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汐風、駆ける 〜牧場伯爵家ご嫡男、馬と共に領地を再興する〜  作者: 石井はっ花


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29 あたたかな食卓

ほのかに吹き始めた秋風に、うっすらと色づきを深めていく木々の葉が揺れている。


 その日、サリニャック家の正面玄関前には、幾層にも塗り重ねられた濃紺の車体の馬車が厳かに停まっていた。

 車体の四つ角には、銀で作られた豪奢な装飾が、ようやくその熱さを懐に納め始めた陽の光を反射している。

 六頭立ての馬車には、ここまで五日かけてようやくたどり着いた歴戦の勇者のような痕跡が、土汚れとなって跳ねていた。


 御者見習いが、その汚れを丁寧に拭き取っている間、

 主人であるアウグスト=ハイゼンベルク伯爵は、かつての自分と同じように応接の間で、やきもきと座っている。


 その横では、含み笑いのアルミカル=パリスが、紅茶を静かにすすっている。

「あー。なんだ。アウグスト君。とりあえず、落ち着きなさい」


 張り詰めた表情のアウグストは、頭を振った。

「僕も男です。再会できて、リーアが僕を見てがっかりするようなら、すぐに身を引きますぅ」

 というアウグストの両手は引き絞るようにされていて、強い握力によって指先は既に真っ白だった。


 と、そこに。

「お久しぶりですね。アウグスト=ハイゼンベルク伯爵。お変わりないようで何よりです」

 マクシミリアン=サリニャック男爵が姿を現した。


「それと、悪友アルミカルよ。元気だったか? アウグスト君のもとでしっかりお勤めしているんだろうね」


 アウグストとアルミカルはふたりとも立ち上がり、マクシミリアンと改めてそれぞれ礼を交わす。


「アウグスト君。アルミカルが悪さをしていないかい? 使用人に手を付けたりとか」

「いえいえ。本当に信用ができる一人です。そんな悪さなどしていないですから。ご心配なく」

 上機嫌で胸を張るアルミカル。

「そうだろう!」

「いやぁ、そんなお前が一番信用できないんだよ」

 ふっと眉尻を下げたマクシミリアンが、旧友に気軽な口を聞いた。

「お二人の仲の良さがとても羨ましいです」


「そうですか? でも、アウグスト君もこれからですよ。最愛の伴侶を見つけられているのですから」


 マクシミリアンが促すと、振り返ったアウグストの目に飛び込んできたのは、美しいドレス姿のリーアだった。


 シルクシフォンのアイボリーから淡い水色へのグラデーション。

 スクエアネックの首元には純潔を示す真珠のネックレスが、佇んでいる。

 エンパイアラインが細身のリーアの美しさを更に補強しているようだった。


「アウグスト様!」

 リーアは、飛びつきたい衝動をなんとか抑えて、深々とカーテシーをとった。


 アウグストも厳かに一礼をし、リーアの養父であるマクシミリアンに改めて向かい合った。


「マクシミリアン=サリニャック男爵。

 貴殿が養父として育て上げられたリーア=サリニャック嬢を、ハイゼンベルク伯爵家の正妻として迎え入れ、サリニャック家が授けてくださった教えを、私は彼女と共に、我が領地の土へと刻んでいくことを誓います」


「ありがとう存じます。三年ほどという短い期間でしたが、リーアという素晴らしい娘を我が家にて育ませていただき、ハイゼンベルク伯爵家には、これ以上の感謝の言葉もありません。どうぞ、この先も我が娘リーアを、末永くお願い致します」


 リーアの柔らかな頬に真珠が一粒、流れ落ちていく。


「お義父様……」

「はい。心に誓って。リーアを一番幸せな花嫁に致します」


 *


 馬車の旅も三日を過ぎた。

 一行はようやくモットーラの町まで戻ってきた。今日は、ここで一泊をとり、明後日にはハイゼンベルクの屋敷まで戻れるだろう。


 リーアもいつも着ていた部屋着のようなドレスで、町長(まちおさ)テルネリの屋敷の二階の客室で、揺り椅子に座ってまどろんでいた。


 そこへ──。

 ジョベールが姿を現した。

「リーア。そろそろ夕食の時間だって。呼びに来たわ」

「ああ、ジョベール。ありがとう。やっぱり、ここまできたら、なんだか安心するわね。汐風の香りが近い感じがして。ホッとするわ」


「たしかにね。私もこの、海沿いの汐風から離れられない体になってきたもの。その気持ちはよく分かるわ」

 そういうとジョベールはくすりと笑った。


「え? 何?」

 戸惑ったリーアが眉を寄せる。

「ううん。なんか、花嫁修業してお貴族様になったのに、リーアは元のリーアなんだなって思っただけ」


 リーアは眉を開いた。

「そりゃそうよ。人の根っこなんて、いくら研鑽を重ねたって、そうそう変わるものじゃないわ。私だって、ただのリーアだわ。そりゃ、ようやくアウグスト様の隣に立てられるようになったかもしれないけれど。大本は、ただのリーアよ」


 ジョベールは、リーアを見つめた。

 そこには、自分の人生を掴み取った少女の眩しい笑顔があった。


「うん。わたしも、これから、頑張ってみる。リーアに負けていられない」

「それでこそ、ジョベールだわ。あなたが変わってなくて、安心した」


 板張りの廊下に二人の影が伸びていく。


 *


 ハイゼンベルク伯爵家玄関前に一行がたどり着いたとき、大きな夕陽が海に落ちかけているそんな一瞬だった。


 正面玄関には、新たな女主人を迎え入れるため、召使いたちが通路の両端に立ち頭を下げていた。


「おかえり。アウグスト。そして、リーア。よく帰ってきてくれた」

「コンラート様……」

 リーアが感極まって、涙を落とした。

 迎えに出ていたのは、アウグストの祖父、千騎の伯コンラート=ハイゼンベルク元伯爵だ。

 今もなお、馬産地交易ギルド統括という要職についている。


「さ、アウグスト。花嫁をそのままにしてはいかん。さっさとエスコートせんか」

「あ。ごめんね。僕の花嫁さん、どうぞ僕の手を取って」

 ふわりと二人の手が重なり合った。


 周囲の召使いたちから、自然に上がる歓声。

 伯爵と未来の花嫁の初々しさが、見ていた全員の心を静かに満たしていった。


 *


 かつてはあかぎれを作りながら洗っていた白のテーブルクロスの上に、今は、自分のための素晴らしい料理が提供されていく。


 小エビと野草仕立てのテリーヌ。

 玉ねぎと地鶏の黄金色のコンソメスープ。

 エルメントラウト産の白身魚の香草蒸し。

 地元産の根菜が添えられた、熟成牛の赤ワイン煮込み。

 そして、蜂蜜とベリーを添えたミルクレープ。


 リーアは、味わいつつ身につけたマナーの技術を遺憾なく発揮した。

 その上で、サリニャック家での楽しかった毎日の話題を、アウグストとコンラートに聞かせてやった。


 コンラートの統治時代でも、家族の晩餐がこれほど温かく楽しかった時間はなかった。

 料理を味わうよりも、笑っていた時間のほうが長かったように感じられた。

 アウグストも、周りの従者たちも腹をよじらせていた。


 だが、これほど人を笑わせているリーアは、しっかりとマナーに則って晩餐を終えた。

「ず……なんか、ずるい……。リーア……」

「しかし、あの、サリニャックがそんな愉快な男だったとは!」

 コンラートまで、腹を抱えていた。


「ええ。お義父様。すごく真面目な顔で。そのようなことをなさるのですから、手におえませんわ」


 そうリーアが輪をかけて真面目な顔でいうと、再度、アウグストとコンラートが吹き出した。


 *


「お疲れ様。リーア」

 ノックの後、顔を出したアウグストに微笑みかけるリーア。


 リーアにあてがわれたのは、ハイゼンベルク伯爵家でも最高級の客室だ。

 王室関係者が泊まる部屋までの格はないが、それなりの高位貴族が宿泊するための部屋だ。

 部屋の窓からはすっかり日が落ちた海が見えている。


 時折、灯台守のカンテラが海を照らしていく。


「アウグスト様、こんなお部屋に入らせていただいていいんでしょうか」

 額に皺を寄せたリーアが、尋ねた。

「いいんだ。本当はもうすこし、早めに迎えに行きたかったけど、母様の部屋の改修が追いつかなくて。遅くなっちゃった。ごめんね」


 困惑気味のリーアが、更に額に皺を寄せる。

「こんな、私のために。良いのですか?」

「その心配は不要だよ。君が僕を選んでくれたから、僕は、その君の真心に応えたいだけだから」


 リーアは、愁眉を解き思わず目頭を熱くした。


 アウグストは、そんなリーアの髪を一房取り上げると、その一房に口づけを落とした。


「おやすみなさい。僕の花嫁」

 リーアの部屋のドアを開け、ゆっくりとアウグストは自室に戻っていく。

 あの頃の冷たい屋敷の雰囲気は、もうどこを探しても見当たらなかった。


 *


 週が明けて二日。

 養父であったマクシミリアンとその妻テレーズが、ようやく駆けつけてきた。

 義理の娘とはいえ、その結婚式となれば駆けつけずにはいられなかったのだ。


 そんな二人とアルミカルを招いての晩餐は、いつもより温かで盛況なものになった。


「お主……馬の気持ちになると言って、……ひぃ……四つん這いで、厩舎を歩いたとは、真……か?」

 コンラートは、それだけを言うと、大きく息をつきながら、笑いをこらえ、肩を震わせている。


「はて……? それほど、お笑いになることは、したつもりはないのですが……。ええ。コンラート様のおっしゃるとおりにございます」

「そうなのですよ。我が夫ときたら、膝が汚れるのも構わず、四つん這いになるものだから、厩務員たちもそれは驚きましてね。困ったのは馬たちですわ。遠巻きに……ふふ……、何だこの変な生き物はという目で……うふふ……」

 テレーズも笑ってしまって、言葉にならない。


「幼い頃だったが、ダンスの練習相手がいない俺の相手をよく買って出てくれたものだ」

 アルミカルが、微笑みながら暴露話をする。

 さすがのマクシミリアンも慌てて制した。

「アルミカル。その話はやめないか?」

「いいや、言わせてくれ。二、三日待ってくれというから、待っていたらマクシミリアンの妹のドレスを着たこいつがいたんです。しかも完璧なカーテシーを取るんですよ。仕方なくエスコートしたら、レディのステップを完璧に踏むんです」


 周囲の全員が、耐えられず噴き出した。

「もう、おかしくてね。でも、おかげで、ダンスは上達しましたね。まあ、おまけの効果はありましたが」


 どうにか呼吸を整えたアウグストが、その先を急かした。

「アルミカル。効果って何?」

「効果、かい? どのレディと踊っても、眉を顰めて必死に踊るマクシミリアンの顔が浮かぶんだよ。どんな素敵な令嬢でも、それが浮かぶから、俺は、せっかく覚えたステップすら踏めなくなっちまった」


 二つ折りになって笑うアウグストは、苦しい呼吸になりながら、また尋ねた。

「なんで?」

「どんなに麗しいレディと踊っていても、このマクシミリアンの顔が浮かぶんだぜ。こっちだって吹き出すのを堪えてたけど。そんなのは失礼だろうが」


 その場の全員が、再度噴き出したが、当事者のマクシミリアンのみが、首を傾げていた。

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