降参のポーズは武器
「まいったな〜しょうがない〜」って、言い方が九割だと思う。
同じ言葉でも、投げると諦めになるし、置くと肩の力が抜ける。
今日はその“置く方”の話。
朝、洗濯機が、まいった。
正確には、洗濯機が「ピッ、ピッ、ピッ」と鳴き続けた。
画面には謎のエラー表示。
そしてアンがその前に座り込み、まるで機械を説教するみたいにじっと見ていた。
議長は現場に強い。
「……まいったな」
僕が言うと、千紗が寝室から「うん」と返した。
返しが早い日は、だいたい理解が速い。
千紗が来て、洗濯機の前で腕を組む。
「しょうがない?」
「しょうがない、寄り」
「寄りはいいね」
ゼロか百かにしない会話が、もう手順みたいに回り始めている。
冷蔵庫の“うちのニュース”掲示板には、いつの間にか貼り紙が増えていた。
千紗の字。
『本日の議題:まいったな〜しょうがない〜
※投げない(放棄禁止)
※責めない(人も機械も)
※一手を決める(手順化)』
「朝から洗濯機に会議」
「洗濯機は生活の中核だから」
千紗は真顔で言う。
アンが「にゃ」と鳴いた。議長も同意らしい。
千紗はテーブルに鈴を置いて、ちりん、と鳴らした。
刃物じゃなく背中を押す合図。今日は押すというより、肩をすくめる合図。
「さぁ」
「……さぁ、で降参会議?」
「降参会議」
千紗は椅子を二脚引いた。向かい合わせ、でも真正面じゃない。少し斜め。
ゼロか百かにしない角度で、エラーと向き合う。
アンは当然のように椅子の下に潜り、第三の動き担当に就任した。
尻尾が床をトントン叩く。開始の合図。
コップが五つ並ぶ。白湯、紅茶、ほうじ茶、コーヒー、炭酸。内なる五人。
それからりんご。食感で割る保険。
機械トラブルにもシャクは効く。たぶん。
「じゃ、型」千紗が言う。
「チッ→凹凸→一手?」
「うん。あなた、チッ」
僕は舌で「チッ」と鳴らした。ブザー。
焦って叩いたり、説明で埋めたり、責めたりしないためのブザー。
「凹凸」
「一手」
千紗が返す。手すりがある。
「一手目」千紗が言う。「まいったの中身を分ける」
「分ける」
「うん。“困った”と“腹が立つ”と“恥ずかしい”は別」
「洗濯機で恥ずかしい?」
「あなた、機械に負けると恥ずかしがる」
「……する」
図星。僕はりんごを噛んだ。
シャク。
恥ずかしさが少しだけ割れる。
「じゃあ、今の内訳」千紗が言う。
「困った:7」
「腹が立つ:1」
「恥ずかしい:2」
千紗は指で割合を作る。
「よし。腹立ちは小さい。責めないでいける」
「洗濯機、責めない」
「うん。機械は頑張ってる。今日は“助けて”って鳴いてる」
「受信機だ」
「そう。洗濯機の小さな叫び」
千紗はにこっとする。
トラブルを“人格化”しすぎると危ないけど、今日のこれは優しい方向に効いてる。
「二手目」千紗が言う。「“しょうがない”を手順にする」
「手順」
「うん。“しょうがない”は、思考停止じゃなく、段取り開始」
千紗は紙に大きく書いた。
『しょうがない=①止める ②確認 ③代替 ④戻る』
「戻る」
「うん。最後に戻るがないと、トラブルが居座る」
居座るトラブルは厄介だ。
だから“戻る”。たまり場回の錨。
「三手目」千紗が言う。「一手を決める」
「一手」
「今日は“確認”の一手だけ。攻めない」
千紗は洗濯機の型番シールを指差した。
「これ、写真撮る」
「はい」
僕はスマホで撮った。
アンも撮られたと勘違いして、目を細めた。議長はカメラに慣れてる。
「次、エラーコード」
千紗が洗濯機の表示を指で示す。
僕がそれも撮る。
「よし。確認終了」
「え、直さないの?」
「直す前に、代替」
千紗はきっぱり言った。
「今日は洗濯、回らない日。しょうがない」
その“しょうがない”は投げてない。
机の上に、ちゃんと置いた音がした。
「代替は?」
「コインランドリー」
「現実通り」
「現実通り。生活を止めない」
千紗は鈴を鳴らした。ちりん。
「さぁ」
「え、今から?」
「今から。行けば終わる」
「終われば戻れる」
「そう」
僕らは洗濯物を袋に詰めた。
このとき、僕はつい「自分が悪い」方向へ行きそうになった。
昨日の入れ方が悪かった?
掃除をサボった?
何かした?
そういう自責は、洗濯物に混ぜると臭いが取れない。
僕は舌で「チッ」と鳴らした。
千紗がすぐ返す。
「凹凸」
「一手」
「一手は?」
千紗が聞く。
僕は袋を持ち上げて、肩をすくめた。
言葉じゃなく、ポーズ。降参のポーズ。
「……まいったな」
「うん」
「……しょうがない」
「うん」
千紗は笑って、僕の肩を軽く叩いた。
「その言い方、今日の正解」
「投げてない?」
「置けてる」
「置けてるなら、行ける」
「行ける。いけるいけるは炭酸さんだから今日は小声でね」
「小声のいける」
「ほうじ茶のいける」
僕らは笑った。沈まない。
コインランドリーは、日曜の午前でそこそこ混んでいた。
でも混んでいるのも、妙に平和だ。
みんな生活してる。
誰かの“まいった”が、ここに集まって、回転して、乾いていく。
千紗が乾燥機の前で言った。
「ねえ、ここ、たまり場っぽい」
「どこが」
「椅子がある」
確かに、壁際に簡易椅子が並んでいる。第三の動きができる。
「線もある」
床に貼られた注意喚起の黄色い線。
「スリットもある」
人と人の間の距離。
「平和なことか」
「平和なことだね」
僕が言うと、千紗は頷いて、鈴を鳴らす代わりに、乾燥機のスタートボタンを押した。
ピッ。
今日の“さぁ”はこれだ。
待ち時間、僕はりんごジュースを買ってきて、千紗に渡した。
千紗はストローを刺して、ひと口吸って、笑った。
「シャクじゃないけど、これも割れる」
「甘さで割る」
「うん」
「ねえ」僕は言った。
「なに」
「“しょうがない”って、ちゃんとやる言葉なんだね」
「うん」千紗が言う。「諦めじゃなく、段取り」
「段取り」
「段取りがあると、まいったが居座らない」
「居座らないと、戻れる」
「戻れる」
千紗は言って、僕のスマホを指差した。
「帰ったら、メーカーに問い合わせるのは“今日の外”でやらない」
「今日の外?」
「うん。たまり場の外。今日は洗濯を乾かしたら終わり」
「フレーム」
「そう。フレーム」
ゆるい額縁。生活を守る枠。
乾燥が終わった。
温かい洗濯物を袋に詰めると、手が少し幸せになる。
こういう“手の幸せ”が、まいったを相殺してくれる。
帰宅すると、アンが玄関まで出迎えに来て、袋を検品した。
そして「にゃ」と鳴いた。
議長の合格。
千紗は掲示板に、今日のピースを貼った。
『本日のまいった:洗濯機エラー
しょうがない=①止める②確認③代替④戻る
降参のポーズは武器(投げない)』
僕はその横に小さく書き足した。
『チッ=ブザー→凹凸→一手/肩すくめ=置くまぁいいやの親戚』
千紗が鈴を鳴らした。
ちりん。
「さぁ」
「戻る」
「うん、戻る」
洗濯機はまだ直ってない。
でも、生活は直った。
それで十分な日がある。
まいったな〜しょうがない〜、は、そういう日のための、明るい降参だ。




