第四十一話 「せっかくやし、神楽耶行こか」
午前中の授業が終わると、教室にチャイムが響いた。
先生が「では、お昼休みです」と言い残して教室を出ていく。
その途端、張りつめていた空気がふっと緩んだ。
席を立つ人。
友達のところへ駆け寄る人。
お弁当を広げる人。
教室はあっという間に賑やかになる。
……こういう光景って、どこの学校でも同じなんだなぁ。
異世界だから何もかも違うと思っていたけれど、こういう何気ない日常は日本とあまり変わらない。
「お姉ちゃん」
月依が私の机まで歩いてきた。
「お昼どうする?」
「食堂?」
そう聞くと、月依は首を横に振る。
「今日は違うところ」
「せっかくやし、神楽耶行こか」
後ろからヒルコちゃんが笑いながら割り込んできた。
「神楽耶?」
聞いたことのない名前に首を傾げる。
「陽花さんは、まだ行かれたことがありませんでしたね」
サクヤちゃんがいつもの穏やかな笑顔を向ける。
「学園でも人気のカフェなんです」
「カフェ?」
学園の中にカフェなんてあるんだ。
社員食堂みたいなものを想像していた私は、少しだけ興味が湧いた。
「よし、決まり!」
月依が嬉しそうに笑う。
「案内するね」
◇
教室を出て数分。
中庭を抜けた先に、一軒のおしゃれな建物が見えてきた。
木目調の外壁に、大きなガラス窓。
入口の横には季節の花が飾られていて、まるで街中のカフェみたいだ。
看板には大きく、
『カフェ神楽耶』
と書かれていた。
「かわいいお店だね」
「中入ったらもっと驚くで」
ヒルコちゃんが意味ありげに笑う。
「え?」
そんなに驚くことがあるんだろうか。
首を傾げながら扉を開ける。
「お帰りなさいませ」
明るい声が響いた。
そして。
「…………」
私はその場で固まった。
店員さんが全員、うさ耳だった。
メイド服の女性店員さん。
モーニングコート姿の男性店員さん。
みんな頭に立派なうさ耳を付けている。
「……うさ耳」
思わず呟いてしまう。
「やっぱりそこ気になるよね」
月依が苦笑した。
「最初は私もびっくりしたもん」
「神楽耶姫は月のお姫様やろ?」
ヒルコちゃんが説明してくれる。
「月いうたら兎や」
「ああ……」
なるほど。
そういう理由なのか。
納得したような、してないような。
……まあいいか。
ここは異世界だし。
今さら「うさ耳くらい」で驚いていたら、この先やっていけない気がする。
◇
窓際の四人席へ案内され、それぞれメニューを開く。
思っていたより種類が多い。
パンにサンドイッチ、パスタ、オムライス。
デザートまで並んでいる。
「迷うなぁ……」
「陽花はん、初めてやろ?」
ヒルコちゃんがメニューを覗き込む。
「限定ランチがおすすめやで」
「限定?」
「毎日変わるんや」
「へぇ」
それは気になる。
でも、今日は焼きたてパンのランチセットにも惹かれる。
うーん……。
「決めた?」
月依が笑う。
「うん。私はパンのランチセットにする」
「無難やなぁ」
「初めてだからね」
「ウチは限定!」
「私はいつもの紅茶セットです」
サクヤちゃんは迷う様子もなく注文を決めていた。
「サクヤちゃん、毎回同じなの?」
「ええ。お気に入りですので」
「ぶれへんなぁ」
ヒルコちゃんが笑う。
◇
料理が運ばれてくると、テーブルの上は一気に華やかになった。
「いただきます」
四人で手を合わせる。
焼きたてのパンを一口食べると、外は香ばしく、中はふわふわ。
「美味しい……」
思わず声が漏れた。
「でしょ?」
月依が嬉しそうに笑う。
「会社の食堂も好きだけど、こっちもいいなぁ」
「陽花さんのお口に合ったようで安心しました」
サクヤちゃんが上品に紅茶へ口をつける。
そんな穏やかな空気とは対照的に。
「月依先輩、それ一口ちょうだい」
「やだ」
「えぇ~」
「さっき私のポテト食べたでしょ」
「一本だけやん」
「一本でもダメ」
「ケチやなぁ」
「ケチじゃないもん!」
二人は今日もいつも通りだった。
ヒルコちゃんがちょっかいを出して。
月依がぷくっと頬を膨らませて。
「お二人とも、そのくらいになさいませ」
サクヤちゃんが苦笑しながら止めに入る。
「サクヤはんは月依の味方や」
「私は公平に申し上げております」
「ほら!」
「月依先輩が嬉しそうや」
「嬉しくないもん!」
「顔が笑っとる」
「笑ってない!」
ぽんぽんと続くやり取りに、私は思わず吹き出した。
「ふふっ」
三人が同時にこちらを見る。
「あ、ごめん」
「いや」
ヒルコちゃんが笑う。
「陽花はんも笑うんやな」
「笑うよ」
「もっとおとなしい人や思っとった」
「そんなことないよ」
会社では緊張していることが多いけれど。
こうしてみんなと話していると、自然と笑ってしまう。
……でも。
少し前までは、こんなふうに笑えるとは思っていなかった。
朝、校門で聞いた言葉。
『歩く人間凶器が来た!』
『逃げろー!』
もちろん冗談だと分かっている人もいる。
アカリが面白半分で書いた記事だということも分かっている。
でも。
自分の知らないところで、自分がそんな名前で呼ばれているという事実は、少しだけ複雑だった。
「お姉ちゃん?」
月依の声で我に返る。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「……また気にしてる?」
月依はすぐに気付いた。
「大丈夫だよ」
私は笑う。
「だって……」
目の前を見る。
ヒルコちゃん。
サクヤちゃん。
月依。
みんな、いつも通り接してくれている。
「こうして普通に話してくれる人もいるから」
そのことが、今の私には何より嬉しかった。
異世界に来て。
会社に入って。
学園へ通うことになって。
最初はどうなることかと思っていたけれど。
いつの間にか、私は一人じゃなくなっていた。
そんなことを考えながら、私はもう一度紅茶へ口をつける。
少し冷めた紅茶は、それでも不思議なくらい温かく感じた。




