小さな山の作り方
ちりも積もれば山となる。
その言い回し、だいたいは努力の話に使われる。
でも僕らの家では、もう一つの山もできる。
やらなかったことの山。
言わなかったことの山。
見ないふりした小さな違和感の山。
山って、できる時は静かだ。
積もる音がしない。
だから気づいた時には、目の前にある。
朝、千紗がゴミ袋を持ち上げて「重っ」と言った。
その一言で、僕は反射的に部屋を見渡した。
ダンボール。空のペットボトル。郵便物の束。
“後で”の小さな札が、あちこちに刺さっている。
胸の奥で「チッ」。
舌打ちじゃない、ブザー。
“ちりつも”が可視化された音。
チッ=ブザー→凹凸→一手。
凹凸。刺さったときの手すり。
「凹凸」
僕が小さく言うと、千紗がすぐ返した。受信機が早い。
「凹凸」
アンは椅子の上で丸くなって、こちらを見ている。椅子。第三の動き。
猫は山を作らない。
正確には、猫は山を作るけど、作ったらその場で崩す。
ティッシュ箱を落として遊び、飽きたら去る。
人間は遊びを“保留”にして積む。
「今日、片付ける?」
千紗が聞く。
聞き方が優しい。叱る匂いがない。
なのに僕の中で、別の声が叫ぶ。
『今すぐ全部やれ!やらないとダメ人間だ!』
炭酸が議長になりたがる。
でも議長は白湯だ。
ここで強火にすると、掃除が罰ゲームになる。
罰ゲーム化は暗く沈む。禁止。
「……やる」
僕は言いかけて、すぐ付け足した。
「でも、ゼロか百かにしない」
千紗が頷いて、冷蔵庫に貼り紙を追加した。貼り紙の忍者。
『ちりつも=山
山は切って食べる(線)
1日3ピースまで
段(20/50/80)
最後にシャク』
「山は切って食べる」
僕が読み上げると、千紗は鍵の鈴をちん、と鳴らした。
「さぁ。今日は食べる日」
「食べるって言い方」
「責めると苦い。食べると生活になる」
「確かに」
「で、段」
千紗が指で20/50/80を示す。
「今日、何%?」
僕は部屋を見て、自分の残量を測った。
仕事もある。外出もある。
でもこの山は見えたまま放置すると、夜に刺さる。
今日は50。
「50」
「よし。50なら3ピース」
「3ピース」
「うん。1日3ピースまで。山を一気に崩さない。崩すと雪崩で疲れる」
「雪崩」
「雪崩は暗く沈む」
線を引く。
千紗がマスキングテープを出してきて、床に四角を作った。線。
この四角の中だけを“今日の山”にする。
四角の外は、今日は触らない。
線が優しい境界になる。
「椅子」
千紗が言う。
「え、片付けの前に?」
「片付けの前に座る。座ると戦わない」
僕らはソファに座った。椅子。第三の動き。
戦わないと決めると、片付けは罰じゃなくなる。
「内なる五人、呼ぶ?」
千紗が聞く。
「呼ぶ」
僕は頷いた。
片付けって、心の状態がモロに出るから。
「白湯:落ち着け」
「紅茶:礼儀(手順)を守れ」
「ほうじ茶:温めながら」
「コーヒー:具体に落とせ」
「炭酸:全部やれ!今すぐ!終わるまで寝るな!」
炭酸が最悪の上司みたいだ。
千紗が笑って、鈴をちん、と鳴らした。
「炭酸は観客席。議長は白湯」
白湯議長。
僕は息を吐いた。吐くのが先。クロール。
そして錨。
錨の一語+理由一行+鈴。風に飛ばされない発言手順。
「錨:現実通り」
「理由:今日は3ピースだけ。全部はやらない」
千紗が鈴をちん、と鳴らす。
「固定。さぁ、ピース決めよ」
ピース。欠片→ピース化/完成側へ戻る。
山を欠片にする。欠片をピースにする。
“完成側”っていう言い方が好きだ。
完璧じゃなく、回ってる側。
「1ピース目」
千紗が言う。
「ペットボトル」
「了解」
「2ピース目」
「段ボール」
「3ピース目」
僕は迷って、郵便物の束を見た。
束って、情報の山だ。
見ないふりした違和感の山でもある。
でも今日は50。重い山は避けたい。
「3つ目は……キッチンの空き箱」
「いい」
千紗が頷く。
「郵便は今日はスリットにする」
「スリット?」
「完全に無視はしない。端っこに“保留トレー”作る」
千紗は小さなトレーを出してきた。
「ここに置くだけ。読むのは別日」
「賢い」
「賢いじゃなく現実通り」
僕らは立ち上がって、1ピース目のペットボトルをまとめた。
キャップを外して、ラベルを剥がして、潰す。
パキ、という小さな音。
ちりつもは音がしないけど、崩すと音がする。
音がすると、終わりが見える。
2ピース目の段ボールは、アンが一番反応した。
箱が動くと、猫の世界は遊び場になる。
アンが箱の影に飛び込み、頭だけ出してこちらを見る。
笑ってしまう。
片付けが暗く沈まない。
ギャグに寄せすぎない程度に、ちゃんと笑える。
「箱は猫のテーマパーク」
千紗が言う。
「入場料はたたむこと」
「厳しい」
「現実通り」
段ボールを畳んで紐で括る。
たったそれだけで、床が一枚増えたみたいに広くなる。
床が増えると、心の呼吸が増える。
3ピース目のキッチンの空き箱は、捨てる前に中身を確認して、外に出す。
空き箱って、なぜか捨てにくい。
“いつか使うかも”が貼り付いている。
でも“いつか”を増やすと、山が増える。
今日は“今”のために捨てる。
全部終わったところで、千紗が言った。
「ピース完了」
「まだ山あるけど」
「うん。でも今日は3ピース。錨がそう言ってる」
千紗が鈴をちん、と鳴らす。
「さぁ。終わりを作る」
終わりを作る。
片付けの一番大事なところ。
終わらないと、また大会になる。
CALLED GAME。止める笛が必要。
「止める」
僕が言うと、千紗は頷いた。
「そっか○」
「受け取ったの○ね」
「うん。今日はここまでで“勝ち”」
勝ち。
勝ちって言うと百になりそうだから、僕は言い換える。
「現実通り」
「そうそう」
千紗が笑う。
残りの山は、線の外へ出す。
線の内側は片付いた。
線の外側は“まだ”。
まだ、でいい。
ゼロか百かじゃない。
そして最後に、りんご。
シャク。
食感で割る。
山のざわざわを、音で切る。
千紗がりんごを切って、僕に渡した。
「最後にシャク」
僕が噛む。
シャク。
音が、今日の3ピースを“完成側”へ押し込んでくれる。
アンが椅子の上に戻り、段ボールが消えた床を見て、ちょっと不満そうな顔をした。
猫はテーマパークが閉園すると渋い顔をする。
でもすぐ寝る。
猫は切り替えが上手い。
「ねえ」
僕が言う。
「ちりつもって、怖い言葉だと思ってた」
「うん」
千紗が頷く。
「でも怖いのは山じゃなくて、“山を全部自分のせいにする癖”」
「……ある」
「だから運用。山は悪じゃない。山は“生活の記録”」
「記録」
「うん。忙しかったとか、楽しかったとか、疲れてたとか。その積もり方のログ」
千紗は最後に鈴をちん、と鳴らした。
「さぁ。明日も3ピースでいこ」
山は一気に崩さない。
切って食べる。
ピースにして、完成側へ戻す。
ちりつもは僕らを責めるためじゃなく、生活を整えるための材料になる。
暗く沈まないまま、今日も小さな山を、僕らは一緒に作って、一緒に崩す。




