自分の火の大きさ
情熱って、扱いにくい。
ないと寒いのに、あると焦げる。
そして僕は、わりと焦がしがちだ。強火を美徳と勘違いするタイプ。
朝、千紗がキッチンの換気扇を回しながら言った。
「今日は“火加減”の日ね」
「料理の話?」
「料理でもある。あなたのマイソウルの話でもある」
千紗はフライパンに油を落として、指で空気に小さな円を描いた。
「情熱、って言うとさ、あなたはコンロを最大にするでしょ」
「だって、燃えた方が早い」
「早いけど、焦げる」
「……う」
「冗談じゃない焦げ方する」
アンが椅子の上で丸くなっている。椅子。第三の動き。
猫は火加減の天才だ。暖かい場所にだけ移動して、熱くなりすぎたら離れる。
ゼロか百かじゃない。猫は段で生きてる。
冷蔵庫の扉に、千紗の貼り紙が増えていた。
「情熱=火
強火は10分まで
その後は中火
チッが鳴ったら凹凸
最後にシャク」
……生活がレシピになってる。
でも、レシピは優しい。守れば焦げにくい。
「今日、何か燃えてるの?」
千紗が僕に白湯を渡す。議長の温度。
僕は白湯を飲んで、息を吐いた。吐くのが先。クロールの呼吸。
「うん。企画。自分の」
「お、マイソウル」
「趣味って言うと軽いけど、仕事って言うと重い。間のやつ」
「間が一番いい。椅子の位置」
千紗が言う。
「で、今日の火種は?」
僕はスマホを開いた。
ノートアプリ。
やりたいことが箇条書きで並んでいる。
書いてあるだけで気分が上がる。
上がると、すぐ全部やりたくなる。
胸の奥で「チッ」が鳴りかける。ブザー。
情熱のブザーもあるんだ、と最近知った。
「来た?」
千紗が言う。受信機が早い。
「来た。情熱のチッ」
「最高。チッ=ブザー→凹凸→一手。情熱にも適用」
「適用って言い方、完全に運用」
「運用があなたを救う」
凹凸。
凸は、「全部やりたい」。
凹は、「全部やると燃え尽きる」。
一手は……火を小さくする。
強火は10分まで。
その後は中火。
「じゃ、タイマー」
千紗が言って、キッチンタイマーを僕の前に置いた。
「10分。強火の許可」
「許可がいるの?」
「あなたの強火は、許可制じゃないと家が燃える」
「比喩が物騒」
「でも現実通り」
現実通り。
切り拓いた道の名前。
僕はタイマーを10分にセットした。
ピッ。
この音が、鈴みたいに背中を押す。刃物じゃない武器。
「さぁ」
千紗が小さく言った。
合図。
僕はノートに手を置いて、書き始めた。
企画の骨組み。
タイトルの候補。
必要な作業。
どこまでが“今週”で、どこからが“いつか”か。
スリットと線を引く。
椅子を置く。第三の動き。
ゼロか百かにしない。
頭が回る。
気持ちいい。
情熱は、気持ちいい。
そして気持ちいいと、危ない。気持ちよさが“正しさ”に見えてくる。
タイマーが鳴った。ピピピ。
強火終了。
僕は反射で「あと5分だけ」と言いそうになった。
胸の奥で「チッ」。ブザー。
「凹凸」
千紗がすぐ言う。
「凹凸」
僕も返す。
一手は、中火に落とす。
やめるじゃない。落とす。
落とすのが、続けるための手順。
「中火にすると、遅くならない?」
僕が言うと、千紗はフライパンを揺らしながら言った。
「遅くなる。けど、焦げない。焦げないと“明日”が残る」
「明日が残る」
「情熱って、明日が残る火が一番強い」
……良いこと言う。
千紗は時々、白湯の顔して刺す。
「中火の作業、何にする?」
千紗が聞く。
「中火は……整理」
「いい。情熱の整理は、情熱を裏切らない」
「裏切らない」
「うん。燃やし切る方が裏切り」
僕はノートの下に、四角で囲んだ項目を作った。
“今日やる”
“今週やる”
“保留”
保留は逃げじゃない。スリット。割れ目。折れないための設計。
ここで、スマホが震えた。
友人からメッセージ。
『今度の週末、飲み行ける?』
情熱の火に、水がかかる感じ。
でも水は悪者じゃない。火が強い日は、水が必要だ。
胸の奥で「チッ」。
ブザー。
凹凸。
一手。
一手は、“ひとつだけ返信”。
そして“錨”。風に飛ばされないように。
僕は心の中で言う。
「錨:戻る」
「理由:予定で焦げない」
鈴の代わりに、鍵の鈴を指で弾いた。ちん。
友人に返信する。
『行ける!ただ、時間短めで。19〜21くらいなら。』
線を引く。
火を守る線。
付き合いを切る刃物じゃなく、温度の境界線。
「いいね」
千紗が言う。
「マイソウル守れてる」
「守れてるかな」
「守れてる。情熱って、自分を燃やすんじゃなくて、自分を照らすもの」
照らす。
なるほど。
燃やすと灰。照らすと光。
同じ火でも、使い方が違う。
昼過ぎ、僕は中火で、企画の“今日のピース”を決めた。
ピース。欠片→ピース化。完成側へ戻る。
今日のピースは、小さくていい。
「今日のピースは?」
千紗が聞く。
「タイトル案を三つ書く」
「いい。三つは多い?」
「多い」
「じゃ、ひとつだけ」
「……一つ、にする」
僕は笑って、ひとつだけ書いた。
“火の大きさを知るノート”
自分で書いておいて、恥ずかしい。
でも恥ずかしさは、情熱の裏側にある健全なブレーキだ。
夕方、僕らはスーパーへ行った。
買い物は水だ。
生活の水で、情熱の火を整える。
帰り道、千紗が言った。
「最後にシャク、忘れてない?」
「忘れてない。むしろ今日のご褒美」
「よし」
家に戻って、りんごを切る。
シャク。
音が、胸の中の火を“ちょうどいい温度”に戻す。
強火の興奮も、中火の集中も、全部まとめて、生活の灯りになる。
アンが皿の端の欠片を狙うので、ほんの少し置いた。
欠片はピース。
ピースは完成側へ戻る。
アンはぺろりと舐めて、満足そうに目を細めた。
猫の情熱は、いつもサイズが正しい。
「ねえ」
僕が言う。
「情熱って、燃やし切らなくていいんだね」
「うん」
千紗が鈴をちん、と鳴らす。
「さぁ。明日も中火で続けよう」
それは“もっと燃えろ”の号令じゃなくて、
“あなたの火を、あなたの大きさで守れ”の合図だった。




