5 蒼穹の加護
「あれはなぁ。今から二十年前くらいだったか。我らエルライド辺境伯領の西にエスケリネンという国があった頃のことだ」
牧場の見学を終えた一行は、放牧地を見渡せる丘の上まで足を運んだ。
よく晴れた暖かな日だ。
汐風が木々を揺らしていく。
麓の母屋からティーセットが運ばれてきていた。
ガゼボのベンチに座り、紅茶を一口。
誰もが、老将の昔語りをワクワクしながら、待ち受けていた。
戦は劣勢であったらしい。
エルライド辺境伯領地西側に広がるマヌ平原に、エスケリネン王国は何度となく、侵攻を繰り返してくる。
「兵の補強はまだか!」
前線で剣を振るうオスニエル=エルライドは、敵を一旦退けた後、部下に吠えた。
いくら蒼穹の雷帝と呼ばれる己だけが強くても、それだけではこの劣勢は覆せない。
「はっ。しかし、今しばらく時間がかかるようです」
「何を!それでは、防衛線が突破されてしまう!」
ここ数日、悪鬼のような猛攻が繰り広げられていた。
前線にクレメッティ・エスケリネン王が立っているのだ。
エスケリネン軍の盛り上がりは、最高潮を迎えているようだ。
無理もない。
同じく前線に立つ猛将、蒼穹の雷帝と称されるオスニエル=エルライドがいるのだ。
「ここが!踏ん張りどころだ!皆!グリュックスブルクのマヌ平原が、我々のものになる!そして、雷帝を倒せし者は、この国一番の勇になれるぞ!踏ん張れよ!」
クレメッティの鼓舞にエスケリネンの兵たちは沸き立った。
そして、更なる猛攻が始まった。
と──
雲の晴れ間と共に、第三の勢力が現れた。
数百の騎馬隊である。旗印は──
「タバニケン!」
グリュックスブルク陣の兵たちに歓声が上がる!
「援軍だ!やっときたのだ!」
息を吹き返した隊を引き連れ、敵を屠っていたオスニエルに、轡を並べた者がいた。
「ユレルミか!」
「師匠!遅くなって申し訳ございません!」
弟子筋のユレルミ=タバニケン伯爵だ。中央の領地を治めている。
「良い!ユレルミ!お前が来れば、こちらのものだ。征くぞ!」
「はい!師匠!」
ユレルミの剣術は、オスニエルから引き継いだものだ。
蒼穹の雷帝の横で振るう剣は、鬼神をも打ち倒すだろう。
「ふう。なんとか、押し返せたな」
ユレルミ登場から数時間が経過していた。
残兵処理も終わり、マヌ平原には仮初の平和が戻っている。
「師匠、どうぞ」
「うむ」
ユレルミが、酒を差し出した。前線から離れ、陣に戻ってきているのだ。
天幕の中、汗を拭き、どっしりとオスニエルは椅子の上にいた。
「それにしても、よく、ここまでの騎馬を揃えられたな」
「ああ、そのことですが。引き合わせたい者が居ります。コンラート=ハイゼンベルク殿!おられるか!」
天幕の外から返事が聞こえた。現れたのは、一見するとただの牧夫であった。
「お初にお目にかかります。東の領地エルメントラウトを治めております。コンラート=ハイゼンベルクと申します」
オスニエルは、訝しげにユレルミを見た。
「我らが劣勢の報は、早くから届いていたのですが、動かす騎馬の数が揃いませんで……、困っていたところ。騎馬の数をエルメントラウト地方から取り揃えてくださったのが、ハイゼンベルク殿なのです」
「おお!そうであったか。これだけの騎馬を揃えてくださるなど、大変なご苦労があったことでしょうに」
コンラートは首を振って答えた。
「いいえ。祖国の窮状に応えてこそです」
言葉は少なかったが、その中の信念をオスニエルはたしかに感じ取った。
「とまあ、こんな感じで儂らは出会ったわけだな。その三年後、エスケリネンは、クレメッティの奴めが急病とかで倒れてな。国自体も崩壊したわけだが。本当に何度となく窮地を救ってくださった神のようなお人だよ。ハイゼンベルク様は」
その脇でコンラートが苦笑している。
「本当に様はおやめくださいよ」
「いやいや、様呼びでは足らないくらいだぞ」
その隣でサミュエル=エルライドが感嘆の声を上げる。
「なるほど、父様がお強いのは、コンラート様のような力のある方が、助けてくださるおかげなのですね」
「サミュエル様まで!」
尊敬するじい様が顔を赤くし、少年のような笑みを浮かべている。
アウグスト=ハイゼンベルクは、春風を感じながら、感慨深げに唸った。
「どうした。アウグストよ」
幾分祖父の威厳を取り戻すように、孫を振り返る。
「いいえ。じい様も人の子なのだと今、わかった気がします」
一同が笑う。遠くで一つ、いななきが響いた。
*
日課を粛々とこなす。
敷き藁を馬房に敷き、飼葉をやり、吊るされた水桶に運んできた水をたっぷりと入れる。
今日のアウグストは、午後の授業を家庭教師のレオンチー=スヴォロフに免除し…




