【物語】竜の巫女 剣の皇子 15 花壇
環竜歴741年卯月の早朝。
まだ薄暗い中、ロゴノダ皇国の端にあるアイサイ村に一頭の黒馬が朝霧を切り裂いて駆け込んできた。
そこに乗っているのは24歳のソロフス。夜通しで移動してきたのでちょっと眠気顔だ。
黒馬のミカゼは白い息を吐きつつ勝手知ったる水汲み場へ進む。
ソロフスはミカゼから降りると水を汲み、飲ませた。ミカゼの身体からは汗が白い蒸気となり立ち上っているので、すぐに布で汗を拭き上げた。
ミカゼは自身の世話が終わるとソロフスの首根っこを甘噛みして『お前も飲め』と水飲み場の方に導く。彼は笑ってミカゼに礼を言い、水を飲んで一休みした。
「あれまあ、『皇子』!今日はどうしたんだい?」
朝の水汲みに来たアデルばあさんが、直ぐさまソロフスに気がついた。
「おはようございます、アデルさん。お久しぶりです、お元気ですか?私はユサ先生に相談事があって」彼もなじみの顔に挨拶をして笑顔を見せる。
アデルも皺の刻まれた顔を綻ばせ
「そうかい、また地面の勉強かい?お前さん、忙しいねえ……!ちゃんと食べてるのかい?朝ご飯はうちで食べな。ほらほら!」
返事をする間もなく、ソロフスとミカゼはぐいぐいとアデルの家へ招かれた。そしてそこで朝ご飯をごちそうになった。
食事はパンとスープ。野菜がたくさん入っている。
ソロフスはこういう食事をとりつつ、今の人々の生活も感じ取るようにしているし 、何よりも『毒を気にせず、安心して食べることのできる温かい食事』が本当にありがたいと感じている。
ミカゼもアデルのロバに並んで餌をモリモリ食んでいる。
(あとでアデルさんの草刈りを手伝おう)とソロフスは思った。
食事が終わると、アデルに礼を言い外に出た。
「皇子!これ持って行きなさい!」アデルはソロフスの上着のポケットに、ぐいぐいとお手製の焼き菓子を詰め込んだ。
彼は、大人になっても子供扱いな対応に苦笑いなのだが、顔には自然と柔らかい笑みがあふれ出す。
ソロフスはもうすぐ85歳になるアデルの働き者の両手を握り礼を伝えた。彼女は照れていた。
彼が「後でまた来て草刈りを手伝う」ことを伝えると、アデルは喜んでくれた。ここは村人同士で助け合ってはいるが、人手は多いに越したことはない。
「今日も『おはなし』に行くのかい?」アデルがソロフスに優しく微笑んだ。
彼はただ頷き、微笑み返した。アデルの目を見ることができず、伏し目がちになってしまったが。
アデルは「ナーシャ様も、先生様も、守人もお前さんが来てうれしいと思う。私もうれしいよ。ありがとう」言いつつ、ちょっと涙ぐみ「あらやだ、歳をとると涙もろくってねぇ」慌てていた。
ソロフスは「いいえ、ありがとうございます。私もここに来ることができて嬉しい。いつもありがとう。また来ますね」と礼を言い、ミカゼを連れて『花壇』まで歩いた。
午前の涼やかな風を吸い込むと、彼の胸中も軽くなる気がした。
ソロフスとミカゼが村の小高い丘の中腹に登ると、そこには色とりどりの花が咲いている場所があり、その中に人の頭位の大きさの石が三つ、横一列に仲良く並んでいた。
とてもきれいに手入れされている花壇を眺め、彼は中央の石の前に跪いた。
何も話さない、ただ静かに花々と石を眺める。
本当にじぶんひとりだけの時間。
春風がソロフスの頬や髪をやさしく撫でる。
ミカゼもソロフスの後ろ姿や青空や舞う蝶を眺めつつ、心地良く目を細めている。
気が付いたらとても時間が経っていたようで、ソロフスの後ろから『おーい』と呼び声がかかってきた。ユサ先生の声だ。八十手前の粗野で元気な声にちょっと安心した。
いつも気遣って、ここにいる時は遠くから呼んでくれる。
地質学専門で、皇国冬官指導経験者のユサ先生に質問したいことや学びたい事は、この村を離れてからもどんどん出てくる。本で調べるだけでも不十分だし、他の専門者と相談しても難解な事態も起こる。
明日の昼には土地整備現場に到着しておかねばならない。
やることが多すぎる。
ソロフスはゆっくり立ち上がり、石達にしばらくのお別れの挨拶をした。
真ん中の石碑が日差しで揺らいだ気がした。
かあさま
わたしはあなたのように
しめいをはたせますか
どうかちからをおあたえください
「ユサ先生!すみません!お聞きしたいことが!」
ソロフスはユサに大きく手を振りながら勢いよく駆けていった。
大柄なユサは彼を肩を並べ
「おお、元気か?アデルばあさんから教えてもらったんだよ」
「出立はいつだ?ちょっと母君の部屋で休憩しなさい」
ソロフスの肩をバンバン叩きながらにこやかに自身の家に招いた。
歩くふたりの後ろをミカゼが足取りも軽くついて行く。
空は淡く青く、山越えて遙かに広がる。
ソロフスがルチェイに再会する前年のことである。
(つづく)




