第五十九話 「じゃあ、考えればいいんじゃない?」
第五十九話 「自分の気持ち」
翌日。
私はいつも通り会社に出社していた。
「おはよう、陽花」
「お、おはようございます!」
「…………?」
柚木さんが不思議そうに私を見る。
「どうかした?」
「い、いえ! なんでもありません!」
私は慌てて自分の席へ向かった。
……危ない。
普通にしよう。
昨日のことは、いったん忘れよう。
仕事中なんだから。
私はパソコンを立ち上げ、今日の予定を確認する。
午前中は資料の整理。
午後は学園関係の書類確認。
いつも通り。
何も変わらない。
私は深呼吸して、仕事を始めた。
「…………」
――好き。
「…………」
手が止まった。
「……何考えてるんだ、私は」
昨日の月依の言葉が頭から離れない。
私はお姉ちゃんのことが好き。
一人の人として。
あのときの月依の顔。
声。
そして、少し震えていた手。
「…………」
私は頭を振った。
仕事。
仕事をしよう。
資料に目を戻す。
……戻したはずなのに。
今度は資料の文字が頭に入ってこない。
「陽花」
「ひゃっ!」
突然、後ろから声をかけられた。
振り返る。
「……ナビキ」
「さっきから同じページ見てるけど」
「…………」
「仕事、進んでる?」
「……進んでます」
「嘘」
「なんで分かるのよ」
「顔」
「顔?」
「すごく分かりやすい」
「…………」
ナビキが私の机の横に座る。
「昨日、何かあった?」
「……何も」
「ふーん」
「…………」
「月依と」
「――っ」
私は勢いよくナビキを見る。
ナビキは少しだけ目を細めた。
「やっぱり」
「……知ってたの?」
「だいたい」
「だいたいって……」
「昨日の資料の件」
「…………」
「その資料の原本を持ってるから」
やっぱり。
私は机に突っ伏した。
「……もう嫌」
「何が?」
「みんな知ってるじゃん……」
「私は詳しくは知らないよ」
「でも、分かってるんでしょ」
「うん」
ナビキはあっさり頷いた。
「月依が陽花のこと好きなんでしょ?」
「…………」
本人から聞いた言葉を、他人の口から聞く。
それだけなのに。
また胸がざわついた。
「……そう」
「告白された?」
「…………うん」
「そっか」
ナビキは、それ以上驚かなかった。
「それで?」
「それでって?」
「陽花はどうしたの?」
「……何も」
「返事は?」
「してない」
「なんで?」
「…………分からないから」
「何が?」
私は黙った。
ナビキは急かさなかった。
しばらくして。
私は小さく口を開く。
「……月依が私のことを好きだって知ってから」
「うん」
「ずっと、そのことばかり考えちゃう」
「うん」
「今まで普通に話してたことまで気になるし」
「うん」
「昨日までなら何とも思わなかったことでも、急に意識しちゃって……」
「うん」
「だから……」
私は言葉を止めた。
「だから?」
「……私も、月依のことをどう思ってるのか分からなくなった」
ナビキは黙って私を見る。
それから。
「じゃあ、考えればいいんじゃない?」
「……え?」
「陽花が月依をどう思ってるのか」
「…………」
「月依がどう思ってるかは、もう分かったんでしょ?」
「うん」
「じゃあ次は陽花の番」
私は黙り込んだ。
「でも……」
「でも?」
「妹なんだよ」
「うん」
「ずっと一緒にいた妹で」
「うん」
「大切で」
「うん」
「だから、そんな……」
言葉が続かない。
ナビキは少しだけ考えるように目を伏せた。
「陽花」
「なに?」
「月依が陽花のことを好きじゃなかったら」
「…………」
「昨日から、こんなに悩んでた?」
「…………」
答えられなかった。
「たぶん、悩んでないよね」
「……うん」
「だったら」
ナビキは私を見る。
「考えなきゃいけないのは、月依の気持ちじゃなくて、陽花の気持ちじゃない?」
「…………」
胸の奥を。
何かで突かれたような気がした。
「私の……気持ち」
「そう」
「…………」
「別に、今すぐ答えを出せって言ってるわけじゃないよ」
ナビキは立ち上がる。
「私が陽花の気持ちを決めることもできないし」
「…………」
「ただ」
ナビキは少しだけ笑った。
「陽花が昨日からずっと月依のことを考えてるのは事実でしょ?」
「……うん」
「それって、少なくとも『どうでもいい』ってことじゃないよね」
「…………」
私は何も言えなかった。
「だから、ちゃんと自分の気持ちを考えた方がいいよ」
「…………」
「月依に返事するためじゃなくて」
ナビキは自分の席へ戻りながら言った。
「陽花自身のために」
「…………」
私は一人、机の前に残された。
目の前には仕事の資料。
けれど。
もう、文字は頭に入ってこなかった。
自分の気持ち。
私は月依をどう思っているんだろう。
妹だから大切。
それは間違いない。
一緒にいると安心する。
困っていたら助けたい。
笑っていてくれると嬉しい。
それだって、ずっと昔から変わらない。
でも。
昨日から。
何かが変わった。
月依が私を好きだと知った。
それだけで。
今まで何とも思っていなかった言葉や仕草が、気になって仕方がない。
――それは。
いったい、どういう意味なんだろう。
「…………分からない」
私は小さく呟いた。
でも。
昨日までと同じように、
「分からないから考えなくていい」
とは、もう思えなかった。
私はパソコンの画面を閉じる。
今日の仕事はまだ終わっていない。
だから、今は仕事をする。
それでも。
頭の片隅にはずっと残っていた。
――私は、月依のことをどう思っているんだろう。
答えは。
まだ出ない。
けれど。
明日になれば。
月依と、もう一度話さなければならない。
今度は。
私自身の気持ちを伝えるために。




