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ちゃんと戻る、っていう希望  作者: 科上悠羽


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去年のろうそくの置き場所

 「LAST」って単語は、勝手に重くなる。

 最後、って聞こえるから。終わり、みたいに見えるから。

 でも、僕らの家でそれはだいたい「前回」の意味だ。

 前回の誕生日。去年の誕生日。あの時の僕ら。


 朝、冷蔵庫の“うちのニュース”掲示板に、紙が一枚増えていた。

 千紗の字。まるくて、でも迷いがない。


『本日の議題:去年の誕生日

※“最後”にしない(前回にする)

※責めない(恥ずかしさ禁止)

※次の一手にする』


「……次の一手にする、って何」

 僕が読み上げると、キッチンから千紗が顔を出した。

 トーストを片手に、猫の毛みたいにふわっとした顔で。


「あなたが昨日、カレンダー見て固まってたから」

「固まってた?」

「うん。モノクロカプセルみたいな顔してた」

「え、そんなに」

「そんなに」


 足元をアンが通り過ぎて、僕の足首に尻尾を軽く当てた。

 議長の現場確認。

 “何か隠してるだろ”の当て方。


「……誕生日、近いじゃん」

 僕が言うと、千紗は「ああ」と頷いた。

 頷きが逃げじゃない頷き。うなずきの翻訳機がちゃんと動いてる。


「うん。来週」

「で、僕、去年のやらかしを思い出して」

「やらかしってほどじゃない」

「いや、僕的にはやらかし」

 僕は椅子に座って、頭を抱えた。

 なんで誕生日って、当日より“考えてる時間”が怖いんだろう。


 千紗はテーブルに鈴を置いた。

 ちりん。

 刃物じゃなく背中を押す合図。今日は押すというより、記憶の角を丸くする音。


「さぁ」

「……さぁ、で誕生日会議?」

「誕生日会議。たまり場式」

 千紗は椅子を二脚引いた。向かい合わせ、でも真正面じゃない。少し斜め。

 ゼロか百かにしない角度が、誕生日には特に大事だ。

 誕生日を“特別百点”にすると、息が詰まる。


 アンは当然のように椅子の下に潜り、第三の動き担当に就任した。

 尻尾が床をトントン。議長の開始合図。


 コップが五つ並ぶ。白湯、紅茶、ほうじ茶、コーヒー、炭酸。内なる五人。

 それから、りんご。食感で割る保険。

 今日は“恥ずかしさ”が暴れそうだから、シャクで割る準備。


「じゃ、型」千紗が言う。

「チッ→凹凸→一手?」

「うん。誕生日って、勢いで自爆しやすい」

 僕は舌で「チッ」と鳴らした。ブザー。

 “完璧にしなきゃ”が暴発するのを止める。


「凹凸」

「一手」

 千紗が返す。刺さったときの手すり。


「一手目」千紗が言う。「去年の誕生日を“前回”に翻訳する」

「翻訳」

「うん。“最後”じゃなくて“前回”」

 千紗は紙にフレームを描いた。ゆるい額縁。

 そして書く。


『前回の誕生日:起きたこと(事実)』


「事実だけ」

「うん。解釈は禁止」

「痛い」

「痛いなら、なおさら」

 千紗は真顔で言う。優しい真顔。


 僕は思い出す。

 前回の誕生日、僕は張り切った。

 サプライズをした。

 飾り付けをした。

 ケーキも買った。

 でも、千紗は途中で少し黙った。


「……僕、盛りすぎた」

 僕が言うと、千紗は頷いた。

「盛りすぎた。でも嬉しかった」

「え」

「嬉しかったのは本当」

 千紗は指を一本立てた。

「ただ、途中で“受信機”が閉じた」

「受信機」

「うん。私、言えなかったの」

「何を」

「『今ちょっと静かにしたい』って」

 千紗はほうじ茶を飲んで、落ち着きの温度を足す。

「あなたが一生懸命だったから、止めたら悪い気がして」

 その言葉が、僕の胸の奥に“去年のろうそく”みたいな熱を残した。


「……それで、黙った」

「うん」

「で、僕は“喜ばせられてない”って焦って」

「焦って、追加した」

「追加した……」

 僕はりんごを噛んだ。

 シャク。

 恥ずかしさが少し割れる。


「事実」千紗が言う。

「事実は、私が黙って、あなたが焦って、空気が一回だけ重くなった」

「重くなった」

「でも暗くはなってない」

「うん」

「最後に、アンがケーキの箱を嗅いで、くしゃみした」

「した」

 二人で笑ってしまった。

 議長は現場で強い。空気の救急隊。


「二手目」千紗が言う。「“重くなった”の扱いを決める」

「扱い」

「うん。重くなるのは悪じゃない。問題は、飲み込むこと」

「飲み込むと、モノクロになる」

「そう。だからカプセルにする」

 千紗は引き出しから小さな箱を出した。

 薬ケースよりちょっと大きい。透明じゃない、白い箱。


「何それ」

「ろうそく箱」

「ろうそく箱?」

「前回の誕生日の、ろうそく残ってたでしょ」

 千紗は箱を開けた。

 中に、小さなろうそくが一本。去年の余り。

 派手な色じゃない、シンプルなやつ。


「これを“前回”の印にする」

「印」

「うん。重くなった瞬間を、責めの道具にしない」

 千紗は紙を小さく折って箱に入れた。

 そこに書いたのは一行。


『前回:受信機が閉じた(止める言葉が要った)』


 箱の蓋を閉める。

 カチッ。

 散らばらない音。

 “最後”が“前回”になる音。


「三手目」千紗が言う。「次の誕生日の“合図”を決める」

「合図」

「うん。武器は刃物じゃなく背中を押す合図」

「鈴?」

「鈴でもいいけど、誕生日は甘くなるから」

 千紗は少し笑って、指を二本立てた。

「合図は二段」

「二段」

「①ブザー(チッ) ②一言」

「一言」

「うん。短いほど止まれる」


 千紗は紙に書いた。


『誕生日の合図:チッ →「線」』


「線?」

「うん。“今、線を引きたい”の線」

「なあなあで流すのを止める線」

「そう。なあなあ禁止を優しくやる線」

 千紗は頷く。

「誕生日って、嬉しくて、言いにくいことが言えなくなるから」

「言いにくいことを言えるようにする合図」

「うん。受信機を開けたままにする」


 アンが椅子の下から出てきて、箱の周りを嗅いだ。

 議長は“前回”を検品する。

 そして、ろうそく箱に鼻を押しつけて「にゃ」と鳴いた。

 承認らしい。立会人がいると安心する。


 会議はそこで終わった。

 終わりがあると安心する。

 誕生日も同じ。終わり方が決まってると、始められる。


 数日後。誕生日当日。

 僕は、派手な飾り付けをしなかった。

 大きいサプライズも、作らなかった。

 その代わり、冷蔵庫の掲示板に“うちのニュース”を貼った。僕の字で。


『本日のニュース:千紗の誕生日

※盛らない(大作禁止)

※受信機は開けたまま

※合図:チッ→線』


 千紗がそれを読んで、笑った。

「字、慣れてきたね」

「掲示板で育った」

「育てたのは私」

「議長も」

 アンが「にゃ」と鳴いた。

 議長は功績に敏感。


 ケーキは小さいのを一つ。

 ろうそくも一本だけ。

 去年の余りじゃなく、新しい一本。

 でも箱は、枕元に置いた。前回の印として。


 火をつける前に、千紗が言った。

「ねえ」

 受信機が立つ「ねえ」。

「なに」

「今日、嬉しいけど」

 千紗は少しだけ間を置いて、続けた。

「途中で静かにしたくなったら、線、引くね」

 言えた。

 言えたことが、もうプレゼントみたいだった。


「うん。引いて」

 僕も言えた。

 言えたことが、僕のプレゼントだ。


 ろうそくに火をつける。

 小さい炎。焔のように暴れない。

 でもちゃんと灯る。

 千紗が息を吸って、ふっと吹き消した。


 その瞬間、アンがくしゃみをした。

 ……前回と同じタイミングで。

 僕らは顔を見合わせて、笑ってしまった。


「前回の再現」

「議長の演出」

 アンが「にゃ」と鳴いた。

 “当然です”の顔。


 夜。

 片付けの途中で、千紗が小さくブザーを鳴らした。

「チッ」

 僕の背筋が反射で伸びる。

 凹凸。手すり。

「一手」

「線」千紗が言った。「いま、静かにしたい」

 言えた。合図が働いた。

 僕は頷いて、短く返す。

「了解。白湯、持ってくる」

 温度で落ち着かせる。

 誕生日の甘さを、六角に分ける前に、白湯で輪郭を保つ。


 千紗がソファで白湯を飲んでいる間、僕は掲示板に小さなピースを貼った。


『今年の誕生日:

合図が働いた(チッ→線)

受信機が閉じなかった

前回は前回の箱に戻した』


 千紗がそれを見て、少し照れた顔で笑った。

「それ、好き」

「良かった」

「“最後”じゃなくて、“前回”にできた」

「うん。前回は、箱」

「今年は、ここ」

 千紗は自分の胸のあたりを軽く叩いて、言った。

「ここに、灯った」


 誕生日は、終わりじゃない。

 前回があって、今回があって、次がある。

 僕らは“最後”という言葉を、勝手に重くしない。

 必要なら箱に入れて、前回として棚に戻す。

 そして、次の一手を作る。

 それが、僕らの誕生日のやり方だ。

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