第三十七話 「実例になるつもりなんてなかったよ?!」
木耀日。
「おはようございます!」
教育部の扉を開けると、いつもの光景が広がっていた。
「おはよう、陽花」
柚木さんが微笑みながら手を挙げる。
「おはよう」
ナビキもパソコンから目を離さずに挨拶を返してくれた。
今日は教育部なのかな。
とりあえず今日も平和だ。
「昨日はお疲れさま」
柚木さんがコーヒーを淹れながら笑う。
「思い出したくありません……」
「勉強にはなったでしょ?」
「『新人社員K島』って呼ばれるとは思いませんでした」
そもそもK島なんて全然匿名になってないんだよね。
ほんと思い出しただけで恥ずかしい。
会社中に事故映像を見られた気分だ。
「でも、良い教材だった」
「ナビキ!」
「実例は大事」
「実例になるつもりなんてなかったよ?!」
教育部に笑い声が広がる。
もう。
しばらくはこの話でいじられるんだろうなぁ……。
◇
「それじゃあ今日は、この資料をデータ化してもらえるかな」
「はい!」
午前中はひたすら入力作業だった。
紙の資料を読み取り、内容を確認し、端末へ入力していく。
地味だけど大切な仕事。
「終わりました!」
「確認するね」
柚木さんが画面を見て、小さく頷く。
「うん。問題なし」
「本当ですか?」
「入力ミスもないよ」
思わずガッツポーズをした。
「やりました!」
「そのくらいで喜ぶ?」
ナビキが少しだけ笑う。
「喜びますよ!」
昨日までの私なら、何かしらやらかしていた。
でも今日は違う。
ちゃんと仕事ができている。
それだけで嬉しかった。
◇
昼休み。
社員食堂で今日の定食を受け取る。
「いただきます」
「いただきます」
柚木さんちナビキの三人でテーブルを囲む。
「そういえば陽花」
「はい?」
「会社と学園、少しは慣れてきた?」
柚木さんに聞かれる。
「最初は毎日が驚きばかりでしたけど……」
異世界。
神様。
会社。
学園。
普通の人生を送るつもりだった私には、全部が非日常だった。
「でも」
箸を止めて少し考える。
「少しだけ、慣れてきた気がします」
「それは良かった」
「暴発以外だね」
ナビキが付け加える。
「そこは触れなくていいから!」
三人で笑う。
こんな何気ない昼休みも、少しずつ居心地が良くなってきた。
◇
午後も仕事は順調だった。
電話を取る。
書類をまとめる。
データを整理する。
気付けば時計は定時を指していた。
「終わった……」
思わず椅子にもたれ掛かる。
「お疲れさま」
「お疲れ」
「お疲れさまでした!」
私は勢いよく立ち上がる。
「今日は!」
二人を見る。
「今日は一回も暴発しませんでした!」
一瞬の沈黙。
柚木さんがにこっと笑う。
「うん。当たり前なんだけどね」
「え?」
「会社としては、それが普通なんだ」
「……」
言われてみれば、その通りだった。
「でも」
柚木さんは優しく続ける。
「陽花にとっては、大きな一歩だよ」
「……ありがとうございます」
少しだけ胸が熱くなる。
普通に働く。
普通に一日を終える。
そんな当たり前のことが、今日は少しだけ誇らしかった。
「じゃあ帰ろう」
「はい!」
◇
本社を出る。
夕方の風が心地いい。
「今日は本当に普通だったなぁ」
暴発もなし。
始末書もなし。
安全講習のお世話にもならない。
新人社員として、ごく普通の一日。
思わず笑みがこぼれる。
「この調子なら、明日もきっと――」
明日は学園の日。
制服に着替えて、またみんなと授業を受ける。
きっと今日みたいに、平和な一日になる。
……そんなふうに思っていた。
もちろん、この時の私はまだ知らない。
今日この日に学園で起こっていたことを。




