを変える」


「最高。合言葉、コンタクト」


「コンタクト」


「凹凸」


「凹凸」


 俺は冷蔵庫の磁石の下に、今日のメモを貼った。真ん中じゃなく、端っこ。


『Let’s HIT=Contact

 受信→目的→椅子

 合言葉:コンタクト

 シャク→さぁ』


 外の世界で言葉を当てるのは、勇気がいる。

 でも当てた後に壊れないなら、それは勝ちだ。

 ヒットは衝突じゃなく接触。

 接触は、明日を少しだけ走りやすくする。

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