第五十六話 「普通に見てれば分かるよ」
昼休み。
私はいつものように、自分の席でお昼ご飯を食べていた。
昨日の一件も、朝のうちに月依と話したことで、だいぶ気持ちは落ち着いている。
もう気にしない。
そう決めたのだから。
「陽花ー」
教室の入り口から声がした。
顔を上げる。
そこにいたのは、赤い髪をポニーテールにしたアカリだった。
「アカリ?」
アカリは私のところまで来ると、少しだけ周囲を見回した。
「ちょっといい?」
「え?」
「昨日の資料のことで、話したいことがあるんだけど」
「昨日の?」
私は箸を止めた。
……やっぱり昨日の資料のことか。
「月依に?」
「ううん」
アカリが首を横に振る。
「陽花に」
「……私?」
「うん」
思わず月依を見る。
月依は自分の席でお昼ご飯を食べながら、こちらを見ていた。
「私に何の話?」
「ここだとちょっと話しづらいから」
「そんなに?」
「うん。できれば誰もいないところで話したい」
なんだろう。
昨日の資料についてなら、確かに教室でする話でもないのかもしれない。
「分かった」
私は箸を置いて立ち上がった。
「行こう」
「ありがと」
アカリが先に歩き出す。
「お姉ちゃん、どこ行くの?」
月依が声をかけてきた。
「ちょっとアカリと話してくる」
「昨日のこと?」
「たぶん」
「そっか」
月依はそれ以上聞かなかった。
「じゃ、行ってくるね」
「うん」
私はアカリの後を追って教室を出た。
連れてこられたのは、校舎裏だった。
昼休みだというのに、人の気配はほとんどない。
「ここなら大丈夫かな」
「……何の話なの?」
私は改めてアカリを見る。
「昨日の資料の話なんだよね?」
「うん」
「やっぱり、何か問題あった?」
「問題っていうか……」
アカリが少し言葉を濁す。
「陽花って昨日の資料ってどこまで見た?」
「どこまでって……」
私は少し考える。
「妹の成績とか、カムイの適性とか、その辺は見たけど」
「じゃあ、あの項目は見てないんだ」
「あの項目?」
「うん」
アカリが私を見る。
「『好きな人』って項目」
「…………」
私は固まった。
「……好きな人?」
「そう」
「そんな項目あったの?」
「あったよ」
「私、知らない……」
「だと思った」
「それで?」
嫌な予感がする。
というか。
ここまで来て、私に関係する話。
まさか。
「そこに書いてあった名前がね」
「……うん」
「霧島陽花」
「…………」
頭の中が真っ白になった。
「…………え?」
「陽花」
「私?」
「うん」
「月依の資料に?」
「そう」
「好きな人のところに?」
「そう」
「……私が?」
「そう」
アカリはあっさり頷いた。
私はしばらく何も言えなかった。
「……それって、ただ家族だから好きってことじゃないの?」
「違うと思うよ?」
「なんで!?」
思わず声が大きくなる。
「だって妹だよ!?」
「陽花先輩」
アカリが呆れたように私を見る。
「普通に見てれば分かるよ」
「何が!?」
「月依先輩が陽花先輩を見るとき」
「…………」
「陽花先輩に話しかけるとき」
「…………」
「陽花先輩のこと話してるとき」
「…………」
「ちょっと違うから」
「そ、そんなこと……」
「あるよ」
即答だった。
「……本当に?」
「本当」
「でも……」
私は言葉に詰まる。
そんなこと、考えたこともなかった。
私にとって月依は妹だ。
可愛い妹。
大切な妹。
だから好き。
それだけだと思っていた。
「……家族として、だよ」
自分に言い聞かせるように呟く。
「そうなんだ?」
「そうだよ」
「そっか」
アカリはそれ以上何も言わなかった。
ただ、少しだけ考えるような顔をしていた。
「……ちなみに」
「まだ何かあるの?」
「うん」
アカリが少し声を落とす。
「その辺のデータ、拡散される前に消去されたから」
「え?」
「昨日の資料って、学園全体に送られたでしょ?」
「うん……」
「でも、個人情報に近いところは、拡散される前に削除されたみたい」
「じゃあ……」
「知ってるのは極一部」
「…………」
「だから、学園中の人が知ってるわけじゃないよ」
「そっか……」
私は少しだけ安心した。
少なくとも、これが学園中に広まっているわけではないらしい。
「……アカリは、なんで知ってるの?」
「私?」
「うん」
「たまたま見ちゃった」
「たまたまって……」
「まあ、そこはいいじゃん」
「よくない気がするけど……」
アカリは苦笑した。
「じゃ、戻ろっか」
「うん」
私たちは校舎裏を後にした。
教室に戻る。
「おかえり、お姉ちゃん」
「……ただいま」
自分でも分かる。
なんとなく、月依の顔をまともに見られない。
「どうしたの?」
「え?」
「なんか変だよ?」
「そ、そうかな?」
「うん」
「そんなことないよ」
「そう?」
「うん」
私は自分の席に座った。
月依も自分の席に戻る。
いつもと同じ。
何も変わっていない。
なのに。
月依がこちらを振り向いた。
目が合う。
「?」
「……なんでもない」
私は慌てて目を逸らした。
――好きな人。
霧島陽花。
あの資料に、そう書かれていたらしい。
さっきまでは、そんなの家族としての「好き」に決まっていると思っていた。
私だって月依のことが好きだ。
それは当たり前のことだった。
でも。
「…………」
アカリに言われた言葉が、頭から離れない。
――普通に見てれば分かるよ。
今まで気にしたことなんてなかった。
月依が私を見る目も。
私に話しかけるときの表情も。
私のことを話すときの様子も。
全部、妹だからだと思っていた。
……いや。
今だって、そう思っている。
そう思っているはずなのに。
「……なんで気になるんだろ」
小さく呟く。
私はもう一度、月依を見る。
すると、また目が合った。
「お姉ちゃん?」
「……っ」
慌てて視線を逸らす。
胸の奥が、妙に落ち着かない。
今までなら、こんなことなかったのに。
たった一つの項目を知っただけ。
それだけなのに。
私はどうして、こんなに月依のことを意識してしまうんだろう。
「…………」
分からない。
どうすればいいのかも。
自分が今、何を考えているのかさえ。
ただ一つ分かるのは。
――お昼休み前までと同じように、月依と話せなくなってしまった。
そのことだけだった。




