第五十七話 「図星なんだ」
午後の授業。
私は自分の席に座りながら、黒板を眺めていた。
「では、この場合のカムイ出力を――」
先生の声が聞こえる。
聞こえている。
ちゃんと聞こえているはずなのに。
頭の中には、さっきから別のことばかり浮かんでいた。
――好きな人。
霧島陽花。
「…………」
私は慌てて首を振った。
何を考えてるんだ、私は。
ただの資料だ。
しかも月依がどういう意味で書いたのかなんて、本人に聞いてみなければ分からない。
それなのに。
ちらり。
私は前の席を見る。
月依が真面目に授業を受けている。
いつも通りだ。
先生の話を聞いて。
時々ノートを書いて。
分からないところがあれば隣の生徒に確認している。
何も変わっていない。
「…………」
なのに。
気になる。
ものすごく気になる。
「陽花さん」
「ひゃいっ!」
突然、先生に呼ばれた。
「……?」
教室中の視線が私に集まる。
「あ、えっと……」
「次の問題。解いてみて」
「はい!」
私は慌てて黒板を見る。
問題文を読む。
……分からない。
「…………」
「陽花さん?」
「すみません、もう一回いいですか?」
教室の何人かが笑った。
「珍しいね、陽花」
後ろからアカリの声がする。
「うるさい」
「もしかして、まだ昨日のこと気にしてる?」
「…………」
私は答えなかった。
「図星なんだ」
「違う」
「じゃあ、なんでさっきから月依先輩のこと見てるの?」
「――っ」
私は勢いよく振り返った。
「見てない!」
「いや、見てたよ」
「見てない!」
「三回くらい」
「数えてたの!?」
「だって分かりやすいんだもん」
「…………」
私は机に突っ伏した。
最悪だ。
完全に挙動不審じゃないか。
「お姉ちゃん?」
前の席から月依が振り返る。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫!」
「顔赤いよ?」
「暑いだけ!」
「そう?」
「そう!」
「……?」
月依は不思議そうな顔をしたあと、前を向いた。
私はその背中を見ながら、深く息を吐いた。
……普通だ。
やっぱり普通だ。
月依は何も変わっていない。
変なのは私だ。
絶対に私のほうだ。
そもそも。
仮に月依が私のことを「好きな人」として書いていたとしても。
それは本人に確認したわけじゃない。
アカリが見た資料にそう書いてあっただけだ。
だったら。
気にする必要なんて――。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「今日、一緒に帰れる?」
「…………」
私は固まった。
「お姉ちゃん?」
「……うん」
「どうしたの?」
「なんでもない」
「本当に?」
「本当」
月依が笑った。
「じゃあ、帰ろうね」
「うん」
それだけ。
いつもと同じ会話。
それなのに。
胸が妙に騒がしい。
「…………」
私は机の下で、自分の胸元を押さえた。
なんでだ。
本当に、なんでだ。
昨日までなら何とも思わなかった。
妹と一緒に帰る。
それだけの話だった。
なのに今日は。
その言葉だけで、妙に意識してしまう。
「…………気にしすぎだ」
小さく呟く。
そうだ。
気にしすぎなんだ。
アカリに余計なことを言われたせいだ。
今日一日、ずっとそのことばかり考えているからおかしくなっているだけ。
明日になればきっと元に戻る。
そう。
明日になれば――。
「お姉ちゃん?」
「なに!?」
「……?」
月依が首を傾げる。
「一緒に帰ろうって言っただけだけど」
「あ……」
私は顔を覆った。
「ごめん」
「やっぱり今日変だよ?」
「ちょっと考え事してただけ」
「昨日の資料?」
「…………」
まただ。
その言葉だけで反応してしまう。
「……うん」
「そっか」
月依はそれ以上聞かなかった。
ただ、少しだけ笑った。
「じゃあ、帰るとき教えてね」
「うん」
月依が前を向く。
私はその背中を見つめた。
……やっぱり、何も変わらない。
私だけが変になっている。
だったら。
もう気にしない。
絶対に気にしない。
そう決めたはずだった。
――その日の放課後までは。




