28 舞踏会と小さなお茶会
刈り取ったばかりの草々が、風に揺れている。
「いい風だな。アウグストくん」
「うん。そうだね。アルミカル。草もいい感じで乾いてくれると思う」
この夏アウグスト=ハイゼンベルク伯爵は、十九歳になった。
腕っぷしも太くなり、背もほんの少し伸びた。
とはいえ、じい様ことコンラート=ハイゼンベルクの背をとっくに追い抜いてはいたが。
その横にいる元騎士アルミカル=パリスもすっかり牧場の立派な厩務員だ。
「ごめんね。僕が馬屋仕事ばかりしてるから、君たち護衛衆にも手伝ってもらっちゃって」
「いいんです。雇い主の意向は聞いた方が良いに決まってますから」
フィーランの口の横のシワが少し深くなった。
「ありがとう。助かるよ」アウグストが汗を拭きながら、答えた。
「みんなー! 休憩しましょう! お茶淹れましたよー!」
樹の下の日陰にシートを広げ人数分のティーカップを揃えたジョベールとフランセットが、手を振っている。
牧草地の刈り手と、長柄のフォークを持った作業員たちが、広い牧草地のあちこちからわらわらと集まってくる。
「これ、うまいな」
イアンが焼き立てのビスケットを、次々に口に頬張る。
「ちょっと! なくなっちゃうじゃない」
ジョベールが、そんなイアンを制止する。
「あ、すまん。だって、すごく美味かったから」
「心配しなくても、イアンの分は残してあるよ」
フランセットが頬を自然に上げて、イアンを見つめる。
二人は、視線を絡ませて頬を赤らめた。
「この頃の一番の驚きは、フランセットをイアンが射止めたことだよね。正直驚いた」
真面目に言うアウグストに二人は振り返った。
「一応は、チーム内恋愛禁止だったはずなんだが……」
フィーランが含み笑いをする。
「そうだよねぇ。でも、フランセットは、ずっと、イアンが好きだったからね」
それを聞いて、フランセットが今までより顔を赤くする。
「ジョベール! 誰にも言わないでって言ったじゃない!」
いつもの冷静なフランセットはどこへやら。今は、年相応の可愛らしさだ。
「いいなあ」
つい、アウグストはそんなことを口にしてしまう。
「何言ってるの。アウグスト様にはリーアがいるでしょ」
ジョベールがツッコミを入れる。
「そうだよ。俺やフィーランが可哀想だと思わないか?」
「だと思って、何度も縁談が来てると伝えてると思うんだけど?」
アルミカルに首を傾げてみせるアウグスト。
だが──
「それこそ何度もいうが、俺に結婚は無理だぞ」と胸を張るアルミカルに、一同がため息をつく。
どうやら小さなお茶会も終盤のようだ。
「さ、みんな、続きも頑張るよ!」
思い思いに立ち上がり、尻についた草埃を払い持ち場に戻っていった。
*
「ハイゼンベルク伯爵、アウグスト様の到着にございます!」
先触れが大声で呼ばわった。
今日の舞踏会も盛況であった。
「お集まりの皆様。昨日よりの王冠馬選定会へのお集まり、誠にありがとうございました。セリはお陰様で大変盛況なうちに終了いたしました。この地エルメントラウトを領といたします代表者として、厚く御礼申し上げます。どうか今夜は、皆様も羽を休めてゆっくりとこの舞踏会をお楽しみください」
広間一面が沸き立った。
「続いて、馬産地交易ギルド統括、コンラート=ハイゼンベルクより、皆様に御礼を申し上げたい。毎年のこの夏の王冠馬選定会にお集まりいただき、心よりさらなる感謝を。この、孫息子であり、伯爵でもあるアウグストへの厚意も特に厚く感謝する。これからも、エルメントラウトをよろしくお願いする」
場は瞬間静まり返った後、一番の盛り上がりを見せた。
始まった華やかな音楽の中で、祖父と孫の会話が繰り広げられる。
「じい様はやっぱり流石だな。スピーチの重みが違う」
「うむ。それは経験値の差というところだな。アウグスト、お前も儂の年になれば、このぐらいの湧き上がりはするだろうよ」
「そうかなぁ」
そう言ったアウグストの手元には、深い赤をたたえたワイングラスがあった。
「お前、飲めないんじゃなかったか?」
「そうですね。お酒は、今でも嫌いです。でも、このワインだけは、どうしてか飲めるんですよ」
そのワインは、遠くトゥオモラの町のマクシミリアン=サリニャック男爵のところに養女として貴族の慣習を学んでいるリーアがわざわざ送ってくれたワインだった。
手摘みをし、町の女性たちが仕込んだワインとのことだ。リーアも参加をしたと手紙に書いていた。
「あとのお酒は、どうしても飲めないんです。これだけは、酔わないし、美味しいんです」
その時、遠くからアウグストを呼ぶ声がした。
「バマノフ子爵! お久しぶりでございます!」
「アウグスト君もすっかり伯爵として立派になったね」
「いえいえ、じい様のお陰でなんとか外見を取り繕っただけで」
「そうではないよ。堂々とした素晴らしい伯爵の姿だ」
*
パンチェレイモン=バマノフ子爵の優しげな口調に、まだ少しあったアウグストの緊張がほどけた。
「でも、今日お会いできて良かったです」
「そうそう、君がサリニャック家に預けた女性だが、あれほど素晴らしい女性はめったに見ないな」
「リーア。でしょうか」
「ふむ。そんな名前だったな」
「リーアがどうかしましたでしょうか」
アウグストの背中に冷たいものが滴った。
「いいや。どうかしたというよりも、隣町の我らの町の祭にも足を運んでくださるんだが、彼女の言う通りにしたところ、とても華やかで素晴らしい祭になったんだよ」
出店の売上が五割増になり、集客も最高人数を記録したという。
「ええっ。そんなことが」
「彼女には、いろいろな才能があるようだね。この礼服もデザインは彼女だ」
アウグストは、息を呑んだ。
伝統に忠実なデザインにもかかわらず、多少の縫い目の色使いなど、遊び心のある仕上がりとなっている。
「本当に才女だね。リーア嬢にそれとなく、好意を伝えたが振られてしまったよ。君を一番に思っているから、だめだそうで」
バマノフ子爵は、残念そうに笑うと参加客に呼ばれて辞去して行った。
「リーア……」
騒がしくも華やかな舞踏会の中、長々と想い人に会えていない自分をふと見つめてしまうアウグストであった。
*
手作りのソファカバーなどがところ狭しと飾られ、牧歌的な雰囲気のあるマクシミリアン=サリニャック男爵邸。
その日は、そんな家庭的な屋敷の中に一定の緊張感が漂っていた。
無理もない。男爵家主催のお茶会が開催される当日なのだ。
リーアは、鏡に映る自分を不思議そうに見つめた。
鏡の中のリーアは、どこから見ても美しい男爵家令嬢だ。少し詰まったハイネックのセージグリーンのドレスは、上品な光沢をたたえ、カフスのついた長い袖が慎ましやかな令嬢を演出していた。
ここまでの貴族令嬢としての研鑽は、少しお転婆だった少女をすっかり変えてしまっているようだ。
「リーアお姉様。すっごくきれい!」
この春六歳になったリリアーヌが、リーアの居室のドアを急に開けて、嬌声を上げた。
「リリアーヌちゃん。本当? おかしくない?」
リリアーヌは、永久歯への生え変わりの時期なのか、歯の抜けた口元を大きく広げて笑った。
「本当にリーアお姉様、とってもきれい! リリアーヌも同じドレス着たい!」
そう言って、飛び跳ねた。
「あ! ここにいらっしゃったのですか!」
リリアーヌ付きのメイドが、随分と慌てた様子で飛び込んできた。
「リーア様、申し訳ございません!」
「フランカ。敬語は、やめてよっていったじゃない」
リーアは困ったように口角を上げる。
リーア自身、元は、ハイゼンベルク伯爵家勤めのメイドだったのだ。
それを見初めたアウグストだったが、伯爵と平民では、婚姻にも支障をきたす。
そこで、王権の全権特使となりハイゼンベルク家に滞在していた蒼穹の雷帝こと、オスニエル=エルライド辺境伯とアウグストの祖父、コンラート元ハイゼンベルク伯爵が働きかけ、まだ幼い子供のいるサリニャック男爵家を養女としてのリーアの受け入れ先に白羽の矢を立てたのだった。
「いいえ。リーア様は既に当家の養女様でいらっしゃいます。また、本日は社交界のお披露目を兼ねたお茶会です。もうすでに、立派なご令嬢じゃないですか。私なんかが、いつもの口調なんかで喋ったら、お叱りを受けます」
フランカは眉を顰めてそう言うと、リリアーヌとともに下がっていった。
残されたリーアは、シルクタフタのドレスに皺を作らないようにスツールにそっと座った。
「リーア様、お時間でございます」
先触れの役目を持つ従者が、ノックの後、そう告げる。
「分かりました」
リーアは、そっと立ち上がるとシルクタフタ特有の衣擦れの音を立てながら、会場であるサロンに向かった。
この時から、平民だったリーアはもういない。
男爵令嬢リーアのアウグストとともにいるための戦いの幕が開くのだ。
*
「まあ、このサリニャック家の皆様も平民の娘を押し付けられるなんて、本当に災難ですこと。奥様もそう思われませんこと?」
「ええ。本当に、私共では全く考えられませんわ。メイドだったというではありませんか。そりゃあ、蒼穹の雷帝様の後ろ盾があったとしても、恐ろしくて考えられないことですわ」
サロンには口さがない噂話が、まことしやかに流れている。
と、そこへ──。
「サリニャック家ご令嬢リーア様のご到着にございます」
薄ら寒いクスクスという嘲笑が、場に満ちる。
しかし、その嘲笑もリーアの登場までだった。
ハーフアップに結い上げられた栗毛の髪は、艶やかで未婚の女性である節度をしっかりと表していたし、薄化粧の肌も透明度を保ち、理知的な瞳だが、その奥にしっかりと強さと優しさをたたえていた。
「本日は、当家サリニャック男爵家の招きに応じ、ようこそお越しくださいました。 養父の許にて研鑽を積んで参りました、リーア=サリニャックでございます。 本日は皆様とお目もじ叶いましたこと、心より光栄に存じます。 皆様にお寛ぎいただけますよう、些かではございますが、趣向を凝らしたおもてなしを用意いたしました。 短きひと時ではございますが、どうぞ心ゆくまでお楽しみくださいませ」
ほぉ……。と、あちこちから感嘆するような声が上がる。
リーアは、このサロンの客たちの向こう側に、「よく、挨拶できたね」と笑うアウグストの笑顔を見ていた。
このお茶会は言うなれば、花嫁修業の最終試験だ。
もうすぐ、アウグストに再会できる。
リーアの胸は自然に高鳴っていた。




