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ちゃんと戻る、っていう希望  作者: 科上悠羽


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続きを置ける場所

 夢の続きって、目が覚めた瞬間に逃げる。

 指の間から水が抜けるみたいに、形だけ残して、意味が消える。

 それでも、続きを作りたくなる日がある。

 現実通り、僕らにもある。


 その朝、千紗が珍しく寝言で笑った。


「……ふふ」

 布団の中で、千紗の口元が少しだけ上がる。

 笑いが薄いのに、確かに笑い。

 僕は起こさないように、息を止める。

 アンも察したのか、足元で丸くなったまま動かない。議長も気配を読む。


 やがて千紗のまぶたが開いて、天井を見た。

 目が開いているのに、まだどこか遠い。

 夢と現実の境目の顔。


「おはよう」

 僕が言う。

「……おはよ」

 千紗は一拍置いて、僕の方を見た。

 そして、言った。


「夢の続き、したい」

 言い切った。

 珍しい。

 いつもなら「なんか変な夢見た」くらいで笑って終わるのに。


「続き?」

「うん。続きがある気がする」

 千紗は自分の胸のあたりを軽く押さえて言った。

「ここに、まだ残ってる」

 残ってる。

 僕の中の警戒が一瞬立つ。

 夢は残すと鎖になりそうで怖い。

 でも千紗の言い方は鎖じゃなく、カプセルの匂いだった。


 冷蔵庫の“うちのニュース”掲示板に、いつものように紙が貼られていた。

 千紗の字。もう慣れたけど、今日も早い。


『本日の議題:夢の続き

※潰さない(現実で踏まない)

※盛らない(大作禁止)

※半開きのドアを作る(戻れる)』


「半開きのドア」

 僕が読むと、千紗は頷いた。

「続きは、ドアがあると戻れる」

「夢ってドアで戻れるの?」

「戻れる気がする」

 千紗は小さく笑った。

 笑いの温度が白湯寄り。燃えないけど灯る。


 千紗はテーブルに鈴を置いた。

 ちりん。

 刃物じゃなく背中を押す合図。今日は“夢から現実へ降ろす”ための音。


「さぁ」

「……さぁ、で夢会議」

「夢会議」

 椅子を二脚引く。向かい合わせ、でも真正面じゃない。少し斜め。

 ゼロか百かにしない角度で、夢を扱う。夢は詰めると割れる。


 アンは当然のように椅子の下に潜り、第三の動き担当に就任した。

 尻尾が床をトントン。議長の開始合図。


 コップが五つ並ぶ。白湯、紅茶、ほうじ茶、コーヒー、炭酸。内なる五人。

 そして、りんご。食感で割る保険。

 夢はふわふわするから、シャクで現実に錨を下ろす。


「じゃ、型」千紗が言う。

「チッ→凹凸→一手?」

「うん。夢は勢いで盛りがち」

 千紗が笑う。

 僕は舌で「チッ」と鳴らした。ブザー。

 夢を大作にして潰すのを止めるブザー。


「凹凸」

「一手」

 千紗が返す。手すりがある。


「一手目」千紗が言う。「夢の“残った部分”を三つだけ」

「三つ」

「多いと嘘になる」

 千紗は指を三本立てた。

「色、音、物」

「夢の三要素」

「うん。ストーリーは禁止」

 千紗が真面目に言うので、僕は笑いそうになって、りんごを噛んだ。

 シャク。

 笑いを割って、集中する。


「色」千紗が言う。

「……薄い青」

「音」

「……遠くのホーン。ぷっ、じゃなくて、長いやつ」

「物」

「……小さい鍵」

 千紗は言い切って、そこで止めた。

 ストーリーに逃げない。良い。


 僕は受信機で拾って、短く返す。

「薄い青、遠いホーン、小さい鍵」

「うん」

 千紗の目が少しだけ明るくなる。

 言葉にすると、夢の欠片がピースになる。


「二手目」千紗が言う。「カプセル化」

「またカプセル」

「便利だから」

 千紗は引き出しから小さな透明ケースを出した。

 サプリケースの親戚。

「紙に書いて入れる。開けるのは夜」

「夜」

「うん。夢は夜に近い方が戻れる」

 千紗は紙に書いた。


『薄い青/遠いホーン/小さい鍵』


 そしてケースに入れて、蓋を閉める。

 カチッ。

 夢が散らばらない音。

 夢を飲み込まず、机の上に置ける音。


「三手目」千紗が言う。「半開きのドアを作る」

「ドア」

「うん。現実側に、夢の続きの入口を作る」

 千紗はテーブルの端に、付箋を一枚貼った。

 付箋に小さく書く。


『夜、鍵』


「これだけ?」

「これだけ」

「続きになる?」

「なる」千紗が言う。「ドアは小さい方が開けやすい」

 確かに。大きいドアは重い。開ける前に疲れる。


 午前中、千紗は仕事をして、僕も自分の作業をした。

 夢の話はしない。

 夢を抱えたまま日常をやるのは、意外と難しい。

 夢は軽いのに、手が塞がる。

 だから僕らは“半開きのドア”に預ける。


 昼、千紗がふと、窓の外を見て言った。

「空が、薄い青」

 夢の色が現実に見つかると、少し嬉しい。

 嬉しいけど、盛らない。

 僕は短く返す。

「入口だね」

「うん」

 千紗はほうじ茶を飲んだ。落ち着きの温度で、夢を潰さない。


 夕方、買い物の帰り道。

 遠くで救急車のサイレンが鳴った。

 ホーンじゃないけど、遠い音が胸の奥に触れる。

 千紗が僕の袖を軽く掴んだ。

 掴み方が、夢に引っ張られそうな人の掴み方じゃなく、戻る場所を確認する掴み方だった。


「ねえ」千紗が言う。

「なに」

「夜、開ける?」

「開ける」

「保留じゃなくて?」

「今日は、開けるのが勝ちだと思う」

 僕が言うと、千紗は笑った。

 笑いの色が少しついた。


 夜。

 アンがソファの上で丸くなり、議長が“寝る準備”を始める時間。

 千紗が枕元からカプセルを持ってきた。

 透明なケースの中に、三つの欠片。

 薄い青。遠いホーン。小さい鍵。


 千紗は鈴を鳴らした。

 ちりん。

「さぁ」

 夢の続きのドアを、今から開ける。


 千紗はカプセルの蓋を開けた。

 カチッ、じゃなく、今度は軽い音。

 中の紙を取り出して、付箋の前に置く。


「夜、鍵」

 付箋の言葉が、現実の入口として立つ。


「で、続きは?」僕が聞く。

 千紗は首を傾げた。

 保留のうなずき。

 だから僕は焦らない。

 今日は夢を踏まない日。


「まだ、分かんない」

「まだ、でいい」

「でもね」千紗が言う。「鍵は、私が持ってた」

「うん」

「で、ドアの向こうに、あなたがいた」

 言い方が派手じゃない。

 派手じゃないのに、胸が温かくなる。

 魔法は地味が最強、今日もそう。


「それ、嬉しい」

 僕は短く言った。

 照れて逃げないために、ブザーを先に鳴らす。

「チッ」

 千紗が笑って返す。

「凹凸」

「一手」

「一手は?」

「……抱きしめる、は派手だから」

 千紗が言って、自分で笑う。

「手、握る」

「それ、地味で最強」

 僕は手を差し出した。

 千紗が握る。

 血は出ない。針もない。

 でも確かに、続きがある手触り。


 千紗は掲示板に今日のピースを貼った。


『本日の夢の続き:

欠片(三つ)=薄い青/遠いホーン/小さい鍵

カプセル化=開けるのは夜

半開きドア=付箋「夜、鍵」

続き=鍵は私/ドアの向こうにあなた』


 僕はその横に小さく書き足す。


『夢は盛らない/入口だけ作る/戻れる形にする』


 アンが掲示板の下で伸びをして、欠伸をした。

 議長の“終わり”の合図。

 続きはここまででいい。

 続きは、明日でもいい。

 半開きのドアは、閉めなくていい。


 布団に入って、千紗が小さく言った。

「ねえ」

「なに」

「夢の続きってさ」

「うん」

「続きが“ある”ってだけで、ちょっと安心する」

 僕は頷いた。うなずきは逃げじゃない。声だ。


「うん。続きは、置ける」

 千紗が笑って、鈴を一回だけ鳴らした。

 ちりん。

「さぁ」

「寝る」

「戻る」


 夢は、現実に勝たなくていい。

 潰されない形で、続きを置ければ、それでいい。

 僕らは今日、半開きのドアをひとつ作って、明日へ渡した。


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