第四十五話 「私も連れてって……」
桜の花びらが風に乗って舞っていた。
まだ少し肌寒い春の日。
私は玄関先でスーツケースを握りしめていた。
「お姉ちゃん……」
振り返ると、小さな月依が泣いていた。
制服の袖で何度も涙をぬぐっているのに、次から次へと涙があふれてくる。
「行かないで……」
「月依……」
「お姉ちゃんと一緒にいたい」
私はしゃがみ込み、月依の頭を優しく撫でた。
「高校卒業したら、ちゃんと帰ってくるよ」
「やだ……」
「お休みの日も帰ってくるから」
「やだぁ……」
首を横に振る月依。
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、私の制服をぎゅっと掴んで離さない。
「私も連れてって……」
その言葉が胸に刺さる。
「ごめんね」
そう言うことしかできなかった。
「お姉ちゃん……」
結局、お母さんに月依を預け、私は家を出た。
あの時の泣き顔だけは、今でも忘れられない。
◇
「……ん」
ゆっくりと目を開く。
部屋は薄暗かった。
カーテンの隙間から夕焼けも消え、夜の景色が少しだけ見えている。
「……あれ?」
ぼんやりした頭で周囲を見回す。
見覚えのある部屋。
そうだ。
月依の部屋だった。
「私……」
椅子に座ったまま眠ってしまっていたらしい。
夢なんて、ずいぶん久しぶりに見た気がする。
しかも、あんな昔の夢を。
「お姉ちゃん」
「ひゃっ!?」
突然すぐ近くから声がして、思わず肩を震わせた。
目の前には、私の顔を覗き込む月依がいた。
「びっくりしたぁ……」
「ふふっ、ごめん」
どうやら少し前に目を覚ましていたらしい。
「起こそうと思ったんだけど、お姉ちゃん気持ちよさそうに寝てたから」
「それで見てたの?」
「うん」
少し照れくさそうに笑う月依。
その笑顔は、夢の中で泣いていた幼い月依とはまるで違っていた。
「ごめんね。待たせちゃった」
「私も寝ちゃってたから、おあいこかな」
「えへへ」
二人で思わず笑ってしまう。
静かな部屋に、小さな笑い声だけが響いた。
「そういえば、お姉ちゃん」
「うん?」
「さっき寝言でね」
「え?」
「『帰ってくるから』って言ってたよ」
ドキリと胸が鳴る。
夢の中で、確かに私はそう言った。
月依は首をかしげる。
「どんな夢だったの?」
私は少しだけ考えてから、小さく笑った。
「昔の夢だよ」
「昔?」
「私が高校へ行くために家を出た日の夢」
その言葉を聞いた月依の表情が、一瞬だけ揺れた。




