幕間 成実の名
幕間 成実の名
大森の城へ着くと、実元が父を迎えに出てきた。挨拶を終えて奥の部屋を示す、その声がいつもより低い。
「支度は整っておるか」
「はい。先ほどから座って待っております」
父が家臣たちと部屋へ入るのを見送り、実元へ尋ねた。
「時宗丸に会ってもよろしいか」
「どうぞ。待ちくたびれておる頃でしょう」
教えられた廊下を小十郎と進み、戸口で声をかけた。
中にいた時宗丸は、膝へ両手を置いていた。新しい衣の袖が畳へ広がり、腰には刀がある。顔を見るなり立ちかけたが、脇の男に袖を直され、また座った。
「何だ。もう来ておったのか」
「今、着いた」
向かいへ座ると、時宗丸が戸口を見た。
「殿も?」
「父上も来られた。もう呼ばれるだろう」
「そうか」
時宗丸は膝へ手を戻した。その指が衣をつまみ、離れる。
「似合っておるぞ」
「どこか曲がっておるのか」
「褒めたのだ」
「お前が先に褒めると、確かめたくなる」
自分の襟へ手をやろうとして、男に止められた。
「今、整えたところにございます」
「分かっておる」
手が膝へ戻る。笑いをこらえていると、時宗丸が目を細めた。
「お前のときも、これほど座って待ったか」
「待ったぞ。部屋へ入ってからも、長かった」
「手順を聞いたときには、すぐ終わると思ったのだがな」
廊下を足音が近づいてきた。時宗丸が背を伸ばす。
呼びに来た家臣の声を聞くと、今度は男が袖から手を離した。
「行くぞ」
「俺が先ではないだろう」
場所を空けると、時宗丸が立った。鞘へ手を添え、戸口を通る。その後へ続く前に小十郎を見ると、黙って頷いた。
*
父の前へ座った時宗丸は、両手をそろえたまま動かなかった。
実元も家臣たちも口を閉じている。衣の擦れる音が収まると、廊下で鳴いた鳥の声まで聞こえた。
父が烏帽子を取る。頭を下げた時宗丸へ近づき、髪へ手を添えた。
やがて顔を上げると、額の上に黒い烏帽子が据えられていた。紐を整える者の手が離れても、時宗丸は正面を向いたままだった。
「成実」
父が呼んだ。
「はっ」
いつもより張った声が響く。
成実が畳へ手をつき、頭を下げた。隣の実元も深く頭を下げている。こちらも膝の上で指をそろえた。
祝いの言葉を受ける間、成実は一人ずつ顔を向け、礼を返していた。小さい頃から知っている家臣にも、改めて両手をつく。
顔を上げたとき、一度だけ目が合った。顎を引いてみせると、成実もわずかに頷き、次の挨拶へ向き直った。
祝いの席で隣り合うと、成実が少し身を寄せ、声を落とした。
「何度、頭を下げたか分からぬ」
「皆が見ておるぞ」
成実の背が伸びた。
先に箸を取ると、膝の上で拳が一つ握られるのが見えた。
「後で覚えておれ」
「何か申したか」
「何でもない」
父が顔を向けたので、二人で膳へ目を戻した。
実元が客へ酒を勧める声が響く。成実は料理を口へ運び、飲み込んでから、そっと帯の辺りを直した。
席を終えると、成実に袖を引かれた。廊下へ出るまで待っていたらしい。
「お前、わざと申したな」
「前に、お前も俺へ申した」
「まだ覚えておったのか」
元服の日、何度も頭を下げたと笑われたのを忘れるものか。
袖を引き戻して向かい合う。成実は何か言い返そうとしたが、先に名を呼んだ。
「成実。元服、おめでとう」
口が閉じた。
成実は足をそろえ、顔を上げ直した。
「かたじけない。今後とも、よろしく頼む」
「うむ。こちらこそ」
互いに頭を下げる。身を起こすと、成実はまだ改まった顔をしていた。
「何だ」
「いや。お前に、そのように言われるとは思わなんだ」
「祝いくらい申すわ」
「その前に、からかっただろう」
肩を押され、押し返す。成実が一歩下がったところで、後ろから小十郎に声をかけられた。
「お足元に、段がございます」
二人で振り返ると、庭へ下りる段がすぐ脇にあった。成実は足を戻し、刀の鞘を押さえた。
「これがあると、動きにくいな」
「慣れればよい」
「お前は、もう慣れたのか」
「少なくとも、柱には当てぬぞ」
成実が廊下の柱を見たので、笑ってしまった。
「今、確かめたな」
「当ててからでは遅いだろう」
袖を払って歩き出す。その隣へ並ぶと、成実が庭を見た。端の稽古場で、木剣を片づける者がいる。
「政宗」
「何だ」
「次に来たときは、勝負だ」
「元服した祝いに、一本譲ってやろうか」
「要らぬ。その分も取ってやる」
声が大きくなり、先を歩いていた家臣が振り返った。
成実は口を閉じ、何事もなかったように進む。横顔を見ていると、唇の端が少し上がった。
廊下の角で、実元が待っていた。成実は父親を見ると足をそろえ、頭を下げた。
「成実。まだ挨拶を済ませておらぬ方がおる。参れ」
「はい」
実元に続こうとして、成実が振り返る。
「また後でな」
「うむ」
角を曲がる前に、烏帽子の紐へ指が伸びた。
「成実。触ると緩むぞ」
手が止まる。
成実は実元を見てから、声を落とした。
「分かっておる」
手を下ろして父親を追う背を、小十郎と見送った。
「小十郎。夕方までに、何度あの紐を直すことになると思う」
「気になるうちは、つい手が伸びるものでございます」
笑って歩き出すと、曲がり角の向こうから声が飛んできた。
「聞こえておるぞ!」
小十郎が口元を引き締めた。
返事をせず、父の待つ部屋へ足を向けた。
「ここまでお読みいただきありがとうございます!
評価(下の★★★★★)や一言感想、応援のブクマなど、少しでもいただけると執筆の大きな励みになります! ぜひよろしくお願いします!」




