7 旅路の試練
デビュタントが行われているハイゼンベルク伯爵家メインホール。
次男ランブレヒト=ハイゼンベルクに、新品の礼服に身を包んだ男が話しかける。
「盛況な舞踏会ですな。この様な大きな舞踏会をお開きになれるとは、やはりエルメントラウトにハイゼンベルクありということですな。本当に素晴らしい」
ランブレヒトは、自分の手柄でもないのに、鼻を鳴らして胸を張る。
「当たり前だね。えと、君は?」
「ほ。これは失礼仕りました。私は、アナトリエヴィチと申します。中規模牧場を経営しております」
アナトリエヴィチは垂れ下がった頬を揺らしながら答える。
四十代後半といったところだろうか、黒髪は手入れもされておらずだらしない。
「それにしても、この盛況な舞踏会の中でもランブレヒト様は、大変な存在感がおありですなぁ。感服しております」
「なんだ、嫌味か?存在感といえば、アウグストだろう。俺は……」
ファーストダンスの失敗を、まだ引きずっているのだ。
「いえいえ。本心でございます。ランブレヒト様の堂々たるお姿からしたら、あの者は月とすっぽん。見せかけだけのハリボテでございます。本来のハイゼンベルク家の跡取りはあなた様が一番ふさわしい」
ランブレヒトの眉が跳ね上がり、しょげていた肩が若干持ち上がる。
「……そうか?」
「左様にございます!先程までも、名だたる貴族様たちに、ランブレヒト様は囲まれておいでだったじゃないですか。その眩しさたるや!」
「……そうか。うむ。そうだな!」
乗せやすい子供だ。アナトリエヴィチは、人のよさそうな笑顔の裏でほくそ笑んだ。
「……それで?俺に近づいてきた、目的があるんだろう?」
「私の牧場は、曽祖父から受け継いだもので、安定した経営を続けています。しかし、さらなる成長には、ランブレヒト様のような素晴らしいお力のある方の手をお借りしたいと存じます。そのお力があれば、私の牧場にも新たな光が差し込むでしょう」
ランブレヒトは、鼻を鳴らしてふんぞり返った。
「俺の手を借りたいと。お前、いい目をしているな」
「は。恐れ入ります」
アナトリエヴィチは、恭しく頭を下げる。
「あなた様を押し上げるための策を私は何点かご用意しております。例えば……」
アナトリエヴィチは、舞踏会の華やかな音楽の中、コソコソとランブレヒトに耳打ちをした。
それを聞いたランブレヒトは、青ざめた顔で辺りを見渡した。
*
「アウグスト!騎士団の皆さんとキャラバンの皆さんにご迷惑おかけするんじゃないぞ」
アウグスト=ハイゼンベルクは、そう言って心配する祖父コンラートに馬上から微笑みかけた。
「じい様は、心配性ですね」
「だって、お前」
近隣の領主家が購入した馬たちをそれぞれの領主家へ届けに行く仕事だ。
その馬の受け渡しの旅に、後学のためにアウグストも同行する。
「途中までは、トゥトールス騎士団の皆さんと一緒なのだから、心配はないですよ」
その横でエルライド辺境伯が持つトゥトールス騎士団受領隊の隊長ファビアン=ルッテンが、頼もしい笑みを浮かべる。
「ハイゼンベルク様。ご安心なさってください。北方一勇猛な我らがついているのですから」
「そこは、心配してはおらんが。しかし……嫌な予感がするのだ……」
アウグストは、目を細めて唇を噛んだ。小さく息をついてから、視線をコンラートに向け、もう一つ笑顔を作った。
「きっと、大丈夫です」
そうしていると、キャラバン隊の用意も無事に整ったようだ。
「では、じい様!行ってきます!」
砂埃を上げて、一行は旅立った。
コンラートは、孫にいつまでも手を振っていた。
*
昼間、汗をかくほどの気温も夜気は冷えた風となる。
普段、母屋と牧場周辺しか歩かないアウグストにとっては、新鮮な外の世界だ。
緩やかに流れる大河も豊かな丘陵も。
見るものすべてが新鮮だった。
「いいんですか?僕達だけ休んで」
アウグストは、番を交代しに行く騎士フィト=エスピノサに尋ねる。
フィトは胸を叩いた。
「我らは、訓練しているのでご心配なく。ただ、明後日、道が分かれたあとは、君も番をしなくてはならないだろう?今のうちに眠っていたほうがいい」
「でも、申し訳なくて」
「いや、我らこそ助かっているのだ。先程の夕食も豪華だったからな。君が随行してくれたおかげで、いいものが食えたよ。ありがとうな」
アウグストの背を笑いながら、強く叩く。そして、テントの外に出ていった。
その背を、見送ってアウグストは、簡易的な寝床に横になった。
静かな夜気の中、ゆっくりと意識は睡魔に囚われていった。
*
左手には、青く輝く大海原が見えている。海風の中、隊列はゆっくりと西へ歩を進めていく。
馬丁の一人が、先頭集団のアウグストに駆け寄ってくる。
「どうした?ユストゥス」
「へえ、あたしらが引き連れている馬の中にどうも調子のよろしくない馬が居りましてね」
「誰だ?」騎馬を止め、アウグストが問うた。
「パオロでさ。やっこさん、朝からどうも歩き方が変でしたが、少し……」
「わかった」
そうアウグストが答えた時、騎士たちの中から一騎の人馬が引き返してきた。
フィトだ。
「どうしたんだ?なにかあったか?」
「ええ、フィトさん。お預かりするパオロが、少し……」
「それはいけない」
フィトは、先行していた騎士たちに合図を送った。一団はゆっくりと歩を止めた。
祖父コンラートが統括を務める馬畜産交易ギルドからのキャラバンだ。
獣医の同行がもちろんあった。
「先生。パオロの様子は、いかがですか」
屈んでいたエラスト=クラスニコフ獣医が、顔を上げた。
「ああ、アウグスト様。馬丁のみなさんが気づいてくれたから、大したことはないようだ。だが、蹄鉄の方がよくないね。このまま歩かせるのは、とても良くない……」
「そんな……」
立ち止まった場所は、民家などない街道の町と町のちょうど中間あたりだった。
装蹄師など、どこにも居ない。
思案に暮れているところ、フィトがとある騎士を連れて戻ってきた。
「アウグスト君。蹄鉄のトラブルだって?」
騎士たちは騎馬を降り、一人の騎士がパオロのもとに向かった。
「ああ、これはいけない。どうして、こんな蹄鉄を打ったんでしょう」
騎士アニセト=アブリルは、パオロの脚をひと目見ただけで、状況を把握したらしい。
「彼は?」
「ああ。あいつは、変わったやつでね。騎士やりながら装蹄師の見習いまでしてる変わり者さ。だが、まだ見習いだけど、腕は確かだ」
フィトは、頼もしい笑みを浮かべた。
騎士アニセトとエラスト獣医は、応急措置を開始した。
終わり際、アニセトが受領隊隊長であるファビアンとアウグストに報告に来た。
「作業は終わりました。問題になっていた蹄鉄は取り除きました。仮蹄で固定してあります。傷も気付くのが早かったため、傷がついたくらいで済みました。しかし、きちんとした蹄鉄を早急に打つ必要があります」
「わかった。次、装蹄師がいる町はヒラカリだな。そこまでは行けそうか」
「はい。決して無理はできませんが」
騎士隊とキャラバン隊は今までよりもゆっくりと、汐風の中を進んでいく。
馬の調子が一番重要だからだ。
そこへ。装蹄師見習いの騎士アニセトが、アウグストに騎馬を寄せてきた。
「アウグスト様にお話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「パオロが履かされていた蹄鉄ですが、どう見ても粗悪品です。ハイゼンベルクでは、あの様な蹄鉄を履かせるんですか?」
同じく馬上のアニセトは、そうと分かるほどに憤慨していた。
「いいや、我が家では粗悪品とわかるものは、全て除外し、上級のものを履かせている」
「では!どうして、パオロの脚にあんな蹄鉄が履かされていたのですか!」
アウグストは、瞬きを繰り返しアニセトを凝視した。
「どうして、そんなものが……」
「それは、こちらが聞きたいことです。ではハイゼンベルク家で、ということではないのですね?」
「ああ。そうではないと、思う」
さしものアウグストも歯切れが悪い。
「あ、出発前。臨時で来ていた装蹄師が居たようだが……」
「もしかしたら、その者かもしれませんね」
アニセトが納得したように、二度頷いた。
「だとしたら、完璧なこちらの落ち度だ……。申し訳ない……」
アウグストの顔が、青くなる。
出発前に、確認を怠ったということになるからだ。
助け舟を出したのは、受領隊隊長だ。
「アウグスト様。落ち度は、こちら側にもあります。購入した我らもしっかりと確認すべきでした」
「いいえ」
アウグストは苦渋に満ちた顔で、視線を地面に落とした。
「本当に申し訳ありません……騎士団の皆様に、僕達の見通しの甘さでご迷惑をおかけして……」
アウグストは、涙をこらえた。
その背中を、ファビアンは安心させるように軽く静かに叩いた。
*
翌日の朝、朝食を済ませた一行は街道筋の町ヒラカリを、まず目指した。
馬、パオロの蹄鉄を直すためということもあったが、他の馬たちの蹄鉄にも細工があったからなのだ。
「どうして……こんな……」
それを知らされたアウグストの声が震えた。
「ええ、何らかの妨害工作としか考えられませんね。ハイゼンベルク家の牧場だけじゃなく、いろいろな牧場の馬にこの様な細工がされているとは」
ファビアンも思案顔だ。
「アウグスト様、なにか心当たりはございませんか?」
「いいえ……特には……」
「そうですか。──ふむ。おい、フィト」
周囲を警戒していたフィトが、即座に駆けつけた。
「お呼びでしょうか」
「うむ。この町で用心棒をあと2、3人見つけてきてくれるか?」
「は。お申し付けとあらば。ですが、どのようなことでしょうか」
「このことは、ハイゼンベルク家の問題ではない。おそらくはエルメントラウト全域に関わる問題かもしれん。ここで、嫡男たるアウグスト様を失うわけにいかん。心してかかってくれ」
「は」フィトは、その顔に厳しい表情を浮かべ、その場を飛び出していった。
アウグストは目を細めて言った。
「どうして、ですか?」
「はい。我らは明日、北に向けて道を分かちます。今も、用心棒の方は付き添ってくれていますが、この妨害行為は多少根が深い。それこそ、用心はしたほうがいい」
かくして、フィトは用心棒として冒険者を四名連れてきたのだった。
そして──
トゥトールス騎士団の受領隊との、別れの朝がやって来た。




