9 ヒンターマイヤー伯爵家
アイロラの町は、活気のある町であった。
活発に荷馬車が行き交い、交易も盛んであるようだ。
アイロラの町で引き連れていた盗賊の頭タネリとユルカナの二人を、警備隊に引き渡した。
引き渡す寸前。ユルカナがアウグストのそばに寄り、そっと耳打ちをする。
「これで終わりじゃないんで、せいぜいお気をつけを」
にたりと笑い、ユルカナは警備隊の屈強な男たちに引き渡されていった。
「なんだろう……」
不安を煽るようなユルカナの言葉を、アウグストは右手で払った。
「アウグスト様、この大通りを過ぎて右に折れるとヒンターマイヤー様のお屋敷です」
用心棒トゥーッカが一行を案内している。
「うん。わかった」
ヒンターマイヤー伯爵家は、毎年のように馬を買っていた。
「これだけ交易が盛んなのだから、今回購入した馬も取引の一部に使われるのだろうか……」
アウグストが怪訝な顔で、購入された馬の顔を見た。
馬たちは、ただただのんびりと歩を進めている。
*
キャラバン隊は豪奢な彫刻が施された正門を横目に、更に奥へ石畳の道を進んでいく。
すると簡素な裏門が現れた。
「何用だ」
警備兵が詰問するように問う。
「恐れ入ります。馬畜産交易ギルドから参りました。イヴォ=クノテクと申します。こちらは、伯爵家嫡男アウグスト=ハイゼンベルク様でございます。この度は、馬の購入、誠にありがとうございました。二頭お届けに参りました。ご開門をお願いいたします」
警備兵たちは、慌てて裏門を開けた。
それとともに、その中のひとりが母屋に向かって走る。
伯爵家嫡男の到着とあっては、当主の挨拶が必要だからだ。
一行は厩前に通された。泥に汚れた前掛けをした厩舎番が、彼らを出迎えた。
アウグストは、一息入れる間もなく率先して動く。
検疫を通し、蹄の検査、書類の照合。
行う手続きはとても多い。
額に汗してキャラバン隊の面々が働いているところに、のっぺりとした顔の壮齢の男性が、ドスドスと音を立てながら走ってきたが、その速度は遅い。
「あなたがご嫡男でいらっしゃいますか?」
立木にもたれかかっていた冒険者姿のイアンに、その男は尋ねた。
用心棒たちは、お互いに顔を見合わせた後、一斉に吹き出した。
「ああ、違う違う。ご嫡男はあっち」
指をさした方向に忙しく働くアウグストがいた。
その様子は、ただの厩務員のようだった。
「……あれが?」
男は、驚きのあまり開いた口が塞がらないようだ。
その様子を見て、用心棒たちの笑いがまた巻き起こった。
気を取り直した男は、居住まいを正し、アウグストに向かって行く。
「失礼をいたします。私はこの地、アイロラの領主を務めております、リヒャルト=ヒンターマイヤーと申します。恐れ入りますが、アウグスト=ハイゼンベルク様でいらっしゃいますでしょうか」
アウグストは、顔を上げ、汗を手の甲で拭った。手の甲についていた汚れが、頬に移る。
「これは、ご丁寧にありがとうございます。ヒンターマイヤー様。わたくしはアウグスト=ハイゼンベルクと申します。馬産地交易ギルドの統括コンラート=ハイゼンベルクの名代として参りました。この度は、ご購入誠にありがとうございました」
馬丁にしか見えない若い男から聞こえた丁寧な話しぶりに、二度三度目を白黒させたリヒャルトは、気を取り直して言った。
「まったくもって汗顔の至りでございます。アウグスト様、大変失礼をばいたしました。いやはや、まさか伯爵家のご嫡男自ら馬を曳いてこられるとは」
そこで、リヒャルトは母屋側に待機していた使用人たちに合図を送った。
「ささ、この様な土埃の舞う所ではなく、どうぞ、どうぞ中にお入りください。お前たちもぼうっとしてないで準備をしないか!」
リヒャルトは使用人たちを叱責しながら、アウグストを屋敷内に案内をしようとした。
「いいえ、わたくしは……」
作業中だったアウグストは、なんとか作業を続けようとするもリヒャルトの押しは強烈だった。
「さぁさ、珍しい冷たい果実酒のご用意もございます。どうぞ中へ」
押し切られるように屋敷内に足を踏み入れたアウグストだったが、まるで冷房が効いているような冷たい空気に、一息ついた。
*
数時間後、アウグストは清潔な身に替えの旅装をまとい、豪華なソファの上にくつろぐでもなく、いた。
南国から取り寄せたという果実酒は、よく冷えてはいたが変わった味がして、もともと酒類を飲みつけないアウグストは、一口だけ口をつけただけだ。
屋敷の最上階のテラスを兼ねた応接室に領主であるリヒャルトがやってきた。
「どうですかな。アイロラの町は。見事なものでしょう」
窓下には夕暮れに染まるアイロラの町が、賑やかに夜が来るのを待ち構えている。
「ええ、こんな賑やかな町は初めて来ました。素晴らしいですね」
「そうでしょう」リヒャルトは胸を張り、その反面、相対するアウグストの値踏みをした。
(ふむ。この子供は、どうやら一筋縄ではいかぬかも……いや。虚実であれば、実のほうか。ならば……)
「おや、果実酒はお口に合いませんでしたかな」
「ああ、すみません。とても美味しかったのですが、酒の方はまだ、苦手でして」
「ああ、それは申し訳ございませんでした」
臨席していた執事にリヒャルトは合図を送った。
侍従たちがティーセットを運び、香り高い紅茶がアウグストの前に置かれた。
「これは、素晴らしい紅茶ですね。これほど美味しいものは、初めていただきました」
「お口に合って何よりでございます。それにしても、アウグスト様のヨアキム……でしたか。あの馬は本当に素晴らしい馬ですな」
「ありがとうございます」
「我が父が見たら、椅子から飛び上がるでしょうな」
*
その頃、フィーランたち用心棒とギルドから派遣されているイヴォたちは、別館に通されて手厚い食事を取っていた。
「驚いたぜ。この料理のうまさ、すげえな」
フィーランが感嘆しながら、舌鼓を打つ。
「あ、そのフィレ頂戴!」
ジョベールがイアンの目の前にある皿からフィレ肉を、腕を伸ばして奪い取る。
「おい!それは、俺が食べようと取っといたのだ!」
「へっへーん。早いもん勝ちだよ!」
それを見て、フランセットが少しため息をつく。
「それにしても、あの坊っちゃんて本当の上客だったのね」
「ああ、ガチでビビった。お前らから千騎の伯の孫って聞かされたときも驚いたけど、俺達にまでこのもてなしだもんな」とフィーランが言う。
「でも、なんか、そんなふうには見えないんだよなぁ。坊っちゃんって、どっか気の抜けた顔をしてるし」とイアンが受ける。
「でも、こんなもてなしを受けられるんだから、この依頼受けて良かったわね」とジョベールが笑う。
フランセットは、食べていたものを飲み込んでから、
「私達にとっても、上客ということね」
「違いない」他三人も同意の言葉を上げた。
*
「ビルギッタや、支度はできたかい?」
リヒャルトは、愛娘の部屋にノックの後顔をのぞかせた。
「お父様……。わたし、田舎の方には興味はありませんわ。王都の方でしたら、よろしかったのに」
「まあ、そう言うな。お前がハイゼンベルクと縁組みになってくれたら、我らは安泰なのだから」
「いやですわ!ただの田舎者でしょう。お会いしたくなんかありませんわ」
困り果てたリヒャルトは、禁じ手にしていた提案をそっと提示することにした。
「わかった。今夜ハイゼンベルクに会うなら、マリヴェールメゾンでドレスを作ってもいいぞ」
マリヴェールメゾンというのは、若い女性垂涎の大手クチュールだ。その名前を聞いた途端、ビルギッタが相好を崩した。
「お父様!大好き!」
ビルギッタはウキウキで部屋を出ていった。リヒャルトは、肩を落とした。
ビルギッタがダイニングに入ると、兄のイェレミアスが既に席に着いていた。
「遅かったな?」
彼は食前酒を片手に書類の束をチェックしている。
「お兄様、ここは食卓ですわよ。お行儀の悪い」
「お前こそ。ハイゼンベルクの脅威がようやくわかったのか?かなりめかしこんでいるが」
そう言いながら、妹をまじまじと見る。
栗毛色のハーフアップにした髪の毛を垂らし、その髪には真珠のビーズを通し、清楚さを出していた。
ほんのりと色づく頬には、紅が差されており、より健康的に見える。
我が妹ながら、可愛らしい。
「そんなこと、どうでもいいでしょ」
それよりもビルギッタには、マリヴェールメゾンで注文するドレスのことで、頭がいっぱいだった。
と、そこへ──。
「……ですから、私は、申し上げたのです。ハイゼンベルク様の指示に従えと……」
「そうだったんですね?」
イェレミアスの予備の礼服に着替えたアウグストは、熱弁を振るうリヒャルトに相づちを打つだけで精一杯だ。
そのアウグストの出で立ちを見ただけで、ビルギッタに電撃が走った。
そして、即座に立ち上がり深々とカーテシーをとった。
「はるばる我が家へお越しくださいましてありがとうございます。わたくしは、当家ヒンターマイヤーの娘、ビルギッタと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「これは、ご丁寧に痛み入ります。わたくしは、ハイゼンベルク家嫡男のアウグストと申します。こちらこそ、どうぞご贔屓に。どうぞよろしくお願いいたします」
続けて、イェレミアスも立ち上がって挨拶をした。
「イェレミアス様、ありがとうございます。礼装をお借りいたしまして、本当に助かりました」
「いえいえ。ご着用くださって、ありがとうございます」
アウグストもイェレミアスもほとんど体格は一緒だった。
二、三点違う所はあるが、それは些細な違いであった。
「それぞれに違いはあるようですな」
感心したようにリヒャルトが、二人に笑いかける。
アウグストとイェレミアスが、顔を見合わせて、にっこりと笑いあう。
やがて、支度を終えたヒンターマイヤー家、奥方エリザベトがようやく姿を現した。
その日のディナーは、ビルギッタにとって、忘れられない出来事となった。
ディナーの内容よりも、父が確約してくれた、マリヴェールメゾンのドレスより、よほど価値のあるものだとビルギッタは思った。
そして、ディナーが始まった。




