第一話「ログハウスの住人」-1
暗闇の中で、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。聞き馴染みのない、玲瓏な声だ。
声は「クラウス」と呼び続け、何かを必死に訴えかけているようだった。だが肝心なところで声がくぐもって、何を伝えようとしているのかはわからない。
声の聞こえる方向に進むと、ほんの少しだけ明瞭になった。もっと進めばより鮮明に聞こえそうだ。
何と言っているのか知らなければいけない。そんな使命感を抱かせるような、切実な声音だった。
俺は声の主を求め、さらに先へと歩みを進めた。
声はどんどん近づき、辺りも白みはじめてきた。しかし、まだ聞き取るのは難しい。
さらにさらに、先へ進んだ。
まだ足りない。
もっと、先へ……。
にわかに眩い光が全身を包んだ。
その瞬間、人間から魔族に変化したときの、身の毛もよだつ感覚が唐突に思い出された。
内臓の位置が目まぐるしく変化し、今にも肉体が内側から張り裂けそうだ。
痛みにもがき、苦しみ、気がつくと地面に仰向けに倒れていた。
身を起こそうとするが、頭から指先に至るまで、身体が全く言うことを聞かない。
地面が震え、重い足音が聞こえて目をやった。
そこには、熊の頭部にトナカイのツノを生やした魔族ー魔王軍四天王『バルドゥル』がゆっくりと歩を進めていた。
恐怖に顔を歪め、ピクリとも動かない俺を見下ろし、そいつはニタリと笑った。
そして、手にした巨大な斧を振りかざし、俺の左のすねに直撃させた。
足に強烈な重みがのしかかり、焼けつくような激痛が走る。
その猛烈な痛みで意識が覚醒し、目が覚めた。
ーーーーーーーーーー
「うわああああああ!!!!」
情けない悲鳴をあげて跳ね起きた。
無意識に左足を抱え、痛みの発信源を捉えようとしたが、手には体にかけられた柔らかい布団の感触しかない。
(左足のすねから鈍い痛みを感じる。なのになぜ…?)
不思議に思って布団をめくると、左足の膝より先がなくなっていた。
包帯が丁寧に巻かれているのを見るに、誰かが手当をしてくれたようだ。
ホッとしていくばくか冷静さを取り戻し、自分の置かれている状況を整理する余裕が生まれた。
…そうだ。俺は勇者パーティの一員として魔族のアジトに突撃し、魔法陣による転移に乗り遅れてモンスターハウスに一人取り残された。そこを辛くも脱出し、地上に出たときに魔王軍の四天王「バルドゥル」と対峙した。戦いの中で左足を失い、片足で敗走して、魔族の領土で力尽きたはずだ。一体誰が助けてくれたのだろう。
改めて周りを見回す。簡素だが手入れされた家具が置かれ、壁や天井は剥き出しの木材で組み立てられている。どうやら、木造の家屋の一室、そのベッドの上に自分は寝かされていたようだった。
ひとまずは死ななかったことに安堵したものの、左足の切断面が再び激しく疼いた。
(…ッ!!この体じゃもう勇者として前線で戦うことはできないかもしれないな…。)
痛みに耐えながら、必死に思考を巡らせてここにいる理由を考えた。
きっと親切な同胞が助けてくれたのだろう。魔族に傷の手当てなどできるはずがないからな。
よりにもよって魔族の領土へと逃走したのに、こうして人間に救われるとは自分もまだ運が尽きていなかったらしい。
ただ、この傷では無事に帰れても、再び最前線で剣を振るうのは難しい。いや、そもそもこの足で無事に国へ帰れるのだろうか。
あれこれと暗い未来を案じていると、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
「あ!起きたみたい!」
入ってきたのは、美しい月色の髪を腰まで流し、とがった猫耳を頭に乗せた、魔族の少女だった。
その姿を見た瞬間、心臓が跳ね上がり、取り戻した落ち着きが霧散した。
(魔族だと!?なぜ魔族がここにいる…!)
ふと、今まで「魔族に助けられた」という可能性を完全に失念していたことに気づいた。
慌てて胸を探り、身につけているはずのペンダントに触れる。
視線を落とすと、黒い体毛と尖った爪が目に入り、今も魔族であることを再確認した。
「わぁ、汗びっしょりじゃん。ちょっと待っててね!今、体拭いてあげるから」
安心したのも束の間、魔族はそう言ってベッドの脇に置かれた桶から濡れたタオルを取り出し、親しげに距離を詰めてきた。
「ッ!!触るな!!」
身体が反射的に動き、触れてこようとした魔族の少女の手を強く突き飛ばしてしまった。
「いたた…」
床に尻もちをついた少女をみて、相手が魔族と分かっていながらも、じわりと罪悪感が湧いた。
「…すまない。気が動転していて、つい…」
「ううん。わたしの方こそごめん。突然体を拭こうとしたら驚いちゃうよね…」
こちらが突き飛ばしたというのに、少女はいやな顔一つせず、はにかんでみせた。可憐という言葉が似合う可愛らしい顔立ちは、一瞬彼女が憎き魔族であるということを忘れさせた。
見惚れていると部屋の扉の奥から忙しい足音が響き、今度は豪快に扉が開かれた。
「フィーリア!大丈夫!?」
現れたのは、オレンジ色の髪をポニーテールでまとめた、ボーイッシュな外見の魔族の少女だった。
彼女はフィーリアと呼ばれた少女と俺を見比べて、即座に鋭いまなざしを向けた。
「あんた…!!フィーリアに何してんの!!」
彼女は拳を固めると、俺に向かって突進してきた。
迎撃しなければと体が動き、懐にあるはずの短剣を探るが見つからない。しまったと思った瞬間、フィーリアと呼ばれた少女が目の前に立ち塞がった。
「待って、シャル!わたしがちょっとつまずいて転んじゃっただけなの」
「…つまずいて後ろに転ぶことなんてあるの?」
「えっと…それは…、ほら!後ろに下がろうとしたら足がもつれちゃって…」
「後ろに…」
シャルと呼ばれたもう一人の魔族の少女は不満そうに口をつぐみ、しばしの沈黙のあと顔をあげた。
「まあフィーリアがそういうんだったら…。でもフィーリアに何かしたら怪我人であっても容赦しないからね!」
「シャル…。気持ちは嬉しいけど、相手は怪我人なんだから少しは容赦してあげてね」
フィーリアという少女に苦笑混じりでたしなめられ、シャルは釈然としない表情のまま耳を伏せた。
それを見てホッと胸を撫で下ろした少女は、再びこちらに向き直る。
「それじゃ改めまして!わたしはフィーリア。このログハウスの家主だよ。で、こっちにいるのがシャルロット。あなたの名前はなんて言うの?」
「……クラウス、だ」
純粋な期待の眼差しを向けられ、何を血迷ったのか、魔族に偽名ではなく本名を教えてしまった。
「クラウスって言うんだ!真っ黒けな半獣人なんて珍しいから、どこか遠い場所からやってきたのかと思ってたんだけど。名前の雰囲気的に意外とこの辺り出身?」
「…わからない。自分の名前は覚えているんだが、ここにいる以前のことが、よく思い出せないんだ」
「そっかあ…」
咄嗟に記憶を喪失したという嘘をついたが、彼女に訝しむそぶりはない。むしろ詳しい話が聞けず、心底残念そうに耳を垂れている。
「あなたのこともっと知りたかったんだけど。何か思い出せたら教えてほしいな」
「すまない。…そういえばこの足の手当ては君がしてくれたのか?」
「そう、わたし!昨日、あなたがラスラ山の中腹で倒れているのを見つけて、ここまで運んできたの。
左足は、見つけた時にはもう膝から下がなくて…、魔獣に襲われちゃったのかな。
すぐに回復魔法を使ったんだけど、わたしの力じゃ傷を塞ぐことしかできなかったの。ごめんね」
「謝る必要なんてないよ。むしろ、見ず知らずの俺を助けてくれてありがとう」
素直に感謝すると、フィーリアは優しく微笑み返してくれた。
「ところで、ラスラ山というのは…?」
「このログハウスがある山の名前だよ!」
フィーリアは立ち上がると、ベッドの向かいにある窓をゆっくりと開けた。そこから飛び込んできた景色は圧巻だった。
眼下には雄大な自然が広がっていた。右手には青く茂った巨大な森が、左手には黒い煙が立ち上る火山があり、その間には小さな村が見える。
外の風景からして、どうやらこのログハウスは山の中腹、あるいはそれ以上の高所に位置しているということが窺えた。
「右に見えるのが『月夜の森』、左にあるのが『フェルブラン火山』。このログハウスはその二つが一望できる、ラスラ山の頂上付近にあるの」
「…すごくきれいな景色だ。こんなに広大な自然を見たのは初めてだ」
その言葉にフィーリアは目を輝かせ、細いしっぽを左右に揺らした。
「本当!?故郷のこと褒められるとなんだか嬉しいなー。あそこに見える、森と火山に挟まれた場所が、わたしたち半獣人が暮らす『ラスラ村』だよ」
そこまで聞いて、ようやく自分の置かれている状況に得心がいった。
どうやら俺は、魔族軍のアジトから命からがら逃げ延びた先で、ラスラ山に暮らす「半獣人」という穏やかな魔族の少女たちに命を救われたようだ。
さて、ではこれからどうやってここを脱出し、国へ帰ろうか考え始めた、そのときだった。
開け放たれたままの扉がノックされ、三人目、四人目の住人が現れた。




