第二話「前に進むための武器」-1
翌朝、目にかかる陽光の眩しさで目覚めた。
目元を擦りながら上体を起こすと、ヴンッ、ヴンッと空気を鋭く引き裂く音が聞こえる。
規則正しく響くその音に、勇者パーティで行った鍛錬の記憶が蘇る。
しかし、外から聞こえる音はかつて耳にしたどんな素振りよりも鋭い。空気が悲鳴を上げているかのようだ。
(一体、誰が剣を振っているのだろう…)
気になって、ベッドの端に立てかけていた松葉杖を手に取る。
まだ足取りはおぼつかないが、昨日の昼食後に歩く練習を頑張ったおかげで、松葉杖一本でもどうにかバランスをとれるようになった。
戦場で培った体幹は、思わぬところで役に立つものだ。
感心しながら部屋を出ると、リビングでラズリが熱心に本を読んでいるのが目に入った。
「おはよう、ラズリ。何の本を読んでいるの?」
気さくに話しかけると、彼女は肩をビクッと動かし、あからさまに顔をこわばらせた。
やはり昨日初めて会った相手に突然話しかけられたら、警戒するのも無理はないか。
…そう思っていたのだが、彼女は本を一度閉じて、案外素直に教えてくれた。
「…『竜騎士アストラバーンの冒険譚』、です」
その本のタイトルを聞いた瞬間、言葉を失った。
それは、小さい頃、故郷の村で父が読み聞かせてくれた絵本と同じ名前だ。
装丁こそ記憶にあるものと異なっているが、なぜ魔族の手にこの本があるのだろうか?
「『竜騎士アストラバーンの冒険譚』…。たしか竜を使役する伝説の騎士「アストラバーン」が、各地の凶悪な魔獣を討伐して世界を平和にする話だったっけ」
「そうです…!!もしかしてこの本読んだことあるんですか?」
「…あ、いや。ある、と思う。本の内容はなんとなく覚えてるんだ。だけど、いつどこでそれを読んだのかは思い出せない」
懐かしくなって、ついあらすじを口走ってしまった。
記憶喪失という設定と矛盾することに気づいて慌てて誤魔化したが、目前のラズリは興奮のあまりそのことに気づいていないようだ。
「そうですよね。昔のこと思い出せないんですもんね」
「うん。ラズリはどこでその本を見つけたの?」
「村長さんに借してもらいました。もともとは村長さんの家の本棚にあったんだけど…あっ」
ラズリは何かに気づいて手元に口を当てると、可愛らしい咳払いをしてもう一度話し始めた。
「…あったのですが、村長さんは優しくて…、毎日読みに行ってたら貸してくれました」
どうやら口調が丁寧でなかったことを気にかけていたみたいだ。
「そうか、村長さんが…」
本はもともとログハウスにはなく、村長の手元にあったのか…。
もし村長に会う機会があれば聞いてみよう。なぜ故郷の村で読んだ本が、形を変えてここにあるのか、その理由がわかるかもしれない。
そんな思索に耽っていると、ラズリが何か言いたげな目でこちらを見つめてきた。
「あの…。クラウスさんはこの本のどの場面が好きですか?」
「そうだなー。俺は、円環竜ウロボロスと戦うところが好きだな。アストラバーンがウロボロスと激しい空中戦を繰り広げるシーンは胸アツだったね」
「ウロボロス」という言葉が出た瞬間、ラズリは目を一際輝かせ、堰を切ったように喋り始めた。
「わたしもそのシーン、好きです!王都に襲来して破壊の限りを尽くすウロボロス。空からは雷が落ち、街は炎に覆われ、王都はまるで地獄絵図。王城に取り残されたヴェネディレナ姫は逃げ場を失い、もう絶体絶命のピンチ。そんな彼女の前に颯爽と現れ、『あとは俺に任せろ!』って言って、ウロボロスと対峙するアストラバーン様がほんとにかっこよくて…!!二人が結ばれる感動のラストシーンも含めて、最高の物語ですよね!」
「う、うん。そうだね…」
早口で捲し立てるラズリは子どもっぽく、それまでの物静かな印象をがらりと変えた。
ひとしきり語り終えると、ラズリははっと我に返って頭を下げた。
「ごめんなさい!脇目もふらず、喋りすぎました!」
「ふふっ、全然構わないよ。むしろ子どもっぽくて可愛らしかった」
「こ、子ども…!?わたしは子どもじゃないです!たしかにまだ背は低いけど、これからどんどん伸びてフィーねぇも超えてみせます!」
そう言って頬を膨らませて抗議するラズリは、残念ながら子ども扱いされて拗ねる子どもにしか見えない。
(故郷の村にいた頃、よく遊んだ近所の子どもがこんな感じだったな…)
そんな感傷に浸っていると、再び剣が空気を割く音が聞こえ、ここに来た理由を思い出した。
「そういえば、さっきから素振りの音が聞こえてるが、今誰が剣を振ってるのかな?」
「レナードにぃですね。毎日外で素振りをしてます。朝はいつも、玄関を出て右に進んだところにある、開けた場所にいますよ」
「レナードだったか。教えてくれてありがとう。少し様子を見に行ってくるよ」
「いいと思います。でも素振りをしている間はすごく集中してるから、終わってから話しかけるのがおすすめです」
「分かった。教えてくれてありがとう!そうするよ」
お礼を述べると、彼女は「どういたしまして」とお辞儀をして、再び本へと視線を落とした。
レナード。あの鍛えられた肉体から繰り出される素振りは、どれほどの域に到達しているのだろう。同じ剣士として、非常に興味が湧いてくる。
俺は松葉杖を突き、玄関へと足を向けた。
ーーーーーーーーーー
扉を開けて外へ出ると、素振りの音はより明瞭に聞こえた。
音が響く右手の芝生へ視線を向けると、レナードが素振りをしている姿が目に飛び込んできた。
陽光を浴びて額から汗を流し、両手で俺の身長ほどはありそうな巨大な木剣をいとも簡単に振っている。
少し離れた場所にある低木では、三人の少女の半獣人たちがレナードを見て、何やら囁きあっている。
鍛錬の邪魔にならないように、静かにしてレナードの近くへ寄ると、彼はこちらに気付いて木剣の手を止めた。
「おはようクラウス!よく眠れたか?」
レナードは巨大な木剣を軽々と地面に突き立てると、首にかけたタオルで額の汗を拭った。
「ああ、おはよう。おかげさまで、ぐっすり眠れたよ」
「そうか!そいつぁなによりだ」
「朝から素振りなんて殊勝だね」
「まあな。こうやって毎日鍛錬してねえと、すぐ体がなまっちまうからな」
レナードは汗を拭い終わると、木剣の上に手を置いた。
これ以上、彼の鍛錬を邪魔するのは申し訳ない。ここは早めに話を切り上げて、彼の素振りを間近で見せてもらおう。
「少し、ここで見学させてもらってもいいかい?」
「いいぜ!誰かに見られるのには慣れてっからよ」
レナードはわざとらしい笑みを浮かべると、先ほどの低木に隠れた三人の半獣人に向かって手を振ってみせた。
彼女らは黄色い歓声を上げ、そのうちの一人は嬉しさのあまり気絶してしまった。
残りの二人は、それがいつものことであるかのように、手際よく彼女を背負って森の奥へと消えていった。
その奇妙な光景を見ても、レナードは全く気にする様子もなく、再び素振りを始めた。
それからおよそ百回ほど剣を振ったあと、おもむろに声をかけてきた。
「…お前も一本振ってみるか?」
「いや、足を怪我してるし、そんな重たそうなもの振れないよ」
「まあたしかにこいつは重いし危ないかもな。けどよ、きっと記憶を思い出すいいきっかけにはなると思うぜ」
レナードは自信ありげに口の端を吊り上げた。
「それは、どういう意味だい?」
「森で倒れてるお前を見つけたときから思ってたが、その身体……明らかに熟練の剣士のそれだ。手のタコだって半端じゃねえ。剣を握って、素振りをすれば何か思い出せるかもしれん」
「一理あるな…。けど、やっぱりその木刀は重そうだ。もう少し軽い木刀があるなら、試してみたいが」
「ははっ、そこまでいうなら仕方ねえ。少し前まで、ログハウスにエルフの剣士が住んでたんだ。そいつが使ってた木刀なら、振りやすいと思うぜ。ちょっと向こうにある切り株に座って待っててくれ。今持ってくっから」
レナードは切り株の場所を指差すと、ログハウスに隣接している物置小屋へと歩き出した。
その後ろ姿を見送りながら、俺は勇者パーティの仲間たちとの日々に思いを馳せる。
思えば、勇者パーティの仲間たちと出会い、その中で共に剣士を目指したメンバーで最初に行った鍛錬も、素振りだった。
(懐かしい…。あれはもう七年も前のことなのか)
こうしてかつての情景が浮かんでいるのを思うと、もし本当に記憶喪失だったならレナードの予想は的を射ていたのかもしれない。
切り株まで歩き、腰を下ろすとレナードもちょうど小屋から出てきた。
手にしている木剣は、大柄な彼が持つと小さく見えるが、実際には普通のサイズなのだろう。
「ほらよ」
手渡された木剣は、形こそかつて鍛錬のときに握ったものと異なるが、手によく馴染んだ。
この木刀なら今自分にできる一番いい素振りができるかもしれない。
もちろん、どこまで自分の力量を見せていいものかは悩ましい。
もし万が一レナードたちと相対したとき、俺のことを侮ってくれれば、その油断を逆手にとれるかもしれないからだ。
ーーだが、あの巨大な木刀を、あれほど鋭く正確に振るえる達人を欺くなんてできるのか?
むしろ、素直に振ってみた方が印象もいいかもしれない。
覚悟を決め、俺は切り株に座ったまま木刀を縦に振り下ろした。
ふォッ…!
空を切る音は軽く、お世辞にも鋭いとは言えなかった。
座った状態とはいえ、上手く振れなかったという事実は悔しく、今度は呼吸を揃えて真っ直ぐに剣を振り下ろした。
ヴンッ!!
納得のいく音が鳴り、剣の腕が落ちていなかったことに安堵した。
もう一度振ってみようと思った矢先、左足がズキリといたんだ。
「痛っ…!!」
たまらず顔を顰め、刀を手放して足をおさえた。
「おい、大丈夫か!?」
痛みに悶える俺を見て、レナードは慌てて駆け寄ってきた。
「まだ怪我が治ってないのに振らしちまってすまねえ…。どんな振り方をするか気になって、興味本位で振らせたんだが、無理させちまったな。すまねえ」
「大丈夫だ...。それより、どうだった?俺の素振りは」
「ああ、見てて気持ちのいい素振りだったぜ!」
レナードは顔を上げて朗らかに答えた。
「だが、どこか迷いを感じる振り方でもあった」
「迷い、か…」
普段通り剣を振ったつもりだったのだが、無意識に、どこか不自然な振り方をしてしまったか?
「なあクラウス。お前は何のためにその剣を振るんだ?」
レナードが真剣な眼差しを向けてきた。
「何のため、か…。そんなの考えたことなかったな」
「俺はよ。剣を振る意味を、自分の中で明確にすることが、高みに到達するまでに必要な要素だと思うんだ」
「それは素敵な志だね。レナードはもうその意味を見つけたの?」
「さあ、どうだろうな?」
意味深に吐き捨てるとレナードは立ち上がり、素振りを再開した。その横顔は自信に満ちていて、彼は剣を振る意味をすでに見出しているのだと悟った。
では、俺はどうだ?
剣を振る意味を見出せているか?
これまでは人類のため、国のため、勇者パーティの未来のため、悪の象徴である魔族を葬るだけだった。
ところが、昨日今日と、残虐で野蛮だと思っていた魔族は、俺たち人間となんら変わらないのだとわかってしまった。
彼らは、大怪我を負って山で倒れていた俺を、ログハウスまで運んで手当てをしてくれただけでなく、松葉杖まで用意してくれた。
俺が嫌がることなんて一度もしなかったのだ。
そんな彼らを、俺はどうしても悪だと切り捨てることができない。
一体これから、何のために剣を振ればよいのだろうか。




