第三話 婚姻の話
第三話 婚姻の話
天文二十一年(一五五二年)、春。
机へ広げた紙の端を、文鎮で押さえた。
庭から入る風に、まだ墨の乾かぬところが揺れる。筆を置き、書き写した歌を初めから読んだ。
先生の手本より、最後の字が小さい。
前を詰めればよかったのだが、途中から直すわけにもいかなかった。
「若。殿がお呼びでございます」
顔を上げると、小十郎が戸口にいた。
「今、参る」
紙を持ち上げかけ、隅へ指が触れた。
黒くなった指先を見る。
「お手を拭かれますか」
「うむ」
差し出された布で拭い、紙を机へ戻した。
「何の御用だ」
「お話があるとのことでございます」
小十郎は、こちらの手がきれいになるのを待っていた。
布を返し、立ち上がる。
父の部屋へ向かう廊下では、庭の方から時宗丸の声がした。
「政宗!」
足を止めると、木剣を肩へ載せた時宗丸が近づいてきた。
「これから稽古か」
「父上に呼ばれておる」
「では、戻ってからだな」
「お前は、もう終えたのではないのか」
「昨日は、俺が二つ勝ったぞ」
口元が上がっている。
昨日、打ち込んだところを受け損ねたのを、まだ覚えているらしい。
「今日は、俺が三つ勝つ」
「取れるものなら、取ってみろ」
時宗丸が笑い、木剣を肩から下ろした。
「待っておるぞ」
庭へ戻っていく背を見送り、先を急いだ。
*
父の前には、基信が座っていた。
こちらが頭を下げると、父は脇の紙を伏せ、近くへ来るよう手で示した。
基信の隣へ座る。
「お前も、十三になったな」
「はい」
父は一度、基信へ目を向けた。
「三春の田村清顕殿より、縁組の話が来ておる」
膝へ置いた手を動かしかけ、止めた。
「縁組、でございますか」
「清顕殿の姫を、お前の妻に迎えたい」
妻。
父の顔を見たまま、返事が遅れた。
基信がこちらへ膝を向ける。
「お相手は、愛姫様でございます。今年で十二におなりです」
「十二」
俺より、一つ下か。
父が頷いた。
「家同士の話は進めておる。お前にも、伝えておかねばならぬ」
「……はい」
基信の前には、畳まれた文があった。
「三春は、ここから遠うございますか」
父がこちらを見た。
「行く道にもよるが、幾日もかかる」
「では、姫は、その道を」
「こちらへ迎えることになる」
小十郎と絵図を見たときのことを思い出した。
紙の上では近くても、人が来るには日がかかる。
父は基信の前の文へ手を置いた。
「田村とは、これまで以上に力を合わせたい。あちらにも、伊達を頼みとするところがある」
「姫を迎えると、何が変わるのでございますか」
「清顕殿は、お前の舅になる。田村が他家と争えば、こちらも助けを求められよう。伊達に何かあれば、田村を頼むこともある」
基信が言葉を継いだ。
「今後、両家の間のことでは、藤次郎様にもお働きいただくことになりましょう」
父のところへ来る使いは、品を届け、文を受け取って帰っていく。
その間に交わされる話へ、俺も加わるのだろうか。
「俺は、何をすればよいのでございますか」
「田村から使いが来た折には、お前も会え。清顕殿への文も、いずれ任せる」
使いに会い、文を書く。そのときは、父に教わりながら務めることになるのだろう。
では、姫と二人でいるときは。
机の向かいに、知らぬ姫が座っているところを考える。
何を話せばよい。
黙ったままでも、よいのだろうか。
「清顕殿にとっても、大切な一人娘を遠くへ送り出す縁組だ」
父の声に、顔を上げた。
「ほかに子がおらぬゆえ、田村の跡を誰に継がせるかも、話しておる」
「どなたが継がれるのですか」
「お前と姫の間に二人目の男子が生まれたら、田村へ養子に迎え、家を継がせたいとのお望みだ」
父を見てから、基信を見る。
基信も、静かに頷いた。
姫にも、まだ会っておらぬ。
それなのに、子をどちらの家へやるかまで、話しているのか。
「その子は、三春へ行くのでございますか」
「そうなる」
「俺たちと、離れて」
「うむ。清顕殿のもとで、田村を継ぐ者として育つことになる」
口を閉じた。
姫も、父や母と離れて来るのだ。
膝の上で指を組みかけ、両手を置き直す。
「姫は、そのことをご存じなのでございますか」
父が基信を見た。
「清顕殿より、お話しになると伺っております。今、どこまでお聞きかは、私には分かりませぬ」
向こうでも、父親から同じように話を聞いているのだろうか。
「伊達のための縁組なのですね」
父が頷く。
「うむ。田村にとってもな」
「承知いたしました」
両手をついて頭を下げた。
顔を上げると、父はまだこちらを見ていた。
「聞いておきたいことはあるか」
基信の前の文へ目が向いた。
姫の名も、そこに書かれているのだろう。
「……どのような姫なのでございますか」
父の口元が、少し緩んだ。
「それを聞かぬのかと思っておった」
「先に、お話がございましたので」
基信が文を手元へ寄せる。
「私も、直接お目にかかってはおりませぬ。使いに参った者によれば、おとなしく、礼をよく心得た姫であられると」
「おとなしい」
隣に座るところを、もう一度考えた。
こちらから話さねば、ずっと黙っているかもしれぬ。
「お身体は」
「お健やかと伺っております」
「何をして過ごされるのだ」
「書や和歌を好まれるそうでございます」
顔を上げた。
「歌を」
「はい。お手本を写されるばかりでなく、ご自分でも詠まれることがあるとか」
今朝の紙を思い出した。
字の大きさがそろわず、最後だけ窮屈になった歌だ。
「どの歌がお好きなのだ」
「そこまでは、聞いておりませぬ」
基信が答えると、父がこちらを見た。
「お前も、歌の話ならできそうだな」
「同じものを読んでおれば」
好きな歌が違っても、聞けばよいのか。
姫の書いたものも、見てみたい。
「次の使いの折に、お尋ねいたしましょうか」
基信の言葉へ頷きかけたが、父が先に口を開いた。
「せっかくだ。お前から文を添えてはどうだ」
「俺から、姫へ」
「うむ。姫も、お前が歌を好むと知れば、返事を書きやすかろう」
基信も頷いた。
「……何と書けば」
「好きな歌を聞きたいのであろう」
それだけなら、今も口にした。
だが、紙へ書いて姫に届けるとなると、急に短すぎるように思えた。
好きな歌を尋ねるだけでは、こちらのことは何も伝わらぬ。
俺の好きな歌も、書き添えた方がよいだろうか。
「整いましたら、私がお預かりいたします」
基信が文を畳み直した。
その手元を見て、頷いた。
*
部屋へ戻ると、机の歌は乾いていた。
持ち上げてみたが、やはり最後の字が小さい。
書いた歌を脇へ片づけ、小十郎へ顔を向けた。
「紙を一枚、出してくれ」
「はい」
白い紙が前へ広げられると、筆を取る前に手が止まった。
好きな歌を尋ね、その後に俺の好きな歌を添える。
書くことを決めても、最初の一字が出てこなかった。
硯へ目を落とした。
墨は、まだ使える。
筆先を整えたところで、庭から木剣の打ち合う音が聞こえた。
時宗丸を待たせておった。
「時宗丸様には、少しお待ちいただくよう、人をやりましょうか」
紙には、まだ何も書いていない。
「頼む。この文を書き終えてから行く」
筆を持ち直した。
先日の返書は、荷を通してよいと答える文だった。
今度は、まだ会ったことのない姫へ、俺のことも伝えるのだ。
紙の右端へ筆を下ろしかけ、また上げた。
「初めから歌の話では、驚かれるか」
「まずは、ご挨拶をなさってはいかがでしょう」
頷き、紙へ向き直る。
愛姫。
口の中で名を呼んでから、最初の字を書いた。
書き終えた文を、もう一度読んだ。
挨拶の後に、歌を読むのが好きだと書いた。姫がどの歌を好むのかを尋ね、その次へ、自分の好きな一首を添えてある。
今朝の手習いより、字の大きさはそろっていた。
「小十郎。ここへ置いておく。乾いたら、基信へ届けるぞ」
「承知いたしました」
筆を置いて立つと、膝の裏が突っ張った。
思ったより長く座っていたらしい。
庭へ出る支度を済ませ、廊下を急いだ。
時宗丸は、木剣で地面へ線を引いていた。こちらを見ると、その先を持ち上げる。
「一人で三つ勝っておいたぞ」
「誰にだ」
「お前が来ぬから、相手がおらなんだ」
「なら、勝ちにもならぬだろう」
木剣を受け取り、庭へ下りた。
時宗丸が、足元の線を踏んで消す。
「何をしておった」
「文を書いておった」
「また、殿の御用か」
「いや」
木剣を構えたが、時宗丸はまだこちらを見ていた。
「田村の姫へだ」
その口が開いた。
「姫?」
「妻に迎えることになった」
時宗丸が、小十郎へ顔を向ける。
小十郎が頷くと、今度はこちらへ近づいてきた。
「いつ聞いた」
「先ほどだ」
「それで、もう文を書いたのか」
「父上に、添えてはどうかと仰せられた」
「何を書いた」
「お前には関わりなかろう」
時宗丸の目が細くなる。
「歌か」
「なぜ分かる」
「お前が自分から書くなら、そうだと思ったのだ」
歌を書いたと認めてしまった。黙っておけばよかった。
時宗丸は、もう笑っている。
「では、姫からも歌が来るのか」
「まだ分からぬ」
「来たら、見せろよ」
「刀と同じように申すな。これは、見せぬぞ」
「まだ何も来ておらぬのに、しまい込むな」
木剣の先で、時宗丸の木剣を軽く叩いた。
「始めるぞ」
「三つ勝つのであったな」
離れた時宗丸が、腰を落とす。
こちらも両手で柄を握った。
*
一つ目は、肩を取られた。
打ち返そうとしたところで、小十郎の声がかかる。
「そこまで」
木剣を下ろすと、時宗丸が指を一本立てた。
「あと二つだ」
「お前が勝つ数ではないぞ」
二つ目は、打ち込んできた木剣を受け、押し返してから胴へ入れた。
時宗丸が口を結ぶ。
「今のは、俺だな」
「分かっておる。次だ」
小十郎に足の位置を直され、もう一度向かい合った。
風に揺れた枝の影が、時宗丸の肩を横切る。
踏み込んだ足へ土がかかり、木剣がぶつかった。
押せば、向こうも押してくる。
先に引いた時宗丸の木剣が回り、慌てて受け止めた。手の中で柄がずれたが、握り直して前へ出る。
「お二人とも、一度お離れくださいませ」
小十郎の声で足を止めた。
二人で後ろへ下がる。
時宗丸は、肩で息をしていた。こちらも額から汗が垂れ、柄から片手を離してぬぐった。
「若。構えを」
片手を戻し、木剣を上げた。
ようやく三勝目を挙げたときには、時宗丸も三つ勝っていた。
「同じではないか」
言うと、時宗丸が膝へ手をついて笑った。
「俺は、三つ勝たせぬとは申しておらぬぞ」
まだ続けようと木剣を持ち上げたが、小十郎が間へ入った。
「本日は、ここまでにいたしましょう」
「もう一つ」
「お二人とも、握る手が緩んでおります」
柄を見る。
汗で、掌が濡れていた。
時宗丸も自分の手を開き、息を吐いた。
「次は、俺が四つだ」
「勝ってから申せ」
小十郎へ木剣を渡し、廊下へ戻る。
先に上がった時宗丸が、こちらへ振り返った。
「姫が来ても、稽古には来いよ」
「なぜ、来ぬことになる」
「部屋で文ばかり書いておっては、腕が鈍るぞ」
その肩へ手を伸ばしたが、笑いながら逃げられた。
*
部屋で衣を着替えていると、戸口に竺丸が来た。
呼ぶ前に中へ入り、机の脇へ座る。
「兄上。姫が来るのですか」
衣の襟を直していた手が止まった。
「誰に聞いた」
「母上から伺いました」
竺丸の後ろでは、母付きの女が頭を下げていた。
「うむ。田村の姫を迎える」
「いつ頃ですか」
「日取りは、まだ聞いておらぬ」
竺丸が机へ顔を向けた。
乾かしておいた文に、目が留まる。
「それは、姫への文ですか」
「そうだ」
紙の端へ伸びかけた手が、膝へ戻った。
「どのような方ですか」
「歌や書を好まれるそうだ」
「兄上と同じですね」
「うむ」
小十郎が、文を畳むための紙を脇へ置いた。
竺丸は小十郎のそばへ寄り、部屋の奥を見た。
「姫も、この部屋へ来られるのですか」
「来ることもあろうな」
「ここに座るのですか」
自分の膝の前を指す。
「まだ決まっておらぬぞ」
答えると、竺丸は少し横へずれた。
机との間が開く。
「何をしておる」
「姫の座るところを、空けておこうかと」
その前へ座り、文を手元へ寄せた。
「今は、お前しかおらぬだろう。寄れ。そこからでは、机が遠い」
竺丸が戻ってくる。
肩が触れるほど近くへ座ったので、少しだけ膝を引いた。
「そんなに寄らずともよい」
竺丸は動かなかった。
文を折り目に沿って畳んでいると、その指が机の端をなぞる。
「姫も、兄上と歌を書くのですね」
「そうなるかもしれぬ」
「僕も、書けます」
顔を見る。
竺丸は机へ目を落としたままだった。
「手本を写すのか」
「自分でも、書いてみます」
脇へ置いてあった紙を引き寄せようとしたので、その手へ指を添えた。
「それは、今朝使ったものだ」
竺丸の手が止まる。
「新しいのを出す。何を書くのだ」
「……まだ、決めておりません」
小十郎が紙を一枚出してくれた。
竺丸はそれを前へ置き、硯を見る。
「兄上は、何を書いたのですか」
「好きな歌を尋ねた」
「僕の好きな歌も、聞いてくださいますか」
「聞けば、答えられるのか」
竺丸がこちらを向いた。
少し口を開き、また閉じる。
「先生と読んだ歌の中に、好きなものがあります」
「では、それを教えろ」
筆を持たせると、竺丸は墨を含ませた。
紙の上で、筆先がしばらく止まっている。
「忘れたのか」
「覚えております」
一字を書き、次のところでまた止まった。
横からのぞくと、竺丸が袖で隠す。
「まだ、見ないでください」
「分かった。書けたら見せろ」
畳んだ文へ包み紙を重ねた。
竺丸の筆が動く音を聞きながら、端をそろえる。
「兄上」
竺丸が紙をこちらへ押した。
途中の字が一つ、抜けていた。
指を置こうとして、先に竺丸が口を開く。
「そこは、後から書き入れます」
「小さくなりすぎるぞ」
今朝の自分の紙を見る。
最後の字が、やはり窮屈だった。
竺丸もそちらを見た。
「兄上も、同じではありませんか」
「……後で、書き直す」
竺丸の口元が上がった。
*
文を持って基信のもとへ行くと、次に三春へ向かう使いへ託すという。
「いつ、お発ちになる」
「明後日を予定しております」
文を差し出しかけ、手を止めた。
好きな歌は書いたが、こちらでどう暮らしているかは、何も書いておらぬ。
「では、その前に、もう少し書き添えたい」
「承知いたしました。整いましたら、お持ちくださいませ」
文を手元へ戻した。
隣には、ついてきた竺丸もいる。
その手には、先ほど書いた歌の紙が握られていた。
竺丸がこちらを見上げる。
「また、歌を添えるのですか」
「庭のことだ。桜の木があると、書いておこうと思う」
「池のことも、書かれては」
「うむ」
「鞠で遊ぶところも、書くのですか」
竺丸が、握った紙へ目を落とした。
包みを持ち直した。
「庭の広いところだな」
「はい」
「姫が来られたら、お前が教えてやればよい」
竺丸は、すぐには頷かなかった。
小十郎の方を見てから、こちらへ目を戻す。
「兄上も、一緒に来てくださいますか」
「うむ。一緒に行こう」
返事を聞くと、竺丸は紙を畳み始めた。
角がずれ、開いて折り直している。
待ってから、二人で廊下を戻った。
庭のことを書き添えた文は、翌日、基信へ渡した。
使いが発ってから、しばらくは廊下で基信を見るたびに足を止めそうになった。
まだ三春へ着いてもおらぬ。
そう思って通り過ぎると、向こうから頭を下げられ、こちらも頷いて返した。
庭の桜は、先に葉が開き始めた。
雨の翌朝には、池の端へ花びらが寄っていた。竺丸と鞠を取りに出た折、枝を見上げる。
「姫が来られる頃まで、花は残るでしょうか」
竺丸も上を向いていた。
「今年の花は、もう散るだろうな」
「では、今年の花はお見せできませんね」
足元へ転がってきた鞠を拾い、竺丸へ渡す。
「来年も咲く」
「来年は、姫もご一緒ですか」
頷くと、竺丸は鞠を抱え直した。
「では、姫には、あちらからお見せしましょう」
池の向こうを指している。
「お前は、こちらでよいのか」
「僕は、兄上とこちらで見ます」
鞠をこちらへ押しつけ、竺丸が先に庭の広いところへ走っていった。
*
返事が届いたのは、それから幾日か後だった。
父の部屋へ呼ばれると、基信の前に小さな包みが置かれていた。
「田村より、使いが参りました」
座るなり、包みへ目が向く。
父がこちらを見た。
「清顕殿からの返書もあるが、まずは、お前の分を渡しておこう」
基信が包みを差し出す。
「愛姫様より、お預かりしたものでございます」
両手で受け取った。
紙は薄く、指を添えたところがわずかにへこむ。
「ここで、開いても」
「お前へ届いたものだ」
父の返事を聞き、結ばれた紐を解いた。
中には文と、別の紙に包まれたものがある。
文を先に開く。
細い字が、行をそろえて並んでいた。
挨拶を読み、その次で目が止まる。
庭の桜について書いてあった。
花の頃には間に合わぬかもしれないが、池に映るところも見てみたい、とある。
池の向こうからなら、枝と水面を一緒に眺められるだろうか。
いつも鞠を追って通る辺りを、思い浮かべた。
その先へ目を移す。
俺が添えた歌は、姫も読んだことがあるらしい。ただ、好んで読むのは、秋の歌が多いという。
「秋か」
声に出すと、父が顔を向けた。
「何だ」
「姫は、秋の歌を好まれるそうです」
もう一度、文へ目を戻した。
春の花も好きだが、葉の色が少しずつ変わる頃を待つのも楽しみだと書いてある。
庭へ出るたびに、昨日との違いを探すのだという。
こちらの庭にも、秋になれば葉の色が変わる木がある。姫なら、どの木の前で足を止めるだろう。
文の終わりには、こちらの冬について尋ねてあった。
雪の深いところと聞いているが、庭の池まで凍ることがあるのか、と。
「姫は、池まで凍るのかと尋ねておいでです」
「凍ると教えてやれ。お前が縁を踏もうとして、止められたこともな」
基信が口元へ手を添えた。
そこまでは、尋ねておらぬ。
「凍ると、お返事します」
「上を歩けるとは書くなよ」
「書きませぬ」
父が笑った。
文を折る前に、もう一度、雪について尋ねたところを読んだ。
こちらへ来てからのことを、姫も考えているのだ。
*
部屋へ戻り、残りの包みを開いた。
中にあったのは、小さな押し花だった。
薄い紙の間へ、紫の花が一つ挟んである。
添えられた紙には、庭の菫を押したものだと書かれていた。
「小十郎。菫は、こちらにも咲くな」
「はい。庭の端でも、お見かけいたします」
近づいてのぞく小十郎へ、紙を少し向けた。
花びらは平たくなっていたが、紫は残っている。
「摘んだものを、そのまま送れば、着くまでに傷むからか」
「このようにしておけば、長く置けましょうな」
指で触れかけ、手を止めた。
薄い。少し力を入れれば、欠けてしまいそうだった。
紙を閉じ、文のそばへ置く。
戸口から時宗丸の声がした。
「政宗。入るぞ」
返事をすると、片手に包みを持って入ってきた。
「父上からだ。殿へ届けた残りを、お前にもと」
包みを開くと、干した果物が入っていた。
時宗丸が果物へ伸ばした手を止め、机の文を見た。
「来たのか」
「うむ」
「歌も?」
「好きな歌の話は、書いてあった」
時宗丸が向かいへ座った。
押し花の紙へ目を留め、顔を寄せる。
「こちらは」
「菫だ。姫の庭に咲いておったそうだ」
紙を開いて見せると、時宗丸が手を伸ばした。
「触るなよ」
「まだ触っておらぬ」
引っ込めた手で、干した果物を一つ取る。
「姫は、お前の歌を何と」
「同じ歌を読んだことがあると。だが、秋の歌を好まれるそうだ」
「では、次は秋の歌か」
机の脇へ置いた歌の本を見る。
先ほど、棚から出したばかりだった。
時宗丸もそちらを見た。
「もう探しておるではないか」
「俺も読むのだ」
「読めばよいだろう。何を怒る」
笑いながら果物を噛んでいる。
こちらも一つ取り、口へ入れた。
思ったより酸っぱく、頬の奥が縮む。
時宗丸が声を上げて笑ったので、その前へ包みを押し返した。
*
夕方、竺丸が来た。
押し花を見せると、机へ両手を置いてのぞき込んだ。
「姫の庭に咲いていたものですか」
「うむ」
顔を近づけ、横からも見る。
「押しても、色は残るのですね」
「うむ。摘んだまま送られてきたら、着く頃には萎れておっただろうな」
「姫が、ご自分で押されたのでしょうか」
問われ、文を見る。
「文には、そこまで書いておらぬ。だが、庭のことを書いたから、見せてくださったのかもしれぬ」
竺丸は、しばらく花を見ていた。
「兄上からも、何かお贈りになるのですか」
「返事は書く」
「花も添えられますか」
庭へ目を向ける。
桜の枝には、もう花が少ない。
「同じものでは、姫も持っておられるだろうな」
竺丸が頷きかけ、こちらを見た。
「雪をお見せできれば、よいのですが」
「三春へ着くまでに、水になるぞ」
「それは、分かっております」
言い返してから、竺丸も笑った。
紙を閉じると、その手が机の端へ戻る。
「池が凍るかと、尋ねておいでだ」
竺丸が庭を見る。
「姫が来たら、教えるのですね」
「うむ。薄いところへ乗られては困る」
「兄上も、止められたではありませんか」
小十郎を見ると、こちらへ顔を向けていた。
「お前が教えたのか」
「私は、何も」
竺丸が膝の上で手を組んだ。
「僕も、その場におりました」
そうであったか。
竺丸が笑い、小十郎も口元を緩めた。
文へ目を戻した。
*
日が傾いてから、返事を書く紙を広げた。
小十郎が灯りを寄せる。
姫の文は、左手の届くところへ置いた。押し花は、その下へ重ねてある。
池が凍ること。
雪が積もれば、庭の石まで隠れること。
春になると、屋根から落ちる雫の音が部屋まで聞こえること。
書きたいものを思い浮かべ、筆へ墨を含ませた。
秋の歌のことも、尋ねたい。
葉の色が変わるのを待つというなら、どの木をよく見ているのだろう。
一行書いてから、姫の文を読み直す。
初めに聞いた、おとなしい姫、という言葉を思い出した。
この文を書いている間も、庭を見たのだろうか。
向こうの部屋も庭も、まだ知らぬ。
菫の紙を少し開き、花を見た。
こちらへ来られたら、池の向こうへ案内しよう。
その前に、一度、あそこから桜の枝を見ておかねばならぬ。
菫を挟んだ紙を閉じ、書きかけの文へ筆先を戻した。
今度は、次の行へ続けて書けた。




