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選ばれるの手触り

 金曜の夜に限って、スマホの通知は“遠慮”を知らない。

 ぴこん、ぴこん、ぴこん。

 光るたび、胸の奥がちいさく跳ねる。


 俺は画面を伏せて、テーブルに置いた。見ない練習。

 それでも、背中のあたりで「見ろよ」と言われてる気がする。こういうとき、世界は声がでかい。


「……ねえ」


 千紗が、湯気の立つマグを持ってリビングに入ってきた。紅茶の匂い。

 いつもより一歩、足が重い。靴を脱ぐ動作は丁寧なのに、丁寧すぎて、逆に刺さる。


 受信機、起動。


「刺さった?」


 千紗は一瞬だけ笑って、すぐ真顔に戻った。


「うん。今日ね、“はないちもんめ”された」


「……されたって言い方」


「だって、そういう感じだったもん」


 千紗はソファに座るでもなく、背もたれに手を置いたまま止まった。立つか座るかの二択にしない、第三の動き。

 いまの千紗に必要な姿勢だ。


「何があった」


 千紗はマグをテーブルに置く。音が静かすぎて、逆に言葉みたいに聞こえる。


「飲み会の席でさ。仕事の話になって、来期のプロジェクトのメンバー選びの雑談になったの」


 ああ、あの手の“雑談”。雑談の顔をした採用試験。


「で、『誰と組みたい?』って始まって」


「……うん」


「最初は軽かったよ。『この人は段取りがうまい』とか、『この人は強い』とか。

 でも途中から、評価の言葉が“値段”になった」


 千紗の眉間に、細い線が入る。線は握れる。けど、今はまだ掴みにくい。角が立つ前に、椅子を置く必要がある。


 俺はキッチンに行って、りんごをひとつ持って戻った。包丁は出さない。今日は“割る”が先。


「食感で割る?」


 千紗は小さくうなずいて、りんごをかじった。


 シャク。


 その音が、部屋の空気にスリットを作る。薄い隙間。そこから呼吸が入る。


「それでね。私の前で、別の人が言ったの。

 『千紗さんは、真面目すぎて柔軟性がないかも』って」


 チッが舌先まで来た。

 俺は歯の裏で止める。


 チッ=ブザー。凹凸。


「……言い返した?」


「笑って、誤魔化した」


 千紗は自分のマグを両手で包んだ。温度にしがみつく仕草。嫌いじゃない。必死なとき、人は温度を使う。


「でも、そのあとが嫌だった。

 みんなが“選ぶ側”の顔をして、私もつられて“選ばれる側”の顔をしてた。

 なんか、昔の遊びみたいに」


「はないちもんめ」


「そう。『あの子がほしい』って、言葉だけが先に歩く感じ」


 俺はテーブルの上の小さな鈴に指を触れた。ちりん。

 武器。刃物じゃない。背中を押す合図。


「……奪い去ろうか」


 千紗が顔を上げる。


「なにを」


「“選ばれる空気”から。君を、じゃなくて。君の時間を食うやつから」


 千紗の口元が少し緩む。沈まない夜のための、ほんの少し。


「でもさ、仕事は仕事だし。選ばれるの、避けられないじゃん」


「避けない。ゼロか百かにしない。

 “選ばれる”の中に、椅子を置く」


「椅子?」


「第三の動き。

 選ばれるか、反発するか、黙るか。だけじゃなくて、別の動き」


 俺は椅子を二脚、テーブルの両側に置いた。真正面じゃなく、少し角度をずらす。追い詰めない配置。


「今夜は、ゲームを作り替える」


「ゲーム?」


「“はないちもんめ”が嫌なら、ルールを書き換える。

 取調室じゃない。ショータイムでもない。

 今日は……“席替え”」


 千紗が吹きそうになって止める。笑いに寄せすぎない、の合図が目に出る。俺も頷く。


「席替えって、具体的に」


 俺はメモ用紙を出して、太い字で書く。


『はないちもんめ(職場版)対策

 目的:値踏みの空気から降りる』


「対策って言い方がもう仕事」


「仕事で刺さったなら、仕事の形式で返すのが一番効くときがある」


 千紗はりんごをもう一口。シャク。

 そのあと、ゆっくり言った。


「……降りるって、どうやって」


「まず、受信機。相手の小さな叫びを拾う」


「相手の?」


「“選ぶ側”を演じてる人も、たぶん不安なんだよ。

 評価しないと、評価される。

 だから先に値段をつけて安心したい」


 千紗は眉間の線をほどいて、少しだけ頷く。


「……たしかに、あの人、最近しんどそうだった」


「で、次。線を引く」


 俺はメモに続けて書く。


『線:私は値段じゃなく、役割で話す』


「役割?」


「うん。

 『向き不向き』じゃなくて『役割分担』にする。

 値踏みじゃなく、配置にする」


 千紗がマグを置いた。音が、さっきより軽い。


「たとえば、どう言うの」


 俺は鈴を鳴らした。ちりん。

 背中を押す合図。


「さぁ。台詞の練習」


 千紗は少し照れた顔で、でも頷いた。

 俺は“雑談の席”っぽい声を作る。


「『千紗さんって真面目すぎて柔軟性ないかも』」


 千紗は一瞬固まって、チッが出そうな顔になる。

 俺はすぐ言う。


「ブザー。凹凸」


「凹凸」


 合言葉が出ると、千紗の肩がほんの少し下がる。


「で、一手」


 千紗は息を吸って、答えた。


「……その“真面目”って、どの場面のこと?

 もし締切の話なら、私は“守る役”が得意。

 逆に、柔軟に広げる役が必要なら、その人と組めば強いと思う」


 俺は思わず指を鳴らしそうになって止めた。寄せすぎない。代わりに、りんごをかじる。シャク。


「それ、めちゃくちゃいい。

 値段の話を、役割の話に変換してる。

 しかも相手を殴ってない」


 千紗が小さく笑う。


「殴りたい気持ちはあるけどね」


「それはブザーでいい。出さなくていい。

 チッ=ブザー→凹凸→一手、で運用」


 千紗はメモを覗き込み、ペンを取った。

 自分の字で書き足していく。


『一手:具体を聞く

 “真面目”の場面は?

 “柔軟”って何を指す?

 役割分担に直す』


「いいね」


 千紗はペンを置いて、少しだけ考える顔になる。

 そして言った。


「でもさ、私は“選ばれる側”に回されたのが嫌だった。

 その空気に飲まれた自分が、悔しい」


 悔しさは、消さなくていい。

 沈ませないで、背中を押す武器にする。


「じゃあ、もう一個。

 “選ぶ側”に戻るんじゃなくて、“選ぶ形式”を変える」


「形式?」


「うん。

 『誰がほしい』じゃなくて、『何が必要』にする。

 人じゃなく、条件。

 花じゃなく、土と水と光」


 千紗がふっと息を吐く。

 世界が少しだけ優しくなる呼吸。


「……それ、いい」


「で、今日の合言葉を作ろう」


「凹凸とは別?」


「別。今日専用。短くて、使えるやつ」


 千紗はりんごを見て、また一口。シャク。

 そのあと、ぽつりと答えた。


「……『人じゃなく役割』」


 俺はメモに大きく書いた。


『合言葉:人じゃなく役割』


 千紗が頷いて、鈴を指で鳴らした。ちりん。


「さぁ」


 その一言で、部屋の空気がちゃんと動く。

 外の“値踏み”の空気が、リビングの手前で靴を脱ぐ。


「ねえ」と千紗が言う。「あなたはさ、今日、何してたの」


 俺はスマホを伏せたまま指先で撫でた。

 通知はまだ光っている。世界はまだ大声。でも、こっちは椅子がある。


「仕事してた。

 でも今日は“選ぶ”じゃなくて、“拾う”の方をやった。後輩のグラフ、拾った」


「拾う」


「うん。受信機は、相手の叫びだけじゃなく、相手の得意も拾う」


 千紗は少し笑って、背もたれにもたれた。第三の動きが、今夜は「休む」へ寄る。


「じゃあ私も、明日から拾う。

 “真面目”って言われたら、役割を拾う。

 “柔軟”って言われたら、条件を拾う」


「いい。

 はないちもんめ、じゃなくて、席替え」


「席替え、地味だけど効く」


「地味が強い」


 窓の外で風が通って、カーテンが揺れた。スリット。

 その薄い隙間に、今日の悔しさがちゃんと逃げ込める。追い詰められない場所があるだけで、人は強くなれる。


 千紗が、マグの縁に指を当てて言った。


「ねえ。もしまた“あの子がほしい”って空気になったらさ」


「うん」


「私、心の中で言う。“人じゃなく役割”って。

 で、声に出す。『何が必要ですか?』って」


 俺は鈴を鳴らした。ちりん。


「最高。背中押す」


「さぁ」


「さぁ」


 花を引っ張り合う遊びの代わりに、俺たちは椅子を置く。

 誰かを奪うんじゃなく、空気から降りる。

 そのための合言葉を、手のひらに持って。

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